(6)10月20日(日)午前11時
文字数 6,836文字
のらりくらりと返事を伸ばしていたら、休みが合うのはこの日しかないとSNSで通告してきた。コミュニケーションアプリの類なんて自分は使ったこともなかったが、お団子ヘアは勝手に友達登録して連絡をよこすようになった。そう、この押しの強さはそこに座っているヤツに似ている。
「ハロウィンの飾りつけしておいて、よかったでしょう?」
得意げな声の主は、ソファに座ってサクラと遊んでいたクラノスケだ。
ハロウィンの飾りつけをしてくれたのが、ラッキーなのかアンラッキーなのかはわからない。でも、アメリカで過ごしていたというお団子ヘアだから、リビングにディスプレイされたオーナメントには馴染みがあるだろう。しかし、ヤツには言っておくことがある。カボチャの置き物を倒さないように掃除機をかけていた希空は、一旦スイッチを切った。
「お団子ヘアが来たら、ゼッタイに話しかけないで」
「話してもいいでしょ?どうせ、お団子さんにはボクの声は聞こえないし」
どうやら、自称天使は先日のエレベータの中で遭遇した彼女のことを覚えているようだ。
「アタシがアンタに反応したら・・・」
「ヘンだと思われますもんね」わかっているなら、なんで言うんだ。ぶすっとした希空は、掃除機のスイッチを入れ直した。
「わかりましたよ。自分の部屋にいます」
クラノスケが言う自分の部屋とは、希空が寝室兼、勉強部屋の向いにある部屋だ。もともと希空は2LDKのマンションに住んでいたので家具類もあまりなく、クラノスケが使っている部屋は持ってきたソファベッドが置いてあるだけだ。
「そうだ、ノアさん」
クラノスケに、いい考えが浮かんだようだ。
「家主さんの部屋にいましょうか?お団子さんのことだから、いろんな部屋見せてって言うかもしれないでしょ?」
玄関すぐの部屋は、家主の私物が入っていて施錠されている。ヤツなら入れるだろうが、家主のプライバシーは侵害できない。希空が速攻で却下すると、
「ふーん、意外と律儀なんですね。わかりゃしないでしょ」
「天使の本分」を完全に忘れ去っている自称天使の態度だ。
「これがあったとか、あれがあったとか、アンタ、言うに決まってるんじゃん!」
「それは、そうですね」と、あっさり認めるクラノスケだった。
ふと、サクラが耳を立てた。少し遅れて車を止める音が聞こえた。
クラノスケがソファから立ち上がった。
「そろそろ、部屋に行きますね」
消える前に、クラノスケはいたずらっぽい表情になった。
「今朝、そこ掃除しましたよ。ま、何回やってもいいですけどね」
掃除機を持つ希空の手が止まった。
※
玄関の前にネイビーのポロがゆっくりと停車した。いい車持ってるんだ、と希空は思ったがオッチャンアコードは負けてない、と羨ましさを否定した。
「先生、停めるの、ココでいいですか?」
運転席のドアガラスが開いて、お団子ヘアに眼鏡ルックの椎名有紗が顔を出した。
「うん、停め放題だから」ちょっとした山の中なので人も車もあまり通らず、どこに駐車しても誰も何も言わない。それよりも、迷わなかったのだろうか。
「ナビがあるから、すぐでした」
希空が聞く前に、有紗は助手席に置いたシックな手提げ紙袋を取り上げながら言った。
「お招きありがとうございます」
運転席ドアから出てきた有紗は嬉しそうだ。
「わあ、砂利が敷いてあるんだ!キレイですね」
お団子ヘアが羨ましがったのは、化粧砂利がタイルデッキ脇に敷き詰められている玄関アプローチだ。確かに大理石の白玉砂利は、ぽつんと建っている洋館の雰囲気を少し明るくしている。
希空が玄関をあけると、ゴールデンレトリバーが「ようこそ」と尻尾を振ってゲストを出迎えた。
「ゴージャスなワンちゃん!名前は?」
希空が教えると、有紗は手荷物を右手で高くあげて、「サクラ、Good girl!」と言いながら左手でサクラの頭を撫でてやった。犬は嬉しさを抑えきれずにお団子ヘアに飛びついた。
「躾がなってなくてごめんなさい。さ、上って」
慌ててサクラを制止した希空は、お団子ヘアをリビングへ案内した。
※
「OMGSH!ハロウィン仕様のリビングですね!」
