ジャック・オ・ランタン
文字数 8,421文字
【考察論】
すっかり〈ハロウィンのマスコット〉と定着し、毎年シーズンになると百均グッズが溢れ返る〈カボチャ頭の怪物〉ですが、実は〈恐ろしい妖怪〉という根源性質は、あまり一般層に認知されていません。
そもそもは英国圏内に民俗伝承として語り継がれている由緒正しい〈モンスター〉なのです。
ちなみに〝ジャック〟は英語圏の男子個人名であると同時に、漠然とした男子総称でもあります。
つまり日本語に於ける例名定番〝太郎くん〟と同じニュアンスです。
ですから『バイオレンス・ジャック』は『暴力太郎』となります。或いは『帰ってきたウルトラマン』こと〈ウルトラマンジャック〉は〈ウルトラマン太郎〉となり『ウルトラマンタロウ』は英訳すると〈ウルトラマンジャック〉というややこしい事態にw
この〈ジャック・オ・ランタン〉も後者の意味合いと思われ、つまりは〈ランタン太郎〉〈ランタン小僧〉といった具合。
その他の類義として〝雪ダルマ〟は〈ジャック・フロスト(霜太郎/霜小僧)〉と呼ばれます。
この怪物の発祥はイギリス系民話なのですが、エピソードは微々と異なる差異にて幾つか伝わっています。ですが、概ねの骨子は同一のエピソードです(地方流布の過程にて局地的マイナーチェンジが為されたのでしょう)。
かいつまんで概要を書くなら『狡猾な男が悪魔を呼び出すも、自分では降りられない巨木に登らせて脅し、地獄行きを放免とする契約を強いる。やがて死後、天国に行けるような男ではないから門前払いを受けるも、同時に〝契約〟から地獄へも行けず、現世を彷徨する羽目になる。この寒空に耐えきれず根菜をくり貫いたランタンを作り、その内に宿り棲む事で〈ジャック・オ・ランタン〉という怪物になった』というものですね。
さて、この御紹介にて、私は〈カボチャ〉とは書いていない点に御気付きでしょうか?
実は興味深い前身説として、そもそもは〝カブ〟をくり貫いて宿ったという説もあるからです。
はい〝カブ〟です。
この段階では〝カボチャ〟ではありませんでした。
それがいつから〝カボチャ〟となったかは定かにありませんが、時代経過の中にて変質推移したと考えて間違いないでしょう。
カボチャの方が新説なので流布に残り、前身説であるカブはその波に呑まれ消えた──というのが私的見解です。
これは推測に過ぎませんが、そこにはそれこそ〈ハロウィン〉が関わっているように思えます。
先述のエピソードを見れば判るように、そもそもは〈ハロウィン〉と無縁に在るエピソードです。
これを(どういう意図かまでは判りませんが)〈ハロウィン〉に適応合致させるとしたら〝秋〟の収穫物である〝カボチャ〟にマイナーチェンジされたとしても不思議ではありません。
意外に思われるかも知れませんが〈伝承怪物〉が近代的意向に性質や風貌をマイナーチェンジされて、そのまま一般認知に定着する事象というのは多々あります。
例えば〈サンタクロース〉の赤装束は〈コカ・コーラ〉の宣伝イラストがキッカケで定着したものですし〈ドラキュラ伯爵〉の黒タキシード&黒マント&オールバックという定番イメージは舞台劇にてドラキュラ俳優〝ベラ・ルゴシ〟が扮していたヴァリエーションがルーツです。或いは万人が思い浮かべる〈フランケンシュタインの怪物〉も映画にて生み出された像であり、それこそ特殊メイクの神様〝ジャック・ピアーズ〟の偉業です。
過去の『モンスターコラム』で述べたように〈狼男〉〈ミイラ男〉〈半魚人〉〈ゾンビ〉等は映画からの誤認が、そのまま基礎設定と定番化しました。
