(4)10月1日(火)21時
文字数 3,753文字
クラノスケがドヤ顔で言った。
食品売り場はこの時間でも会社帰りの客でそこそこ混んでいる。
ショッピングカートに載せた買い物カゴはほぼ満杯だ。一度にこれほどの食材を買うのは希空にとって初めてだ。恐らく少なく見積もっても5000円はかかるだろう。それもこれもヤツのせいだ。だが、もっぱら料理を作ってくれるのはクラノスケなので従うしかない。
「はい、次は水を買いましょう」
クラノスケは事前に下見をしていたようで、テキパキと指示を出す。初めて来たコープで、どこに何があるのかさえわからない希空に、「こっちですよ」と彼が手招きする。ヤツにカップラーメンを台無しにされなければ、今頃は夕食をすませてくつろいでいるはずなのに、ホントについてない。希空は舌打ちしてカートを押した。
「ペリエも買ってください」
ミネラルウォーターのコーナーで、希空が2リットルのペットボトル2本をカートに入れたあとに自称天使は新たな指示を出した。クラノスケの人差し指は、飲料水が並んだ棚の端にある緑の瓶を示している。
「何ソレ?」
希空が周りを気にしながら聞き覚えのない固有名詞を小声で確認する。
「天然炭酸水です。6本パックがオトクです」
食材に加えて、ミネラルウォーターと6本の瓶パックはさすがに重い。希空は辺りを気にしながらも不満顔をクラノスケに向けた。
「駐車場までカートで運べますから大丈夫です」自称天使は冷静だ。
「また来た時に買えばいいじゃん」と、希空が棚から背を向けた瞬間、ガラスが擦れる小さな音が聞こえた。嫌な予感がして振り向くと、ペリエの6本パックがふわりと浮かんでいる。慌てて希空が緑の瓶を掴む。思ったより軽いのは、クラノスケが浮かしたままにしているからだろうか。しかし、手を離して浮かんだところを誰かに見られたら大変だ。
「見られてませんよ。防犯カメラの影ですし」クラノスケが見透かしたように言う。いちいち癇に障るが、買わないと困ることになるのは自分だ。さもなければ、ヤツはパックを浮かして運びかねない。そのとき、ふと疑問が浮かんだ希空はクラノスケに小声で聞いた。
「アンタ、コレ、飲んだことあんの?」
クラノスケは、首を傾げる。ヤツに記憶はなさそうだ。もういいやと、希空は中腰になって瓶パックをカートの下に置いたが、なぜか重さは感じなかった。
「重いもの持つときは気を付けて。もう若くないんだし」
背後からクラノスケの声が聞こえた。
「アンタが買わせたんじゃん!」
むっとした希空が勢いよく立ち上がって言い返したものの、また辺りを見回す。ああ、ホントに疲れる。まるで自分が不審者になったようだ。
「さ、これで必要なものは揃いましたね」
クラノスケが希空の怒りをあっさり
「ノアさん、おなかすいてるでしょう?総菜、買っていきましょう。今からだと、作っても遅くなりますしね」
今日初めて意見が一致した、と希空がコクコク頷いた。
※
惣菜コーナーは遅い時間にも関わらず、充実した品ぞろえだった。おまけに9時すぎているので、ほとんどの惣菜が50%オフだ。
「麻婆豆腐丼、おいしそうですよ。残りひとつですから買っちゃいましょう」
クラノスケが希空に声をかけた。うん、悪くないとその容器を取ろうとしたとき、誰かにポンと右肩を叩かれた。左にいたクラノスケを横目で見ると、野菜の炒め物コーナーを品定めしている。と、いうことは誰だ?
希空が振り向くと背後に小太りのオバサンが立っていた。大きな目をした黄色い鳥のキャラクター、「トゥエッティ」が描かれている黄色のトレーナーを着ている。ひっつめ髪と不自然すぎるアイメイクがあいまって、彼女の顔はトゥエッティに似ていた。買い物カゴにはサラダとチキンの唐揚げが入っている。もしや、この麻婆豆腐丼を狙っていたのか?
「あなた、ツイてるわ!」
トゥエッティオバサンが言った。
「ああ、半額ですもんね。よかったら、どうぞ。お譲りします」
希空はその容器を差し出した。確かに5割引は超ラッキーだ。
「違うわよ、そのツイてるのと」
「あ、すみません、どこですか?」
糸くずかゴミが服についているのかと聞き返すと、相手は声のトーンを落とした。
「レイよ」
「え?」
「ユーレイの霊」
「どこに?」
希空は、左側にクラノスケが立っていたのがわかっていたが、視線をわざと外して言った。自称天使は明らかに不愉快そうだ。
「こんなこと言って、信用してもらえないかもしれないけど」
トゥエッティオバサンは、躊躇いがちに続ける。
「どんな霊ですか?実はワタシもそうじゃないかと思ってたんです」希空が促す。
「ちょっとそれ、ひどくないですか?」
クラノスケが抗議したが希空は無視した。そもそも、自分が言い返せないとわかっているはずだが、ヤツもちょっと自制心をなくしているようだ。今日のカップラーメンを捨てられた仕打ちは、今日のうちに返してやる!
