クァール

文字数 14,316文字


 今回は便宜的に〈クァール〉と題していますが、実際には登場作品であるスペースオペラ小説『宇宙船ビーグル号/旧題:宇宙船ビーグル号の冒険(著:A・E・ヴァン・ヴォークト:1950年作品)』そのものを全体的に取り扱う形となります。
 何故かといえば、この作品は魅惑的な〈ベム〉がてんこ盛りで、全四章が『ベムの脅威との対決』だからです。
 しかも、登場する〈ベム〉は本作オリジナルながらも、後世の作品に多大な影響を与えている。
 つまり『宇宙怪物の発展史』に於いて絶対に外せないし、ともすれば原点のひとつにも括られる古典的作品なのです。
 全長1キロにも及ぶ超巨大球体宇宙船〈スペース・ビーグル号〉は、その内部に1000人もの乗組員を乗せて、広大な外宇宙に移民新天地を探し求める開拓調査の旅路を続けています。
 そして、探査の中にて遭遇する、既存常識では信じ難い〈ベム〉の脅威に晒されるのです。
 ちなみに原題は『The Voyage of The Space Beagle』──これは『進化論』で有名な〝チャールズ・ダーウィン〟の著『ビーグル号航海記』の捩りとなっており、ともすれば本作の『SFアレンジ版』という趣旨内容を集約したネーミングとなっています。



 まず最初が今回のタイトルとした〈クァール〉です。
 登場エピソードは『黒い破壊者:Black Destroyer(1~6章)』。
 平たく言えば〈宇宙山猫〉というか〈宇宙豹〉というか……耳の後ろからは触手が生えていて、コレは〈電磁鞭〉としても機能します。
 この〈クァール〉は原生猛獣然とした姿に反して、実は知性が非常に高くて狡猾な宇宙獣。
 ビーグル号の面々も下等生物と侮り〝貴重な研究対象〟として艦内に運び入れてしまいますが……実は〝この展開〟すらも〈クァール〉が仕掛けた姦計です。おとなしく〈原生動物〉のふりをして艦内という閉鎖空間に持ち込めば、見渡す限り〈餌〉なのですから。
 そして特異な特徴が、彼の糧は〝肉食〟ではなく〈生命力:イド〉そのものという点。
 そもそも、この惑星を訪れたビーグル号の面々も「文明の痕跡はあるが生命がいない?」と怪訝に思っていました(だから、ようやく発見した〈クァール〉を〝貴重なサンプル〟と捕獲したのです)。
 それもそのはずで、喰らい尽くしたのはコイツです。
 そして、コイツにしても〝餌の枯渇〟に困窮していましたから、悠然と降下してくる宇宙船を見つけて「したり」と画策したのです。
 獣の俊敏さと獰猛さを奮い、尚且つ、凶悪な異能性質と狡猾さを備えた悪魔に対して、艦内応戦は不利と働きました。
 しかし、最後には小型宇宙ポッドへと閉じ込めて惑星へと排斥射出───そのままビーグル号は宇宙へと飛び去り、その逃亡を指を銜えて見ているしかない〈クァール〉は憤りに猛り狂うのでした。

 このクァールはビジュアルイメージ的に相当スマートでカッコよく映るせいか人気は高いようですね。
 例えば高千穂遥の美少女スペースオペラ『ダーティーペア』では、主人公達のペットにして相棒の〝ムギ〟というキャラクターが登場しますが、これは公式設定で『品種改造して狂暴性を欠落させたクァール』とされています。
 また(これは私的憶測の域でしかありませんが)横山光輝の超能力ヒーロー名作『バビル2世』の参謀的宇宙黒豹〝ロデム〟も、この〈クァール〉がイメージソースとなっていると見ていい気がします。




