スケルトン

文字数 7,140文字


【考察論】
 鉄板中の鉄板アンデッドにして、不死者界の〈戦闘員〉と化している感もあるモンスターですが、実は現在の骸骨イメージは意外と歴史が浅く、昭和中期の特撮洋画『シンドバット七回目の航海(1958年/アメリカ作品)』と云われています。
 で、系譜の名篇『アルゴ探険隊の大冒険(1963年/アメリカ作品)』にも続投してイメージ定着した……と。
 という事は、現固定イメージの生みの親は〝レイ・ハリーハウゼン大先生〟という事になる……さすがは〈ストップモーション・アニメーションの神様〉やで!



 そもそもはギリシア神話の〈スパルトイ〉が発想源泉で、この〈スパルトイ〉とは〝竜の牙を大地に蒔いて魔法で生成した戦士軍団〟という『ドラゴンボール』の〈サイバイマン〉みたいな性質の人外。
 ただし人間風貌であって、別に骸骨ではありません。
 彼等〈スパルトイ〉は、ギリシア・テーバイの建国神話に登場した人外です。
 この神話の主人公は〝カドモス〟という英傑王子なのですが、別エピソードで〈主神ゼウス〉に拐われた美女〝エウロペ〟の兄とされています。
 父王〝アゲノル〟は娘を溺愛する反面、息子には相当厳格に接していました。
 彼は『エウロペの捜索奪還』をカドモスに命じ「それを達成するまでは祖国の地を踏む事も許さん」とさえ言い渡したのです。
 斯くしてカドモスは近臣を率いて旅に出る事となりましたが、文字通り〝神隠し〟ですからゼウスの掌中から奪還するどころか消息を掴む事すら不可能に近い難事です。当然ながら手掛かりひとつ掴めない。
 任務達成が不可能と覚ったカドモスは祖国に戻れない事を覚悟して新天地に永住する考えに纏まります。
 しかしながら、はたしてどうして良いものか途方に暮れました。
 そこで〈太陽神アポロン〉の神託に縋ったところ「これまでに軛を付けられていない、脇腹に白い印のある牝牛の後を追え。そして、その地を守る〈軍神の守護者〉と戦い〈牛の国:ボイオティア〉と名付けて治めるが善い」と御告げを頂きました。
 はたして牝牛は見つかり、新たな永住地を得たカドモスは〈ゼウス〉への崇敬として生贄を捧げるための清水を酌んでくるように部下へと命じました。
 ところが一向に部下達が帰って来ない。
 怪訝に思って探しに出向くと、森の奥深くに泉涌く岩窟が在り、そこで全員惨殺されていたのです。
 犯人は、この泉に棲む大怪蛇でした。
 これこそ〈軍神の守護者〉と悟ったカドモスは勇猛果敢に死戦を繰り広げ、遂には、この恐るべき大怪物を討ち倒します。
 ですが、親愛なる部下達は一人残らず失われ、憔悴と悲嘆に暮れました。
 そんな彼の前に〈知恵と戦いの女神アテナ〉が現れ「いま戦った〈アレスの竜〉から牙を抜き取り、大地を耕して蒔きなさい」と告げたのです。
 カドモスが言われた通りにすると、はたして撒いた牙から鎧装束の戦士が次々と生まれました。
 この戦士達こそが〈スパルトイ:『蒔かれた者』の意〉なのです。
 そしてカドモスに「我々の戦いに手を出すな」と告げると、互いに殺し合いを始めました。
 こうした淘汰がある程度に達した時、女神アテナが「やめなさい!」と命令し、斯くして残ったのは五人──〝エキオン:蛇男〟〝ウダイロス:大地の男〟〝クトニオス:土の男〟〝ペロル:巨人〟〝ヒュペレノル:超人〟でした。
 彼等はカドモスの部下と従え、晴れて、この地は彼の建国地となったのです。

 この神話で解ると思いますが〈スパルトイ〉は〈スケルトン〉と違って〈アンデッド/死人返り〉ではありません。
 むしろ、もっと神の息にかかった上位人外であり、敢えて呼ぶなら〈魔法生物〉とした方が正しい。
 しかしながら、この〝竜の牙〟から〝骨〟への連想で〈スケルトン〉は〝骸骨〟となったようです。

