早く名前が欲しい
文字数 3,462文字
見習いの少年は、半年前に修練所を修了して執務室に入ったばかり。
最近やっと外仕事に出して貰えるようになった。
同い年の中で一番背が低く、ひとりだけ声変わりしていないのがコンプレックス。
名前がまだない。
今は家系で使い回されている幼名で呼ばれているが、彼はその名の幼い響きが大嫌い。
一日も早く正式な名前を授かりたいと思っている。
蒼の妖精は、一人前と認められて初めて名前が貰える。
授けてくれるのは蒼の長様で、一人前の判断は家長や職場の長(ちょう)が下す。
極々たまに差し戻される事もあるので、推す方も慎重だ。
周囲に確認して、全員に頷いて貰ってやっと推挙の運びとなる。
蒼の妖精は個々の成長がまちまちで、修練所を終えるのは生まれて十五、六年だが、それから十年二十年後の拝名なんてのも珍しくない。
『拝名の早さ合戦』を作りたくない長様の意向もある。
女の子の場合はかなり違って、親と年長者一人二人が認めただけで、ホイホイ名前が貰えてしまう。差し戻しもほぼ無い。
この違いは大昔からで、嫁いで主婦となり母となる者が幼名ではおかしいという理由。
女の子は修練所を出て一端の花嫁修行を終えたら、親は早々に拝名を求めて来る。名の無い者には縁談も持って来られないからだ。
「女性とお前じゃ天から授かった役割が違うだろうが。ほらとっとと手を動かせ」
と説教するのは、執務室統括者のホルズ。四男五女の父親。
「まぁ焦るな。じっくり熟成した方が良い名が醸されるって言うしな」
「誰が言ったんですか」
書類の綴じ付けをしながら少年は、口を尖らせる。
だって身近に、執務室史上最年少で拝名したユゥジーンさんがいる。
里一の剣士と名高いユゥジーンは、修練所を修了した時点で見習いから正メンバーとなり、その二ヵ月後、長殿が通りすがりにいきなり名を授けて行ったというレジェンド。
執務室で一番近しい先輩ゆえ、少年はどうしても意識してしまう。
「ジーンは別よ。十一か二の頃に小間遣いで入って、放課後コツコツ通いながら、下働きの合間に剣技を習っていたのよ。小間遣い時代が七日かそこらの貴方とは、スタートラインが違うでしょうに」
部屋の隅の丸テーブルで事務仕事をしながら口を挟むのは、長娘のリリ。少年が幼名を嫌っているのを知っていて、『貴方』呼びしてくれる。
「だいたい女性だって拝名の遅いヒトは遅いわよ。彼女達の方が大変でしょ」
「そうですか?」
「そうよ。家業を継いだり、職人目指して弟子入りするような娘(こ)は、名前を貰うのも周囲の男性と同等だもの。なのに女の子の間には幼名だと馬鹿にするような風潮があるのよ。気の毒ったらないわ」
「ああ、そういえば僕の同級でもいたな、家業を継ぐ子。いつも女子の輪の外に離れていたっけ」
「ね、名付けの早さなんかに拘っていたら、ロクな世界にならないでしょ?」
最初おっかないと思っていた長娘だが、慣れて来ると存外よく喋る。修練所で習わないような規格外の豆知識も教えてくれるので、少年は彼女との雑談が割と好きだった。
そういえば『リリ』だって幼名だ。
「あ、うち? うちは基準にならないわ。父様は修練所はスキップ修了したけれど、名前を貰ったのはその何十年も後だし。大叔父様なんて名前が無かったのよ」
「ええっ、名前の無いヒト? 長様の家系で?」
「名前を貰う前に前長が急逝して、自分が長になっちゃったのよ」
「…………」
本当に規格外の知識。
「『名前を授けるのは蒼の長』って動かせない掟があるからね。だから自分の代で、次の長に血統外の者を指名して、もうそんな事が起こらないようにしたの」
「ええっと?」
「例えば、今いきなり父様が出先でどうにかなっても、あたしがすぐに長を継がなくてもいいって形を作ってくれたの。前例が一つでもあれば、血統外のヒト……例えばホルズさんが長になるって言っても通るでしょ? そしたらあたしに名付けてくれるヒトは確保されるって寸法」
「リリ――! 勘弁してくれ!」
大机のホルズが悲鳴みたいに遮った。
「例え話でも、言霊(ことだま)って奴を考えろ。お前が口にすると心臓に悪いんだよ!」
「ごめんなさい、そうね、縁起でも無かったわ」
リリは素直に謝って肩をすくめた。
「どっちの例えが、ですか?」