その他〈エルフ〉〈ドワーフ〉といった亜種族も『指輪物語』でマイナーチェンジされた像であり、原点はもっと〈妖精/精霊〉の性質が強く、まったく異なります。
または〈ドラゴン〉が色によって性質や性格が棲み分けされているのも、実は90年代の『テーブルトークゲーム』によって落とされたものであり結構新しい。この『テーブルトークゲームフィーバー期』というのは、諸々のモンスターに大きな改変をもたらした事象でもあり、怪物史を考察する上では非常に大きな意味を持ちます(今回は割愛)。
このように〈伝承型モンスター〉と言えど、近代的サブカルや俗物意向によって変質するのは珍しくないのです。
そうした背景を加味して考察するに、やはり秋の風物詩〈ハロウィン〉とタイアップ(?)するべく〝カボチャ〟に変更されたとしても不思議ではありません。
そう考えれば、現在〝凶悪性〟を失念して〝可愛らしい愛すべきハロウィンマスコット〟と化したイメージも、決して〝間違い〟ではないのでしょう(時代性に沿って変質したと言えます)。
そして、もうひとつ……この〈怪物〉には興味深い特有の背景があります。
このエピソードは〈ジャック・オ・ランタン〉だけに限らず、もうひとつの別妖怪と共通のものという事実です。
即ち〈ウィル・オー・ウィスプ〉──西洋版〈鬼火〉です。つまりは〝強い遺恨を内包した人魂〟ですね。
むしろ牧歌的民話には俗論流布の認知度に反して〈ウィル・オー・ウィスプ〉版の方が普及率と知名度が高いようにも見受けられます。
私の場合は〈ちくま書房〉から刊行されている一連の『妖精学関連本』が当妖怪考察の基点となり、これはアイルランド出身の劇作家にして思想家〝ウィリアム・バトラー・ウェイツ〟と日本に於ける『妖精学』の第一人者〝井村君枝女史〟によって執筆されています。
なので、そこから要約抜粋──。
タイトルは『三つの願いごと』とされており、W.B.ウェイツによって筆を取られているものの、れっきとした民話の収録です。
また、相応に長いエピソードなので割愛的に御紹介します。
とある町に鍛冶職人の〝ビル・ドーソン〟という鼻摘み者がいました。根っからの怠惰者で常日頃から楽して金を得る事を考えているような男でしたが、その面に於いてはズル賢く頭が回り抜け目がありません。
やがて彼は親方となって一本立ちし、裕福な家庭環境となりましたが、金を持つと豪気に散財してしまう悪癖に在り、遂には食卓さえも支えられぬほどに落ちぶれてしまいます。
そんなある日、彼の家の前にみすぼらしい乞食の老人が現れました。ひどく飢えているのは見るに明らかです。
ビルは自らも落ちぶれた状況に在って共感に憐れみ「食べ物はやりたくても無いが、俺に出来る事はしてやる」とふいごで暖を取らせました。
この慈悲に老人は痛く感謝すると「お礼に三つだけ願い事を叶えて差し上げます」と申し出ました。
実は、この老人は〈聖モロキー〉であり、彼の良心を見定めるべく訪れたのです。
結果、見事に改心し……とはなりませんでした。
この申し出を聞いた途端、持ち前の欲深さが再発したのです。
ビルの願い事は三つ──。
「あの大金槌を持った者は、俺が許さない限り振り続けるようにしてくれ」
「あの椅子に座った者は、俺が許さない限り席を立てないようにしてくれ」
「この財布に入れた金は、俺以外には出せないようにしてくれ」
この申し出に聖モロキーは烈火の如く憤慨しました。
てっきり〝ひもじい思いをしている家族〟へと願い事を使うかと思えば……何と身勝手な!
