(3)10月4日(金) 21時
文字数 4,052文字
焼き秋刀魚と大根おろし、ほうれん草のごま和え、だし巻き卵に味噌汁を完食した希空は、おなかをぽんぽんと、軽くたたいた。ワインも適量いただき、酔いもほのかに回ってイイ感じだ。
「なんか、物足りなくないですか?」
ダイニングテーブルを挟んで向いに座っていたクラノスケが聞いた。自称天使が座っている椅子の横でサクラが首を僅かに傾げた。
「これ以上、もうムリ」
満足した息を吐きながら希空が返すと、相手は不満気な視線を向けた。あ、言うのを忘れていた。
「ごちそうさまでした。今日も作っていただき、ありがとう!」
慌てて労いの言葉を付け加えた。やっぱり、料理ができる同居人はサイコーだ。ただ、他の人には見えないけど。
「そういう意味じゃないんですよ」
自称天使は首を振った。じゃあ、どんな意味だ?
「もう10月ですよ。季節感が大事でしょう?」
「うん、サンマがよかった」そう、秋を感じさせる献立だった。この回答で合っているのか?希空は相手の反応を覗った。
しかし、同居人は頬杖をつくと、ふぅ、と息を吐いた。
「もう街はとっくにハロウィン仕様になってるのに」
「だから?」
相手が何を言いたいのか、希空は全くわからなかった。そもそも、『物足りない』から『ハロウィン』へ話を持っていくヤツの意図は何なんだ。
「うちもハロウィンの飾りつけしましょうよ」
サクラは同意するように小さく吠えた。
希空は眉間に皺を寄せた。
「なんで、天使がハロウィンに参加するの?」
一説にはケルト人が行なっていた魔除けの風習らしいが、自称とはいえ天使のライバルではないか。
「だって、楽しそうですよ。楽しいことに天使もオバケも関係ないでしょ」
クラノスケはしれっと言う。
「そんなヒマないし」
希空はあっさり却下した。ハロウィンへの興味なんか、これっぽっちもない。
「ボクはヒマです!」
相手は瞬時に言い返した。そうだった、ヤツがここ数日、口癖のように宣うワードは「ヒマ」だった。
「じゃあ、『ネトフリ』観とけば?」
希空はリビングにパソコンを置いて、クラノスケがドラマや映画が見れるようにしている。なのに、
「海外ドラマもいいですけど見飽きたし、他のことがしたいんですよ」
とは、本当にわがままな自称天使である。
「じゃあ、ゲームは?」
「それなら、ミンテンドーのスナッピー買ってくれます?『エンジェル、集合せよ』のスペシャルバージョン」
『エンジェル、集合せよ』はミンテンドーの大ヒットゲームソフトで、スペシャルバージョンは『スナッピー』と呼ばれるゲーム機本体とセットになった話題の商品だ。だが、それに5万円は出せない。天使とは、こうも無理難題を言うものなのか?と、希空は自分の不機嫌レベルが上がるのを感じながら言った。
「そんなお金、ナイ」
「じゃあ、ハロウィングッズを買ってください」
やっぱり、ヤツとの話は堂々巡りになる。希空のストレス度がレッドゾーンになる瞬間、
「今日のごはん、どうでした?和食にしてみました。おいしかったでしょ?」
自称天使は出し抜けに話題を変えた。
「はい?」
想定外の展開に一瞬、希空の思考が止まった。
「あれ?おいしくなかった?」
「いえ、大変おいしかった、です」
「そうでしょう?ノアさんのことを考えてボクは作ったんですよ」
クラノスケは得意げに頷いた。
「それは感謝して、ます」これには希空も一歩引かざるを得なかった。
「恩着せがましいかもしれませんが、掃除もしています。ノアさんの部屋以外は」
確かにそうだ。人には言えないが、ヤツは率先して食事と掃除をしてくれる。もっとも、他人には、物理の小難しい法則を無視して掃除機とモップが自らの意志で動いているように見えるはずだが。
「だから、1日500円、ください」
「はい?」
希空の思考が再び止まった。
「家事の労働対価です。まあ、安すぎますけど、ノアさんもお金あんまりないようだし。これくらいが妥協点かなと・・・」
「なんで?お金、使えないじゃん、アンタ」
「オレだって欲しいものあるけど、お金がないと買えないでしょ?」
「なんで?天使は物欲ないんじゃないの?」
記憶喪失の自称天使は、「天使の本分」も思い出せないらしい。
「お金があれば、家事グッズもかえるし、サクラにもオヤツ買ってあげられるし。それとも、ノアさん、自分で家事します?」
なんとなく、脅迫めいてないか?と希空は思ったが、自分の口から出たのは違う言葉だった。
「いや、それはしていただければ・・・」
「え?誰にです?」優位に立ったクラノスケが返答を迫る。
それに答えず、希空は人差し指を相手に向けた。自称天使は右耳に手を添えて「はぁ?」と聞いた。
「言ってもらわないとわからないし」
「アンタ……」
「モノを頼むのに、アンタですか?」ヤツは不服そうに腰に手をあてた。なぜだか、ものすごく悔しいが、なんだかんだでヤツは役に立っている。
「クラノスケ、さん」 ぼそっと、希空が言った。
「はい、では商談成立ですね」
自称天使はにっこりして右手を少し上げた。すると食器棚が開き、マグカップがふわりと浮かんで出てきた。浮いた物体は、そのままテーブルの上に進んで静かに着地した。
「じゃあ、ここに3500円、お願いします」
「え、なんで?」どんな計算だ?
