ウルトラマンタロウ

文字数 8,338文字


【ウルトラマンT】
作品DATA:1973.4.6~1974.4.5/TBS 系列/全53話
身長:53メートル/体重:5万5000トン
飛行速度:マッハ20
年齢:一万二千歳
必殺技:ストリウム光線/ウルトラダイナマイトetc……
職種:宇宙警備隊支部長/宇宙警備隊筆頭指揮官
人間体:東光太郎
防衛チーム:宇宙科学警備隊ZAT
      (Zarida of All Terrestrial)
家族構成:宇宙警備隊大隊長(ウルトラの父)
     銀十字軍隊長(ウルトラの母)
嫌いなもの:弱いものいじめ/まんじゅう
備考:
 ウルトラ兄弟六番目の弟にして〈ウルトラの父/ウルトラマンケン〉と〈ウルトラの母/ウルトラウーマンマリー〉の実子。
 主人公〝東光太郎〟が旅先から持ち帰った奇花〈チグリスフラワー〉が〈宇宙大怪獣アストロモンス〉と化して都市を蹂躙すると、彼は自責と正義感から勇敢に挑んで死亡。
 その瞬間〈ウルトラ兄弟〉によって〈M78星雲・光の国〉へと運ばれ、彼等と〈ウルトラの母〉による救命処置によって〈ウルトラの命〉を授けられ〈ウルトラマンタロウ〉となる(この経緯は時空を超越した刹那的時間軸の経過であり、現実時間軸では機体大破した次の瞬間に〈ウルトラマンタロウ〉として顕現している)。
 尚〈ウルトラ兄弟〉とは本当の兄弟ではなく、光の国・宇宙警備隊内に於けるエリートチーム名であり、その絆の強さから結成された義兄弟関係である。

※ 当コラム内ではヒーロー名を〈ウルトラマンタロウ〉とし、作品名を『ウルトラマンT』と表記しています……どちらを用いても間違いではありませんが。

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【考察論】
 私にとって〝最高の特撮ヒーロー〟は、何はなくとも〈ウルトラマン〉と〈ウルトラマンタロウ〉になります。これは幼少期から変わらずで両者甲乙付けられない。
 かつて友達に「君がウルトラマン好きなのは分かったけど、結局、どのウルトラマンが一番好きなの?」と訊かれた事がありました。
 それに対して私は「純粋な『ウルトラマン』として好きなのは〈ウルトラマン〉で〝ヒーロー〟として好きなのは〈ウルトラマンタロウ〉」と返答しましたが、友達は「いや〈ウルトラマン〉って〝ヒーロー〟じゃん」と釈然としない様子でした。
 これは各作品のニュアンス差を嗅ぎ取っていないと一般層には理解が難しいのだと思います。
 と言うのも『ウルトラマン』&『ウルトラセブン』(+『ウルトラQ』)の頃は〈第一期ウルトラシリーズ〉と呼ばれ、確かに『ヒーローもの』ではあったものの、まだ現在のような形骸化した作品スタイルが無かった(というか、このシリーズから生まれた)ので、作品自体は〈SF〉としての方向性が強かったのです。つまり『SF作品』の一端という性質が色濃く、その劇中に登場する〝人間の味方をしてくれる切り札的宇宙人〟という存在感に在りました。そうした異形存在に子供達は〝ヒーロー性〟を感受していたと言った方が正しいでしょう。

 この〈第一期ウルトラシリーズ〉終了後、子供達の〝ウルトラマンロス〟を突く形で現れたのが『仮面ライダー』で、この作品の大ヒットは世に〈変身ヒーローブーム〉を巻き起こしました。
 そうして有象無象の〈変身ヒーロー〉が乱立する中で、TBS も「自社提携の大御所ヒーロー『ウルトラマン』を復活させよう!」と動いて『帰ってきたウルトラマン』がスタート。以後『ウルトラマンA』『ウルトラマンT』『ウルトラマンレオ』と続いたシリーズは〈第二期ウルトラシリーズ〉と称されます(注:この辺は公式面でもファジーな側面があって『ウルトラQ』~『帰ってきたウルトラマン』までを〈第一期ウルトラシリーズ〉として『ウルトラマンA』~『ウルトラマン80』までを〈第二期ウルトラシリーズ〉とする趣もあります)。
 この〈第二期ウルトラシリーズ〉の特徴は、既に乱立していた変身ヒーロー像の影響下にあったために〝スーパーヒーロー然とした作品スタイル〟が確立していた事でしょう。つまり今日までみなさんが抱いている〝スーパーヒーローの王道たるウルトラマン〟というイメージは、この〈第二期ウルトラシリーズ〉から確立した像と言えるのです。
 そして〈ウルトラマンタロウ〉は、その中でも〝スーパーヒーロー〟として極まったキャラクターでしょう。と言うか、そもそも〝それ〟を成功させるために企画時点から相当練り込まれたキャラクターなのです。




