吸血鬼ドラキュラ

文字数 5,107文字


【考察論】
 名実共にナンバーワン・モンスターであり、知らぬ者などいないビッグスターが『吸血鬼ドラキュラ』の〈ドラキュラ伯爵〉でしょう。古今に於いて〈吸血鬼キャラクター〉の代名詞的存在です。
 原作は〝ブラム・ストーカー〟による怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』になります。

 キャラクターモデルはルーマニアのワラキア君主〈ブラド・ツェッペシュ〉であり、敵兵を尻から頭まで串刺しにして野一面へと晒した残虐性から〈串刺し公〉の異名で恐れられました。
 しかし、この人物は確かに冷酷残虐な性格ながらも、単なる猟奇的異常者ではありません。
 実は機知才覚に長けた人物でもあり、件の串刺し刑にしても圧倒的な兵力で進軍してくる敵〈オスマン・トルコ軍〉に対する恐怖効果を狙った起死回生の奇策でもあります。
 ですから現在でも他国からの忌避的印象に反して、母国ルーマニアでは『英雄にして名君』と誇られているようで、そういった点では我が国の〝織田信長〟と重なる印象を筆者的には拭えません。
 そして、彼のもうひとつの異名が〈ドラクル公/ドラキュラ公〉であり〝竜の子/悪魔の子〟という意味になります(そういえば信長公も自らを〝天竺第六天魔王の化身〟と名乗っていたなぁ……)。
 これがストーカーの着想になるのですが、実際には〈ブラド公〉から拝借したのは異名と残虐な忌避イメージだけと言えます。事実、小説に於いては人物像や史実に言及した描写は無く、もはや〝異名を借りたオリジナルキャラクター〟に過ぎません。
 この〈ドラキュラ伯爵/ブラド公〉のエピソードについて現在では知る人も多いところでしょうが、実はもう一人モデルとされている人物がいます。
 ストーカーは劇団の脚本家も勤めていたのですが、此処の支配人は商業的冷淡さを持った高圧的人物で、ストーカーの草案に対して「こんな物はヒットせん! 二束三文だ!」と酷評して、時には草稿を眼前で破り捨てる暴挙もあったそうです。
 一説では、この遺恨が〈ドラキュラ伯爵〉の性格に落としてあるとも言われています。

 また〈ドラキュラ伯爵〉の因縁たる宿敵と言えば、老練賢者〈ヴァンヘルシング教授〉ですが、こちらにもモデルがいます(ちなみに、これも誤認されていますが〈ヴァン・ヘルシング〉ではなく〈ヴァンヘルシング〉が正解です)。
 プロット構想時にアドバイザーを担ったブダペスト大学東洋語教授〝アミュウス・ヴァンペリ〟が、その人となります。
 実はストーカーに〈ブラド公〉の事を教えたのは彼であり、以降は要点を教示される間柄となります。
 そして、その聡明さと温厚な人柄に惚れたストーカーが〈ヴァンヘルシング教授〉としてイメージを落としたのです。




 さて『吸血鬼ドラキュラ』は『吸血鬼作品』の代表格ですが、誤解してはいけないのは〝元祖〟ではないという点です。
 この作品以前にも『吸血鬼(著:ポリドリ)』『吸血鬼カーミラ(著:レ・ファニュ)』等の吸血鬼小説が、既に存在していました。
 殊に『吸血鬼カーミラ』は直系的影響作品であり、この作品に強くインスパイアされたストーカーが〈男性吸血鬼〉へと転化して生み出したのが『吸血鬼ドラキュラ』なのです。
 よく『女版ドラキュラ』と認識される〈カーミラ〉ですが、吸血鬼史的には彼女の方が先です(亜流は〈ドラキュラ伯爵〉の方なのです)。
 そして、実は〈ドラキュラ伯爵〉にしても〈カーミラ〉にしても〝陽光〟では死にません(ガーンw)。
 ドラキュラ伯爵は夕方には街辻を徘徊していましたし、カーミラ嬢に至っては昼過ぎから散歩の御時間です。ただ〝日中は誘眠の呪縛が強い〟のと〝コンディション的に本調子ではない〟だけです。
 吸血鬼退治の王道鉄板『陽光で焼死する』という決定打は、ドイツの非公認ドラキュラ映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』のラストシーンに起因します。おそらく画的にも映えますし『悪魔の化身が神聖な光には耐えられない』という分かり易い演出でもあったのでしょう。
 この無声映画こそ『ドラキュラ映画』第一号なのですが、ブラム・ストーカー遺族に版権許可を求めたものの許可が下りず、吸血鬼を〈オルロック伯爵〉と改名し、主舞台をロンドンからドイツへと設定変更して半ば強行的に上映へと踏み切りました。しかし、物語骨子は明らかに『吸血鬼ドラキュラ』でしたからストーカー遺族から無許可製作を訴えられて敗訴となり、全フィルムが焼却処分とされて、長らく『伝説の作品』と化していたのです。しかしながら、一部劇場に現存したフィルムが発見され、今日ではビデオやDVD にて鑑賞する事が出来ます(筆者も持っています)。陰影を巧みに扱った上品な演出手法は「さすがドイツホラー!」と感嘆してしまう事頻りですので、機会があれば鑑賞する事を御勧めします。歴史的価値も大きいですし……。




