妖精

文字数 10,295文字


 多くの人が〈妖精〉と聞いて連想する像は〝背中から蜻蛉の羽根が生えている小人(主に美少女)であり、朗々と明るい小悪魔的な気分屋さん〟という感じでしょうか。
 ですが、この像は〈妖精〉の中でも〈ピクシー〉と呼ばれる種であり、そもそも〈妖精〉とは〝カテゴリー全般〟を指す広義的な名称。
 つまり冒頭の解釈は〈妖怪〉を説明する際に〈河童〉だけを特化に扱って「コレが〈妖怪〉という像です!」と断言しているようなものなのです。
 実際に〈妖精〉とは相当に広義的なカテゴリーで、性質も容姿も様々……。
 例えば〈デュラハン〉は〝自らの頭を小脇に抱えた首無し騎士〟というとてもおどろおどろしい像で、一見には〈アンデッド:不死者〉にしか見えない。しかしながら、れっきとした〈妖精〉です。
 また、水死した馬の魂が変じたと云われる水体怪馬〈ケルピー〉もまた妖怪然としたキャラクターながらも〈妖精〉の類。
 ファンタジーのザコモンスターである〈コボルト〉の場合、現在定着した〝犬頭の亜種族〟という像はゲーム文化で拡張リファインされた設定で原点となる民俗伝承とは別物に新生。これは〈ゴブリン〉〈トロール〉も然り。
 他には〈ドワーフ〉も現在の〝カッチリとした背景設定に在る亜人種族〟というのはファンタジー作品『指輪物語:ロード・オブ・ザ・リング』にてリファイン創作された像で、原点としては『白雪姫』に登場する〈七人の小人〉の方が比較的に正しい。
 忌避対象と怖れられている〈ライネック〉は、その悪質さから〈悪魔〉に近しい印象に在るものの、分類としては〈妖精〉とカウントされます。
 赤い三角帽子を魔力源とする海魔〈メロー〉は〝魚の下半身をした裸身美女〟という容貌から広義的に〈人魚〉の亜種とされますが、同時に正当なカテゴライズに於いては〈妖精〉です。
 或いは家人に死の不幸が訪れる予兆宣告として遭遇する長髪喪服の女怪〈バンシー〉は、ひたすらに泣き濡れて当人を指差して消える……と、なんともはや〈幽霊〉のような薄気味悪さですが、コレも〈妖精〉。
 才覚を眠らせている芸術家に恋をして才能開花を授ける美女〈リャナンシー〉は、その代償として精気(寿命)を消費させるという〈夢魔〉や〈牡丹灯籠のお露さん〉を彷彿させる〝精気吸い〟の恐怖に在りますが、コレも〈妖精〉です。
 イギリス英雄譚『アーサー王伝説』に登場する強大な魔女〈モルガン〉は、それ以前の古代英雄〈ク・ホリン〉を主役とした叙情詩伝説『赤枝の戦士団:レッド・ブランチ』に登場した〈モルガン・ル・フェ〉を原点としてリファイン創作されたキャラクターですが、この〈モルガン・ル・フェ〉は〈モルガン〉同様に〝強大な魔女〟と描かれながらも、やはり本質は〈妖精〉に分類される。
 美女だけではなく〝妖婆〟の類は〈ハグ〉と総称されており、見た目や性質は山姥然としていながらも広義的に〈妖精〉にも含まれます。
 また〝雪だるま〟は〈ジャック・フロスト〉と呼ばれるユーモラスな〈妖精〉です。
 ちなみに種としての狭義的な〈フェアリー〉は〈ピクシー〉と同方向性のデザインながらも、やや大きく、背中に生えている羽根は〝蜻蛉〟ではなく〝蝶〟という説も在ります。