「ノアさん、今日は『なんで?』が多いですね。だって、先週の土曜日からで7日分。500円×7日間で3500円です」
税込みでいいですからと、クラノスケは「にかっ」と笑って付け加えた。
「明日から500円づつ入れてください。ズルしないでくださいよ。ちゃんと数えますからね。あ、なんなら洗濯もしてさしあげましょうか?サービスで」
「いえ、自分でやります」と、希空は即答した。いくらなんでも、洗濯はダメだろう。
「じゃあ、お金、入れてもらえます?」
そんな急がなくても、と相手を見たが、クラノスケはマグカップを指さして早くと促した。希空は渋々、キッチンカウンターに置いていたバックパックから財布を取り出し、千円札を3枚と100円玉5枚を入れた。残り、あと5千円しかない。そろそろオッチャンアコードにガソリンも入れなきゃならないのに。
「で、それでなんですけどね」
クラノスケが両手を組んで言った。
「このお金でハロウィングッズ、買ってください」
そうきたか!希空はクラノスケの戦略にまんまと引っかかったことを理解した。
「じゃあ明日、『ポララ』へ……」なんとも歯切れの悪い負けの認め方だ。
「残念ですが、そこにはなかったんです。欲しいものが・・・」
すでに下調べまでしていたとは用意周到なヤツ。だが、どうやって行ったのだろう。あのショッピングモールは、車で20分はかかったはずだ。希空が不思議に思っていると、
「ヒッチハイクで行ってきました」と、自称天使は自慢げに親指を立てた。
「知らない人の車に乗ったの?!それも勝手に?」
「ま、そういうことになりますかね。だけど、タクシーには乗りませんでしたよ」
と、相手はケロリと言う。「無銭乗車になりますもんね」
見えないヤツに乗車されても気づく人はまずいないだろうが、そもそもタクシーも、知らない人の車も、勝手に乗ることに違いはあるのか?眠くなってきた頭を必死にめぐらせていると、
「ネット通販で、いいの見つけてあるんですよ。今から注文してください」
クラノスケが催促した。
「えーっ、明日でいいじゃん」希空は欠伸をしながら抵抗した。
「どうせ、明日は昼まで寝るんでしょう?」
それは図星だった。
※
「シャポーも入れてください」
ソファに座って膝上のパソコンを操作している希空の隣でクラノスケが言った。すでにサクラはクラノスケの足元で寝ている。
「シャポーって何よ?」
「ほら、その黒いつばのある帽子ですよ」
ディスプレイに表示された商品の写真で、魔女の扮装をしている女性をクラノスケが指さした。「はい、はーい」と、希空が面倒くさそうにクリックして通販サイトのカートに入れる。
「その飾りも」
「はい、ふぁーい」睡魔と戦っている希空は欠伸を連発しながら答えた。
「『はい』は、一回でいいですよ」自称天使がたしなめる。
「はい、ふぁーい」
「あ、ジャックオランタンのイルミネーションライトも」
「えー、2000円もするじゃん。それに、アンタの持ってるお金じゃ足りないじゃん」
希空は口を尖らせた。このリアクションは眠い子どもがぐずるのと似ている。
「足りない分は前借りでお願いします」
希空が大きな溜息をつきながら、要望されたグッズをカートに入れて購入手続きに進むと、3日後の配送だということがわかった。
「平日は受け取りできないから、来週の土曜日でいいよね?」希空が首を回しながら言うと、クラノスケは即答した。
「それだと、1週間も待たないといけないじゃないですか。玄関に宅配ボックスありますよ」
「そんなのあったっけ?」
「あったでしょ?門のところ、ポストの横に」
「あれ、ポストじゃなかったの?」気にもしてなかった。
「あんなでっかいポストはないでしょう?」
自称天使は優越感を漂わせて、ぷっ、と笑った。カチンときた希空が言い返す。
「ボックスの鍵は?だって、持ってナイ」
「家主さんから預かったものに入ってませんでした?」
家主とは直接会っていないが、総務課から預かった社宅用の書類一式の中に鍵が何種類かあったのを思い出した。そういえば、あったような。
「だって、普通そうでしょ?」クラノスケが言った。
「ふぁい、ふぁーい、そうですかあ」
眠くてもはやどうでもよくなった希空は適当に返事をした。
「ノアさん、あと購入ボタンを押すだけですよ」
希空は頭をゆらしながら、実行キーを押した。合計8500円がクレジットカードで決済された。
「到着するのが楽しみですね。飾りつけはお任せください」
返事はなかった。
クラノスケが覗き込むと、彼女はマウスを持ったまま静かな息をたてて眠っていた。
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