「両方だぁ!」
ホルズが陽気に怒鳴って、陰になっていた気を吹き飛ばした。
「しかし、リリの大叔父……『大長殿』のお考えをそうやって具体的に聞いたのは初めてだ。リリは誰に聞いた?」
「本人よ」
「えぇ? いや、あの方が隠れたのは……」
「二歳の時、ちょっとだけ一緒に過ごす機会があったの。世界の理とか仕組みとか、沢山話をしてくれたわ。もっと覚えていたかったのだけれどね……」
「そうか……」
少年はポケッと、自分が二歳だった頃を思い出そうとして、手が止まっていてまたホルズに叱られた。
***
秋風の立ち始めた夕方。
少年は馬繋ぎ場から執務室への坂を駆け上っていた。
まだ近場への手紙の配達ぐらいしかさせて貰えないけれど、外仕事に出して貰えるようになって毎日が楽しい。日に日に名前を貰える日が近付けている気がする。
デッキの階段に足を掛けようとして、窓辺にホルズの後ろ姿が見えた。
室内に向かって何か喋っている。
(あ、もしかして)
少年は慌てて襟とシャツの裾を直した。
「ただいま戻りました!」
御簾の外で声を張ってから入ると、やはり久し振りのナーガ長様が大机にいらした。
二週間振り位だろうか。最近とみにお忙しいみたいだ。
清流の髪、象牙の額。どの角度から見ても絵になる、宗教画のような存在感。
このヒトがいるだけで、いつもの執務室が礼拝所かってほど清々しくなる。
執務室勤務だから他の里人よりは会う機会が多い筈なのに、少年はいまだにドキドキする。
「はい、おかえりなさい」という深い声も空から降って来るようで、少年は羽根でくすぐられるような快感に襲われた。
「お、長様もおかえりなさい。お会い出来て嬉しいです」
思わず変な言葉を口走ってしまう。
長は深い湖の底みたいな瞳を丸くして、「ああ、はい、私も嬉しいです」と、穏やかに返してくれた。
窓辺のホルズが苦笑する。
「あんまり里を留守にしていると、子供なんかにゃすぐ忘れられちまうぞ」
「ぼ、ぼく子供じゃありません。忘れたりしません」
脇の丸机でリリがクスリと息を吐く気配がして、少年は余計にムキになった。
「もう外仕事に出ているし、名前を貰ってもいい位だもの。ね、長様、そうですよね」
どうせいつものように、「あわてんぼさんですね、焦らず精進なさい」と流されると思っていた。
しかし長は、陶器のような頬にひとつの笑みも浮かべないで、真面目な顔で「ふむ」と少年を覗き込んで来た。
え、もしかして名前を貰える流れ? ユゥジーンさんみたいに!?
少年は唾を飲み込んだが、ホルズが慌てて割り込んだ。
「ナーガ待て、こいつは駄目だ、幾ら何でもまだ早い」
「そうでしょうか」
「ああ、駄目だ駄目だ駄目だ!」
そんなに駄目を連発しなくてもいいのに。
ホルズは、ナーガ長が子供の頃育った家で兄のような存在だったとかで、今でもたまに歯に衣を着せない言い方になる。
「欲しいって言うんなら、あげちゃってもいいんじゃないですか?」
長は更に少年を覗き込む。
少年は直立不動で構えた。本当に貰えるかもしれない!
「待て――!!」
「父様、その子はまだ違う」
リリの一言で、ヒートアップしていた場がサッと鎮まった。
結局、直後に他のメンバーが帰って来たので、名前の件はうやむやになってしまった。
少年は何とか話を蒸し返す隙間を伺っていたが、機会のないまま帰宅時間になる。
(明日ホルズさんに恨み言を言ってやる)
思いながらデッキに出ると、大柄な人物と鉢合わせした。
「おお、遅くまでご苦労さん」
白髪の男性は、前長のノスリ。
ホルズの父親で、件(くだん)の『一般人出身の、血統外の長』、だったヒトだ。
今は一線を退いて隠居しているらしい。
「どうだ、仕事には慣れたか」
「はい」
少年は言葉短く挨拶をし、お辞儀をして、素早くデッキを下りた。
同じ長でもナーガ様と比べると、このヒトは普通のお爺ちゃんって感じ。白髪でシワ一杯だし、声もガサツで品が無い。
せっかくナーガ様の声を耳に残して良い気分だったのにと、無意識に口が尖った。
御簾の向こうでは彼を迎えながら張りつめた空気になっていたが、少年はそれには気付かなかった。
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