ウルトラセブン

文字数 11,022文字


【ウルトラセブン】
作品DATA:1967.10.1~1968.9.8/TBS 系列/全49話( ※ 第12話は永久欠番扱い)

身長:ミクロ ~ 40メートル/体重:35000トン
飛行速度:マッハ7
年齢:1万7千歳(放映期設定時:1万9千歳)
必殺技:アイスラッガー(正式表記〈アイ・スラッガー〉)/エメリウム光線/ワイドショット/カプセル怪獣 etc……
職種:宇宙警備隊太陽系支部長/1986年のUキラーザウルス戦まで〈ウルトラマンタロウ〉の代行として〈宇宙警備隊筆頭教官〉を努めていた時期もある。
人間体:モロボシ・ダン(諸星弾)
防衛チーム:ウルトラ警備隊
家族構成:父・宇宙警備隊勇士司令部前部長
     母・幼少時に死去
     兄・宇宙警備隊勇士司令部現部長
     姉・母親代わりに〈ウルトラセブン〉を
       育てた
     妻・宇宙科学技術庁科学者
     息子・ウルトラマンゼロ
趣味:水泳
備考:
 宇宙で星間侵略戦争が激化している渦中にて〈宇宙警備隊恒点観測員340号〉として地球を訪れる。
 そして、この美しい惑星も虎視眈々と狙われている事を知った事から、地球を守るべく留まる事を決意した。
 その矢先、炭鉱落盤事故に遭遇し、仲間を救うべく我が身を犠牲にした青年〝薩摩悟郎〟の勇気に感動を覚え、人知れず彼を救出するとその容姿を複写して〝モロボシ・ダン〟という〈地球人〉としての姿を得る。
 その後〈クール星人〉の侵略にて〈ウルトラ警備隊〉に助言や協力をして大きく貢献した事から、ダンは〈ウルトラ警備隊〉の隊員として迎え入れられた。
 同時に、地球人に味方する〝謎の赤い巨人〟も好意的な仲間と捉えられ〝ウルトラ警備隊7番目の隊員〟という敬意を込めて〈ウルトラセブン〉と名付けられるに至る。

 数多の侵略宇宙人と戦い続けた〈ウルトラセブン〉であったが、ダメージは慢性的に蓄積していった……。

 そんなある日、ダンの枕元に〈セブン上司〉が現れ、変身禁止と帰還命令を警告する。
 しかし、地球は〈ゴース星人〉による史上最大の侵略作戦を受け、絶体絶命の危機にあった。
 自らが変身しなければ地球は終わる……その決意にダンは〈セブン上司〉が「今度変身したら、本当に死んでしまうぞ!」という制止を無視。
 愛する〝アンヌ隊員〟へ正体を明かすと、最後の決戦へと身を投じる。
 激戦が終わり、明けの明星が輝き、ひとつの光が宇宙へと昇っていく──。
 その光景に〈ウルトラ警備隊〉の面々は悲しき喪失感を噛み締めていた。
「ダンは死んで帰っていくのだろうか……だとしたら、彼を殺したのは我々〈地球人〉だ…………」
 そんな悲嘆に、ダンの親友であった〝フルハシ隊員〟は、無理矢理笑顔を繕って答えるのだ。
「バカな事を言うな。アイツが死ぬもんか。きっといつの日か、いつもみたいな笑顔で俺達の前に現れるよ」
 明ける朝陽には、爽やかなダンの笑顔が浮かんでいたのであった……。


 後のシリーズで〈ウルトラ兄弟〉の概念が定義されると、その三男としてのポジションに収まった。
 以降〈ウルトラマン〉と双璧のシンボリックキャラクターとして、後続シリーズに度々登場する事となる。
 尚〈ウルトラ兄弟〉とは本当の兄弟ではなく、光の国・宇宙警備隊内に於けるエリートチーム名であり、その絆の強さから結成された義兄弟関係である。

