第5話 そう言われても

文字数 1,229文字

年末なんだからゆっくりして力をたくわえておけ。そう言われても、文を紡ぎたいのだから、いいだろう。だってこんなに楽しいのだから。人はいつ死ぬか、誰もわからぬ。
だったら、したいことをして、したくないことはしなくてもいいではないか。例え、開運が遅れようと、なにがどうしようが、自分のしたいことできることをやるのみ。それでいい。
心からの感謝が涙となってこみあげ、幸福感で充たされ、生きる喜びが波紋のように広がる。あんなに苦しんだ日々、死にたくなるほどの閉塞感、辛苦しか感じられず自らを亡き者としようとしてなにか大いなる者に救われた有難さ、その嬉しさからの感激を苦しんでいる人の助けとなるように活動していきたい、そう感じている。
勿論、これからも苦境はやってくるかもしれない。だが、それに以前のように悩まされることはないだろう。苦しみがあるからこそ、楽しさが輝くのだし、悲しみに打ちひしがされたから喜びがいや増す、禍福は糾える縄の如し、永年求めても得られていなかったものが、諦めたころに齎されたら、その嬉しさ、幸福感、感謝はとても大きく歓喜でいっぱいになるだろう。
ずっと幸せだったが、死の間際に絶望が襲う人生と苦労ばかりだったが最期は心が充たされていっぱいの人生と、あなたならどちらをお望みだろう。
勿論、同じようなシチュアシオーンに置かれたとしても、その解釈によって感じることは千差万別である。ある者はそこに希望を抱き、別の者は絶望に狼狽する。
生きるとは工夫である。何の工夫か。幸せな人生と想え感じられるための考え方・捉え方の工夫である。その一点が、毎日のあなたの人生の幸不幸を決める。地獄にいても天国に感じられる人と天国にいるのにそこに地獄しか見いだせない人とはどこが違い、どこが同じか。これを観察することから、始めたら、人生を幸せなものにする端緒となるだろう。
大勢の人に見えているのにそれが見えない人と殆どの人に見えていないものが見える人と、一体どちらが幸せだろう。それはその見えている内容にも依るであろうし、そのことをどう活用できるかによっても違ってくる。
生きる理由を欲するのはあなたが人生に疲弊している、からでは ?
胃の調子がいい場合には吾々はそれを意識することはなく、不調を感ずるからこそ、胃の存在が自身の中で大きなものとなる。
人生は波乗りのようなものかもしれない。大波を捉えるには出来る限り海の様子を見て、ビーチで海水に浸っていた方がチャンスが多いだろう。
だが、それは飽くまでも確率の問題で、わずかなチャンスを生かせる者と多くのチャンスを逃す者がいる、ということは想像に難くない。
人生という海原であなたはなにをするだろう。漁をするのも深海を探検するのも、大勢の人と船上で楽しむのも、すべてが許されている。
それを実現できるかどうかはあなたにかかっている。勿論、左の言述は筆者自身への言葉でもある。海を広くするのも狭くするのも己の活動、これに依るところ大である。
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