「背の高いオバさんよ」
トゥエッティオバサンは確信するかのように2回頷くと、「あなたの左側にいるわ」と、クラノスケを指した。
「オバさんじゃないですよ!オジさんならハナシはわかるけど」
クラノスケが言い返したが、トゥエッティオバサンには聞こえてないようだ。
「何か言いたいことがあるみたいだけど、私にはわからない。とにかく早く除霊してもらったほうがいいと思うわ」
「霊じゃありませんてば!オバケには足がありませんけど、ボクにはありますから!」
クラノスケがどこかで聞いた根拠のない反論をしている。
「教えていただいて感謝します」
希空がクラノスケの話を遮って、締めくくりにかかった。
「ちょっと怒っているようだし、タチわるそうよ」と、トゥエッティオバサンは顔をしかめた。
「除霊します。ありがとうございます」
湧いてくる笑いを堪えながら希空が頭を下げた。
※
コープの屋外駐車場に止められた車はまばらだった。オッチャンアコードまで買い物の荷物をカートで運んできた希空は、大きく息をついた。今日は7000円も使ってしまった。おまけに押しているカートは重い。この量の食材に加えて、ミネラルウォーターと聞いたこともない炭酸水を買ったせいだ。そして、この原因を作ったヤツは横で一言も喋らない。どうやら、さっきの仕打ちにへそを曲げたらしい。
「天使のくせに器が小さいんじゃない?」
小声で希空がクラノスケに声をかける。が、返答はない。
希空はオッチャンアコードの後部ドアを開けた。続いて、中腰になって「よいしょ」と、カートからペットボトル2本を持ち上げた。一瞬、手は重さを感じたが、すぐにその感覚が無くなった。クラノスケを見上げると、右手を少し上げている。どうやら、彼が持ち上げているらしい。
「ぎっくり腰になられたら困りますからね。オレのせいにされて」
「それなら、早くやってよ!」
希空が腰をかがめたまま、ふくれっつらで大きな声を出した。空腹も手伝ってイライラは最高潮だ。
「あ、今は反応しないで」
慌ててクラノスケが両手を前に出した。
立ち上がった希空が後ろを向くと、買い物バッグを仲良く持った若いカップルが不思議そうに自分を見ていた。咄嗟に希空は、スエットパンツのポケットからスマホを取り出して耳に当てて叫んだ。
「いちいち、指示しないでよ!みんな、アンタのせいじゃん!」
カップルは、希空がケータイで話していたんだと納得したようだ。彼らは頭をさげて挨拶を装うと、そそくさと去って行った。それを見届けると、希空はクラノスケに向かって不敵な笑みを浮かべた。よし、これは使える。スマホはこんなときにも使えるモノだったとは。
※
ダイニングテーブルには、麻婆豆腐丼、ゴーヤーチャンプルーが並んでいた。どちらも半額割引で手に入れた戦利品だ。
「まあ、まずまず合格点の食事ですね」と、クラノスケが満足そうに言った。希空にとっては1時間半後の食事だ。やっと食事にありつける。「では」と、希空はピリ辛豆板醤と絶妙に絡まっている豆腐に箸をつけた。
「おいしい!」
麻婆豆腐の下には、とろりとしたスープが滲みたごはんがあるはず。希空はワクワクしながら丼を食べ勧めた。ゴーヤーチャンプルーも少し苦味があるが、イケる。
「ゆっくり食べてください。早食いは太りますよ。さあ、ペリエもどうぞ」
クラノスケは緑の瓶をふわりと浮かせた。すると、キャップが勝手に回ってはずれ、次の瞬間、瓶は傾くとテーブルの上に置かれたデユラレックスのグラスに炭酸水を注いだ。グラスの水は小さな泡が軽やかな音をたてた。クラノスケに勧められるまま飲んでみる。
「味のないサイダーじゃん!」とは、希空の純粋な感想だ。
「体によさそうですよ。そうだ、レモンとハチミツいれてもいいかも」
「アンタ、天使なんだから体にいいもへったくれもないんじゃない?」
医者に健康ネタとはと、希空が嫌味たらしく言う。
「いや、生身の人間にとって、っていう意味です」
クラノスケの返しに反応はなかった。希空は麻婆豆腐の下にある待望のごはんを掻き込むのに必死だったからだ。
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