 そして〈軍神の守護者〉とある大怪蛇ですが、これは〈女神アテナ〉が明言した通りに〈軍神アレスの守護獣〉になります。
 ところが、この一連の経緯は、実はアレス自身の望むところだったようです。
 というのも、それまで世界には〈勇者〉こそ存在したものの〈戦士/兵士〉の類は存在しなかったからです。
 そこでアレスは史上初の〈戦士/兵士〉を生み出す事を画策し、その思惑通りに誕生したのが〈スパルトイ〉。
 つまりは〈スパルトイ〉こそが〈兵士〉という存在のルーツという事です。
 そこから鑑みると〈スケルトン〉の〝戦闘員的な役割/簡易増産的な消耗戦力〟という性質は〈スパルトイ〉の本分を継承した残留性質とも言えるかもしれません。



 さて現イメージの〈スケルトン〉ですが、冒頭で述べたように『シンドバット七回目の航海』が原点とされています。
 で、これまた先述しましたが、そうなると〝生みの親〟は〝レイ・ハリーハウゼン〟という事になる。
 しかしながら、最近の世代には「……誰?」となるかもしれないので、まずは補足説明。
 この方はモノクロ映画時代から活躍していた〈ストップモーション・アニメーション:人形アニメ特撮〉の重鎮で、そのジャンルでは独壇場とも呼べる無二の存在でした。
 判り易く言うなら〈漫画の神様:手塚治虫〉〈特撮の神様:円谷英二〉〈特殊メイクの神様:ジャック・ピアーズ〉と肩を並べるほどの〝サブカル史偉人〟です。
 師匠は〝ウィリス・H・オブライエン〟という人物で、伝説的名作『キングコング(1933年/アメリカ作品)』を担当したストップモーション・アニメーション職人でした。その師事にてハリーハウゼンは腕を磨き、芸風を正統継承しています。

 現在では〈CG〉に取って代わられて廃れましたが、昭和中期辺りまでは〈ストップモーション・アニメーション〉は〈キグルミ〉に並ぶ特撮表現でした。思いきり〝人間的フォルムを廃した人外〟としての度合いが高い場合は、この〈ストップモーション・アニメーション〉の方が適していたとも言えます。
 ただし、この〈ストップモーション・アニメーション〉は、製作するに恐ろしいほどの時間と労力と根気を要し、また謂わずもがな確実な技術手腕がダイレクトに物を言います。何せ『微々と動かしては撮り……微々と動かしては撮り……』を続ける気が遠くなるような緻密作業ですし、映画尺に合わせた出番となると相応の活躍を描写しなければなりません(それを鑑みると、映画尺約90分ほぼ全編出ずっぱりの『キングコング』を担当したウィリス・H・オブライエンも相当な〈神様〉ですな)。
 そうした特異な製作条件にて、ハリーハウゼン御大は独壇場とばかりに八面六臂な活躍をした人物になります。
 もう「人形アニメと言えばハリーハウゼン/ハリーハウゼンと言えば人形アニメ」といった感じです。昭和の怪獣っ子にとっては、国産なら『ゴジラ』『ウルトラ』『東映ヒーロー』であるのと同等に、海外なら『ハリーハウゼン作品』といった具合の市民権でした。
 そのキメ細かい動きは微塵の隙も無い完成度で、例えば同映画の〈破壊神カーリー〉なんかは現在観ても驚嘆レベルの仕事ぶり……まさに〈職人〉と呼ぶに相違無い手腕です。
 或いはモノクロ映画のインベーション作品傑作『空飛ぶ円盤、地球を襲撃す』では、いわゆる〈ソーサー型UFO〉を担当しましたが、コレなんかは表面ツルツルですから、ぶっちゃけ静止していても絵面的には問題ない(視認の域には価しない)。ですが、よくよく見ると〝回転〟しているのです。
 こうした「無駄になるかもしれないけど、プロとしてこだわる」という細やかな仕事ぶりが〝非現実的存在に於けるリアリティーの確立〟へと結実しているという好例でしょう。
 諸々の劇中怪物達は生きているかのような滑らかな表情変化を見せ、或いは格闘し、時として俳優相手の合成という場合でもキチンと絡む(本項〈スケルトン〉もチャンバラしています)。
 もちろん〈ミニチュア人形〉ですから絵面的には〝浮いて〟いますが……実は、この〝浮く〟という異質感が怪物描写に於けるファクターとしては大きく機能しているのです。
 つまりは『存在しないはずの存在/なのに、確実に〝存在〟している』という理不尽をダイレクトに感受させてくるから。
 現実的ではない〝嘘八百〟なのに、有無を言わさず〝存在感〟を主張してくるから。
 最近は〈CG〉主流となり「とにかくリアルに!」「現実描写と違和感差異を感じさせない合成の仕上がりを!」という方向性に傾倒していますが……私的には、そもそもコレは狭隘的な間違いだと思っています。
 確かに〈CG〉はコスト面でも比較的に安く付き、また表現的にもほとんど『アニメ』と変わらない描写を実写にて可能にしました(アクションやアングルなど)。とりわけ『アバター』以降の進化は目を見張るものがあります。
 ほとんど万能に近いですが、実は『万能に近い』だけで、決して『万能』ではない。
 これは〈CG〉に限りませんが、新しい技術や文化が登場すると世相は〝それ一色〟に染まり妄信讚美に溺れがちです。そうなると何故か(というか優位性に安心を得たいのでしょうけど)古きものを一転に蔑笑する風潮にすらある。
 ですが、如何なるものも『一長一短』であり『万能』等というものはありません。
 例えば〈CG〉の場合、確かに目覚ましい進化をして〈キグルミ感〉すらも再現可能となりました。そこに加えて〈モーションキャプチャー〉のノウハウもハイレベルに融合しましたからスーツアクターの演技も取り込まれるようになり、CG技術登場初期のような〝不自然さ〟は極力排斥された。
 と、此処までの要素だけに絞れば万能。
 でも、実は〝再現〟出来ていない部分があります。
 それは〝現物そのものが放つ存在感〟です。
 物質の〈オーラ〉と言い換えてもいい。
 当たり前です。
 如何に〝現物に近づいたリアル感を再現可能となった〟とはいえ〈CG〉はあくまでも〈仮想〉なのですから。
 一方で〈キグルミ〉〈ストップモーション・アニメーション〉といったアナログ特撮の場合は〝作り物〟とはいえ〝現物〟が在り、それを撮影している。だから当然〝現物の存在感/現物のオーラ〟は常態的に発散されている。
 この差は映像越しでも確実に伝わってきます。
 例えばカルト的人気を誇る迷作ホラー『リトルショップ・オブ・ホラーズ』の〈オードリーⅡ〉でしょうか──相当複雑なアニマトロニクス造形物ですが、劇中の存在感はまさに〈生物〉と形容できるものです。もちろん〈CG〉でも再現可能(というかCG向けw)ですが、おそらくあの〝有無を云わさぬ存在感〟は出せない。
 体感的に味わいたいのならば『キングコング』を全世代作品で観比べると善いかもしれません。
『元祖(1933年/アメリカ作品):ストップモーション・アニメーション』
『昭和リメイク版(1976年/アメリカ作品):キグルミ&アニマトロニクス』
『平成版(2005年/アメリカ作品):CGモデリング』
と全作表現技術が違いますが、近年作が一番〝絵面的リアリティー〟では突出していて非の打ち所が無い……はずなのに、何故か旧作の方が〝迫真の存在感〟を荒々しく主張してくる。
 例えるなら〝ガラス張り一枚アチラ側にいるはずなのに、相手はコチラに手出しが出来る〟といった感じ。これが〈CG〉だと、そもそも〈ガラス張り〉が無い感じ。
 私は、これを『質量の魔力』と呼んでいます。

