嘘みたいな申し出

文字数 1,913文字

 
 朝の主厩舎。
 端っこ馬房で馬の首を掻いてやりながら、物思いに耽るシルフィス。

 ピルカからは、何か考えるから少し待てと言われている。
 ユゥジーンは許してはくれたが、ベッドを思い切り離されてしまった。
 見習いの少年はあからさまに背後に立たれるのを嫌がっている。
 思ったより支障がある。早く何とかしたい。


「シルフィスキスカさん」

 また女性の声に飛び上がらされた。
 ピルカの声ではないが、最近聞いた声だ。
 振り返ると、お茶会で会った、サザの親友娘だった。

「その、私が話を振ってしまったせいでおかしな噂になって、何と申してよいか」

「いや、僕の言葉選びに配慮が足りなかっただけだ。君はまったく何も悪くない」
 この娘は噂を真に受けていないようでホッとした。

「あの……ピルカから内密にと話が回って来たんですが…… 誤解を解く為に、偽装で交際してくれる相手をお探しとか?」

「あ、ああ……」
 胸がザワっとする。

「もう決まってしまいましたか?」

「……いや」
 え、この娘が立候補してくれるのか? それは……どうだろう? サザに一歩近付けるのか? むしろ逆に遠ざけるんじゃないか? しかしこの先、やってくれる娘なんて現れないだろうし、う――む……

「えっと、期間とかありますか?」
「期間? ああそうだな、決めておいた方がいいのか。最終的にハッキリ別れたと周知させる方がいいのか?」

「その辺は、二人で話し合って下さい」
「ん?」
「私の友達が、やってくれるって……」

 彼女が横へ避けると、建物の陰から、スッと一人の娘が現れた。
 静やかな歩調、藍の瞳。


 サ サ サ サ サ サ サザ!!

 サザ、まごう事なき、サザ!!


 シルフィスの頭蓋内が一気にとろけて耳から溢れそうになった。
 待て待て待て待て、落ち着け、ここでこそ言葉を間違えたら それこそ取り返しが付かない、落ち着け、落ち着け…………

「ひひゃひゅ」
 噛んだ。


 ***


「私の友人、エンジュ森の行きに先頭を飛んでいたサザです。覚えていらっしゃいますか?」
 親友娘が遠慮がちに紹介し、内密なのに友人に話してしまってごめんなさいと付け加えた。

 シルフィスにしたら、よく話してくれたと内心小躍りしていたが、表面は冷静を取り繕う。
「勿論覚えている。えっとサザ、大変助かる申し出だが、大丈夫なのか? 君の家は厳しいと聞いている」

 サザは懐かしい声で静かに答えた。
「両親も共に謀(たばか)って頂けますか。正式な求婚相手だと」

 動かない表情から出る思い切った言葉に、シルフィスは喉を詰まらされた。
 親友娘は双方を見てハラハラしている。

「ご両親に、求婚相手って…………えっと、僕は、挨拶に行くのか?」
 ヘイムダルみたいに?

 呆けたような青年の声に、ああこれは断られるなと、親友娘は俯いて息を吐いた。
 しかし耳に入ったのは「それは構わないが」という驚きの言葉だった。

「君の家系は蒼の里にとって重要だと聞く。他種族である僕が求婚に行く事は、その……有り得るのか? 大切な家系の一員を、他所に連れ去る事になるのだが」
 場合によっては、彼女が家族から責められて酷い扱いを受けるのではないか?

「今ならまだ、有り得ます。まだ雑用しかしていなくて、家業の教えは受けていませんから。伝授された後なら、絶対無理になりますが。
 風波の名門シルフィスキスカさんなら、父は十分に礼儀を持って向かい合ってくれると思います。兄や親族も、先日子供達を竜に乗せてあげているのを見て、好感を抱いています」

「そ、そうか」
 冷静を装いながら、情報の洪水に、シルフィスはクラクラしている。何だソレ、自分にとっては踊り出したくなるような嬉しい情報ばかりではないか。

 しかし……
「最初に『期間』を聞いたよな。ご両親に挨拶をしてしまったら、終わらせるのが困難になるのではないか?」 

「私の我が儘で、急に他所に行くのが怖くなった事にします。シルフィスキスカさんの名誉は傷付けないようにします、ぜったい」

「ふむ……」
 だんだん落ち着いて来たシルフィス。
 ここでやっと、当たり前の疑問に行き着いた。
「理由を教えて貰ってもいいか? 

君の両親を謀る理由」

 娘は眉を崩して俯いた。
「名前を…… 早く、欲しいんです」

 ああ……
 シルフィスは肩の力が抜けた。
 大人びてスンとした少女だが、やはり同い年の娘の中に幼名で取り残されているのは嫌なのだろう。
 縁談が持ち上がったなら、両親は直ちに蒼の長に拜名を求めに行く。
 なるほど…………

 親友娘は、サザの自分本位な提案と竜使いの脱力した表情に、この件はもうご破算だと諦めていた。
 だから彼の「了解」の返事に、心の底から驚愕した。







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登場人物紹介

シルフィスキスカ:♂ 風波(かざな)の妖精。 海竜使いの家系。

遠い北方より蒼の里へ、術の勉強に来ている。ユゥジーンちに居候。


リリ:♀ 蒼の妖精。 蒼の里の長娘。

術の力はイマイチで発展途上。ユゥジーンとは幼馴染。


ユゥジーン:♂ 蒼の妖精。執務室で働く。

過去にリリにプロポーズした事があるが、本気にされていない。

ホルズ:♂ 蒼の妖精。執務室の統括者。

頑張る中間管理職。若者に寛容だが、身内には厳しい。

ピルカ:♀ 蒼の妖精 ホルズさんちの末っ子

女の子達のリーダー格。

サザ:♀ 蒼の妖精  物造りコミューンの娘。

用心深く無口。乗馬姿が美しい。


プリムラ:♀ 蒼の妖精 ピルカと同い年

気が強く、相手を言い負かすまであきらめない。

ポラン:♀ 蒼の妖精  ピルカ、プリムラとは従姉妹どうし。

気遣い上手。皆のお姉さん的存在。

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