お団子ヘアは、リビングに飾り付けられた、「Happy Halloween」のオーナメントやカボチャオバケの飾り物と、希空の顔を交互に見た。
「先生って、こんなことするようなタイプに全然見えないのに」
希空は「その通り」と胸の中で呟く。そう、アナタには見えない自称天使がやりました。
「あ、コレ、お土産です。ココのケーキ、おいしいんですよ」
有紗は手に持っていた紙バッグを差し出した。
「神戸で有名なケーキで、駅前のデパートに入っているのを最近見つけたんです」
紙袋を希空に渡すと、有紗はソファに座ってゴールデンレトリバーの耳の後ろをマッサージし始めた。もちろん、サクラは大喜びだ。
「で、さっそくなんですけど、部屋、いくつあるんですか?」
お団子ヘアの「情報収集プロジェクト」が始動したようだ。
「一階にリビングと一室、二階に洋室が三つ」希空が答えると、有紗は大きく頷いた。
「いい間取りですね。庭も広いし、レジデントハウスとは大違い。見ていいですか?」
有紗は立ち上って玄関ホールに向かった。いきなりだったので、希空は大急ぎでサクラをゲージに入れるとお団子ヘアを追いかけた。彼女が最初に興味を持ったのは玄関だ。
「シューズボックス、大きいですね。靴がたくさん収納できて素晴らしい」
お団子ヘアは収納扉を思いっきり開けた。希空が止めようとしたがすでに遅く、そこにはスニーカーが2足と靴が数足しか入っていない空間が広がっていた。彼女は無言で扉を閉めると、声のトーンを落として言った。
「すみません。たくさん靴が入ってるだろうと・・・」
「あまりモノを持たない主義で」希空は苦笑いするしかない。
「ミニマリズム、ステキです」
お団子ヘアはピースサインをした。やれやれ、とんだ女子を呼んでしまった。希空が後悔し始めた時、有紗はくるりと向きを変えると、上り框すぐのドアを見つめた。次の瞬間、いきなり屈んでドアの下を覗き込んだ。予測不能な動きに希空は呆気にとられるばかりだ。
「このドアはDIYですね」
少しずり落ちた眼鏡を元に戻しながら有紗は希空を見上げた。
「沓摺とドアのスキマが斜めに開いてます」
「クツズリ?」聞いたことがない言葉に希空が首を傾げる。
「ああ、ドアの下にある板のことです。ホントなら、ドアと板の間は1センチくらいが適当で水平なんですけど、ホラ、斜めになってるでしょ?」と、指さす様子は大工職人のようだ。だが、なぜ、そこが気になる?
「ウチ、父が工務店やってるんで」
あれ、おばあちゃんはクリーニング店だったような。希空が記憶をたどっていると
「ばあちゃんが、『クリーニングは儲からないから建築士になれ』って父ちゃんに言ったらしいんですよ。父ちゃん、マザコンだからそのまま・・・」
彼女の言葉が途中で切れたのは、立ち上がってドアの丁番を調べだしたからだ。
「鍵かかってますよね?開きますか?ドリルドライバーがあれば修理しますけど、あります?」
お団子ヘアのペースに巻き込まれないよう、家主さんのスペースだから勝手に造作できないと希空が説明すると
「そうなんですか、残念です」相手はあっさり引き下がった。よかったと、ホッとしていると、
「で、いくらなんですか?ココ」
お団子ヘアは話題を変えた。しかたなく、希空が「四万五千円」答えると、
「一万円しか変わらないじゃないですか!ウチ、1LDKなのに」と不満げだ。
レジデントハウスは1ルームでミニキッチン、バストイレ付が普通だ。前の職場は二万五千円くらいだったはずだが、レジデントハウスが1LDKで三万五千円なら好待遇だ。それに、
「椎名先生のとこは、センターから近いでしょ?ワタシは車で10分かかるもの」
「だから、何かにつけて呼びだされるんじゃないですかぁ」
有紗が溜息をついた。その気持ちもわからなくはないので、どうやって宥めたものかと希空が思案していると、
「先生のウチは犬がいるから、ここなのかもですね」と、有紗は自分で結論を出した。「そうかもね」と合わせておく。そろそろ、質問はこれくらいにしてほしい。
「それでは、」
と、お団子ヘアがふたたび話題を変えた。どうやら新たな興味が湧いたらしい。
「二階を見せてもらっていいですか?」
それは、まずい!