 意外に思われるかも知れませんが、実は『ウルトラマンT』は製作されなかった可能性がありました。
 と言うのも『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』は視聴率的に不調な傾向にあったからです。いえ、実際には子供達の人気は大好評でした。ですが、少なくともTBS 側が期待したメガヒットには結実せず(TBS 側は、かつての〈第一期ウルトラシリーズ〉や、変身ブーム火付け役である『仮面ライダー』級のヒットを高望みしていた感があります)、結果、TBS 側から円谷プロへ「もう『ウルトラマンA』で終わりましょう」と終了勧告が為されました。
 これに泡食ったのが、円谷プロです。
 何故なら、翌年は〝円谷プロ誕生10周年〟というアニバーサリーであり、それを盛り上げるべく『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』『怪獣大奮闘 ダイゴロウ対ゴリアス』等の記念作品を続々と発表していました。そして、その主役として要となるのが『ウルトラシリーズ』と構想していたのです。それなのに肝心の『ウルトラシリーズ』が頓挫では、何とも締まりません。
 円谷プロはTBS へ「次作は必ずヒットさせるから!」と懇願し、何とか企画審査の段階までは漕ぎ着けました。



 さて、此処からが正念場です。
 次回作は絶対にヒットさせねばならないのですから……。
 意図的にヒット作を確実に生み出すという難度は、口で言うほど簡単な事ではありません。

 まず前作までの反省点を鑑みて〝変身の煩わしさ〟を解消しました。
『帰ってきたウルトラマン』では主人公〝郷秀樹〟が〝人間として死力を尽くして、それでも及ばぬ時や生命の危機に陥った時、彼に内在する〈ウルトラマン〉が助力してくれる〟という受動的変身プロセスでした。
 続く『ウルトラマンA』では主人公〝北斗星児〟&ヒロイン〝南夕子〟が各自所有する〈ウルトラリング〉をタッチさせる合体変身であり、両者が揃わないと変身不可能な制約を課しています。
 これらの煩わしさは、おそらく〝ウルトラマンは便利な力なんかではなく、人間が前向きに頑張った末に助力してくれる内なる奇跡なのだ〟という人間讃歌の象徴としてのこだわりでしょう。
 ですが、こうした〈円谷イズム〉は、当時の子供達やTV局・スポンサーの望む方向性と合致しているとは言い難かったのかもしれません。『仮面ライダー』に端を発する〈変身ヒーローブーム〉は、その変身プロセスのカタルシスこそが目玉であり〝ピンチになったら即変身で大逆転〟な展開こそが魅力であったのですから。
 そのため両作品共に中盤からテコ直しが入り『帰ってきたウルトラマン』では郷秀樹が自在に変身出来るように鍛練して枷を克服しましたし、また『ウルトラマンA』では南夕子の〈ウルトラリング〉は北斗星児へと譲渡されて単身変身出来るように変更されましたが、こうした急造的変更は子供心にも違和感を感じさせるものでした。
『ウルトラマンT』では、こうした不便性を極力排除し、好きなタイミングで変身を行っています。一応〝変身出来るのは〈ウルトラバッヂ〉が輝いた時〟とは設定されていますが、これは便宜的であり、劇中演出では〝変身したい時〟に〈ウルトラバッヂ〉が苦も無く輝いています。
 しかしながら、こうした手頃感は、世の子供達が望んだ〝スーパーヒーローの変身スタイル〟でもありました。