誠実に改心した事を期待していた聖人は憤りを露にします。
一応、約束ですから〈願い事〉は叶えたものの、ビルをコテンパンに伸ばして悪態に去って行きました。
さて、一方のビルは、この恩恵を最大限に活かすべく悪知恵を巡らせます。
悪魔を呼び出すと「七年後には連れていかれてやるから大金をくれ」と契約しました。
こうして裕福な資産を得るも、また浪費癖散財でスッカラカン。
そうして落ちぶれたタイミングに悪魔が代償引き取りに現れます。
ところが、ビルは従うフリをしつつ「今生の用事を済ませる間だけ仕事を代わってくれ」と例の〈大金槌〉を持たせてしまいました。
まんまと悪魔をハメたのです。
浮き足立って町をフラつき帰ってみれば、悪魔はヒィヒィと鍛冶一徹。
愁訴に解放を媚びる始末です。
そこでビルは以前と同じ契約をして、またもや資産を貢がせました。
そして返り咲くも……またもや浪費没落。
悪魔が現れます。
しかし、またもや〈椅子〉に腰掛ける流れに貶められました。
徹底的な力関係を叩き込むべく、ビルは焼けた火箸で悪魔の鼻を摘まんで引き伸ばすという拷問に脅します。
憐れみに解放を請う悪魔に対して突き付けた条件は再び「大金と七年の猶予」でした。
言うまでもなく、またもや散財スッカラカンです。
悪魔が現れます。
しかし、悪魔もビルの狡猾さを熟知していますから、今度は変化球で仕掛けました。
硬貨に化けて財布へと潜り込み、ビルが手を入れた瞬間に有無を言わさず連行しようという策です。
ところが、この財布が例の〈ビル以外には取り出せない財布〉でしたから、自ら監獄に入ったようなもの。
ビルにしてみれば予想外でしたが、哀願する声を聞けば、これはしたり。
またもや契約を課しつつ、金槌で叩き伸ばすという拷問脅迫に出ます。
こうした流れで、やがてビルの人生は終わりました。
死した彼の魂は霊界の寒さを身に染み込ませ、はてさて温もりと安寧を求めて明るい方へと足を運べば、そこは聖モロキーの住む天国でした。
が、聖モロキーが受け入れるはずがありません。
相変わらずの嫌悪も露に無下な門前払いです。
仕方なく反対方向に行けば、例の悪魔が住む地獄。
ところが散々辛酸を嘗めた悪魔ですから、ビルの存在には怯え「会いたくない! 帰れ!」と震え上がる始末。
そんな悪魔に対して、ビルはニヤけた悪態に脅し始めました。
ところが、悪魔も精神的によほど追い詰められていたのか、咄嗟に焼けた火箸をビルの鼻に突っ込むという反撃に出ました。
まさに『窮鼠猫を噛む』を地で行く一矢です。
鼻腔を炎に焼かれて堪らず逃げ帰るビル。
しかも、この炎は〈魔界の炎〉ですから、決して消える事が無かったのです。
こうしてビルは天国へも地獄へも行けないまま、現世の寒空を彷徨する結末となりました。
決して消えない〈魔界の炎〉を携えながら……。
そして、やがて〈ウィル・オー・ウィスプ:鬼火〉と呼ばれる存在になったのです。
しかし、ビルの魂が改心する事はありません。
現在でも、人を騙して一杯喰らわせる事だけを興と楽しんでいるのです。
この話を読んで解る通り、本質的には〈浮遊霊〉なのですが、愉快犯的な性格であり、人間を貶める事に喜悦すら覚えている邪悪な存在です。
その実行手段や妖力面でこそ稚拙で矮小な小物妖怪ですが、性根に於ける〝邪悪さ〟は怪物界でも一二を争うでしょう。愉快犯的性癖ですから、尚の事、性質は悪いです(民話によっては〝人の命すら奪う〟という凶悪さも付加されています)。
ですから、彼が〈愉快犯的浮遊霊〉と堕ちたのであれば、むしろ〈ウィル・オー・ウィスプ〉と化した方が自然な展開ですから、そもそもは〈ウィル・オー・ウィスプ〉の方が元祖であり〈ジャック・オ・ランタン〉の方が派生進化と捉えた方が合理的結論と言えます。
さて、サブカル史に於ける〈ジャック・オ・ランタン〉ですが……意外と少ないwww
そりゃ、この外見ですから、どうやっても〝間抜けた愛敬たっぷりのマスコット〟にしかなりません。コレを元来の恐怖対象として描くのは至難の技です。
確かに〈ハロウィン〉を題材にしたホラー映画は幾つかありますが、上記の理由からか、多くはコイツを避けています。
例えば最も有名なハロウィンホラー映画は、その名もズバリ『ハロウィン』になりますが、こちらはもうひとつの〈ハロウィンモンスターの雄〉たる〈ブギーマン〉をモチーフにしています。しかも、あくまでも〈モチーフ〉として名前を拝借しただけであり、主役怪物はいわゆる〈ジェイソン型殺人鬼〉です(余談ながら〈ジェイソン〉よりも〈ブギーマン〉の方が登場年は早いです)。
そんな中で特筆しておきたいのが、マイナーC級ホラー映画『Jack-O/呪われたハロウィン(JACK O'LANTERN/1995年作品)』でしょうか(現在は『新ハロウィン/ジャコランターン伝説』と改題されています)。
この作品、かなりの低予算ですし、非常にチープです……というか、もはや失笑の域。
これは低予算云々以前に、もうストーリーや演出の上でガタガタだから。
そうした背景を鑑みると(おそらく)『TV映画』──即ち『二時間TVスペシャルドラマ』とした方が正しいのかもしれません(真相は解りませんが)。
私は基本的に『肯定論視点』でコラムを書く旨をスタンスとしています。
どんな作品でも必ず長所は有るとして、そうした面から皆様にアプローチしていきたいから。
だって『否定論』なんて(実は)誰でも書けますからね。
そんでもって抉る箇所は結局同じになるから述べている内容も無個性になりますし。
それに比べると『肯定論』は各人で「いいとこを探し出してやろう」と能動的になりますから分析観点も多角的になる──という事はライター各自の〝個性〟や〝性格〟が色濃く反映されるワケですよ。
そうなると、どの評を読んでも新味に面白い。
うん、同じクダ巻きをグルグルとループに読んでるよりも面白いし建設的。
それに読者にしても「お? どんな作品だろ?」って興味も涌くでしょ?