※ 当コラム内ではヒーロー名を〈ウルトラセブン〉とし、作品名を『ウルトラセブン』と表記しています。

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【考察論】


 シリーズ内でも最高の人気を誇り、現在に於いても熱狂的ファンの多い作品が、この『ウルトラセブン』です。
 前作『ウルトラマン』を更にブラッシュアップして高年齢層の鑑賞にも耐えうる〈スタイリッシュSF〉として完成されています。
 各エピソードも人間風刺の示唆性に重きを起き、観賞後に一考してしまうような濃厚な作風に特化していました。
 こうした独自の特色は企画時からの計算された狙いであり、前作『ウルトラマン』のメインターゲットであった子供達が現実として成長している事を視野に入れた上での方向性でした。

 その普遍的な人気から平成初期には続編となる新作特番が数本製作されたり、パラレルワールド外伝に当たる深夜特撮『ULTRASEVEN X』が製作されています。
 更に〈ニュージェネレーション〉と称される〈平成世代ウルトラマン〉のリーダー格である人気キャラクター〈ウルトラマンゼロ〉は、彼〈ウルトラセブン〉の息子になります。
 また〈第二期ウルトラマンシリーズ〉にて〈ウルトラファミリー〉の概念が確立すると〝酷似している〈ウルトラマンタロウ〉とは従兄弟〟という設定が付加されました(彼の母親は〈ウルトラの母〉の姉に当たる)。
 ただし、こうした後発設定は嫌うファン層もいます。
 やはり本作の〈ハードSF作風〉に魅入られたファンにしてみれば〝ファミリー感〟を前面に打ち出した〈ファジーSF作風〉は容認出来ないのでしょう(私自身は熱烈な〈タロウファン〉ですが〈セブン信者〉の気持ちも分かります)。

 また、未だに誤認されている方も多いのですが、タイトル及びキャラクター名は『ウルトラマンセブン』ではなく『ウルトラセブン』が正解です。
 これは〝〈ウルトラ警備隊〉7番目の隊員〟という意味になります。
 後続作品と違って『ウルトラマンセブン』ではない理由としては、この〈第一期ウルトラシリーズ〉の頃は『ウルトラQ』の派生ヴァリエーションに過ぎなかったからです。つまり『ウルトラ+Question』『ウルトラ+マン』そして『ウルトラ+セブン』というネーミングパターンだったのです。
 このネーミング事情には少々込み入った裏事情がありまして、それは後発作品『ウルトラマンA』に起因します。
 これまで『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』と続き『ウルトラマンA』となるワケですが、実は『ウルトラマンA』も企画時点では『ウルトラエース』だったのです。
 しかし、玩具メーカー〈マルサン〉がオリジナル怪獣ソフビとして〈怪傑透明ウルトラエース〉を既に商標登録していた為、やむなく〈ウルトラ〝マン〟A〉とするしかなかった。
 以降〈ウルトラマン+ ● ● 〉というネーミング図式となるのですが、これは結果論ながら幸いだったかもしれません。
 そもそも『ウルトラ』自体は英単語ですから万人が使える為、円谷プロに拘束力はありません。ともすれば、以降も被る可能性は否めないでしょう。しかし『ウルトラマン』というキャラクター名ならば円谷プロの独占商標ですから気兼ねなく権利を主張できます。
 加えて言えば『ヒーローシリーズ』という側面も集約象徴されていますから、やはり子供心にはしっくりきます。
 ちなみに『ウルトラセブン』というネーミング源泉は〈第一期ウルトラシリーズ〉の総監修を任されていた脚本家〝金城哲夫〟氏が構想していた〝七人の原始人による原始時代コメディ作品〟である『ウルトラ・セブン』からタイトルのみを転用したのが起因となります。