 このように、一概に〈妖精〉と言っても、実に多種多様で実態を一律化定義できる存在ではありません。
 つまり、そもそも〈妖精〉は洋の東西による文化的差異を根底にすれども本質自体は我が国の〈妖怪〉と同定義存在と解釈していい。
 要するに日本では〈妖怪〉と総称される類が、西洋圏では〈妖精〉と総称されているというワケです。
 しかも、特定地域に発祥が限定されているワケでもなく西洋圏に雑多点在的に発生……当然ながらバックボーンも異なります。
 それらを具に収録していては、とてもではありませんが『コラム』など書けません。
 いくら抜粋に拾い上げたとしても無理。
 ですので、本項では主に〈ケルト妖精:イギリス系妖精〉を軸と据えて綴りたいと思います。
 何故ならば、やはり〝妖精のメッカ〟と呼ばれているのはイギリスであり、また〈ケルト妖精〉こそが〝現妖精文化の原点にしてメインストリーム〟と呼べるからです。



 まず触れておきたいのは発祥経緯でしょう。
 この〈妖精:ケルト妖精〉という種は、そもそもケルト神話の神々〈ダーナ神族/ダナン神族:トゥアハ・デ・ダナーン〉の霊落新生化した存在です。
 とはいえ他国土着神とは事情が少々異なり〝時代の移り変わりに求心力を失って自然と霊落した〟のではありません。
 そこに大きな影を落としたのは〈キリスト教〉の宣教伝来。
 世界各国に進出した〈キリスト教〉は改宗化をスムーズに行うべく、その土地その土地の土着神に〝人心を惑わした〈悪魔〉〟という烙印を押して否定排斥してきました。
 一神教である彼等にしてみれば、自分達が崇拝する〈神〉以外の存在を認める事が出来ないからです。
 当然、この流れはイギリスにも及びました。
 ところがアイルランドへの布教使命を帯びた宣教師〝聖パトリック〟は、この処置に板挟みの思いを噛みます。
 彼はイギリス・ウェールズ地方出身であり、十六歳の頃に海賊の捕虜となった後、アイルランドに人身売買されて〈キリスト教〉へと帰依したという波乱の人生に在ったからです。
 なので、こうした〈土着神〉が土地に住まう貧しき者や苦しむ者にとって〝心の拠り所〟になっている現実を実体験から知っていた。
 そうした複雑な心境から独断処置で取った救済的方便が「こうした存在は〈悪魔〉でも〈神〉でもない〈妖精〉という矮小存在であり、天国へ行くほど崇高ではないが〈悪魔〉のように邪悪でもないので現世に隠れ住んでいる」というものでした。
 これが〈ケルト妖精〉の誕生経緯です。