 次が異彩を放つ〈リィム人〉──登場エピソードは『神経の戦い(もしくは『神経戦』):War of Nerves(9~12章)』。
 この〈ベム〉はキャラクター性にしてもエピソード面でも、先述の〈クァール〉及び後述の〈イクストル〉とはまったく違う異彩に在ります。
 とある宙域に差し掛かったビーグル号内部では、突然にして唐突に乗組員が攻撃的性格へと染まる不可解な現象に陥ります。まるでスイッチが入ったかのように罵詈雑言に罵り会う異常事態が至るところで生じ始めたのです。
 危うく主人公〝エリオット・グローヴナー〟も堕ち掛けるも持ち前の知性と精神力で堪える……と、宇宙窓に幻影と映り込んだ〈鳥人型異形〉に〈ベム〉の介在を確信します。
 事態は終息の兆しも無く艦内機能は微々と麻痺。
 危惧されるのはエスカレートに殺傷沙汰が起きる事でした(微々と生じています)。
 そこでグローヴナーは〈ベム〉の思念波を通じて本体とコンタクトし、目的を探るという荒業を実行します。
 はたして結果良好とばかりに異常事態は終息し、ビーグル号は宙域離脱を果たしました。
 精神的接触により得た情報によると、彼等〈リィム人〉は各固体と存在しながらも種族全体が精神ネットワークへと統括されており、それ故に〈個〉としての精神境界は不確定になりながらも、反面、思念力自体は膨大なパワーレベルへと進化しているという特性でした。
 そして今回の事態は決して攻撃的悪意ではなく、むしろ歓待の好意を思念と送っていたのです。
 しかし〝そのパワーレベルがあまりにも強大過ぎた為に脆弱な地球人には耐えきれず精神均衡を崩してしまった〟という点と〝種族差異による感覚差が変換伝達された〟という点が悪影響として反映されてしまい、件のような惨状をもたらしてしまったのです(例えば我々の「痛い」「臭い」「悲しい」といった体感感覚が、相手にとって同体感に感受されるとは限らないという事)。
 グローヴナーによる軟化を促す精神的働き掛けにリィム人はテレパシー送信を止め、ビーグル号は宙域離脱に難を逃れました。

 種族差異がもたらす悲劇ですね。
 仮に攻撃的悪意は無い友好的種族であったとしても、その根本的性質や感覚差によっては脅威となってしまう……という、ある意味『シザーハンズ』タイプの悲劇です。或いは日本人には馴染み深い〈怪獣〉や〈妖怪〉の本質と同じとも言える。

 さて、この〈リィム人〉ですが、魅惑的な怪物でありながらも先述の〈クァール〉後述の〈イクストル〉に比べて模倣亜流は見当たりません。
 しかしながら〝種族そのものが統括的精神ネットワークに融合されて〈個〉の境界は稀薄となり、結果として〈種〉として強大な精神生命体となっている〟というコンセプト設定は、金字塔的SF映画『禁断の惑星』に登場する設定〈クレル人〉を彷彿させますし、また同じく金字塔的SFとして認知されている名作小説『幼年期の終わり』に登場する〈アレ〉にも通じています。ちなみに『新世紀ヱヴァンゲリヲン』の『人類補完計画』も、これらの延長にある概念です(あの計画は〝成すまでの過程〟のものです)。
 つまり〈リィム人〉というベムそのものよりも、そのバックボーンの奇抜さの方が踏襲され続けている傾向にあるようです。
 また興味深いのはエピソード性質で、この根幹を成しているのは、日本人には馴染み深い『怪獣概念/妖怪概念』と同質であり、つまりは〝悪意や敵意が無くとも、種族的性質が害悪と機能してしまうが故の排斥〟というものです。
 で、コレは元来、欧米人にはチト馴染み薄い。
 というのも、そもそも欧米に於ける〈怪物/モンスター〉とは〝善悪二元論に基づいて弾劾される排斥悪〟として扱われるのが常だったから……というか映画やテレビなどの大衆娯楽メディアサブカルが確立すると、その傾向が顕著になった。
 しかしながら元来、フォークロアが主体であった時代には日本人の『妖怪概念』と通ずる〝共感共存〟だったのです(妖精なんかは好例)。
 が、メディアサブカル主流に推移すると〈排斥悪〉として描かれる趣が顕著化していく。殊更〈宇宙人/宇宙怪物〉は〝非共感の排斥悪〟として扱われます。これはアメリカと対立していた仮想敵国の〈共産主義〉を暗喩象徴したからとも云われており、だから、それを問答無用に叩き潰す事で溜飲カタルシスを得る……と。
 