 次にスタッフが腐心したのは作風です。
 『ウルトラマンT』と言えば、誰しも〝底抜けに明るくて変な作風〟と認識しているでしょう。良く言えば〝とことんメルヘンでファンタスティック〟悪く言えば〝ギャグ漫画と紙一重なガキ臭い演出〟で、これは当時から今日まで〝ハードSF主義〟のファン層──殊に熱狂的なウルトラセブン信者──からは非難揶揄されている特色でもあります。もっとも裏を返せば、そのおおらかさこそがタロウファンにとっての魅力なのですが……。
 さて、このシリーズ内でも唯一無二な作風ですが、実は意図的なものなのです。
 世界情勢はオイルショックの影を帯び、世相は暗くなっていました。それはTV作品等にも影響が及び、例えば主人公が死んでしまうラストのようなドラマも珍しくありませんでした。こうした流れは子供番組にも波及し、暗くて重い『スポ根もの』などがメインストリーム化した事象にも無縁ではないでしょう。
 そうした中で「せめてTVを観ている30分ぐらいは、子供達に暗い世相を忘れて明るい気持ちで笑顔でいてほしい」という優しい願いから『ウルトラマンT』の作風は方向付けられました(ですから〈ウルトラマンタロウ〉は〈スーパーヒーロー〉であると同時に〝子供達と等身大の感覚を持った代行者〟であり、登場する怪獣も〝子供達の遊び相手〟な感覚が強いのです)。
 企画段階から『ウルトラマンT』が目指したものは『現代のおとぎ話』であり『現代のアラビアンナイト』であったのです。
 また〈ウルトラマンタロウ〉は登場シーンにて〝掌を広げて飛び出す〟という独特のポーズを取っています。
 これは私的推測の域を出ませんだが、これは〈アニバーサリーにして決定版〉としての差別化と威風の演出の他に『掌を太陽に』をモチーフにしたのではないでしょうか?
 してみると「子供達には前向きに明るい気持ちでいて欲しい」というメッセージと合致した意図と言えます。


 こうした企画意図は個性的な〈タロウ〉というネーミングにも影響しています。
 当初スタッフは〈ウルトラマンA〉のようなカッコイイ名前を模索していましたが、なかなかハマるアイディアが浮かびません(余談ですが、その候補の中には後に『帰ってきたウルトラマン』の公式名となる〈ウルトラマンジャック〉もありました)。
 そんな中で〝円谷一〟氏が「横文字だけじゃなく日本名にも目を向けろ!」と檄を飛ばしたそうです。
 この鶴の一声で目から鱗が取れたスタッフは「おとぎ話の主人公と言えば〝太郎〟だ! 『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』『龍の子太郎』『力太郎』……と、みんな〝太郎〟が付く! それに、こうした主人公は悪い鬼や妖怪を懲らしめる存在だ! 現代のおとぎ話として怪獣退治をする〈ウルトラマン〉にピッタリじゃないか!」と閃きました。
 こうして〈ウルトラマンタロウ〉という親しみを感じさせながらもカッコイイ名前が誕生したのです。
 尚、劇中設定に於いて〈タロウ〉とはウルトラ語で〝勇気を持ち正義を愛する者〟の意とされています。



 このように『ウルトラマンT』は決してその場凌ぎの行き当たりばったりで作風構築されていたワケではなく、企画段階から計算された狙いに沿って完成されていたのです。
 よくセブン派は「あんなものは〈SF〉と呼べないから、到底『ウルトラマン』として容認出来ない」という点に固執して定番的に非難しますが、コレは『ウルトラセブン』にだけ狭義盲信した偏見による的外れと言えましょう。
 そもそも『ウルトラマンシリーズ』の原点は『ウルトラマン』であって『ウルトラセブン』ではありません。
 してみると『ウルトラマン』には〈バルタン星人〉〈ジャミラ〉〈ジラース〉〈ゼットン〉のような〈SF〉としての作風と同時に〈ギャンゴ〉〈シーボーズ〉〈ヒドラ〉〈ウー〉のように〈ファンタジック寓話〉な作風もあり、両方向性を内包しています。
 つまり『ウルトラマン』から〝リアリティーを根と敷くSF要素〟に特化したのが『ウルトラセブン』であり、一方で〝おおらかなファンタジック要素〟に特化したのが『ウルトラマンT』と言えるのです。
 ちなみに筆者は、どちらも好きです……って言うか、嫌いな〈ウルトラマン〉なんていないw
 だって〝ぼくらの永遠の憧れ〟だもの(だからセブン派が、他ウルトラマンを「あんなモンは〈SF〉として云々」って否定非難すると、すごく悲しくなるんだよなぁ……)。