 で、ちなみにこれと同質プロセスにて誕生したのが日本の〈妖怪〉になります。
 彼等のほとんど( ※ 総てではない)もまた〈八百万の神々〉が霊落新生した存在であり、その背景に大きな原因と影を落としたのは、やはり〈大乗仏教〉の布教伝来です。
 ところが西洋圏と異なる背景として〈仏教〉が〝多神教〟であったのは大きい。
 幾多の神々が存在して然るべきと捕える宗教性質ですから、土着神でも有益と判断されれば〝そういう仏教神〟と新設定付加にて組み込んだワケです。
 で、仏教も神道も〝多神教〟でしたから相性抜群だった。
 例えば民俗信仰の篤かった〝お稲荷様:天狐〟は〝陀岐尼天〟として組み込まれ、或いは〝迦楼羅天〟は〈ヒンドゥー神話〉の〝ガルーダ〟ですし、同じく〝竜王〟はガルーダの宿敵であった蛇族〝ナーガ〟です。
 最高位の〝仏様〟は〝大日如来〟としての顔を持ち併せますが、この〝大日如来〟というのは即ち神道最高位たる〝天照大御神〟のリファインです。
 つまり〝仏様〟は〝ブッダ:実在教祖〟に各神話宗教の最高位を次々と吸収進化したからこそ〝万事オールマイティな究極存在〟と化していったワケですね(畏れ多くて申し訳ない例えだけど『ドラゴンボール』の〈セル〉みたいだなw)。
 概ね〈~天〉という呼称の神仏は他神話宗教から取り込まれた背景が色濃いです。
 ところが総ての神様が吸収されたワケではない。
 あくまでも〝有益と判断された有名処〟のみです。
 そりゃそうだ。
 多神教の〈神様〉は星の数ほどもいます。
 だから〈八百万:やおよろず〉と称される──これは『八〇〇』という具体的数値を指すワケではなく、古来より日本語では『八百=数えきれないほどたくさんの~』という意味で、身近な名残では『八百屋』というのもそれに当たります(江戸時代辺りの八百屋は雑貨店的な性質もあり品数が雑多に多かった)。
 という事は〈日本土着神〉は『八百万:八百+万』ですから〝途方もない数〟という意になり、転じて〝無限にいる〟という事にもなる。
 従って、全存在を把握する事すら不可能……有名処には絞られるのは当然で、そうした中で〝拾い上げられなかった無名神〟が霊落処置にて〈妖怪〉と新生したワケですね。
 ここまで触れてきたように〈妖怪〉も〈妖精〉も発祥は〈土着多神教:八百万神/ダーナ神族〉であり、そもそも〈多神教〉の根幹は〈アニミズム:精霊崇拝〉です。
 これは『森羅万象あらゆるものに〈魂〉が宿っている』という概念。
 人間や動物といった〈霊魂〉の他にも天候や化学反応といった自然現象にも〈精霊〉がいると考え、そればかりか日本では〝器物〟にすら宿ると拡張解釈されています。
 そうした〝モノ〟が化生となれば〈妖怪〉と生まれ落ちる。
 つまり〈妖怪〉と〈神様〉は表裏一体とも言え、この事例を端的に示すならば元来〝動物霊〟に属する狐は〈稲荷明神〉と崇められ、同じく狼や犬は〈犬神〉と畏敬され、器物型妖怪は〈かまど神〉や〈付喪神〉と称されるワケです(これらには〝神〟という語が括られている)。そして時として、これらを〝御神体〟と祭る神社すら在る。
 この〝大らかな信仰概念〟は〝戒律大前提の宗教概念〟よりも非常に素直で自然体な在り方とも言え、他にはインディアンが大自然と共存訓示の根とする崇敬概念〈マニトゥ:聖霊〉〈トーテム:獣精霊〉とかも同様。
 つまり地域性による微々たる差異を孕みつつも〈妖怪〉〈妖精〉〈トーテム〉等は同質の存在と考えて善い。
 この辺りはかねてから〝水木しげる〟御大が唱っており、そのユーモアに富んだ的確な分析論を拝借すれば「妖怪と妖精は同質ではあるが、西洋では日本と違って〝美〟の要素が強く含まれる。日本では女性に対して『まるで妖精のようだ』と褒めれば喜ばれるが『まるで妖怪のようだ』と言えばえらく怒られる」という事。
 この論は端的ながらもまったく以って的確であり、私的にも非常に同感なのですが、日本に於ける『妖精学』の第一人者〝井村君枝〟女史は著書『ケルトの神話(ちくま書房刊)』で「妖精と妖怪は類似プロセスながらも異なる存在」と否定論を強調展開──するも、後年に執筆された著書『ケルト妖精学(同社刊)』では一転して「妖精と妖怪は地域性差異を孕みながらも本質は同じ概念」と水木しげる御大と同持論に着地しています。
 この心境変化には私も些か違和感を覚えたものですが、私の個人的解釈ながらも〝続刊執筆までの期間に〈妖怪〉という異質差異対象の本質に御理解を示された〟のかもしれません。
 つまり『ケルトの神話』の頃(著者近影を見るに御若い)には〈妖精〉に精通している反面〈妖怪〉に対して些か軽視的な感情を抱いており「あんな奇妙キテレツなバケモンと〈妖精〉を一緒にするな!」と些か快く思っておらず、しかしながら『ケルト妖精学』執筆(著者近影を見るに御歳を召されている)までの間に〈妖精〉研究の拡張として〈妖怪〉も改めて寛容な観点にて分析し直してみて「ああ、なるほど……洋の東西による文化差異だけでテクスチャーを剥げば本質は同じだなぁ」と。
 のみならず、この頃の井村君枝女史は、より寛容的な独自分析論を提唱しています。
 時代の潮流に於ける〈妖精〉の変質として『サブカルチャーを媒体とした進化』……つまり神話伝説から文学や演劇や映像作品等に活躍媒体が推移した点に触れ、その中で「例えば〝ドラえもん〟や〝R2ーD2:『スター・ウォーズ』〟等も、そのポジション性質や役割から分析すれば〈現代型妖精〉と言える」と大胆な定義を提唱しているのです。
 一見には突飛強引な我田引水論にも映りますが、私的には全然おかしくない〝正論拡張定義〟です。
 これまでの『モンスターコラム』でも触れましたが、妖怪&怪物というのはサブカル影響で変質進化する事が侭あり、ですから〈ゴジラ〉は〝科学的テクスチャーで新生した核暗喩ドラゴン〟ですし、同じく『フランケンシュタイン』は『ブレードランナー』へと組み直されています。何なら『ウルトラマンタロウ』は『SFヒーロー作品』というテクスチャーを剥げば作品本質は『現代の御伽話』です。
 こうした論だと一般層は表層的な印象や設定に囚われて「それは強引www」となりがちですが、実は〝その着地〟の方が短絡的であり「送り手の戦略に翻弄されている」と言える。
 見据えるべきは(殊に発信者として堅実な肥とするならば)〝本質:核〟の方です。
 そうした観点から分析すれば全然的を射ており、確かにSFテクスチャーを剥げば〈ドラえもん〉は〝ワクワクとした不思議世界から日常へと溶け込んだ親しみ易い魔法異質〟以外の何者でもないし、また〈R2ーD2〉は〝作品のマスコットと機能しながらも時として重要な役割を齎すトリックスター性質〟という演出から〈妖精的存在〉と形容出来ます。
 私的に惜しむらくは井村君枝女史が『ジャパニメーション文化』に明るくなかった点で、そこへ踏み込めば実に多種多様な『近代型進化に在る妖精的存在/近代型妖精物語』は豊富に溢れています。
 女児向け王道作品の『魔女っ子』や『プリキュア』は言うに及ばず〈R2ーD2〉よりも悠に〈SFテクスチャー妖精〉と呼ぶに相応しいロボットキャラクター『ゴールドライタン』や『勇者エクスカイザー』等……王道変身ヒーローシリーズたる『スーパー戦隊』では『激走戦隊カーレンジャー』なんかもファジー作風は通じています(〝自動車の星座が見える〟とか「クルクルクルマジック」なんて荒唐無稽な呪文魔法とか)。
 殊に『聖戦士ダンバイン』を御存知なかった(と思われる)のは残念ですよね……アレは寸分違わず『ケルト英雄物語』の直球設定ですから(独自性に在ると評される舞台〈バイストンウェル〉の設定なんかは妖精の棲まう幻界〈ティル・ナ・ノグ:常若の国〉そのままですし、独自ロボット〈オーラバトラー〉には妖精名を冠したものが多数)。
 このように視野広く拾い上げれば、サブカルに於ける〈妖精〉の投影は多数見受けられます。
 童話やファンタジー文学のみならず、それこそ映画やアニメ等多数です。
 おそらく〈天使〉や〈悪魔〉と違って〝使い勝手の良さ〟は大きいでしょう。
 どうしても〈天使/悪魔〉を据えると壮大な作風となり、ともすれば『黙示録』的叙情篇が展開定石となりますから。
 対して〈妖精〉の場合は〝ちょっと不思議要素〟程度にも〝軽視出来ない重要ファクター〟にも化け、日常とスペクタクルを自在に行き来できる。
 加えて言えば、その愛らしくユーモラスなキャラクター性は〝作品の雰囲気を身近に感じさせるムードメーカー〟としても機能します。
 要するに〝適度に使い勝手が良い〟という事でしょう。