 同様の事象はアニメにもあって、例えば『聖闘士星矢』『キャプテン・ハーロック』『蒼天の拳』『ULTRAMAN』等の『CGフルモデリング作品』が『人形劇』にしか見えないのは〝線画特有の誇張メリハリ〟が無くなったから。
 もっと分かり易く言うなら『Bang★Dream!』は俄然〈第一期〉が萌え度高い(続編も萌えるけどねwww)。
 一時期『けものフレンズ』で俄に「フルモデリングスゲー! これからはフルCGアニメの時代だ!」みたいな風潮に染まりましたが、それはオタ層が触れるマニア向けアニメに無かったからテクノロジーのファーストコンタクトに酔っただけで、キッズ向けでは『きらりんレヴォリューション3rd』や『デュエルマスターズ』とかでとっくにやっていた……で、大失敗して「線画には線画の利点がある」と猛省めいて混在した手法へと立ち返った。
 ってか、そもそも「フルモデリングスゲー!」とか技術心酔するなら、何故もっと『トランスフォーマービーストウォーズ』をフューチャーしなかった!www
 世界初の〈フルモデリングTVアニメ〉はアレやで!w
 ま、つまり『ラブライブ』『プリキュア』『シンカリオン』或いはモデリングアニメの元祖的作品『ゾイド』みたいに〝通常は線画/ライブシーンや戦闘シーンのような派手に動きを要する見せ場(殊に引き)ではモデリング〟という〝使うべきところでは使って利点を棲み別ける演出方法論〟の方が正しいと思うのです。
 無論、フルモデリングでも『ファイナルファンタジー』『バイオハザード』等の成功例はあります。が、コレらはそもそも『CGに適した作風』だったから(起点も〈ゲーム〉ですし、キャラクター自体がリアルタッチ系でしたし)。
 2Dには2Dの利点があるし、3Dには3Dの利点がある。
 何でもかんでも染まれば好転向上するワケじゃない。
 私は、これを『線の魔力』と呼んでいます。