 本作は『ウルトラマン』の後続作品ですが、放送開始には半年のブランク期間がありました。
 この期間中は東映のスペースオペラ作品『キャプテンウルトラ』が放送されていました。作風や世界観はまったく無関係な『非変身作品』で、人間の英雄〈キャプテンウルトラ〉が〈宇宙船シュピーケル号〉を駆って大宇宙を冒険する『古典型スペースオペラ』です。この無関係作品のラインナップ化はTBS サイド主導の〝大人の事情〟というヤツで、前作『ウルトラマン』が後半以降は〝撮って出しのアップアップ状態〟にあった事と、そもそも『ウルトラ』という流行語を自社ブランドシリーズ化したかったTBS の思惑が影響しています。ですから、他社作品にも関わらず放送当時の『キャプテンウルトラ』は〈ウルトラシリーズ第三弾〉と銘打たれていました(当然ながら、現在ではカウントから外され、独立した単品作品として扱われています)。
 ただし、こうした特異状況も『ウルトラセブン』にとって無駄ではなく、この期間を有効に使って〝バンクシーン(〝ウルトラホークの出撃シーン〟等の繰り返して使う定番シーン)〟の作成に費やされたりしました。
 そうした準備の甲斐あって、本作序盤は『ウルトラマン』よりも制作スケジュールに余裕があったようです(中盤以降は同様に苦しかったようですが)。




 先述の通り『ウルトラセブン』は、メインターゲットの子供達が成長している事を視野に入れて、高年齢児童層の鑑賞にも耐えられるリアリティーを念頭に置いて企画が練り込まれました。
 それは構成要素総てに反映されています。
 キャラクターやメカニックのスタイリッシュデザインもそうですし、各エピソードのメッセージ性や演出もそうです。
 うん、とにかく〝鋭角的〟でスタイリッシュ(物語への切り込み方も)。

 ヒーロー性として特筆したいのが、必殺武器〈アイ・スラッガー〉のカッコよさで、このシステマチックなギミックは後年の『スーパーロボット作品』に先駆けたSF感溢れる説得力でした。
 同時に実質的には〝初めて武装を使ったウルトラ戦士〟であり、一般に〝史上初の武装ウルトラマン〟として認知されている『帰ってきたウルトラマン』の〈ウルトラブレスレット〉よりも先です(そう考えると〈帰ってきたウルトラマン〉に〈ウルトラブレスレット〉を届けたのがウルトラセブンというのは、なかなかに粋な演出ですね)。
 その人気の高さから後続の〈セブン型ウルトラマン〉は〈 ● ● スラッガー〉と踏襲したり、或いは度々マニア向けグッズのモチーフになったりしています。

 また〈ウルトラセブン〉は唯一〈カラータイマーを備えていないウルトラマン〉ですが、その役割は額の〈ビームランプ〉が担い、明確なタイムリミットも設定されていません(純粋にエネルギー残量で計測され、状況によって変動するので明確化できません)。
 この理由は、そもそもキャラクターデザイナー〝成田亨〟御大が〈ウルトラマン〉に〈カラータイマー〉を据えていなかった事に由来します。近年『シン・ウルトラマン』にて再現され「斬新」と脚光を浴びていますが、本来は〝無かった〟のです。
 ところが〝子供達に危機感を把握させる為の演出〟として現場判断に〈カラータイマー〉が追加されました。
 この処置は成田氏にとって『寝耳に水』で、自身のイメージを損なわれた事に多少の憤りを感じていたようです。
 そこで〈ウルトラセブン〉では、その点を見越して額部に〈ビームランプ〉を設定しました。
 だから〈ウルトラセブン〉には〈カラータイマー〉が無いのです。

 余談ですが、デザインのスタイリッシュさに一役買っている胸部装甲は〈太陽光吸収板〉になります。



 とことんスタイリッシュさに比重を置いて構成されている『ウルトラセブン』ですが、世界観にしても〝SFリアリティー〟を強調する演出手法が敷かれています。
 前作『ウルトラマン』が〝M78星雲・光の国〟という設定だったのに対して、本作では終始〝M78星雲〟という呼称だけで〝光の国〟という呼称は用いていないのです。
 これによって〝抽象的ファンタジックさ〟はオミットされて〈SF〉としての難解理付けを強く印象付ける事に成功しています。
 また、そうした背景も影響して〈ウルトラマン〉の存在も語られず、共演もしていません……というか、そもそもこの段階では〝シリーズ作品〟ではあるものの〝同一世界観作品〟としては重きを置いて製作されていなかったのです(みなさん御存知の〈ウルトラ兄弟〉という概念は、次作『帰ってきたウルトラマン』から生じた設定になります)。