下手すれば「あ、この作品だ」って観ちゃうかもしれないでしょ?
それは〝新しい面白さ〟と出会えた貴重な瞬間ってワケですよ。
その方が、凡百否定論を齧っただけで〝知った気になっている〟よりも絶対にいい。
淀川長治バンザイ。
……って脱線しましたが、本作に関してはレヴューサーチした否定論通りですwww
『無駄に尺が長い、本編とは無関係なオッ ● イシャワーシーン(ホント「いつまで流すねん!」ぐらい長いwww)』
『怪物に殺られるかと緊迫を臭わせつつも〝勝手にスッ転んでフォークをトースターにブッ刺して感電死〟という前代未聞な自滅を披露する謎のおばちゃん(ホラー史上無二にして本作最大の収穫!)』
『見た目にも行動パターンにもやる気の見えない殺人鬼怪物』
『レベルが低いという域さえも下回った特撮』
『伏線&回収は辻褄合わずにガタガタ』
そんな作品www
ただ私的に〝長所〟を(無理矢理にでも)探し出すとしたら、先述の通り〝可愛いハロウィンマスコット〟としてしか機能しなくなった〈ジャック・オ・ランタン〉を、本来の〈恐怖対象〉として真っ向から扱おうとした挑戦姿勢。そこだけは評価してもいい。
おそらく、この作品を観る手段は当時発売されていた『五百円DVD』をゲットするしかないと思われます。
というか、既に観た人みんなコレだと思うw
本屋店頭でお馴染みの、あの廉価DVDですね。
とは言え、既に絶版とは思いますが……。
ちなみに私も所有しています(当時リアルタイムで買いました)。
この五百円DVDシリーズは基本的に『文学』『推理もの』『西部劇』『名作』と大凡『人間ドラマ』に主観を置いた作品しかラインナップされず『ホラー』『SF』といった特撮娯楽系はスルーされてきました(『フランケンシュタイン』『キングコング』『ジキルとハイド』『オペラの怪人』程度は有りましたが)。おまけにモノクロ古典ばかりです。
しかし、一時期イケイケでラインナップ拡張に突入した時期があり、その際には『ホラー』『SF』も微々と登場(しかも、場合によってはカラー作品も)。
例として『メトロポリス』『宇宙戦争』といった名作SFも有れば『スタッグ』等のマイナーホラーも有りました。
そうした中での1本が本作。
買った理由は「ジャック・オ・ランタンを真っ向からホラーキャラクターとして扱うなんて珍しい」と、そこの挑戦姿勢を評価しての事です。いまにしてみれば「……素直に『スタッグ』の方を買っておけば良かった」ですけれどw
ジャンルとしては(一応)『スプラッタ型怪物ホラー』となるのでしょうが、かなりチープです(低予算という背景もあるでしょうが、子供も鑑賞する事を憂慮した自主規制コードというのもありそうですね)。一番過激なシーンは〝首チョンパ〟が1回ありますが、ぶっちゃけ〈と ● まえんのオバケ屋敷〉レベルだから苦手意識のビギナーが観ていても安心レベルです。
酷評レヴューには「五百円の価値も無い」とかもありましたが、トンでもない!
