(1)10月4日(金)米国 コロンビア特別区 東部標準時間 午前6時30分
文字数 1,209文字
コロンビア特別区は、いつものラッシュアワーをまもなく迎えようとしていた。ワシントンD.C.の交通事情は本当に最悪だ。この地から早く離れてゆっくりした生活がしたいと、ジリアン パーカーは革張りの背もたれ椅子に腕組みをして天井を眺めた。
20番通りにあるオフィスは、24時間365日、職員が交代で勤務している。表向きはコンサルタント会社のオフィスとなっているが、大統領直轄の特別諜報機関だ。ジリアンが指揮するこの組織の存在は、大統領、国土安全保障省、司法省、中央情報局、連邦捜査局のごく限られた上層メンバーしか知らない。その数は大統領日報(President's Daily Brief)の配布先より少ないはずだ。オフィスは各部門ごとにレベル設定され、レベルごとに虹彩認証クリアした職員しか入れないようになっている。ジリアンの本執務室がある特定ゾーンは、虹彩認証と静脈認証の双方でチェックする最高レベルのセキュリティシステムが導入されていた。だからと言って、窓がないのはいただけない。盗聴を防ぐためとはいえ、電磁遮蔽材で覆いつくされた部屋。彼女が不満に思っていることのひとつだ。そう、人間には太陽の光が必要だ。
ここ数日、彼女にとって平穏だった。少なくとも「キャバリエ」からの報告があるまでは。
捜査官はコードネームで呼ばれる。もちろん、捜査官個人に全貌を明かされることはまずなく、限られた範囲で調査報告することが求められる。それは捜査官達を危険から守るためと、極秘情報が洩れることを防ぐためだ。
「キャバリエ」の報告内容と、別の捜査官によるデータと照らし合わせると、贈収賄事件が考えられた。だが、目的がよくわからなかった。贈収賄はどの国でもよくあることだ。金が絡むと命を落とす人間がでてくる。そして、金額が大きいほど犠牲者の数は増える。ジリアンは中央情報局(CIA)と連邦捜査局(FBI)の照合データシステムに直接アクセスしたが、欲しい情報は得られなかった。まさか、NSB(National Security Bureau 連邦安全保障局)が情報を握って開示していないのか。
目の前にあるコーヒーは冷たくなっていた。
少し睡眠をとった方がよさそうだと、ジリアンは立ち上がった。アナポリス海軍士官学校で法律を教えている夫が間もなく起きるころだ。
執務室のドアを開けると、デスクにいた秘書官が顔をあげた。
「今日は帰るわ。緊急案件は、いつでも連絡してちょうだい」
ジリアンが言い終えるや否や、ロビー前に5分で車が来ると秘書官が言った。
「Have a good day, Ma’am」
「Go home, and have a great sunny day, Sam」
局長は微笑んで言うと執務室をあとにした。
ジリアンの乗った車がオフィスを出た頃、あたりはまだ仄暗かった。
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