 両者を同一世界観で括った作品は『帰ってきたウルトラマン』までの小休止時期に製作された低予算ミニ番組『ウルトラファイト』──ではなく、おそらく放映時期に描かれた〝桑田次郎〟氏によるコミカライズになります。
 この漫画版では冒頭に〈ウルトラマン〉が〈ウルトラセブン〉へ〝地球防衛〟を一任するシーンが描かれています。
 これは私的推測ですが、もしかしたら円谷プロがこのシーンにインスパイアされていて、後年の〈ウルトラ兄弟〉としての拡張へと萌芽した可能性は否めないと思っています。




 私的分析論に於いて〈ウルトラセブン〉は〝人間大好きウルトラマン〟の旭北だと思っています。
 いや〝ウルトラマン〟は総じて〝人間大好き〟なんですが……殊に〈ウルトラセブン〉は極まっている。
 で、その域に同じく達しているのが、ある意味〈ウルトラマンタロウ〉です。
 ただし、その在り方は真逆になります。
 何かと比較され、総てに於いて両極端な方向性で極まっている両キャラクターですが、こうした側面から比較しても徹底して真逆なので実に面白い。
 あ、最初に断っておきますが……私は「タロウ大好き」ですが、こうした考察では下駄履き贔屓はしておりません(そもそも『ウルトラセブン』も好きですし)。あくまでも公正な視点で比較分析していますので、セブン信者の方々は誤解無きように。

 さて、まず作風ですが、これは今更言うまでもなく〝明るく楽しい『ウルトラマンT』〟と〝とことんシリアスな『ウルトラセブン』〟という方向性になります。
 また〝本格的リアルSF作品〟として突き詰めたのが『ウルトラセブン』で〝児童向け王道スーパーヒーロー作品〟として極めたのが『ウルトラマンT』でしょう。
 端的にエピソード例を挙げるなら〝無作為に故郷を破壊された怪獣が復讐に来て、防衛名目で倒しながらも善悪概念に苦悩の一石投じる〟のが『ウルトラセブン』。
 〝宇宙から酩酊した酔っぱらい怪獣が落ちてきて、水ぶっかけて帰すだけの話〟が『ウルトラマンT』w
 同じコンセプトでも、ここまで違うwww
 要は『ファジーSF(タロウ)』と『ハードSF(セブン)』の差なんですよね。
 言っておきますが、これは「どっちが上」なんて単一的な話ではありません。そもそも目指した方向性が違うんだから、そんな論は不毛で無意味。

 注目したいのは、そうした作風差異が、両キャラクターへと顕著に反映されているという事実です。

 つまり、同じ「人間大好き」であっても〈ウルトラマンタロウ〉の場合は〝自身が人間社会の内側にいる価値観〟で、だから彼には〝ウルトラマンと人間のギャップによる苦悩〟が無い。だって〝ウルトラマン〟も〝人間〟も並列だから。
 少年の純心を傷付ける大人の汚さに憤慨して〈わんぱく王子ピッコロ〉が大暴れした際に〈ウルトラマンタロウ〉は「君の怒りは分かった! だが、その汚さも〝人間〟なんだ! そして、その心に負けないように努力するのも〝人間〟の素晴らしさなんだ!」とスゴい持論を主張している。
 コレ、一見すると笑う人もいるかもですが……実はスゴい達観した真理的着地なのです。
 仏教でいうところの『中道』って概念が、まさにコレですから(つまり「人間は善と悪の両性質を内包し、その狭間にて存在している。どちらか一方だけなどという存在は有り得ず、肝心なのは〝自分自身〟がどう在るかというスタンス。だから、真っ直ぐ在るように努力せよ」という教示概念)。
 で、こんな人間讃歌へと達しているヒーローは、おそらく〈ウルトラマンタロウ〉だけで、多くは『善悪二元論』になるところです。