 さて『聖戦士ダンバイン』の舞台〈バイストンウェル〉の設定は、妖精の棲まう幻界〈ティル・ナ・ノグ:常若の国〉そのまま……と先述しましたが、これは〈ケルト妖精〉を語るに外せない項目なので触れておきます。
 夢幻種族〈妖精〉──即ち〈霊落したダナン神族〉は、人間には立ち入れない禁域世界〈常若の国:ティル・ナ・ノグ/ティル・ナ・ノーグ〉という理想郷に棲んでいるとされています。
 というか、この〈ティル・ナ・ノグ〉だけが突出した知名度になってしまいましたが、そもそもは点在する〈妖精の塚〉のひとつで、他にも〈マグ・メル:楽しい国〉〈マグ・メル:喜びヶ原 ※ 前述〈マグ・メル〉とは同称別物〉〈イ・ゼラブル:至福の島〉等が在るそうです(まぁ〝塚〟とは呼んでも、そこは立派に広大な異界なのですが……)。
 この〈ティル・ナ・ノグ〉は「地の底に在る」とも「海の彼方に在る」とも云われ明確な所在は不明ですが〈理想郷〉と呼ぶに相応しい閑雅潤沢な美しい世界です。豊かな自然はもちろんの事、街並みも整然とした美観に建ち並び、実る果実は美味なだけでなく魔法効果も帯びている。
 魔法の霧〈フェート・ディアダ〉をヴェールとしているため〝人間〟は立ち入るどころか目にする事も叶いませんが、稀に妖精側が招き入れる事もあります。
 そして〈常若の国〉と呼ばれるように、そこでは年齢を取らないのです……が、厳密には『時間経過が異なる』と解釈した方が正しく『その地から現世へ戻ると一年滞在だけで百年も経過していた』というような展開が定番(日本人ならば御伽話『浦島太郎』がピンと来る類型)。
 件の〈バイストンウェル〉は『海と大地の狭間に在る魂の行き着く世界:ある種の幽界』と設定されており、これは〈ティル・ナ・ノグ〉そのもの(自然豊かな中世建築世界というのも)。
 他にも『魔法のプリンセス ミンキーモモ(初作)』では〝かつて栄華を誇った魔法種族が霊落して〈海底王国マリンナーサ〉に住んでいる〟とされていますから、これもまたメルヘンポップ描写にアレンジされつつも〈ティル・ナ・ノグ〉そのままです。
 生息地を限定しなければ『魔法少女』や『プリキュア』等でも〈妖精の国:現世から退いた霊落矮小化魔法種族によるコロニー〉は鉄板中の鉄板設定であり、この図式のルーツはやはり〈ティル・ナ・ノグ:妖精の塚〉にあるワケです。
 ケルト人は〝現実世界〟と〝死後の世界〟が密接な延長上(或いは不確定な隣り合わせの幻界)に在ると考えていました。
 だからこそ〈ティル・ナ・ノグ〉や〈妖精の塚〉は、完全に〈死後の世界〉へと行く前に一時滞在する幽界とも機能しています。
 彼の有名な〈アーサー王〉を始めとして〈ク・ホリン〉や〈フィン・マックール〉といった怱々たる英雄も此処に挙って永住しており、年に一度の降霊祭〈ハロウィン〉となれば両世界を繋げる理が生じるので馬を率いて海を渡った帰郷をするワケです。
 うん、そもそもはこうした〝先祖霊が帰郷するので再会を喜び祝う日〟であって〝オバケの無礼講〟ではない(それは〝霊界と繋がったために生じる副産現象〟に過ぎない)。
 今更だけど〝西洋版お盆〟であり、もっと厳かな意味合いを持つ日なのです。
 この辺りの概念を鑑みても、かなり日本人に近しい民族性格と言えます。