 この概念差を分かり易く体現させた物には、ハリウッド版『ゴジラ(1998年)』が在ります。いわゆる『ローランド・エメリッヒ版』ですね。
 この作品に於ける〈ゴジラ〉は〝都市を蹂躙する巨大爬虫類〟に過ぎず、排斥悪という性質だけで描かれています。おまけにビル内に無数の卵を植え付けるという『B級ホラーモンスターの御約束』までやってのけます。だから、あのジャン・レノを筆頭に人類側は問答無用に「くたばれや! オラ!」となりました。
 要するに叙情も感情移入も無い。
 この作風処置には日本国民のみならず海外の〈ゴジラファン〉も憤慨し「こんなのゴジラじゃない! 別物だ!」と総スカン。挙げ句、海外ファンからは「貴方達の〝誇り〟に泥を塗って申し訳ない」的に日本人を気遣う流れなんかも生じたりして……w
 ところが、後年になってリブート製作されたハリウッド版『ゴジラ(2014年/監督:ギャレス・エドワード)』は、日本人の視点で観てもかなり〝正しい〟解釈&演出に構築されている。この作品のみならず『パシフィック・リム』なんかも『ジャパニメーション』の正しい解釈と理解によって構築されているから、日本人視点でも大満足な仕上がりになっている。
 これは現在台頭してきた制作者が、子供当時に『日本の怪獣作品』や『アニメ』を体験して熱中してきた世代だから。つまりは〝海外の怪獣っ子〟という事で、彼等は日本人同様に〈怪獣/妖怪〉と〈怪物/モンスター〉のニュアンス差というものを肌感覚で理解していた。
 対して、旧ハリウッド版『ゴジラ』のエメリッヒ監督は、別段〈日本怪獣〉に思い入れは無い。
 というか、興味深い仮説があって、そもそもエメリッヒ監督は『ゴジラ』ではなくアメリカ古典映画『原子恐竜現ル』の方をリメイクしたというのが真相とか。
 で、この『原子恐竜現ル』は、実は『ゴジラ』のルーツとも言うべき作品です。
 そこを鑑みると「オマエラがチヤホヤしてる〈ゴジラ〉は、もともとウチの怪獣映画のパクリなんじゃ!」という反骨意向にも見えて……でも、まぁ、どちらにせよ悪意的だよねw
 で、だから『パシフィック・リム』では〈カイジュー〉という呼称が使われているのですが、これを通すにあたりデル・トロ監督は上層部を相手取った直談判に喰い下がり粘ったとの事。上層部──つまり旧世代は、この辺の差異に理解が無く「所詮〈モンスター〉は〈モンスター〉だろ?」的に捉えていましたが、デル・トロ監督は「〈怪獣〉は、いわゆる〈モンスター〉とは違う! 単なる〈排斥悪〉じゃないんだ!」と熱意に抵抗したんですね。
 で、それが(奇異的に幼稚な主張と見られながらも)通った。
 正直、あくまでも〝呼称〟ですから『作品』に於いては些細な問題です。商業的には無視しても成立する(上層部の判断基準は、そういう事)。ですが、こうした〝こだわり〟によって正しい解釈が浸透し、先述のギャレス・エドワード監督のような〝正しい価値観を根と持ったオタ監督〟が後続台頭してきた背景にも繋がっているようにも思えます。