 ところが〈ウルトラセブン〉で、このコンセプトをやった場合は、まず〝人間に対して抱いていた理想像〟がブチ壊され徹底的に苦悩します。それでも〈ウルトラセブン〉は〝人間〟を信じていたくて、独り悶々と苦悩を抱えながらも〝人間〟を護るべく戦う事になります。そして、最後には敵を討つも相手の否定主張が拭いきれないオチと決着し、視聴者に深い示唆を投げ掛けて終わります。
 要は〈ウルトラセブン〉のメンタリティーは〝徹底したロマンチスト〟で〝人間〟という存在に強く幻想を抱いているんですよね。
 だから〝人間の汚さ〟に直面して傷付く。
 それでも〝人間〟を信じていたくて、だからまた傷付く。
 そして、どんなに憧れようが焦がれようが、彼は〈異星人〉ですから種族的差異は絶対に埋められない。
 これを先述の〈ウルトラマンタロウ〉のメンタリティーと比較すれば──その外見や作風のみならず、内面からも両極キャラクターなのは明白ですよね。
 つまり〈ウルトラマンタロウ〉は〝人間と同目線のメルヘン思考(だから〝餅つき〟もするw)〟であり、対して〈ウルトラセブン〉は〝人間に恋い焦がれるロマンチスト思考〟なんです。

 こうした性格的な差異点は後年〈ウルトラファミリー〉としての設定でも活きていて、例えば〈ウルトラマンタロウ〉が宇宙警備隊大隊長〈ウルトラの父〉と銀十字軍隊長〈ウルトラの母〉のエリート実子として温かく恵まれ家庭環境で育っている一方で、従兄弟である〈ウルトラセブン〉の母は死去していて実姉に育てられた不幸環境な設定となっています。こうした環境に在ったからこそ〝愛情〟を渇望し、ロマンチストな性格に育った──と想像すると、何ともドラマティックではありませんか?
 う~ん、後付けとはいえ、よく練られているなぁ……スペースオペラ化した〈ウルトラファミリー〉の裏設定!




 シリーズ最高峰と唱われ絶大な人気を誇る『ウルトラセブン』ですが、一方で興味深いデータもあります。
 実は放映時の人気は『ウルトラマン』を下回っており、局サイドからすればイマイチ不振だったという説です。
 これは『高年齢層の視聴に耐えうる本格的SF』を意識した作風が裏目に出たからだと言われています。
 早い話、低年齢層には難解過ぎて子供離れを起こしたという事でしょう。
 とはいえ、当時は〝子供娯楽〟自体が少なかったですから、それでも好視聴率に食い付ける事は実っていたようですが……。

 実は、こうした事象は何も『ウルトラセブン』に限らず、後年の作品群にも多く見られる面白いサブカル事象です。
 例えば『グレート・マジンガー』『人造人間キカイダー』『宇宙刑事シャリバン』『魔法のマコちゃん』『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリヲン』等がそうで、こうした作品は〝高年齢視聴層の鑑賞眼に耐えうる難解な本格派〟を意図していた為に、相対的に従来支持層の半分以上を占めている低年齢児童層には取っ付きにくくなり、結果として本放送時には児童離れの視聴率低下という苦戦を強いられています。
 ですが、狙っていた層からは高い支持を受けて固執的熱狂を孕み、そうした水面下のフィーバーが無関心層へ飛び火となって表層化──ともすれば『ヤマトブーム』『ガンダムブーム』『エヴァブーム』のような社会現象にもなっていくのです。
 仮に社会的ブームとはならなくとも、企画意図であった『本格指向への先駆的挑戦姿勢』は改めて再評価され、語り継がれる名作と化します。この背景には、放映当時に難解さから離れていた低年齢層が成長してマニアック観点を以て作品と向き合えるようになっている背景も要因としては大きい。

