(3)10月24日(木)21時
文字数 3,757文字
「ノアさん、機嫌よさそうですね」
自称天使がサクラに話しかけると尻尾を振った。
「じゃあ、お願いごとしようかなあ」
ゴールデンレトリバーが同意するように小さく吠えた。
※
今日は充実した日だった。
サクラを散歩にも連れていけたし、クラノスケが作ったポトフとミートパイもおいしかった。驚いたことに、パイはジャックオランタンの顔になっていた。自称天使は得意げに「食事には季節感が大事ですからね」とハロウィンの紀元について語り始めた。ちょっとうるさい時もあるが、ヤツの話を聞きながらの食事は、つい食べ過ぎてしまう。年齢とともに基礎代謝は落ちてくるし体重管理が必要かもしれない。それに、久しぶりに会ったセンパイにはシワができたみたいなこと言われたし・・・そうだ、血流をよくすると少しマシになるんじゃないかな?
コントローラーをジェットバスモードにした希空は、湯の中に顔を突っ込んだ。
※
「お、パックですか」クラノスケの声だ。
パジャマ姿でソファに寝転んでいた希空が目をあけると、自称天使がいた。サクラは見慣れない飼い主の顔に首を傾げている。
「買ってきたんですか?」
「ま、まあね」起き上がった希空は、答えを濁した。
実を言うと、シートマスクはお団子ヘアがくれたものだった。着替えを終えてオフィスを出ようとした時、夜勤シフトの有紗が「間に合った!私の推しパック、使ってください!」」と嬉しそうにやってきて、ツボクサエキス配合と書かれた小箱を渡されたのだ。
思考が一瞬止まった希空に、「お肌のケアも大切に。じゃあ、お疲れさまでした!」と言って、風のように去って行った。岡田を治療していた時の会話を聞いていた看護師から情報を仕入れたようだ。お団子ヘアの驚くべきネットワークだ。
「もらったんでしょ?」自称天使がクスっと笑った。
バレてたか。希空がお団子ヘアからもらったことを話すと、クラノスケが頷いた。
「何でわかった?」
「いつものノアさんは話を逸らかさないし。それに、パック買うの、見たことないもの」
隣に座ったクラノスケに、希空は自分の目元を指した。
「シワ、目立つ?」
「パックしてるから、見えないですけど」
「あ、そうか」
「誰かに言われましたか?」
「ん?何も」
希空が視線を合わせずに答えると、自称天使が「じゃあ、」と、言って右手を少し上げた。
次の瞬間、ダイニングテーブルの上に置いてあるステンレス製のマグカップが浮き上り、二人に向かってゆっくり進んできた。
「今日と昨日のお給料、入れてもらえます?」
マグカップは、一日の家事労働対価として五百円を入れるために使っている。クラノスケが手の平でストップの身振りをすると、五百円玉と千円札が混在しているマグカップが希空の前で空中停止した。
「明日じゃ、ダメ?」
給料前の希空が聞くと、自称天使は頭を横に振って人差し指を上に向けた。すると、キッチンカウンターの上にあったバックパックが勝手に開いた。中から財布がするりと出てくると、浮遊しながら移動して持ち主の膝に降りた。
「二日分だから千円です」
舌打ちしながら相手が千円を入れると、自称天使はにっこりして言った。
「ハロウィン、もうすぐですよね?」
「アタシにはカンケーないけど」素っ気なく希空が答える。
自称天使は相手の反応など気にせず話を進めた。
「ハロウィン終わったら、クリスマスですよね?」
「クリスマスグッズ、買うの?」
あと、三千円しか残ってない相手はマスクシートの下で渋い顔だ。
「それは予算内で注文済みです。この前もらったお金で」
そうだった。先日、お団子ヘアにクラノスケが使っている部屋を見せる代わりに一万円を支払ったんだった。だけど、ネットショッピングは自分のクレジットカードが登録されているはず。だが、希空が聞く前に自称天使が親指と人差し指でOKマークを作った。
「代引きにしたから、ノアさんに迷惑かけません」
だから、コイツは一円単位まで両替してくれと頼んだのか。でも、待てよ。そもそも、クラノスケさえいなきゃ、問題なくあの部屋を見せられたのに一万円も払うなんて、なぜか騙された感があるのはどうしてだろう?と、希空が思っていると、
「で、ちょっと早いクリスマスプレゼントなんですけどね」
自称天使の予期せぬ発言に頬を緩めた希空が、「そんな、気をつかわなくていいのに」と言うと、相手は不思議そうな顔をした。しまった、相棒にだったか?