 今日までの〈ドラキュラ伯爵〉のイメージは、戦前のユニバーサル映画『魔人ドラキュラ(1931年)』にて〝ベラ・ルゴシ〟が演じた像か、或いは戦後のハマー版『吸血鬼ドラキュラ(1958年)』にて〝クリストファー・リー〟が演じた像になります。その他にも〝ジョン・キャラダイン(『フランケンシュタインの館』)〟〝ロン・チェイニー・Jr(『夜の悪魔』)〟〝ゲイリー・オールドマン(『ドラキュラ』)〟など幾人もの俳優が演じましたが、やはり両雄が演じた像は越えられないようです。
 そもそもルゴシは『舞台版ドラキュラ』で〝ドラキュラ役〟を鉄板としていました。
 この頃『ドラキュラ』は、映画製作に先駆けて様々な劇団で興行されていた人気娯楽で、無論〝ドラキュラ俳優〟も劇団毎に多数いました。
 が、ルゴシは突出した存在で、そのダンディな色気から女性層の人気が高かった舞台俳優です。要は現在でいう『イケメン人気』で、その人気ぶりは舞台鑑賞していた女性に卒倒者が出たという逸話からも窺えます。
 ちなみに、この頃の〈ドラキュラ伯爵〉は劇団によって衣裳が様々で〝黒タキシードに黒マント〟というスタイルは〈ルゴシ版ドラキュラ〉が扮していたものと言われています。してみると、ルゴシこそ〈ドラキュラ伯爵〉と二人三脚を運命付けられた役者であったのかもしれませんね。
 さて、この『舞台劇ドラキュラ』は、あまりの人気からブロードウェイでの演目と決定しました。
 この時、ルゴシは「当然〝ドラキュラ役〟は自分にオファーが来るだろう」と自信に満ちていましたが、結果は選考されず、大変落ち込んだそうです。
 そして、この『ドラキュラ人気』に目をつけたのが、ユニバーサル社の名プロデューサー〝カール・レムリ・Jr〟になります。
 彼はユニバーサル会長〝カール・レムリ〟の息子であり、その手腕から諸々のヒット作を打ち出して同社の興業成績を伸し上げました。
 その業績に快くしたカール・レムリは、息子への誕生日プレゼントとして『好きな映画を一本作る権利』を与えたのです。
 はてさて、このJr、実は『ホラー好き』であり、常々「いつか我が社でもホラー映画を!」と熱意を抱いておりました。
 この頃『ホラー』の評価地位は低く、蔑視される傾向すらありました。本格的に製作しているのはドイツぐらいで『カリガリ博士』や『吸血鬼ノスフェラトゥ』等の陰影映像美に彩られた良作を打ち出していましたが、アメリカではまだまだ低俗と見られる傾向にあったのです。当のレムリ会長にしても「あんな子供騙しは撮るに値せん!」と偏見に切り捨てていました。
 そんな状況に羨望の念を抱いていたJrは、念願叶ったとばかりに『魔人ドラキュラ』の製作に乗り出し、異才監督〝トッド・ブラウニング〟指揮の下にて、晴れてルゴシが起用されました。
 斯くして『初の公式ドラキュラ映画』にして『初のトーキーホラー映画』にして『初のユニバーサルホラー』である『魔人ドラキュラ』が封切られるのですが、これが大ヒットを記録します。
 目から鱗が落ちたレムリ会長は掌返しに「このジャンルはイケる! すぐさま第二弾の製作に掛かれ!」と社内に檄を飛ばし、僅か一週間程度で製作されたのが『フランケンシュタイン』──これが『魔人ドラキュラ』を越える超絶メガヒットとなり、以降、ユニバーサルは『ホラー映画』を看板の一角と据えて増産し続ける流れとなるのです。