 ところで、本項〈リィム人〉については補足しておきたい点があります。
 私のコラム内容は『ハヤカワ版』に準じて読後解釈している論なのですが、参考として〈ウィキペディア〉も見たところ、この〈リィム人〉に関しては真逆の解釈説明が記されていましたね……。
 解説には「テレパシーによって人間を支配下に置こうとする」と記されていましたが、それはつまり一連の〝攻撃〟は〝明確な攻撃心による悪意〟という解釈。
 どちらが正論かは分かりません(私はヴォークト氏ではないw)……ですが、私的には『ハヤカワ版』の方が正解かと思っています。
 仮に〝明確な攻撃心〟とした場合は、その応戦にも〝明確な攻撃心〟を以って完膚なきまでに〈外敵〉を叩き潰さねばなりません。
 つまりは精神攻防内での武力行使ですね。
 ともすればグローヴナーの軟化提唱懇願程度で〈リィム人〉が引き下がるはずも無いですし、一方でグローヴナーにしても和解的打開案に着地する必要も無い。双方、問題無用に叩き潰せばいいだけの話です。
 内部侵入したグローヴナーの異物的働き掛けに恐怖感を覚えた〈リィム人〉は、次のような台詞を述べています。
「細胞たちは呼びかけている。細胞たちは恐れている。おお、細胞たちは苦痛を感じる! リィムの世界に闇が訪れている。その生きものから離れなくては──リィムの遠いかなた……闇、影、混乱……その生きものをはねつけなくてはいけない……細胞たちにはそれができない。大きな闇から来た生きものと、仲よくしようとするのはあたりまえだ。相手が敵とは知らなかったのだから……夜が深まっていく。細胞たちよ、離れるのだ……できない……」
 この意思を感知したからこそグローヴナーは真意への驚嘆と確信を得て、精神介入に和解的離脱策を決行したのです(加えて言えば「きみたちの仲よくしようという行動が、船に大きな害を与えたのだ。われわれもきみたちと仲よくしたい。しかし、きみたちの親しみの表現は、われわれを傷つけてしまう」とさえ明言していますし、事後に於ける〝リース艦長/リース大佐〟の「とすると、あの星にでかけて、爆弾をおみまいするわけにはいかんのか?」という訊いに対して「そんなことをしても、得るところはないでしょう」と示唆に宥めています)。
 ま、仮に〈ウィキペディア〉といえど、必ずしも『正しい』とは限らない。
 確かに不特定多数が世界規模での有志によって雑学やウンチクを持ち寄って構築していくデータベースですから、あれよあれよと内容情報は膨大化しますし概ねに於いての信憑性も高い……が〝絶対完璧〟とは限らない。
 何処かで『間違った情報』『誤った解釈』等が折り込まれた場合、誰かが修正する機会をもたらさなければ、往々にして『それ』が正論として誤認定着し、また第三者の鵜呑み使用によって流布してしまう危険性も等しく孕みます。
 例えば〈ウルトラマンタロウ〉のネーミング情報なんかはそうで〈ウィキペディア〉では『〈ウルトラマンジャック〉という候補もあったが当時のハイジャック事件からイメージダウンを憂慮して没──再模索の末〈タロウ〉となる』と記されています。
 一方で、私は『ヒーローコラム:ウルトラマンタロウ』にて『現代の御伽話として定番主役名〝●●太郎〟から』としています。
 現状、マニア間で通説と化したのは『ハイジャック説』です……が、私の『御伽話説』も根拠無き推測というワケでもなく、私が中学生ぐらいの時期に発売されていた『決定版ウルトラマンLPレコード集(スマン、タイトル忘れたw)』にてつぶさに裏事情を綴ったブックレットに記されていた情報です(つまり一応はオフィシャル発信)。
 どちらが『正しい』のかは現在となっては判明しませんが、私的には『ハイジャック説』よりも『御伽話説』の方が説得力のある背景立証(荒唐無稽な作風とか)に在るので信憑性に足るとして、自分的にはコチラの説に一徹してきました。
 しかしながら、私が声高に唱えたところで「それウソw ウィキには『ハイジャック説』で載っているもんwww」と一笑する層が大多数なんでしょうな……。
 ですが、今一度言いますが『どちらが正しい説か』なんてのは当事者でしか分かりませんし、私の説も『根拠不明な推測』ではなく『オフィシャル発信』です。
 そして、仮に〈ウィキペディア〉だからといっても〝絶対完璧〟とは言えない。
 あくまでも〈データベース〉は『参照情報』に過ぎず『有無を言わさぬ真実』ではない──多岐雑多な論から取捨選択をするのは結局〈自分自身〉であり、況してや〈発信側〉であるならば、そうした審美眼や持論を育む方が大切という事ですか。
 少なくとも〝鵜呑み受け売り〟よりも〝噛み砕いた自己考察に再構築する〟というのは〈綴る者〉としてはスゴク大切な事だと思います。
 殊更、本項〈リィム人〉に関しては〝友好意思の疎通不具合〟か〝明確な敵対的悪意〟かで『物語の主旨そのもの』が変質してしまいます。
「きみたちは宇宙に住んでいる。そして心の中に、きみたちの見た宇宙像を抱いている。その宇宙について、きみたちはその像のほかになにも知らず、また知りようがない。しかしきみたちの心にある宇宙像は、宇宙そのものではない……」
 本項〈リィム人〉に宛てたグローヴナーの概念メッセージです。




