一人歩きする噂
文字数 1,764文字
「プリムラぁ!? ぜ、絶対にやめておいた方がいいですっ!」
風波(かざな)のシルフィスキスカは、会う者毎に言われてうんざりしていた台詞を、見習いの少年にまで言われて、更にうんざりした。
「そうか、ならやめておく」
「ぇ……」
エンジュ森への女の子達の護衛任務から帰ってから、会う男性達にことごとく、
「どうだ、気に入りの娘はいたか?」
と聞かれ、正直に「いや特には」と答えても、
「ええ――そんな事ないだろ三十人と二泊もしておいて誰かいるだろ素直に言えよ」と絡まれるので、「プリムラ」と答える事にしている。
十人が十人、先のような反応をして会話を終わらせる事が出来るので、シルフィスは便利に使っていた。
(しかしなにゆえ皆が皆止めるのだろう。少々気は強いが乗馬も上手いし、丈夫で健康そうな娘なのに)
「あんたまた、何をやらかしてんのよ」
一仕事を終えて執務室に戻ると、統括者のホルズは留守で、事務方で長娘のリリだけだった。
「何かやらかしたか?」
「プリムラを気に入ったって公言しているんですって?」
「ああ、彼女の名を出すと皆が皆否定して会話が終わるので、大変助かっている」
リリは額に手を当てて首を横に振った。
「馬鹿なの? 噂が広まって一人歩きするとか考えなかったの?」
「なんだ、皆、否定しておいて他所で言いふらしているのか?」
リリは更に溜め息を吐いた。
「相手を煙にまきたかったら、大勢の名を言って迷った振りをするとか、色々あるでしょうに」
「なる程、その手もあったか。しかし名前を覚えているのがプリムラと、あと一人か二人位しかいない」
「…………」
玄関デッキの階段に足音がする。
ホルズの物と、あと複数だ。
「はあ……あたしは知らないからね。自分で何とかしなさいよ」
誰が来るのか知っていたようで、リリは慌てて仕事道具を抱えて外へ飛び出して行った。
入れ違いにホルズが入って来る。
眉間にシワを入れて複雑な表情。
外でリリに挨拶をするのは年配の男女の声で、少し遅れて御簾をくぐって入って来た。
見事な髭の胸板厚い男性と、眉の凛々しいグラマラスな女性。眉を見て、一目でプリムラの親だと分かった。
(なる程、『一人歩きした噂』の成せる業か)
シルフィスは他人事のようにボケッと考えた。
「さてシルフィスキスカ殿」
ホルズに紹介された後、父親は厳しい顔で口上を切り出した。
もう既に『娘の彼氏に対する頑固親父モード』である。
母親は母親で、『父親を宥めて場を取りなす役割』をこなす気満々の、ウッキウキを隠せない表情だ。
一通り相手の口上を聞いた後、シルフィスは、「風波では」と切り出した。
「目上の者に否定された相手との話は進められません」
両親も、窓辺で腕組みをしていたホルズも、キョトンとした。
「相談した方々十人が十人に否定されました。私は相当プリムラ嬢に相応しくなかったのでしょう。そう得心して疾(と)うに切り替えておりました」
外のベンチでは、壁に聞き耳を立てていたリリが、手を叩いて忍び笑いをしている。
「そ、それは……」
「あのな、シルフィス」
言葉の出ない両親の代わりに、ホルズが援護射撃をする。
「蒼の里では、取りあえずいっぺんはヤメておけと言っとく物なの。ひやかしの一種だ。本気なら他人の言うことなぞ気にせず突き進めって意味だ」
このヒトはどちらの味方かしらと、リリは壁際でほぞを噛む。
「そうか」
風波の竜使いは、まったく動じずに言葉を続ける。
「しかしあれだけ皆が皆、絶対にやめておけと言うのは…… 両親殿、プリムラ嬢には何か別の障壁があるのでは? 例えば既に心に決めたお相手が存在するなどの。私が聞いた中にはそういった事を匂わす語感も混じっていたように感じたが、両親殿にお心当たりはござらぬか」
室内の空気がスウッと引くのが分かった。
しばらくして、心ここにあらずな両親がフラつきながら出て来て、ホルズが慌てた感じで送って行く。
リリが口端をヒクつかせながら御簾をくぐると、シルフィスは何事もなかったかのように、本日の報告書に取り掛かっていた。
「あ――あ、プリムラ、可哀想に」
「そうだな、彼女にはちょっと気の毒だった」
「ちょっとドコロじゃないでしょ、本当に内緒の彼氏でもいたらどうするつもり?」
「責任持って応援させて頂く」
「…………」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)