(8)10月31日(木)埼玉 午前7時40分
文字数 2,895文字
防衛研究庁官民両用技術開発室長の藤沢は上半身をかがめて欠伸をした。画面越しの出席者にバレないようにするには、靴を直すフリをするに限る。
ミーティングはいつものように進行する。インターフューチャー社ラボの米国職員が現状報告をしている間、藤沢は音声翻訳に頼るのがルーティンだ。たまに誤訳はあるが、ある程度の翻訳はしてくれる。聞きたいことは志賀に通訳させるから、藤沢の仕事はwebカメラに顔を向けて笑みを作り、たまに「オー、サウンズ、グッ、トゥーミー(ああ、いいですね)」と言って頷くことくらいだが、睡眠不足もあって今日は一度も反応していない。
「室長、ちょっとは発言したらどうなんですかぁ?」
向いの席から志賀のヒソヒソ声が聞こえた。
「オレ、『ハチュオン』に難あるからさぁ、シガちゃんが喋る方がいいんだよ。オレもラクできるし、アイツらも流暢な英語ほうが聞きやすくて、win-winだろ?」悪びれもなく藤沢が言い切ると、志賀が慌てて手を振ってNGサインを出した。
「マイク、入ったままですぅ」
「アメリカ人なんかに日本語がわかるかよ。な、そうだろ?」
藤沢は画面越しの桐生に同意を求める。ガイア社からインターフューチャー社ラボへ出向している桐生は日本語で答えた。
「室長、喋んないときはマイクオフにしてくださいよ。欠伸まで丸聞こえです」
桐生が笑いを噛み殺しながら言うと、ディスプレイからワンテンポ遅れて複数の弾けた笑い声が聞こえてきた。
「彼等も僕達の会話を理解してますよ」
桐生の説明をぽかんと聞いている藤沢に、呆れ顔の志賀が小声で付け加えた。
「室長が使ってる音声翻訳、ムコウも使ってるんですよぅ」
「あ、そうなの?ソーリー、ソーリー、ジャスッ、キディング」
今日、これが初めての発言となる藤沢は、頭を下げるとマイクをオフにした。室長は志賀や桐生より半世代は離れている。だからなのか、web会議の設定に興味がないようだ。
太平洋標準時間ゾーンのサンノゼは午後4時になろうとしている。
ミーティングが終わりに近づいた頃、神経再生補助デバイス「ゼウス」の日本における医療機器承認報告に触れて桐生が謝った。
「ジャムダ(JMDA)の件、共有が遅くなって申し訳ありませんでした」
「おっせーんだよ。桐生ちゃんとこのモジュール、ウチも採用してるんだからさぁ、そこは密に連絡くれないと困るよ」
桐生の出向元であるガイア社は、防衛研究庁向けに自社開発モジュール「アマテラス」を使ったスマートグラスの企画提案者だ。防衛総省は次年度以降に、このエネルギーハーベスト技術を持つ通信機「インビジブル」の調達を決定しており、ガイア社が主契約先となっている。製造請負は精密機器業界で国内屈指企業が候補に挙がっており、防衛総省としては官民一体となって当該分野で世界をリードしたい思惑がある。
「あとさ、このシステムどうにかなんねえの?画像が悪くてオマエの顔、暗くて見えにくいし」マイクを再びオンにした藤沢が言った。少し長めの二回目発言も日本語だ。
「そちらの専用回線の影響ですかね。コッチも室長の顔、暗くて良く見えない上に、なんとなく歪んでます」
セキュリティが強化された官公庁専用ネットワークJ-CANを利用している会議のせいか、資料の共有はできても、映像は特殊暗号処理をしておりカメラで映っている人物の鮮明なライブ画像までは見ることができない。
「え、コッチの問題だったの?あ、オレの顔が歪んでんのは、もともとじゃねえか」
微妙な間のあとに、ディスプレイから複数の笑い声が聞こえた。
「Ok, let's wrap things up(じゃあ、終わりましょう)」桐生が言うと、スタッフ達は「アリガトゴザイマシタ Happy Halloween!」と日本語で挨拶して会議退出を始めた。
「おっ、キリュウちゃん、ちょっとこのままで話せるか?」藤沢は真摯な眼差しを画面に向けている。
「10分位なら大丈夫ですよ。じゃ、みんなが退出するの、待っててください」桐生が同意すると、「例の件ですかぁ?」志賀がニヤニヤしながら向かいの席から藤沢を覗いた。仕事の話ではないことを知っている表情だ。半世代上の相手も「だまっとけよ」と顔を崩した。
アメリカ人スタッフがライブ会議から全員抜けたところで、桐生が聞いた。
「カモメのキャシーさん、のことですよね?」
キレイなお姉さん達がいるスポーツバー「seagulls」を、日本語にしたということは回りに誰かいるのだろう。
「そうそう。できればメッセージ動画も・・・」
サンフランシスコ本店で人気キャストであるキャシーのインスタをチェックするのは室長の日課だが、写真だけでなくメッセージ動画も撮ってこいとはいくらなんでも無理だろう。志賀がこっそり肩をすくめると、桐生は申し訳なさそうに言った。
「ここんとこ、忙しくてどこにも行けないんですよ。『ゼウス』のPMAも大変だったし」
米国の医薬品、医療機器や食品等の安全性は、保健省の配下にある食品医薬品局が管理しており、日本のJMDA同様に審査基準がある。人体リスクが高いものはクラス4に分類され、煩雑な手続きを経て市販前承認(PMA)を得なければならない。だが、藤沢は「そりゃ、ご苦労だったな」と潔いほど心がこもっていない。
「近いうちに行ってきます」
仕方なさそうな桐生に藤沢は、パソコンの画面に身を乗り出して「おお、頼むぞ」と念を押す。
「室長の機嫌が悪いと、困るのボクなんですぅ。お願いしますぅ」
志賀は藤沢の味方をしておく。そのほうが仕事を進めやすいからだ。
「シガちゃん、了解です」
桐生が頷くと、藤沢は上機嫌で会議を終了し、志賀は浅い溜息をついた。
「おい、みんなが来る前にアサメシ、行こ」
通常シフトの開始時間は9時なので、他の職員が出勤してくるまで1時間程度ある。志賀も朝食抜きだったことを思い出した。
「行きましょ!じゃあ今日は、室長のオゴリで」
「おい、『公務員倫理法』、忘れたのか?」
「だって毎回、ボクが通訳してるんですよぅ。バチは当たらないと思いますけどぉ?」
「贈収賄になるじゃんか」藤沢はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「ボクも公務員ですけどぉ?」志賀は眼鏡を掛け直しながら言う。
「シガちゃんのとこと利害関係、あるかもしれないからさ」
経済産業省からの出向職員は、首を横に振りながらパソコンを閉じた。
「モーニング奢るくらいで、それはないと思いますけど」
飲んだくれた室長を、いつも家まで送っているボクは贈賄じゃないんですよね?タクシー代にすると相当な額だけど、室長は収賄じゃないんですよね?
と、言う代わりに志賀は席を立った。
「で、どこに行きますぅ?牛丼?」心の声とは裏腹だ。
藤沢がポケットから五百円硬貨を取り出した。
「さすがシガちゃん、朝からいい提案するねぇ!今日はベーコンエッグ付にしようかなあ」
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