(2)10月6日(日)19時
文字数 2,559文字
とりあえず、今日はこのくらいにしとこう。
今日の晩ごはん何かなと、希空が帰り支度を始めたところでノック音がした。
「先生、椎名です!入ってもよろしいですか?」
どうぞ、と希空が答えるとドアが開いて白衣のお団子ヘア臨床医、椎名有紗が入ってきた。右手にフライドチキンのコンボボックスが入ったプラスティックバッグを持っている。
「よかった~!まだ、いらっしゃってたんですね」
このシチュエーション、今日は2回目だと希空が思っていると
「スーバーイーツで頼んだんですけど、まちがって2セット頼んじゃって」有紗は勝手にソファに座ると、コンボボックスを2箱取り出してテーブルに置いた。
「一緒に食べましょうよ。先生も夕飯まだでしょ?」
「椎名先生、ワタシ、そろそろ帰ろうかな、と」希空は遠慮がちに切り出すと、
「ワタシ、当直なんでゆっくりしていられないんです。ささっと食べちゃいましょ。どうせ、先生も一人でしょ?」と、お団子ヘアは自分が座っている向かいの席を左手で指して、座って、と促した。右手はすでにフライドチキンを掴んでいる。
「どうせ一人」は当たってはいるものの、帰れば一人と一匹がいる。ま、その一人は他人には見えないが・・・
「ん~、このチキン、最高!」お団子ヘアは親指を立てた。
「早く食べないと、冷めちゃいますよ」
確かに食欲をそそる香りだが、クラノスケは夕ごはんの用意をしてくれているはずだ。こんなときに、「ごはんいらない」と連絡できればよいのだが、希空はその方法を思いつかなかった。しかし、この状況で彼女一人おいて帰るわけにもいかない。それに、出店拡大中であるという韓国ブランドのフライドチキンには正直なところ興味がある。
「じゃあ、ちょっといただこうかな」
希空が有紗の前に座ると、有紗は二つ目のヤムニョムチキンにかぶりつきながら、「どうぞ、どうぞ」と、もう一つの箱を前に差し出した。
それでは、と、希空が箱をあけてヤムニョムチキンをつまんだ。グルメ情報番組に取り上げられていたのを見て、いつか食べてみたいと思っていたヤツだ。
「先日はホント助かりました!」
お団子ヘアが3つめのハニーマスタードチキンに手をのばしながら言った。
「何が?」希空が甘辛いソースのついたチキンを口にしながら聞く。この味は結構いける。
「ほら、特室バアサンの採血」
チキンをほおばりながら有紗は答えた。清水さんのことを言っているのだろうが、患者さんにその呼び名はどうかと希空が控えめに言うと
「あの人、Chronic complainer(慢性クレーマー)なんですから、それくらい許されると思いますよ」と容赦ない。
「いくら1日20万円の特室利用だからって、ウチら、そんなに我慢しないといけないんですかね」
ま、今週中には退院してくれるんで、あと4、5日の辛抱ですけどね、と有紗はマンゴーラッシーにストローをさした。
お団子ヘアも少しストレスがたまっているようだ。彼女のストレートな物言いは嫌いではないが、ウチの学生とは少し毛色が違う。そういえば、交換研究プログラムで派遣された臨床医だと食堂で言っていたような。
「椎名先生は、東都医科大出身ですか?」
希空が無難な質問をすると、お団子ヘアは、関東の国立大医学部を卒業して臨床医となったが、1年ほど前から米国ベイカー医科大学院で再生医療研究をしていたと教えてくれた。東都医科大学とベイカー医科大学院は神経再生の共同研究プロジェクトでセンターに来たという。
「でもココは、臨床と研究は両立させるスタンスで」まあ、コキつかわれて研究してるヒマないんですけどね、と有紗は豪快に笑ってから、マンゴーラッシーをズズズッと吸った。
再生医療は産学官あげて研究を重ねており、注目の医学分野だ。そういえば、と、希空は今日見つけた神経再生医療の記事が掲載されていた学内情報誌を思い出した。
希空は「TMS liaison」を机から取ってくると、有紗に見せた。有紗はフライドチキンの油がついた手をナプキンで拭きながら雑誌を読むと、声を潜めて言った。
「この准教授、ワタシは面識ないんですけど亡くなったらしいんです」
お団子ヘアは、希空と同じ10月1日に着任予定だったが、臨床医が足りないということで急遽2日前倒しで勤務することになったという。
それがそうと、と有紗は話題を変えた。
「今度、先生のオウチに遊びに行っていいですか?」
ん?、なぜ、そんな話になるのかな?と、希空が頭の中で回答を探していると、
「ココ(センター)に来たのも、槇原先生とほとんど一緒で同期みたいなもんだし、ハロウィンパーティでもしませんか?先生んち、一軒家でしょ?ウチは、レジデントハウスだし」
なんでいきなりウチでハロウィンパーティ?ムリムリ!
「私、パーティ好きなんですよ。これも何かの縁ですしね」
「ワタシんちは、ちょっと・・・」と、希空が口ごもった。目に見えない人がいるから、とは、とても言えない。
「ウチが一軒家だったら、ゼッタイ、招待してますよ」
え?それ、暗にウチに招待しないのは悪、みたいになってる?と希空が思考をめぐらせていると、お団子ヘアが追い打ちをかけた。
「聞きましたよ、ワンちゃんがいるからって、ココに来るのごねたらしいじゃないですか。ワタシなんか借上げマンションの空きがないから、とりあえずレジテントハウスで我慢しろっ、て言われたんですよ」
誰に聞いたのかわからないが、恐るべし情報収集力のお団子ヘア臨床医だ。
しかし、それは困る。希空がきっぱり断ろうとしたときに、有紗のsXGP対応スマホが鳴った。急患対応呼び出しだ。
「行きますね。申し訳ないんですが、片づけお願いします」と、有紗が立ち上がった。了解と言うしかない希空に、有紗が人差し指を立てて言った。
「日取り、また連絡します」
有紗は風のように飛び出していき、テーブルにはチキンの残骸が広がっていた。
頭痛の種がまたひとつ増えた。
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