 英訳として〈妖精〉は〈フェアリー〉と総称されますが、他にも〈妖精〉を指す呼称が幾つかあるのを御存知でしょうか?
 ひとつは〈シー〉という呼称で、注意深く見れば〈シー〉を冠した〈妖精〉は多数います──〈ケット・シー〉〈リャナン・シー〉〈バン・シー〉〈クー・シー〉と、これらは全て〈シー〉が織り込まれている(何よりも〈ピク・シー〉w)。
 少々脱線的なトリビアを記しておきますと、似たようなネーミングスタイルを持つのが〈天使〉と〈悪魔〉になります。
 まず〈天使〉ですが、末尾が『~エル』で締められている存在がほとんど。
 まぁ、一部には〈メタトロン〉〈ドミニオン〉のように冠しない天使もいますが、それでも全体と言ってもいい大多数が『~エル』を末尾据えにしています。
 有名どころでは〈ミカエル〉〈ガブリエル〉〈ルシフェル〉〈ラファエル〉〈ソフィエル〉〈ウリエル〉……ピックアップすれば枚挙に尽きない。
 この『~エル』は『神/神の~』を意味する語で、即ち彼等の名前は『神の●●』という意味になるワケです。
 一方で〈悪魔〉の場合、逆に総てではないものの『バル/ベル』を名に冠する者達が一部多数に見受けられます。
 例として〈ベルゼバブ/ベルゼブブ〉〈ベリアル〉〈ベルゴルーフェ〉等……これは〈魔王バアル〉に由来しています。
 この〈魔王バアル〉は原初的な誕生背景を持つ大悪魔であり〝地獄の最初の支配者〟とも云われる強大な存在です。
 つまり、この名を冠する悪魔は眷族設定であり、その強大な畏怖印象を付随させられた特級扱いという事になるのです。