 戦後、イギリスにてホラー映画史に欠かせないブランドが立ち上がります。
 配給会社から転身した〈ハマー・プロダクション〉です。
 確実に集客を当てたいハマーが第一作と定めたのは『フランケンシュタイン』でした。
 当時は高価であったカラーフィルムを『勝負処』と定めて使用し、検閲すら眉を潜めるであろう過激表現を意図的に織り込んだシーン描写を常套とし、それまでのユニバーサル版が『ダークファンタジー』とも呼べる作風であったのに対して、大人の鑑賞眼にさえ訴えられる『本格的ホラー』として作成されました。
 そうして完成したのが『フランケンシュタインの逆襲(1957年)』です。
 そして、この映画は大ヒットを記録しました。
 この流れで、続けて『吸血鬼ドラキュラ』へと白羽の矢が立ったのは必然的と言えるでしょう。
 斯くしてハマーホラーの代名詞となる『吸血鬼ドラキュラ(1958年)』は『フランケンシュタインの逆襲』を凌ぐメガヒット。この事象は、ちょうどユニバーサル版に於ける作品関係と人気が逆転しているのが興味深いです。
 ハマー版で〈ドラキュラ伯爵〉を演じたのは『フランケンシュタインの逆襲』にて〈怪物〉を演じた新人〈クリストファー・リー〉となります。
 これ以前には「ドラキュラ俳優はベラ・ルゴシを措いて他に無し」とまで言われていましたが、リーは見事にルゴシと双璧の〈ドラキュラ俳優〉として認識されるまでに登り詰めました。むしろハマー社はコンスタンスに『フランケンシュタイン』と『ドラキュラ』をシリーズ化していったので、演じた回数ではリーの方が多いかもしれません。
 そして、このシリーズ化によって「ドラキュラ伯爵は弱点が多いが、すぐに復活する」という今日までのイメージが確立したとも……?
 ちなみにハマー版にて〈ヴァンヘルシング教授〉を演じ続けたのは同社『フランケンシュタイン・シリーズ』で〈フランケンシュタイン博士〉を演じ続けた〝ピーター・カッシング〟です。アクティブにアクションをこなす〈ヴァンヘルシング像〉は、彼から発生しているのでしょう。
 ともあれカッシングとリーは、ハマー創業時から苦楽を共にした盟友とも言える間柄だったようです。


 こうした諸々の経緯のみならず『ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』には、誕生期から因縁的な流れが幾つも時代を越えてあるのですが、長くなるので今回は割愛します(いずれ機会があれば……)。




 絶大な人気作&カリスマキャラクター故に、様々なメタファやテーマ性が称賛される『吸血鬼ドラキュラ』──ですが、実際に公正な視点で読むと、別段、高尚でも何でもない通俗作品である事に気付くと思います。
 然るに、この作品は『冒険大衆娯楽』でしかなく、熱烈ファンが賛美する文学性など皆無なのです(それらは後年に於いて崇拝ファンが神聖化した主張に過ぎません)。
 むしろ緻密に計算されたメッセージや文学性は『フランケンシュタイン』の方にこそ備わっています。
 こう書くと崇拝者からは「ドラキュラを馬鹿にするな!」と怒られそうですが、逆に私は返したい──「徹底した大衆娯楽で何がいけないの?」と。
 メッセージ性や文学性が皆無であろうとも『吸血鬼ドラキュラ』が『フランケンシュタイン』や『吸血鬼カーミラ』を凌ぐメガヒットとなったのは紛れもない事実です。いえ、むしろ娯楽性に特化したからこそ『吸血鬼ドラキュラ』は大衆の心を鷲掴みと出来たのです。
 これは誇るべき事象でしょう(言うなれば『ドラゴンボール』と同じなのです。あの作品は〝超ド級バトル〟に特化したからこそメガヒットしたのであって、ドラマツルギーは『ワンピース』の方にこそ備わっている。ですが、私は両作品等しく「面白い! 好き!」です)。
 特殊メイク界の巨匠〝リック・ベイカー〟は作品解説にて苦笑で語っていました──「下らない三文小説だ」と。しかしながら、その表情には〝愛情〟が満ちています。
 仮に『吸血鬼ドラキュラ』にメッセージ性があるとするならば、それは『里見八犬伝』等と同じ〝義勇愛の素晴らしさ〟と〝叡智は暴力をも下す〟という古典的な人間賛歌に着地するでしょう。


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