希空は交感神経が活性し始めたのを感じた。二階だけは全力で止める必要がある。自分の部屋は散らかっているし、もうひとつの部屋は物置化している。残るはヤツの部屋だが、いや、全くもって無理だ。
「掃除してないから」
平静を装って希空は断ったが、心拍数が上っているのがわかる。
「してなくていいですよ。ワタシも掃除嫌いだし」
掃除が嫌いな仲間に入れてほしくない。自分は時間がないだけだ、と希空は反論したかったが、「ごめん、無理」と言うにとどめた。
相手は引き下がらなかった。
「先生んちの間取りが、レジデントハウスとどう違うか教えるって、みんなに約束したんですよ」お団子ヘアは徹底的に強引だ。
みんな、って誰だ?さてはレジデント達にもウチに来ることを言ってきたのかと、考えを巡らせている希空に有紗が次の質問を被せた。
「それとも、カレシがいるとか?」
「そんなの、いるわけないじゃん」
希空は即答した。いるのは、アナタには見えない、人間じゃないヤツです。
「それじゃあ、いいじゃないですかぁ。寝室は見ませんから」
二階に上がろうとするお団子ヘアの腕を「ダメだから」と、むんずとひっぱりリビングに押し戻してソファに座らせた。サクラがゲージから飛び出すと有紗に飛びついた。さすがワタシの相棒、いい仕事してくれる。
「それなら、ちょっと相手してて。片付けてくるから」
有紗とサクラ、どっちに言っているのかわからなくなりながらも、希空は急いで階段を上がった。とにかく、クラノスケにどっか行ってもらわなくては。
ドアの前で息を整えて、ドアをノックしようとして気づいた。ノックしたら「誰かいるんですか」って、お団子ヘアに聞かれでもしたら大変だ。
希空が部屋に入ると、自称天使はソファで本を読んでいた。しかし、普通の人に見えるのは、浮いた本だけがぺらぺら勝手に動いている魔訶不思議な状況である。
「入る時は、ノックぐらいしてくださいよ」集中しているのを邪魔されて、クラノスケは不機嫌そうだ。
「悪いけど、別の部屋に行ってくれない?お団子ヘアが部屋を見たいって」希空は小声で話す。。
「イヤですよ」クラノスケはきっぱり断った。コイツに「慈悲深い天使」の自覚などないが、ここで負けるわけにはいかない。ひそひそ声で希空が続ける。
「どんな間取りになっているか、見たいって言うのよ」
「今、『赤壁の戦い』のイイとこなんです」ヤツは持っていた本を指さした。
「『セキヘキ』?何、それ?」理系の希空は、歴史には疎かった。
「曹操軍と孫権、劉備連合軍の戦いを知らないんですか」
自称天使の上から目線の反応に、カチンときた希空が噛みついた。
「その言い方、マジ辟易するわ!」
「それなら、『辟易との戦い』ですね」クラノスケは臨戦態勢だ。
「先生、大丈夫ですかぁ?誰か、いるんですかぁ?」
階下から声がした。希空は手を口に当てた。しまった、声を聞かれてしまったか。
「いや、掃除に辟易するって一人言。もうちょっと待ってて」
お団子ヘアに聞こえるようにドアに向かって言うと深呼吸する。危ない、危ない。自制心を失っては本末転倒だ。
「ちょっとだけでもいいから、どっか行ってくれない?」希空は下手に出ることにした。
「ノアさんの部屋を見せたらいいじゃないですか」
クラノスケはそっぽをむいた。さっきの言い合いでコイツ、臍を曲げたか。希空は相手のご機嫌を取る戦術を取ることにした。
「二千円払う」
返事はない。
「三千円」
自称天使は首を横に振った。
「先生、まだですか~?掃除なら手伝いますよ~」
お団子ヘアの声が近づいている。どうやら、彼女は階段の中央まで来ているようだ。
「あともうちょっと。すぐ終わるから」
希空は脳内にノルアドレナリンが放出されているのを感じながら、ドアに向かって声を張り上げた。
時間がない。不本意ながらも希空はクラノスケに手を合わせた。
「五千円!」
相手が希空を覗き込んだ。
「一万円なら手を打ちます」
まんまと自称天使の計略に嵌ってしまった。ここは譲歩するしかないが、一万円も取られるのなら・・・
「その代わり、ワタシの部屋も掃除してくれる?」
「しょうがないなあ」でも、とクラノスケが続けた。