 続いては最凶最悪のベムたる〈イクストル〉で、登場エピソードは『緋色の不協和音:Discord in Scarlet(13~21章)』。本作品最大の攻防戦と呼んで差し支えないエピソードになります。
 この宇宙怪物は緋色の巨躯型異形という差異点以外は、エピソード展開もオチも〈クァール〉と類型です。
 が、凶悪性と脅威性は遥かに凌ぎます。
 彼の母星は太陽の超新星爆発によって失われ、彼固体のみが爆発エネルギーによって弾き飛ばされました。
 以降は宇宙空間を漂い続けています。
 この状況を成立させているのが〝自身単体で宇宙空間での生存が可能〟という驚異的特性。これは〈クァール〉には備わっていない異能特性で、ともすれば両者比較に於いて、この時点で〈高位宇宙怪物〉である事を主張しています。
 宇宙空間を漂流しながらも糧には困窮しませんでした。恒星エネルギーを吸収しているからです。
 彼の胸中を占める虚無感は、もっと別な事柄──〝種の滅亡〟という絶望感でした。
 そして、それに起因してか、彼自身が〈グウル〉と呼ぶ物に固執しています。
 そんな無限牢獄の中で航行中のビーグル号を発見し、これまた〈クァール〉宜しく「したり」とばかりに侵入しました。つまりコイツは〈クァール〉のように惑星降下で接触したワケではなく、宇宙漂流の最中で能動的工作に侵入したのです。
 しかも厄介な事に、コイツは自らの原子配列を置換して金属壁を摺り抜け、更には捕獲した接触対象にも同効果を及ぼします。この神出鬼没性により、搭乗員は一人また一人と連れ去られます。そう、何故か、その場で捕食されずに〝連れ去られる〟のです。
 こうも問答無用にして理不尽な脅威ともなれば打つ手無しで、艦内は未曾有の恐怖と混乱に陥りました。その阿鼻叫喚な戦慄は到底〈クァール〉の比ではありません。
 そして、誘拐された面々は繭化させられて、一ヶ所に集められていました。
 これこそが〈グウル〉──即ち〝卵の苗床〟です。
 分析では〈スズメバチ〉と近しい寄生習性に在り、他者の内蔵を〝卵の苗床〟とすべく収集していたとか。
 要するに〈イクストル〉の目的意識は、終始一貫して『種の再興繁殖』に在ったのです。
 この恐ろしい悪魔の如き〈完璧生命体〉が、このおぞましい繁殖方法にて繁栄する未来──ゾッとします。
 最後は綿密な作戦により原子砲を浴びせられ、これまた〈クァール〉宜しく宇宙空間排斥されるに至ります。無論、宇宙空間生存可能ですから再侵入を企てますが、それを実行する暇すら与えずにビーグル号はワープ航行で領域離脱してしまいました。
 真空生存が可能な〈イクストル〉ですが、仮に〝次の獲物〟が訪れなければ、やがては種そのものから滅びる事でしょう。
 そして、この広大な宇宙空間に於いて、その〈奇跡〉に巡り合える可能性は天文学的数値に低いのです……。

 読んで解る通り、この〈イクストル〉はSFホラー映画の金字塔『エイリアン』のモデルです。
 この相似点は映画公開当時から古典SFマニアに指摘されていましたが、実質的に『エイリアン』の〝生みの親〟たる大御所脚本家〝ダン・オバノン〟は茶を濁すようなはぐらかしに終始していました……が、ようやく近年になって「実はインスパイアされた」と公言したのです。
 また寺沢武一の『コブラ』でも異端エピソードとして〈エレクトロ〉というエネルギー飽食怪物にて模倣再現されています。
 宇宙船艦内という閉鎖空間にて神出鬼没な無敵怪物に翻弄されるという脅威フォーマットは、この〈イクストル〉こそが原点なのです。

 ついでに言えば〝高位宇宙生命体であるが故に宇宙空間でも単身生存可能であり、恒星エネルギー吸収のみで糧とできる〟という性質は……はい、そうですねw
 某国民的スーパーヒーローを想起させますねwww




 そして、大トリを飾るのは最も異端な生命体〈アナビス〉になります。
 登場エピソードは『M33星雲:M33 in Andromeda(22~28章)』──この〈アナビス〉に関しては、むしろエピソード自体が異色と言えます。
 とある島宇宙〈M-33渦状星雲〉に差し掛かったビーグル号艦内では一部の(精神的に鋭敏な)乗組員達が感覚不調や幻聴幻覚に苛まされる事態に陥りました。
 似通った事象『リィム人事件』を通じて精神コネクトを体験していたグローヴナーも、その事後による精神鋭敏化も影響してか「故郷へ引き返した方がいい」という〝何者か〟の声を感受します。
 そして今後の探索方向性を定める全体会議にて、その〝声〟をも裏付けとして撤退案を訴えるも、本作当初から反目関係に在った〝グレゴリー・ケント〟がいよいよ表立って対立……派閥は〈ケント派:探索強行派〉と〈グローヴナー派:撤退憂慮派〉に二分され、ともすれば些か少人数で不利な立場と置かれました。
 そんな最中、突如として体長10メートルもの〈爬虫類型怪物〉の群が1ダースも急襲乱入!
 しかも〈クァール〉〈イクストル〉のように接触して招き入れた経緯に無く、前触れも無いまま〝突然〟艦内に現れたのです!
 この怪物達こそが〈アナビス〉……ではありません。実はw
 彼等は1000光年もの先に離れた惑星に棲息する〈名も無き原始生命体〉に過ぎません。
 早い話が〝物語の掴みを担うザコ〟です。
 なので、次の瞬間には当然のように駆逐されました。
 しかし、この〝距離にして遭遇地点から1000光年もの先に離れた位置に在る惑星から、どうしてビーグル号艦内に出現したのか?〟という謎こそが大きな伏線なのです。
 さて、この騒動以降、ケントのグローヴナーに対する風当りも横暴と呼べるぐらいにまで表層化し始めます。
 これに対してグローヴナーも泣き寝入りせず徹底抗戦の構え──とはいえ、さすがに大局的視点を見失わず、あくまでも見据えているのは〈ベムの脅威〉です。
 そして最終的には「自分の主張案が通らなければ艦を制圧する」とまで宣言してストライキ籠城戦を開始しました。
 孤軍奮闘な劣勢にも映りますが、グローヴナーは卓越した〈ネクシャリスト:情報総合学者〉であり、その才知でこれまでも〝ベムの脅威〟を退けてきたインテリ傑物です。ケント陣営が、あの手この手を仕掛けても、涼しく返り討ちとしてしまうのでした。
 このようにグローヴナーのストライキ籠城戦を通じて〝人間〟のしたたかな交錯を描いた異質エピソード(そして、好編)がアナビス篇『M-33星雲』であり、これまでの「ベムを退けば大団円」というエピソードとは少々毛並が異なります。結局のところ、人間社会に属して生きる以上、最も油断ならない〈怪物〉は〝人間自身〟という事かもしれません。