 さてヒット要因のひとつであるデザインにも軽く触れておきます。
 実は、この〈ウルトラマンタロウ〉は、過去の人気ウルトラマンからイイトコ取りした〝究極のキメラ(合成存在)〟です。
 ベースになったのは一番人気の〈ウルトラセブン〉で、これに『ウルトラマンA』のゲストとして初登場した〈ウルトラの父〉の雄々しい角を付けました。そして〈ウルトラセブン〉には無かった〈ウルトラマン〉のシンボル〈カラータイマー〉を据え、更には『帰ってきたウルトラマン』で人気だった変幻自在の万能武器〈ウルトラブレスレット〉を〈前期:タロウブレスレット/後期:キングブレスレット〉として装着させたのです(ベースが〈ウルトラセブン〉でありながら真逆の路線へ向かった事も、セブン派の風当たりを強くしている要因かもしれませんね)。
 前作の〈ウルトラマンA〉が従来の型を破ろうとした開拓的意向のデザインであったのに対して〈ウルトラマンタロウ〉は〝歴代ウルトラマンの集合体〟です。これは見ようによっては保守的デザインとも言えます。しかしながら、先述の通り『ウルトラマンT』はヒットさせる使命を前提として帯びており、失敗は許されませんでした。そうした事情の中では主役たる〈ウルトラマン〉も確実に人気を得なければなりませんから、これは安牌策でもあったのでしょう。
 それに〈ウルトラマンタロウ〉は単なる合成ではなく、独自の特徴も織り込んでいます。
 それは〝パワーファイター然としたマッシブさ〟です。設定として〈ウルトラマンタロウ〉は〝ウルトラ兄弟で一番パワーがある〟とされています(これは同デザインの〈ウルトラセブン〉が技巧派である事の設定対比でしょう)。その特性を反映して、通常は胸板に仕込まれている電飾系基板を脇下へと据え、体格が厚く見えるスーツにしてあるのです。
 尚、どうしても〈ウルトラセブン〉との酷似は子供にも不思議に映るせいか、一応、劇中設定としては〝ウルトラセブンの従兄弟(ウルトラセブンの母は〈ウルトラの母〉の姉)〟とされています。

 こうした諸々の苦辛が実り、結果『ウルトラマンT』はスマッシュヒットという快挙を成し遂げます。
 そして、今度はTBS サイドから「もう一年続投しましょう」という逆オファーを受けて『ウルトラマンレオ』へと繋がるのです。
 つまり『ウルトラマンT』が無かったら、現在まで続くシリーズ展開は発生しなかったかもしれない。
 そう考えると『ウルトラ史』に於ける功績は、かなり大きい事が御分かりになるでしょう。




 先述の通り『ウルトラマンT』の下地は〝現代のおとぎ話〟で、それを〈SF〉のテクスチャーで演出したものです。だから、月から〈うす怪獣モチロン〉が地球の餅を食い尽くしに来たり、酩酊した〈酔っぱらい怪獣ベロン〉が落下してきて「もっと酒よこせ!」とクダを巻いたりするのですが……ここまで暴走したエピソード(そして、本作の特徴と機能した路線)は中盤から加速した感があり、序盤はあくまでも『怪獣もの』の範疇内でのファンタジックさでした。
 そして『ウルトラマンT』の特徴的要素としては、もうひとつ欠かせない方向性があります。
 それは〈怪奇〉です。
 実は〈ウルトラシリーズ〉に於いて〈怪奇〉は大なり小なり織り込まれている要素で、とりわけ前作『ウルトラマンA』は色濃い。
 しかしながら『ウルトラマンT』のそれは、陰湿なホラー感にあった『ウルトラマンA』とは微妙に異なり、妖怪民話的な雰囲気が強かったように思います。

 孤児の少女が売り歩く花は水子寺に咲く吸血植物〈蔦怪獣バサラ〉であった──はたして、それは彼女の社会への恨みであったのであろうか?(『血を吸う花は少女の精』)

 交通事故で死んだ妻に似せて造られた花嫁アンドロイドが、飼い鳥を〈おうむ怪獣エレジア〉と使役して自動車を無差別に襲う──そんなプログラムはインプットしていないのに……。(『幻の母は怪獣使い』)

 土地開発によって太古の封印から〈えんま怪獣エンマーゴ〉が復活! 圧倒的な妖力で〈ウルトラマンタロウ〉を翻弄し、その首をはねる! この魔物を倒すには〈科学〉だけでは無理だ! 御地蔵様の力を借りるしかない!(『タロウの首がすっ飛んだ!』)

