(3)9月29日(日)米国 ニュージャージー州 東部標準時間 13時
文字数 2,443文字
ニュージャージー州の秋は早い。
アシュリー W. ヤマグチは、パサイク郡にある祖父母の家で久しぶりの休暇を楽しんだ。リングウッドにある彼らの家からは、透明な水を湛えたカップソーレイクが見える。湖のほとりに生育しているブナの木々も赤く色づき、それが水面に映って自然の美しさを際立たせている。東京での慌ただしい生活と比べたら雲泥の差だ。だが、リングウッドの5日間は、さすがに暇を持て余すと、アシュリーは思った。
「パパ、ホント、大げさなんだから」
一人娘のシンディがリビングのカウチソファに寝転がり、オーガニックのピスタチオを口に入れながら言った。彼女はその寝っ転がっているソファが、キンデルのネオクラッシクで、ウン百万円するってことを知っているのだろうか。それに、グランパの大げさ病は今に始まったことじゃない。オットマンに腰かけているアシュリーは、そうは思ったものの口には出さなかった。グランパは軽い食あたりだったらしいが、高齢ということもあり、検査も兼ねて5日ほど地元の病院に入院して、おととい戻ってきたところだ。
「私は大丈夫と言ったんだが、メイチャンが大げさなんだよ」
オケーショナルチェアに座っているグランパは妻をチラリとみる。フィンランド系移民のマッティ ワルデンは日系2世の妻を愛情を込めて「ちゃん」づけで呼ぶ。
「マッティ、そうでもしなきゃ、来てくれないでしょ?シンディ達は日本に住んでるし」
シンディの隣に座っているメイもピスタチオをつまみながら、視線を夫に移してウィンクした。ローレンスヴィルのハイスクール同級生カップルは80歳近くになるが今でも仲が良さそうだ。それに、ふたりとも健康的なスリムな体型を維持している。
彼等は高校をでるとすぐに結婚して、一人娘のシンディを授かった。ケネディ大統領がベトナムに米軍を派遣して特殊戦争が始まった頃だ。マッティは理系に強く、MIT(マサチューセッツ工科大学)の工学部に奨学金で進んだのち、航空会社に就職した。1975年のフリークエント・ウィンド作戦(Operation Frequent Wind)にも直接ではないが携わっていたようだ。メイはシンディを幼稚園に入れるまで面倒を見たあと、マッティの経済的援助もあってウェルズリー大学でジャーナリズムを専攻し、新聞社の記者になった。マッティはシンディの大学卒業を待って、イリノイ州で仕事仲間と一緒にプライベートジェットサービスの会社を立ち上げ、定年まで勤めた。シンディも、シカゴタイムズで新聞記者としてキャリアを積み、社会部長までなったが、二人とも60歳であっさりリタイアし、地元に戻ってくるとこの土地に、瀟洒なジョージアンスタイルの邸宅を構えた。インテリアの細部まで、二人がこだわりぬいた総煉瓦の家だ。自分もリタイア後はこうありたいが、6ベッドルームに5つのバスルームは日本では考えられない。もちろん、プール付きだ。リタイア後の彼等は、ボランティアや教育活動でそれなりに有意義な人生を送っている。
「そうね。メイチャンが言うのも一理あるわね」とシンディはクスっと笑った。母親のことを「ちゃん」づけで呼ぶのも変わっているが、その変わったシンディが自分の母親だ。
神戸に住んでいる今年58歳になる母とアシュリーは、この祖父母の家で合流した。アシュリーがシンディに会うのは半年ぶりだが、母はそこそこの美貌を保っている。アメリカ国籍の彼女は、日本の大学に交換プログラムでやってきたとき、知り合った日本人学生と結婚して神戸で暮らし始めた。その男性がアシュリーの父親だ。彼は神戸市内で経営している貿易会社が忙しく、すぐに来れなかったようだ。
彼等の一人息子のアシュリーは、高校から祖父母の家で暮らし、彼らの母校であるリングウッドハイスクールで学んだ。大学はマッティと同じではなかったがカリフォルニア工科大学で化学工学を学んだ。卒業と同時にリクルートされ、コンサルティング会社に就職した。英語と日本語のバイリンガルで、今は東京に派遣されて仕事をしている。祖父の病気を理由に10日間ほど休暇をもらったが、そろそろ戻りたくなっている。帰りたい理由はいくつかあったが、そのひとつをグランマが言った。
「アシュリー、今度はガールフレンドをつれてくるわよね?」
メイが期待を込めて孫を見つめる。
「そう、私も待ちきれないわ。彼が素敵なパートナーを連れてくるのを」シンディが頷いて続けた。アンバーの瞳は私から、ダークブラウンの髪と骨格は夫から、すっとした鼻梁はマッティから。あと、スマートなのに、ちょっと甘えん坊のところはメイからかしら。これなら女性にアピールしないはずがないんだけど、アシュリーには他の考えがあるのかもしれない、とシンディは最近思うようになってきた。
「まあ、そんなに焦らなくてもいいさ」マッティが孫の肩を軽くたたいた。
アシュリーが早いところ話題を変えたいと思ったところに、グッドタイミングでキッチンオーブンから、七面鳥が焼ける食欲をそそる匂いがリビングに漂ってきた。
「ねえ、メイチャンが作ったパーフェクトな料理を食べようよ」とアシュリーは急いで言った。
「そうだ、そうしよう」と、グランパが同意した。
「マッティ、おなかは大丈夫なの?」メイが心配そうに夫を覗き込む。
「知ってる?メイチャンの料理は一つだけ、欠点があるんだ」と、マッティ。
「何?」シンディが聞く。
「うますぎて食べ過ぎちゃうことさ」グランマがにっこりした。
アシュリーは、マッティが好きなロヒケイット(サケのスープ)や、七面鳥と何種類ものパイがデザートの豪華な食事を食べることになった。仕事に戻る前に、僕は体重を5パウンド(約2.2kg)は減らす必要があるだろう。
彼はベッドに入る前、クローゼットの鏡にパジャマ姿を映して苦笑いした。
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