 いよいよ肝心の〈アナビス〉について触れたいと思います。
 件の怪異後、スペース・ビーグル号は島宇宙の惑星探査へと本格突入します。
 そんな中で〈宇宙塵〉とも呼ぶべき微細な物が付着発見されました。
 これこそが生命体〈アナビス〉なのです!
 というよりは、原作表現に沿うなら〈細胞〉とも形容出来ます──この〈アナビス〉とは膨大規模の不定形生命体であり、その支配領有はM-33星雲全体にも及ぶのですから。
 彼等は原始的且つシンプルな性質で、捕食本能準拠の行動原理しか持ち合わせていません……が、その面に於いては非常に貪欲であり、また、それに特化した思考と異能力へ進化を果たしました。
 彼等の糧は〈死〉です……というよりも、厳密に言えば〝死の瞬間に発散解放される生命エネルギー〟ですね。
 誕生原初にては〝臨終の瞬間に出会す事〟で偶発的に得ていましたが、原生動物の殺し合いに遭遇した事で効率的に得られる事を〈学習〉しました。
 そして、その土壌を得るには、より多くの〈生命〉が棲息できる環境が望ましいと結論し、脆弱環境であった惑星そのものを潤沢な密林へと改造してしまいます。その際に必要とあらば、近域惑星より樹木や水資源を〝取り寄せ〟て移植したのです。
 どうやって?
 そこが恐るべき〈進化〉です。
 彼等は任意に時空を貫通させる異能力を進化に得て、それを通じて対象を移動させる事が可能となったのです。
 件の〈爬虫類型怪物〉を送り込んだのも、この異能力に依る工作です。
 そしてまた、グローヴナーに帰郷意思を誘発させたのも〈アナビス〉の姦計──つまりビーグル号を道標として太陽系銀河へと干渉し、新たな餌場とするためだったのです。
 看破したグローヴナーが強いた策とは、そのままビーグル号を餌として連れ出す事でした──生命のいない島宇宙へと──コイツが餓死するまでと見積もった五年延長の旅路へと。