 このような理路整然とした現実論では片付けられない異端存在が『ウルトラマンT』には平然と登場しました。
 それ以前のシリーズにて〈怪奇存在〉は何かしらの科学論による理付けがバックボーンにありましたが『ウルトラマンT』では文字通り〈合理的説明が不可能な妖怪〉が跋扈したのです(便宜的に〈怪獣〉となっていますが)。
 これは後々のシリーズに〝科学論準拠ではない妖怪怪獣〟を登場させる枠組み拡張に大きく貢献しました(『ウルトラマン80』の〈怨念セブン〉〈イダテンラン〉や『ウルトラマンガイア』の〈ガンQ〉など)。




 よく『ウルトラマンT』に対する鉄板非難のひとつとして「タロウは甘ったれで、すぐに兄弟を頼る」という主張を聞きます。
 しかしながら、これは誤認です。
 この印象を決定付けたのは強敵〈極悪宇宙人テンペラー星人〉との大攻防が描かれた前後編『ウルトラの国大爆発5秒前!』『ウルトラ6兄弟最後の日!』になります。
 このエピソードは『ウルトラマンT』に於けるビッグイベントのひとつで、最大の目玉は〝ウルトラ6兄弟勢揃いの共闘〟でした。そのためか、このエピソードに於ける〈ウルトラマンタロウ〉はファン視点でも「どうしたタロウ?」と突っ込んでしまうほど別人度が高く、すぐに弱音を吐いて「やっぱりダメだ! 助けて兄さん!」と依存しまくっています。
 ですが他のエピソードを観ると、タロウ側から兄弟に依存している描写はありません。むしろ〈ウルトラマンタロウ〉は常に自力で解決しようと尽力し、その上で兄弟側が見捨てておけなくなって自発的に助けに来るパターンです。
 とりわけ『ウルトラ兄弟を越えてゆけ!』では、次々とウルトラ兄弟を倒した大強敵〈暴君怪獣タイラント〉を単身で倒しています。
 また前後編連続のビッグエピソードとなる〈宇宙大怪獣ムルロア〉の回『これがウルトラの国だ!』『燃えろ!ウルトラ6兄弟』では地球全土が暗雲に閉ざされた大災厄でも孤軍奮闘し、最終的に自力だけでは解決出来ない窮地故に兄弟が助力しています。それも灼熱の〈ウルトラタワー〉から伝説のアイテム〈ウルトラベル〉を入手するために〈ウルトラマンタロウ〉に融合強化を施すのみで戦闘には加勢していません(ちなみに、この形態は〈スーパーウルトラマン〉と呼ばれ、後年では〝ウルトラマンを超越した伝説級ウルトラマン〟を指す総称として〈ウルトラマンノア〉や〈ウルトラマンレジェンド〉など様々な〈スーパーウルトラマン〉が登場しています)。
 つまり〈テンペラー星人〉の回ではファンサービスとして〈ウルトラ兄弟〉を立てる演出ありきで、そのために〈ウルトラマンタロウ〉が軟弱に別人化してしまったのです。そして、その印象だけが独り歩きしてしまったわけですね。

 むしろ〈ウルトラマンタロウ〉は〝一人前に成長するウルトラマン〟の代表みたいな存在です。
 まだ〈戦士〉としては経験不足な感のあった序盤──。
 地球の守人として確立した中盤以降──。
 そして最終回、彼は父を失った少年〝白鳥健一〟を勇気付けるために自らの正体を明かし、人間〝東光太郎〟として生き抜く事を約束。大空に〈ウルトラバッヂ〉を投げ捨てて〈ウルトラマンタロウ〉としての自分と決別しました……。
 多くのウルトラマンは〈ウルトラマン〉として〝地球人としての自分〟と決別し〈ウルトラの星〉へと帰還します。
 ですが〈ウルトラマンタロウ〉の着地は逆です。
 彼にとっては〝宇宙の平和〟も〝たった一人の少年の心〟も同じ重さだったのです。
 こんなに誠実な人間讃歌を示したスーパーヒーローが、他にいるでしょうか?
(もっとも後続シリーズで〈ウルトラマンタロウ〉自体は、何故か〝東光太郎〟無しで復活しているのですが……商業展開の魔力w)。
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