第53話

文字数 777文字

「颯来君、今日試合じゃなかったっけ?」
「あぁ……負けました」
「そう……強い人はいっぱいいるのね」
「颯来は負けてませんよ」
「あら、でも?」
「団体戦準優勝、颯来は負けなし、自分もですけど」
「ホント、準優勝。すごいじゃない」

 ようやく愉香が顔を出す。慌てて出てきたのか、お店のシャツにエプロン、そこから生足が程よく伸びている。下だけ短パン姿である。愉香の母親は『ごゆっくり』と奥へ引っ込む。
「いらっしゃい千城君……と颯来」
「……だから何だ、その間は……」
「愉香ちゃん、こんにちは」
 愉香は、千城へ頭を下げたけれどその視線は颯来を不思議そうに見ている。
「遅ぇよ、何やってたんだ?」
「女は大変なのよ、女は」
「ほー、女ね」
「……何よ」
「妹さんもかわいいけど、やっぱ愉香ちゃんだな、私服もかわいいなぁ」
「妹、小六ですけど……」
 愉香は見え見えのお世辞に呆れ顔であしらう。

「愉香ちゃん応援来ないから俺、負けちゃったよ」
「俺は負けてないって言ったばかりじゃねぇか」
「そう、俺は負けてない、負けたのは俺ら」
「……何言ってるか分からないんですけど」
「面倒くせぇな、もう。チームが負けたの。行こう、帰るぞ彦」
「……何しに来たのよ」
「そうだ、パン買おう、颯来、パン」
「その奥の丸いレーズンが入ったパンは止めておけよ」
「何でだよ」
「多分お母さんが焼いたパンじゃないから」
「……私が焼きました」
「そんなの店に出していいのかよ」
「売りものじゃないわよ」



 愉香の父は早くに亡くなっている。二人で始めたパン屋を今は母親一人で切り盛りしている。愉香はできる限りの家事と手伝いをしてきた。部活もやっていない。妹が中学生になるまで、と妹の世話を買って出たのだ。
 パン屋の朝は早い。その仕込みも手伝い学校に行く。愉香はパン屋を継ぐのが夢だ。颯来は愉香の作ったパンを二つ掴むと一つを勝手にほおばった。
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