 誤解して欲しくないのは、私は〈CG〉を否定しているワケでもない。
 コレはコレで素晴らしい技術です。
 要は使いどころって事。
 うん、何事も使い方次第なのです。

 と、脱線に脱線を重ねた感もあるので方向修正w

 つまり〈ハリーハウゼン・クリーチャー〉の魅力は、その〝非現実的なのに有無を云わさぬ存在感〟を発揮している点で、そこには氏の確固たる〝職人技〟が〈生〉を授ける具現化芸として反映されているから。
 この〈スケルトン〉なんかも、そうした存在感が如何無く発揮され、アングルやシーンの切り換えを多用して〝絡み〟を軽減しながらも、その〝生きた動き〟には魅せられてしまいます。
 況してや〝ストップモーション・アニメーション特有の不自然な存在感〟は〝動く白骨死体のぎこちなさ〟にスゴく合致している。
 そういえば〈スケルトン〉のイラストには〝半月刀と小型丸盾による武装〟が定番化していますが、このスタイルは間違いなく〈ハリーハウゼン製スケルトン〉が元祖でしょうから、やはり『映画から誕生したという説』は正しいのかもしれません。

 ハリーハウゼン氏の最大の〝仕事〟とされたのは、ギリシア勇者〈ペルセウス〉の神話を綴った冒険作品『タイタンの戦い(1981年/アメリカ作品)』になります。
 で、御承知のように2010年にはCGリメイクされました。
 実は、このリメイク作品企画発足時にはハリーハウゼン氏にも製作参加のオファーが為されていたようです。
 しかし、氏は断ったという……。
 これが〝高齢故に〈CG〉という新技術に携わる技量と自信が無かったから〟なのか〝ストップモーション・アニメーション職人としてのプライド〟なのかは分かりません。
 ですが、私的には後者だと思っています。
 だって、モノクロ時代から趣旨貫徹で〈ストップモーション・アニメーション〉に人生を捧げてきた方ですからね。
 そう考えた方が〝偉大〟じゃないですか。

 是非とも後続世代にも『ハリーハウゼン作品』に触れてみてほしいですね……。
 そこには『古いけど新しいワクワク感』がありますから。



 さて、長々と『人骨起源否定説』みたいに書いてきましたが、誤解をしてほしくないのは、決して『人骨妖怪否定説』ではないという点。
 骸骨モチーフの妖怪は世界各地にいますし、例えば我が国の妖怪にも〈がしゃどくろ(或いは、その前身となった滝夜叉姫の大髑髏)〉や〈狂骨〉〈目くらべ〉等が存在します。あの古典怪談『牡丹灯籠』の〝お露さん〟も、本性は白骨幽霊です。
 そもそも〈死〉の物質的残留媒体として行き着く先は〝死体〟を通り越して〝人骨〟ですから〈死人返り〉を着想した場合は最も合理性に叶った究極表現と言えます。
 ですから〈人骨系死人返り〉は〈スケルトン〉の専売特許ではなく、古今東西共有の発想なのです。
 そして、こうした〈骸骨型妖怪〉と〈スケルトン〉には明確な性質差異があります。
 多くの〈骸骨型妖怪〉は〝生前から固執していた想いによって自ら変貌した〟というのが殆どですが、一方の〈スケルトン〉は〝消耗戦力として魔法生成された兵隊〟という点。
 それ故に〈骸骨型妖怪〉は自我を宿している事が多いのに対して〈スケルトン〉には自我や思考能力といった高度知性が欠落しています。
 つまり〈骸骨型妖怪〉の本質は〝骸に宿った怨霊〟とも言えるのですが〈スケルトン〉の本質は〈ブードゥーゾンビ〉や〈ゴーレム〉と同じ〝使役戦力/使役労力〟でしかないという事です。
 早い話が機械的存在。とことん消耗品。
 仮に〈スケルトン〉に自我や知性が備わったとしたら、それはその段階で別種モンスター〈ワイト:死体に死霊が宿ったアンデッド〉や〈リッチ:ワイト同様のプロセスながらも更に禍々しく歪んで魔性の域に達したアンデッド〉に定義されます。

 とはいえ、これまでも『モンスターコラム』で触れたように〈怪物〉は時代のサブカル影響で基本性質が変貌する事象が侭あります。
 そうした事例を鑑みると〈自我知性を宿したスケルトン〉や〈ゾンビばりに感染増殖するスケルトン〉や、はたまた〈破壊神と化した巨大スケルトン〉なんかも出てくる可能性があるかもしれませんね。


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