 この〈アナビス〉に性質酷似した怪物は、実は結構多く派生しています。
 最も酷似しているのはマーベル・コミック版『トランスフォーマー』最終章に登場した〈スウォーム〉でしょうか。この『スウォーム』とは『虫の羽音』を意味し、そこから劇中では〈宇宙を埋め尽くすイナゴの大群〉と描かれる事もありますが、これはあくまでも飽食脅威を表現したイメージで実態は〈飽食型エネルギー生命体〉です。性質的には〈アナビス〉そのままで、惑星はおろか銀河に至るまで生命を喰らい尽くし、宇宙を飽食本能のままに渡り歩いています。そして、地球さえも滅ぼされますが、主人公〈オプティマスプライム〉の所有する叡智の結晶〈マトリクス〉の影響で高度知性を得て〈ヴォック〉という高次存在に新生しました。後年シリーズ『ビーストウォーズ』の舞台となった未知の原始惑星は、この〈ヴォック〉が「かつて自分達が滅亡させた地球を寸分違わず再生する」という意思で実験していた産物でしたが、それは天文学的にデリケートな難度ですから〝創造と破壊〟というルーティンを繰り返し続け──ようやく今回は成功の可能性が高まったところに〈マクシマルズ/邦名:ビーストサイバトロン〉と〈プレダコンズ/邦名:ビーストデストロン〉というイレギュラーが介入してしまった図式となります。
 また、この〈スウォーム〉に先駆けて、TV版『トランスフォーマー2010』では〈トルネドロン〉という飽食型エネルギー生命体が登場しています。こちらは『トランスフォーマー』史上最大の巨悪〈星冠大帝ユニクロン〉を創造したマッドサイエンティスト〝プリマクロン〟が創り出した〝もうひとつの究極生命体〟であり、地球もトランスフォーマーも一瞬の内に喰らい尽くしました……が、高度知性を得るまでに成長したためにプリマクロンへ反乱を起こす『フランケンシュタイン・コンプレックス』へと陥ります。最終的には〝低能故にシンプル〟な〈グリムロック〉の発想により〈エネルギー逆転装置〉を入れられ、エネルギー還元消滅(万事何事も無かったかのように元通り)というユーモラスなオチへと着地しました。
 ちなみに先述の〈星冠大帝ユニクロン〉もまた、物質的固体にして明確な悪意を備えているものの〈飽食漂流型生命体〉と分類できます。
 日本サブカルに於いては〈ウルトラ怪獣〉の〈バルンガ〉は、まさに〈飽食漂流怪物〉の王道踏襲と呼べるでしょう。
 後年『帰ってきたウルトラマン』に登場した強敵〈宇宙大怪獣ベムスター〉も〝破壊本能〟というよりも〝貪欲な捕食本能のみで宇宙を渡り歩いている〟のですから、広義的解釈とすれば含まれます。
 近年に目を向ければ週間少年ジャンプ作品『トリコ』の最終章に登場した〈ネオ〉も派生ヴァリエーションのひとつと解釈できます。
 いずれにしても根底原理は『貪欲な飽食本能の下僕』であり、その動機の前には『善悪観念』等は超越に生じていないという原始的性質です。
 一見には〈アナビス〉〈スウォーム〉等とは同類に見えない〈ベムスター〉〈ネオ〉も〝ただ飽くなき捕食本能に準じているだけ〟であり「滅ぼしてやろう」というような悪意敵意ではありません。ただ「食いたい」という衝動欲求のみです。明確な悪意に在る〈星冠大帝ユニクロン〉にしても『宇宙征服の野望』と『惑星飽食脅威』は別物起因です。
 しかしながら〈アナビス〉〈スウォーム〉のような〈エネルギー生命体型〉には〈固体型〉に備わりようもない独自の猛威性があるのも事実。
 ひとつは規模──そもそもが〈不定形生命体〉であり、喰らえば喰らうほど成長増殖していくのですから、その規模は惑星はおろか銀河そのものにまで広がるのもザラです(それでも成長過程であり限界値はありません)。
 そして、それに起因するもうひとつの特徴が〝到底、人間の手で退治するのは不可能〟という絶望的生態──固体型と違って〈物質的実体〉を持っていませんから直接的武力行使に訴えられる相手ではありませんし、何よりも規模が桁外れ過ぎる。下すとすればグローヴナーやオプティマスプライムのように〈叡智〉を活用するしかない。如何に完全無欠の〈ウルトラマン〉であろうと〈ウルトラブレスレット〉で倒せる相手ではないのです。
 こうした〝為す術も無く捕食に晒されるしかない絶望&無力の痛感〟こそが、この〈飽食型怪物〉に於ける恐怖の肝と言えます。




 このように、実は『通俗SF』に於いて多大な影響を残した作品でありますが、それは〈ベム〉以外にも見受けられます。
 例えば〝コロニー機能を帯びた超巨大宇宙船による放浪旅〟という基礎設定は、そのまま『超時空要塞マクロス』でやられていますし、何なら後続シリーズでは〝移民新天地探索〟という使命も帯びますから、ますます以て『ビーグル号』に近付く。いや、視点を変えれば……それよりも以前に『闘将ダイモス』の敵側〈バーム星人〉が、この設定だったな。
 また『宇宙戦艦ヤマト』の人気キャラクター〝真田志郎〟は、その言動やポジションから、おそらく本作のカリスマ知恵袋である日本人考古学者〝カリタ:苅田〟がモデルとも取れます(ちなみに原語版では〝KORITA〟であったのが翻訳工程にて〝KARITA〟となったそうです)。