 大別して、エポック作品のムーブメントは二種類あります。
 ひとつは『未体験発想ながらも、時代や世相に合致した作風描写だからこそ大々的に売れた』という王道スタイル──これは『ウルトラマン』『仮面ライダー』『マジンガーZ』『秘密戦隊ゴレンジャー』『キン肉マン』『ビックリマン』『魔法使いサリー』『魔女っ子メグちゃん』『美少女戦士セーラームーン』等々……近年作品なら『ポケットモンスター』や『妖怪ウォッチ』等でしょうか。
 もうひとつは『更に踏み込んだ本格的ブラッシュアップをしたものの感覚的に時代世相には早過ぎて人気下火──ながらも、後年に再注目&公正な分析を為され、高評価を下されて〝時代に早過ぎた革新的名作〟と据えられるスタイル』です。
 平たく言えば『即興大衆受け型』か『不朽的マニアック受け型』かとも言えなくもなく、前者は〝分かり易く単純明快〟後者は〝メッセージ的で難解な作風〟とも言える。
 で『ウルトラマン』や『ウルトラマンT』は前者であり、一方で『ウルトラセブン』や『ウルトラマンネクサス』は後者。
 どちらが上で下で……ではなく、単に『ブーム確立のプロセス』に過ぎませんが、後者は固執的マニアックファン層を生み出し易い傾向にはあります。




 どのエピソードも警鐘示唆に富み、燦然たる輝きを持つ本作は、初見者が何処から手を付けても魅力を感じるとは思います。

 特に人気筋は、

 ロボット怪獣〈キング・ジョー〉の強敵ぶりに慄然を抱いたビッグエピソード『ウルトラ警備隊 西へ』

 人間社会の本質を鋭くで抉り出し、また〈メトロン星人〉との茶舞台問答とノスタルジックな夕陽決闘が伝説と化した『狙われた街』

 感涙必死のドラマティックさに語り継がれる最終話『史上最大の侵略』

 辺りでしょうか。

 ただ、私的には『ノンマルトの使者』『超兵器R1号』を推したいですね。

 この地球は元来〈海底人ノンマルト〉の物であり、現人類はそれを知らずに繁栄した後発種族に過ぎない──その衝撃的事実を警鐘されながらも、ノンマルト海底都市を発見したキリヤマ隊長は愕然ながらに吐露します──「攻撃だ……やっぱり攻撃だ」──こんな史実を認めてしまえば、人類は存続意味の根元すら見失ってしまう。
 そして和解の選択すら放棄して、一方的な大猛攻が始まる。
 そこに在るのは〝大義名分としての正義〟ではなく〝種族としての正義〟……残酷な〝正義〟です。
 しかしながら、これもまた紛れもない〝正義〟です。
 果たして〝真の正義〟とは、どちらなのでしょうか……。


 新型惑星破壊兵器〈R1号〉の実験として、生物反応が観測されない〈ギエロン星〉が選ばれた。
 が、惑星爆発の直後に、地球へと飛来する巨大生物!
 惑星には生物がいた!
 そして、尽きぬ怨念に来訪した!
 悲しき復讐の鬼〈ギエロン星獣〉が!
 この明らかな非に苦悩しながらも〈ウルトラセブン〉は使命を全うする。
「やったぞ! 敵を倒したぞ!」と勝利に酔うフルハシ隊員を横に、モロボシ・ダンは虚無感を噛み殺して呟く。「敵……ですか」
 この悲劇を繰り返さない為に、ダンは上層部へ新兵器開発を中止するように直訴した。
 斯くして、その願いは受理され、ひとまずの安堵を得るが──「これはマラソンだ……血を吐きながら続ける悲しいマラソンだ……」──彼の前には滑車で終わりない疾走を続けるハムスターの姿が在った。
 確かに〈R1号〉の開発は頓挫した……が、人類はまた新しい兵器開発を続けるであろう。
 害悪となる脅威を退ける為に……。
 悲しい犠牲を増産してまで……。
 その果てに、何が待っていると言うのであろうか……。