五百円払ったからこそ、こんなにもスゴい『駄作』と巡り会えたのです。
それはそれで『普通に構えていたんじゃ一生御目に掛かれなかった貴重な出会い 』ですw
何事も「いい勉強になった」と建設的に思えば〝無駄なもの〟など無い。
さて締め括りに〈ジャック・オ・ランタン〉派生の名キャラクターを御紹介。
これは〈恐怖対象妖怪〉ではなく〈愛嬌ある愛すべきファンタジーキャラクター〉としてのカボチャ頭ですが……。
児童文学大系『オズ・シリーズ』に登場する〝カボチャ頭のジャック〟です(おそらくコレは邦名で、英語版では〈ジャック・オ・ランタン〉だとは思いますが……不明)。
いわゆる『オズの魔法使い』のシリーズですね。
日本では……というか俗世では初作『オズの魔法使い』だけが広く認知されてしまい、続編シリーズが大系刊行されていた事実はあまり知られていません。
ですが、著者〝ライマン・フランク・ボーム〟大先生は十数作品の『オズ』を執筆し、また、彼の死後も数人の執筆者がフォロワー続編を書いています。確か総合すると四〇作品越えとか……?
日本に於いては平成初期に正伝となるボーム版のみがコンスタンス刊行される展開がありました。私にしても「オズの新刊まだかな? 今月は出るかな?」とソワソワワクワク心待ちにしていたものです。この文庫シリーズは、いまでも私の『宝物』となっています。残念ながら現在は『オズの魔法使い』以外は絶版となったようですが……。
その二作目『オズへ続く道』に登場したのが〝カボチャ頭のジャック〟になります。
この物語は初作主人公〝ドロシー・ゲイル〟と双璧の人気ヒロイン〝オズマ姫(萌え♡ )〟が初登場する内容ですが、そこに至るまでの少年主人公が魔法薬〈命の粉〉で作り出した相棒が〝カボチャ頭のジャック〟です。体は木材で作られた粗雑な人形ですが、一応、蝶番等で関節は設けられています。頭は当然〝カボチャ〟です。
邪悪な魔女の追撃を潜り抜けながらオズの首都〈エメラルドの都〉を目指す冒険となるのですが、このジャックは〝頭足りない言動〟で作風をユーモラスに彩りながらも、時として、そうした言動が起死回生の英知や教訓と(無自覚にも)化けるのです。
まぁ、早い話が初作の〈かかし〉を別切口で再構築したキャラクターではあるのですが……とにかく〝愛すべきキャラクター〟です!(だから〈かかし〉との初邂逅は「待ってました!」な展開 ♪ )
以降も度々登場し、彼が登場すると私的にはスゴくほっこり。仮に冒険メンバーへと加わるようものなら大興奮でした。
『オズ』の中では(ヒロイン達は萌え対象だから除くとして)一番好きなキャラクターです。
文庫版は古本で探すしかないとは思いますが、もうひとつ本作を鑑賞する方法はあります。
この『オズへ続く道』は昭和期に実写映画『リターン・トゥ・オズ』として製作されているのです。
原作同様旧作名画『オズの魔法使い』の続編として製作されているものの、現実的な陰鬱シビアを背景に敷いていて作風はやや重暗くもあり、旧作のような明るい児童向けメルヘン作風は希薄化した印象にはあります……が、製作当時の時代背景を鑑みりゃ〝そういうリアリティー演出〟が主流となっていた時代ですからね。仕方ない。
一方でSFX飛躍期渦中の作品ですから、旧作では再現不可能であったと思われる〈異形/魔法生物〉は見事なまでのクオリティーで実写化しています。
映画評論家(自称含む)からは酷評対象とされていますが、私的には『オズ』という作風の再現度がピカイチだと高評価しています(見方にもよりますが初作すら凌いでいる感も有り)。
なかなかの秀作とは思いますので、機会がありましたら是非とも鑑賞してみて下さい。
少なくともサム・ライミ版『オズ』やティム・バートン版『アリス』よりかはアレンジ控え目で原作準拠度は高いです。
ともあれ、あの〈カボチャ頭〉の本質は紛う事無き〈モンスター〉です。
次回のハロウィンでは、それを念頭にグッズを買ってみては如何でしょう?
もしかしたら〝いままでとは違うハロウィン〟が拓けるかもしれませんよ?
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