「サクラはプレゼントいらないけど、まあ、オヤツぐらいなら」
ごまかした希空はマスクシートで表情が隠れていたことに感謝した。すると、今度はゴールデンレトリバーが嬉しそうに尻尾を振った。しかし、一人と一匹の期待を裏切るようにクラノスケは自分の胸に手を置くと、軽く2回たたいた。
「
オレ
に、です」天使がクリスマスプレゼントを要求するのを聞いたことがない希空が質問した。
「誰から?」
自称天使は右手で相手を指した。え、アタシ?
「天使は物欲ないんじゃないの?」。
「人間だからとか、天使だからとか、カンケーないですよね。それ、偏見じゃないですか?」
天使の本分など微塵も理解していない言い分だ。
「じゃあ、天使さんは何をお望みなんでしょう?」
希空の疑問に答えるべく、微笑んだクラノスケが人差し指を立てるとソファの前にあるテーブルの上からパソコンが浮いた。ディスプレイはスマホのネット注文画面になっている。
「スマホ機器が、セール期間中で三千円なんです。通話とネットさえできればいいんで、安いのでかまいません。で、最後にポチっとするだけにしてあるんですけどね。ノアさんのカードから料金が毎月落ちるから、勝手にはできないでしょ?」
一気に説明すると、クラノスケは祈りのポーズをした。初めて見る自称天使のお願いポーズに希空は吹き出しそうになったが、なんとか堪えて言った。
「アンタ、通話できないじゃん」
「ノアさんとならできますよ。チャットもできるし」
「パソコンアプリで通話できるじゃん」
「ノアさんが仕事に持って行って、ない時あるでしょ?緊急用も兼ねてです」
思案しているフリをしている希空に、クラノスケは手を合わせたまま溜息をついた。
「ボク、ノアさんの部屋だって掃除してるし、お弁当作ってるし。食事代は節約できているでしょう?それに栄養にも気を配ってるし」
一人称がオレからボクに変った。ということは・・・
「じゃあ、お給料あげてください千円に」賃金交渉は、希空が予測したとおりの展開だった。
「最低賃金時給より安いんですよ。オトクだと思いませんか?上げてもらっても、一日千円
なんですよ」
「それは、そうだけど」
理路整然、かつ一気に畳みかけるテクニックには希空も感心せざるを得ない。
「そしたら、スマホの毎月料金もノアさんに払えますし、それ以上になりますしね」
自称天使は上目遣いで交渉相手を見つめた。コイツ、カワイコぶる演技まで身につけたか。なんか、言い包められてるような気がするが、前からスマホが欲しいと言われていた希空は、「わかった」と両手で降参のポーズをとった。
「スマホ?お給料?どっちですか?」と、自称天使がニコニコ顔で尋ねる。
そりゃ、スマホ代を負担するほうが安いに決まっている。
「それじゃあ、料金プランを確認してください」
ディスプレイは月額料金毎月二千円となっている。家計の負担にならぬよう、自称天使も考慮しているようだ。首を縦に振った希空に
「次はココをチェックしてください」クラノスケが誘導する。
「オッケ」
「最後に同意して確認ボタンを押してください」
「ふぁい、ふぁーい」
半分眠気と戦いながらも、希空はクラノスケの言うとおりに実行キーを押した。受付完了の表示が画面にでると、
「これから、スマホで会話ができますね!」クラノスケが嬉しそうに言ったが、相手の返事はなかった。希空は静かな寝息を立てていた。サクラも足許で寝ている。ソファの下に落ちていた小箱を浮かせて説明書を呼んだクラノスケが溜息をついた。
パックしたまま寝ると逆効果なのに。
ノアさんは説明書を読まないタイプらしい。最初はわからなかったけど、どこか抜けてるところがある。それはそれで新しい発見だ。
クラノスケが希空の顔に優しく手をかざすと、マスクシートがゆっくり離れた。そのあと、柔らかい光が希空の体を包んでふわりと浮かせた。
※
ベッドに寝かせた希空は熟睡しているようだった。
「もう少しお肌に気を使ったほうがいいんじゃないですか?お年頃ですからね」
ふっ、と笑った自称天使が、彼女の顔を覗き込んで呟いた。
浮かんでいた掛け布団が、希空の体に静かに着地すると灯りが暗くなった。
クラノスケが部屋のドアを開けて出て行こうとした時、
「そんなこと言うなら、スマホ解約してやる」と、希空の声がした。
慌ててクラノスケは振り返ったが、希空は眠ったままだ。
まずい、寝ていても彼女は話が聞けるんだ。だけど、きっと朝になれば忘れているはず。それがノアさんだし。
自称天使が、そっとドアを閉めた。
(ログインが必要です)