第47話 ノン・タブラ・ラサ・セオリー
文字数 377文字
イギリス経験論を代表するジョン・ロックの新生児に対する見方は、彼(女)らはタブラ・ラサ(白紙)状態にあり、なんら先天的に観念などというものは持ち合わせてはいない、というのが大方の主張であったと記憶している。
それに対し、このような仮設らしきものが湧き上がって来たので、お話ししたい。
「新生児は自らにとって大変な道を通り抜け、この世に現れ出づる。実は、彼(女)はすべて凡ゆることを知っている。彼(女)らは、親をはじめ、接する人々が非合理的なことをしているのを見て、訝しんでいるが、何も言わず、観察している。そして、そのようなことを様々繰り返しているうちに、望ましき知を忘れ(或いは表現することをしなくなり)常識と云われるものごとを振る舞うようになってしまう」
つまり、生まれくる人は育つ環境に従って退化ともいうべき道を辿る。
これが、「非白紙説(理論)」である。
それに対し、このような仮設らしきものが湧き上がって来たので、お話ししたい。
「新生児は自らにとって大変な道を通り抜け、この世に現れ出づる。実は、彼(女)はすべて凡ゆることを知っている。彼(女)らは、親をはじめ、接する人々が非合理的なことをしているのを見て、訝しんでいるが、何も言わず、観察している。そして、そのようなことを様々繰り返しているうちに、望ましき知を忘れ(或いは表現することをしなくなり)常識と云われるものごとを振る舞うようになってしまう」
つまり、生まれくる人は育つ環境に従って退化ともいうべき道を辿る。
これが、「非白紙説(理論)」である。