「オレ、ソファに座ってますよ。どうせ、お団子さんには見えないでしょ?」
負けを認めた希空は肩を落としたが、念押しすることは忘れなかった。
「本は捲らないでよ」
クラノスケは親指を立てると、にかっと笑った。
※
お団子ヘアの偏執的情報収集活動にうんざりしながらも、希空は階段の踊り場で待っていた彼女を案内した。彼女が入ってくると、ソファに座っているクラノスケがにっこり笑って手を振った。「へぇ、若い子には愛想、振るんだ」と希空は聞こえないように呟く。
「わあ、街がココから見えるんですね!」
有紗が歓声をあげた。この家は山の中腹に建てられており、クラノスケの部屋も横続きにある希空の部屋も、ベランダサッシから市街地が見える。
「夜景、キレイでしょうね」景色を眺めている団子ヘアが羨ましがった。
「いや、見たことないから」
希空があっさり答える。起きて、仕事して、帰って、クラノスケとサクラの相手をするだけで一日が終わるのに夜景なんか見る暇はない。
「それはもったいない」
お団子ヘアは信じられないという表情で振り向いた。だが、同時に新たに気になったものを見つけたらしく、一点を不思議そうに見つめた。視線の先はソファだ。
「何?どうしたの?」
もしかして、彼女も見えているのか?と、希空が声をかけると、お団子ヘアは座っているクラノスケに人差し指を向けた。
「お団子さん、ボクのこと、見えるんですか?」とクラノスケが聞く。
「なんか見えるの?」と希空も尋ねると、
「何の本、読んでるんですか?」
有紗が興味を示していたのは、クラノスケが読んでいた本だった。えっと、なんの本だっけ?さっき、クラノスケが言っていたのは・・・
「三国志です」
クラノスケが答える。そうだった、ネトフリの中国時代劇にはまったヤツが、買ってくれと頼んだので、ネットで注文したんだった、と希空は思い出した。
「そう、三国志。最近、中国ドラマを見てて」
ひとまず返答した希空がホッとしていると、
「それなら、『三国志の秘密』見ました?」お団子ヘアが嬉しそうに続ける。
「おもしろかったですよね。ワタシは司馬懿《しば い》がよかったかな。先生は、どの登場人物がよかったですか?」
一難去ってまた一難。そんなドラマ見たこともない。三国志なんて、三国時代に存在した魏呉蜀の国くらいしか覚えていないし、登場人物と言えば項羽と劉邦ぐらいか?
どちらかを言えば当たるのか、いや、それは危険だ。希空は正解を探るべく、首を回しながらクラノスケの方をチラリと見た。
「ケンテイ」と、自称天使。
「ケ、ケンテイ?」思わず質問口調になった希空にクラノスケが付け足した。
「検定試験のケンテイではないですよ。後漢の第14代皇帝の献帝です」
しかたないなあ、というクラノスケの表情が癪に障るが、今はヤツを頼るしかない。
「やっぱり、主人公ですよね?」と、お団子ヘア。
「う、うん、皇帝の主人公がね、よかった」しどろもどろではあるが、希空はお団子ヘアの話題に合わせた。さて、次はどうやってこの場を切り抜けようかと頭を巡らせていると、ドアの外からサクラが甘え鳴きした。やっぱりワタシの相棒。いいところに登場する。
「サクラが遊んで欲しいみたい。もし、嫌じゃなかったら、サクラを散歩に連れていってくれない?この近くでかまわないし。その間に、お昼を用意しておくから。どう?」
「もちろん!」とお団子ヘアが快諾した。
ドアを開けると、サクラが尻尾を千切れんばかりに振りながら入って来た。そのまま、希空は一人と一匹をせかして1階に行かせると、玄関に置いてあるリードとお散歩キットを有紗に渡した。
「お願いします!」
希空は不自然すぎるくらいの笑顔で彼女達を送り出した。なんとか切り抜けた、と玄関に座り込んで額の汗をぬぐっていると、クラノスケの声がした。
「で、お昼は何にするんですか?」
振り返ると、自称天使が腕を組んで立っていた。
「まさか、出前を頼もうなんて思ってないでしょうね」
それは図星だった。
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