 この二篇は『善悪二原論価値観』を根底から揺るがす問題作で、ともすれば〈ヒーロー〉のアイデンティティーすらブチ壊し兼ねない危険なテーマを真っ向から取り扱っています。
 そして、そこに対する明答は敷かれない(この問題提議の投げっぱなしジャーマンがいいのよ! 『ウルトラセブン』は!)
 こうした『正義と悪の矛盾』を抉り込む作風は、マニアック路線が確立した近年作では当然のようにあります。
 もう現状の週刊少年ジャンプなんか『僕のヒーローアカデミア』『呪術迴戦』『チェンソーマン』と、そればっかでエライ事になっていますw
 が、この『ウルトラセブン』当時は、まだまだヒーロー文化は胎動期だったし、メイン視聴者である児童も純朴でスレていない──そうした背景を見れば、如何に本作がアグレッシブであったかが解ると思います。
 そして、だからこそ時代を越えた珠玉と輝くのです。
 だって〈テーマ〉自体が人類にとって普遍の問題だもの。
 本質が劣化するワケないじゃん?
 寧ろ先述の近年作品群のように、こうして根底では脈々と継がれてるワケです。

 また、こうした無慈悲な命題を突き付けるエピソード群が多いのは、シリーズ監修を担っていた脚本家〝金城哲夫〟氏が沖縄出身であった背景も大きいでしょう。
 彼の詳細は『ヒーローコラム:ウルトラマン』を参照にしてもらうとして、この当時は『沖縄返還運動』の渦中に在り、本土との温度差も強かった。加えて言えば戦争の残り香も、まだ強い。
 そうした風潮で自身の胸中に鬱積と圧し封じていた『正義論』をメッセージと込めたのは想像に難くありません。

 この世代に当たる創作者は、少なくとも『戦争』を肌で体験しています(幼少期であったとしても)。
 ですから、殊更『戦争』や『善悪論』を描かせた場合は(児童向け娯楽フィクションといえども)真に迫る説得力と真実味を備えています。
 それは我々『戦争を知らない世代』が逆立ちしても勝てない。
 だって、現体験が備わってないなら「戦争はいけない!」なんて正義論を語っても本当の意味での真実味は帯びないもの。
 勘違いして欲しくないのは「だから近年創作は、大した事ない稚技」なんて言っているワケじゃない。
 生まれた時代が違うんだから仕方ないし、かと言って後発創作者に〈メッセージ示唆〉や〈熱意/情熱/矜持〉が無いワケじゃない。
 これは単に『時代差』です。
 そして「あの時代は良かった云々」なんてノスタルジック至上主義で描けるほどサブカル文化はアマくない。
 やはり時代に順応した進化はしなければ意味が無い。
 ただ、その反面、我々〈後続創作者〉は先人達を敬い、リスペクトし、志と熱意を継承しようと切磋琢磨しなければいけません。
「自分達の世代じゃないし? カビ臭いし? 時代錯誤だし?」なんて〝薄っぺらな分かったフリ姿勢〟は、創作を志す者として安過ぎると思うのです。
 と、イカン……些か『創作持論』に脱線w




 この〈ウルトラセブン〉は〈ウルトラマン〉と双璧のシンボリックキャラクターですが、公正且つ客観的な分析に見ても人気面では頭ひとつ上回っています。実質的に『ウルトラシリーズ』の一番人気でしょう。
 そうしたキャラクターですから、商品も売れ筋であり、後続作品へ特別待遇に出演したり、或いは続編や外伝が製作されたり……とにかく足跡を追えば枚挙に尽きません。ぶっちゃけ、つぶさに拾えば当コラムの文字数は従来の倍以上を要し、最長文字数となってしまうでしょう。
 なので、今回は最低限の要点に絞り、かなり割愛した駆け足となっております。
 御了承下さい。
(それでも既に当コラム史上最長レベルの文字数になっていますけどね?)

 御詫びにセブントリビアをひとつ──。
 最終話にてヒロイン〝アンヌ隊員〟へ正体を明かして、満身創痍ながらに変身する感涙必至な別れのシーン──「西の空に明けの明星が輝く時、ひとつの光が宇宙へ飛んでいく……それがボクなんだよ!」
 感動的にして伝説的な名台詞……ですが!
「あれは失敗しちゃったよねぇ。だって〝明けの明星〟が輝くのは東の空で、西の空には出ないもの(脚本演出家:実相寺昭雄 談)」
 じ……実相寺大先生~~~~ッ?
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