第98話 先帰っていいか?

文字数 736文字

「俺と颯来では、何て言うのか……ベクトルが似ていて違う、って言えば良いのかな」
「ベクトル?」
 着替えながら話す二人。
「力やスピードとかの方向や大きさ、それに考え方的なことも。俺とは違うことに気付かず、自分のベクトルを基準に物事を判断し過ぎていたんだ。だから『そんなことができるはずがない』、その思い込みで錯覚してしまう」
「ちょっと何言ってるか分からないんですけど……」

 剣道男子の多くは下着を身に着けていないことが多い。
 颯来は難しい話に頭を悩ませていて、パンツが履けずに袴も脱げない。とりあえずそのまま考えなしでやれる靴下を履く。
「あれだよ、ほら、えーっと……、そう。バスに乗ってて隣のバスがゆっくり動き出した時、こっちが動いてる気がしちゃうことってあるじゃん」
「あー、あるある」
「それと同じだよ、隣のバスのスピードが速すぎてもその錯覚には陥らない。方向と大きさが自分のと似ているから、自分で勝手に錯覚しちゃうんだ」
「つまりは、スピードとか似ているようだけどその実、彦の方が上だってことが言いたいのか?」
 千城の言いたかったことが、颯来の期待していたことを裏切ったので、皮肉を言ってようやくパンツを履く。

「違うよ颯来。颯来のベクトルで勝負しなくてはダメだってことだ。そして颯来は今回、俺の世界が解った、これは『経験』だ。それにこれは全国トップレベルの経験値だ、『自信』を持って良い。自信と経験、この二つは全国大会で戦う上で、いや勝ち上がって行くために必要な要素だ」
「今『ベクトル』と書いて、『世界』と読んだな」
 袴を脱ぎ捨てる。
「颯来……それで恰好つけないでくれる?」
 道着、道着に隠れて見えないパンツ、そして靴下。
「……履いてますよ」
 道着をめくる颯来、微笑んでいる。
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