 もうひとつの妖精異名は更に歴史を遡り、それこそ原初的な呼称ですが〈フェ/フェイ〉というもの。
 先述した〈モルガン・ル・フェ〉が、そうですね。
 現在は死語化しているものの、イギリス英雄伝説としては最も古い『赤枝の戦士団:レッドブランチ』時代には、この〈フェ〉という語が用いられていましたから由緒正しい呼称と言えます。

 ついでに蛇足ながら、もうひとつ……まぁ、これは公式な呼称と言うよりは便宜的民俗異名という感じですが〈グッドピープル:いい人達〉というのもあります。
 御存知の通り、大概〈妖精〉というのは〝単純な気分屋〟ですから〝何〟が原因で癇癪を起こすかわからない。
 なので、機嫌を損ねて逆鱗に触れないように〝おべっか〟を意図した呼び方です(更に蛇足を書くならば、似たような別称例として〈悪魔〉に対してフランクな親しみを装った〝ニック〟というものもあります)。
 矮小存在とはいえ、その摩訶不思議な魔法性質は人間にとって脅威でしかありませんから、上手に御機嫌を取って付き合う術だったのですね。
 ですが、ここで興味深いのは、これは如何にイギリス人にとって〈妖精〉が親しい近隣者であったかを裏付けている立証という点です。
 この辺の感覚に於いても、我が国の〈妖怪〉との付き合い方に近しい。
 思えばイギリス人は〈幽霊〉に対して非常に強い関心を抱いている国民性でも有名です。
 こうした性質を鑑みれば(当人達は無自覚かもしれませんが)根の部分に於いて我々〝日本人〟と同じく〈アニミズム:精霊に対する畏敬概念〉が色濃く遺伝しているとも受け取れ、その点に於いては万事を〈二元論〉に割りきってしまう〝アメリカ人〟とは少々異なる人種性なのかもしれません。
 ともすれば、そこまで〝シビアな二元論思想〟に染められず〝おおらかでファジーなアニミズム〟を残せたというのは、やはり〈妖精〉という形で土着神が実生活に密接な関係性に伝承していたからとも分析でき、では、それは何故かと突き詰めれば〝聖パトリック〟による寛大な応急処置は大きな意味を遺したとも言えるでしょう。