 通俗娯楽SF『スペースオペラ』には大別して二種類の方向性があります。
 ひとつが『海戦型スペオペ』とも呼ぶべきもので、つまりは艦隊戦そのものや艦内人間ドラマの交錯を閉鎖的空間で展開する作風。早い話、実質的魅力としては『軍記もの/ミリタリー』に在るものの、それを〈SF〉というテクスチャーで貼り直した感じ。代表的なのは何はなくとも『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河英雄伝説』辺り。海外作品だと近年ハリウッドで鳴り物的に映画化された(そしてコケた)『エンダーのゲーム』が原点とされているようです。
 もうひとつが、英雄素質に富む主人公が実力行使で悪漢や宇宙怪物といった敵役を下す勧善懲悪型。先述の『海戦型(集団群像劇)』と比較すれば『英雄伝説』が基盤とも言える。こちらの代表的な作品は『スペースコブラ』や『キャプテン・ハーロック』辺りか。海外だと古典映画『フラッシュ・ゴードン』が原点的存在ですが、コレを現代的再構築に焼き直したのが『スター・ウォーズ』になります。
 今回紹介した小説作品『宇宙船ビーグル号』は、乗組員達の人間ドラマが交錯する事からスタイル的には前者ながらも、宇宙怪物の脅威に立ち向かうフォーマットから本質的には後者になるでしょう。
 しかしながら、本作はどちらかと言えばマイナーで「知る人ぞ知るエポック」的な存在感になっています。
 諸々の革新的影響を残しながらも、別段『大作』と声高賞賛される趣にもありません。
 ですが、それでいいのです。
 この作品の本分は〝大衆向け通俗娯楽〟に過ぎないから。
 如何に一過的な娯楽として読者を楽しませるかが肝であり、ともすれば『選民意識的な高尚さ』など不必要と切り捨てても善い。
 読んで「面白い」「ワクワクする」といったシンプルなカタルシスこそが最重要項なのです。
 そもそも『スペースオペラ』の本分は〝そこ〟にこそ在るとさえ言えます。
 語源となったのは『勧善懲悪アクション型西部劇』を皮肉的に括ったマニア間俗称『ホースオペラ』で、これは〝凄腕の流浪主人公が弱者の涙に応えて町に蹂躙する悪玉を武力行使で成敗してカッコよく立ち去る〟というフォーマットパターンの作品像。代表的なのは『シェーン』とか『荒野の用心棒』とかですか。
 要するに『単純明快な善玉悪玉配置』『弱き者達を守護する英傑という勧善懲悪讃歌』『血湧き肉踊るアクションの痛快さ』という基礎構築要素で押している作品像ですね。
 日本人の肌感覚だと『痛快時代劇』と呼ばれるチャンバラものの醍醐味なんかは、まさにコレ(『水戸黄門』とか『暴れん坊将軍』とか『桃太郎侍』とか)。
 で、アメリカの〝第二次SFブーム期〟にて、そうしたタイプの娯楽性特化SF作品も多々増産され、これをマニア達が〝『ホースオペラ』のSF版〟として『スペースオペラ』と呼び始めたのが起源。
 つまり〝称賛的呼称〟ではなく〝皮肉的蔑称〟だったワケです。
 ところが日本に於いては50年代に『SFマガジン』で『スペースオペラ特集』が紹介されるや、この初耳ジャンルは海外と真逆の好感的印象に受け入れられた。
 のみならず、その懐の広さに「いつかは自分も決定的な『スペースオペラ』を!」と憧れの念を抱く創作者も多数潜在発生──そうした創作者が商業作品制作者に回り、だから日本サブカルには『スペースオペラ』のみならず『その要素を複合的に混在させた作品』も多いのです(例えば『ウルトラの国』とか)。
 私的考察持論ですが、この温度差は、おそらく先述のように日本人が『痛快時代劇』の国民性に在った背景は大きいと思っています。表層的には『銃劇/剣劇』の差はあれどフォーマットパターンは全く以て同質ですから相性が善かったのでしょう。

 ともあれ、こうした作品像を顕著に反映した大衆娯楽小説ですから、決して『高尚難解な大作』ではない。
 とはいえ、独自科学論や空想学問等は綿密に設定と描写が為されており、逆に『チープな安っぽさ』にも在りませんが……例えば本作独自の学問分野〈ネクシャリズム:情報総合学〉などは多くのSFオタにとって羨望対象であり、のみならず現実社会の経済学者等にも起因影響を与えています(ちなみに、これまた〈ウィキペディア〉では〈ネクシャリズム:総合科学〉と記されていましたが、本編描写を読むと〝様々な専門分野から局面対応に要する情報を統括的に考察材料と起用している〟のですから、やはり〈情報総合学〉とした方が正解のような気がします……っていうか本作品に関しては私的持論と〈ウィキペディア〉との解釈温度差は著しいな?)。

 もしも貴方が〈宇宙異形〉や『スペースオペラ』に対して真摯に継承したいと臨む姿勢ならば、本作を押さえておく事を強く御奨めします。
 諸々の『原点』ですから読んでおいて損はありません。
 そして、何よりも「ワクワク」します。


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