 妖精の齎す災厄として恐れられているのが〈チェンジリング〉と呼ばれる所業で、和訳すれば〝取り替え子〟というもの。
 これは母親が目を離した隙に、揺りかごの赤ん坊を自分達〈妖精の子〉と擦り替えてしまうという『カッコウの雛鳥』そのものな悪戯です。
 とはいえ〝目的意識〟は分からないのですが……。
 しかしながら、残酷にして洒落にならない悪質さには在ります。
 母親自身が看破しなければ、赤ん坊は帰って来ないのですから……。
 しかも総じて〈妖精の子〉とも早々に別離が運命付けられています。理由としては〝ある日、忽然と消えた(妖精の国へ帰った?)〟とか〝短命で死んだ〟とか様々ですが〝必ず〟です。無論〝我が子〟は帰って来ません。
 対処法としては『焼いた鉄箸を口の中へ入れる(或いは入れようとする)』というのが有名で、これを見兼ねた親妖精は泣きながらの懇願に我が子を連れ去り、赤ん坊を返します。
 ……いや、この対処は無理ゲーだろ。
 コレは、もはや狂気めいた幼児虐待だろ。
 更には『脅し文句を添える』なんてver.もあるし。
 或いは、これよりもソフトな対処方法として『眼前で玉子の殻を醸す』というのもありますね。
 奇行に興味津々となった〈妖精の子〉は我慢しきれずに「お母さん、何をしているの?」と訊うてきます(赤ん坊が〝喋れない〟という前提演技を忘れてまで)。
 これに動ぜず「玉子の殻を醸しているんだよ」と答えれば「コイツはおかしい! オレは何百年も生きているが、玉子の殻を煎るバカなんて見た事もないや!」と悪態嘲笑に去ります(赤ん坊も返されます)。
 真相は判りませんが、こうした民俗伝承には教訓が込められているのが常なので、これもそうなのでしょう。
 おそらくは「何が起こるか判らなくて危ないから赤ん坊から目を離すな」という訓示かもしれません。もちろん現実的な意味で。
 多くの場合〝暖炉前の揺りかごで寝ている赤ん坊〟というシチュエーションがポイントで、それこそ引火や脱水症状等は怖いですからね。
 殊更、まだまだ〝母親〟としての自覚意識が薄いであろう若輩へ向けた可能性は高いと考えています。



 かなりの割愛に伝えたい要点を絞り込みましたが、やはり語るべき点はまだまだあります。
 しかしながら文字数的にだいぶ綴ったので、そろそろ締め括りとしましょうか。

 最後に面白くも稀有な情報を記しておきます。
 この〈妖精〉を始めとしたケルト系伝説や民俗学に於いて、これまでは前提基礎知識として〈島のケルト:アイルランド系民族〉〈大陸のケルト:イギリス大陸系民族〉という民族分派が存在したと云われ、それによる文化や風習の違いがあるとされていました。
 が、近年になって「そんな枝分かれは存在しなかった」とバッサリ否定されてしまったのです。
 これはかなり大きな転機であり、軽視に看過出来ないトンデモ重要項目。
 何故ならば、これまで『ケルト民俗学』が蓄えてきた知識の根幹を覆すものですからね。
 が、このように突然にして〝累積常識〟が転覆するのも『歴史』の面白味ではあります。
 例えば『恐竜は原初鳥類からの派生進化で羽毛が生えていた』とかね?
 まさに『事実は小説より奇なり』を地で行く史実展開ですが、もしかしたら我々〝人間〟は、これまで〈妖精〉の魔法に翻弄されていたのかもしれません。
 そして、これからも〝気付かぬ些細な事柄〟として〈魔法〉は掛けられ続けるのでしょう。
 貴方の〝日常〟の片隅にも〈妖精〉の片鱗は感受できるかもしれません。
 普段は〝現実〟の忙しさに気付かないでいただけで……。



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