ノスフェラトゥ

文字数 10,837文字


【考察論】
 大別して〈吸血鬼〉には3タイプがいます。
 一つ目が〈吸血鬼ドラキュラ〉〈吸血鬼カーミラ〉に代表される〈人間型〉──つまり〝人間容姿そのまま〟で妖怪的な内在特性だけが人外を裏付ける非常にスタンダードな主流像です。
 二つ目が、一応は〈人間型吸血鬼〉と同じく〝人間容貌範疇〟ながらも同時に〝異形性〟が誇張されていて〝不気味な死人返り印象を誘発するのっぺりとした顔付き〟と〝邪悪で陰湿なオーラを常態的に発散している風貌〟が特徴のタイプ──古典名作映画『吸血鬼ノスフェラトウ(1922年作品)』から派生した事から〈ノスフェラトゥ型〉と呼ばれます。
 三つ目が〈蝙蝠獣人型〉で、如何にも〝王道怪物然としたカッコよさ〟に在るせいか〝ボス級吸血鬼の真形態〟とばかりに定着し始めたタイプ。これは〝鉄板クライマックスイベント〟を要するアクションホラーやジャパニメーションと相性が良いせいか比較的近年から多くなった趣があり、明確な火付けとなったのはアドベンチャーホラー映画『ヴァン・ヘルシング(2004年作品)』……と言いたいところではありますが、実はSFホラー映画『スペース・バンパイア(1985年作品)』が既に取り込んでおり、ではコレが最初かと言えばそうではなく(私的推測の域ではありますが)おそらく『吸血鬼=ダイレクトな蝙蝠獣人』という先入観確立は『仮面ライダー』のショッカー怪人〈蝙蝠男〉だと思われ、ともすれば此処に於いても〝石ノ森章太郎大先生〟はまたもやしれっと人知れず偉大なフォーマット発明をしていた事となる。しかも、後年の『仮面ライダーBLACK(原作漫画版)』では変身前の姿を〈ノスフェラトゥ型〉にするだけではなく酷似印象の〈オペラ座の怪人〉と混合再構築しており〈吸血鬼像〉の異形集大成とも呼べる新機軸を打ち出しているのですから、つくづく天才ぶりには畏れ入ります。

 と、まぁ理屈臭い前置きとなりましたが、今回は〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉について。



 冒頭で述べたように、このタイプはドイツの無声古典映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』から誕生したヴァリエーションです。
 つまり(あまり起用されない実情とは反して)由緒正しい古参像。
 本来〈ノスフェラトゥ〉とは〈不死者〉の事を指し、即ちニュアンスとしては〈アンデッド〉と同義とも呼べます。
 しかし、現状に於いて〈ノスフェラトゥ〉と言えば〈吸血鬼〉を指す狭義的イメージが定着した。
 これは裏を返せば、それだけ『吸血鬼ノスフェラトゥ』が強烈な存在感を発揮した結果とも言えます。
 ホラー映画原初期の作品ですから当然ながら無声映画ですが、不朽の名作にして元祖吸血鬼映画と語られる『魔人ドラキュラ(1931年)』よりも凡そ一〇年も前に製作されています。
 つまり、この『吸血鬼ノスフェラトゥ』の方こそが『吸血鬼映画』の元祖と呼んで差し支えない。
 この作品は〝ブラム・ストーカー〟の怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』の映画化なのですが、ストーカー遺族に版権許可を求めるも下りず、主立った設定の呼称を変更して公開されました(主役吸血鬼〈ドラキュラ伯爵〉は〈オルロック伯爵〉と改名され、主要舞台は〝イギリス・ロンドン〟から〝ドイツ・ブレーメン〟へと変更)。こうした場当たり的処置を施して踏み切りましたが、肝心の作品自体は明らかに『吸血鬼ドラキュラ』でしたからストーカー遺族から著作権侵害を訴えられて敗訴──全国の映画館からフィルムが没収焼却されるという憂き目に遭います。
 こうして鑑賞不可と失われ、永らく『伝説の作品』と語り継がれていた本作ですが、一部の映画館にて奇跡的に現存していたフィルムが発見され、後年にはビデオ化販売されました。このようなバックアップ的処置さえ施されれば永続的保存に確約されたも同然なので安心です(歴史的価値に於いても)。現在ではDVD化やBlu-ray化もされて容易に鑑賞できる環境に在ります。

 作風の特徴として語られるのは『極端に強調された影の演出効果:陰影美』ですが、これは取り分け古典ドイツホラー映画の大きな特色とも言え、他には例えば『カリガリ博士(1919年作品)』なんかもそう。しかも〝ただ漠然とやっている〟のではなく非常に効果的に使っていて、これにより〝品格すら感受させる悪夢的演出〟と昇華されている。
 意外に思われるかもしれませんが、一概に『ホラー映画』と言っても製作国によって〝独自性:カラー〟が在り、とりわけ演出や画作りには顕著に反映されています。例えばドイツホラーの場合は〝引き締まった美観にすら映る極端な陰影処理〟ですが、これがスペインだと〝鮮血の赤を毒々しい極彩美にすら感じさせるスタイリッシュな演出法〟でしょうか(有名監督〝ダリオ・アンジェルト〟の『サスペリア』なんかは代表的な例)。カナダなら御家芸の〝雄大な自然環境〟を潤沢に使い、作風もドッシリとした安定感に在るものが多い。ゴシックホラーのメッカたるイギリスはドイツやスペインと違った独特の毒気が空気や発色に在り、作風も心理面機微を尊重した格調高さすら感じさせる。大衆娯楽大国アメリカは、やはり〝分かり易く痛快な娯楽性〟に特化され、良く言えば『王道エンターテイメント化』であり悪く言えば『鉄板テンプレ演出論をなぞるだけの凡百化』とも言える(殊にシリーズ続編やB級以下は)。この辺りは各国の『ゾンビ映画』を比較鑑賞すると如実に感受出来ると思います。
 また『吸血鬼ノスフェラトゥ』の場合、オルロック伯爵の人外性を強調した演出描写はモノクロ無声時代という背景を加味した上でかなりの出色だったと思います。例えば〝夜の路地裏から歩き迫るオルロック伯爵〟を写真のコマ落ちで描写した演出等は原初的手法ながらも〝不自然なぎこちなさ〟が〈人外〉を強調する見事な表現と結実しています。この〝いびつで不自然だからこそ〈怪物〉の理不尽さに迫真を抱かせる演出手法〟というのは、殊更現代的な〝万事に現実とノーボーダーな描写演出を〟という風潮には失われた感もありますが、実は〈妖怪変化〉らしさを機能させるには大きな効果を発揮します(この辺りは『モンスターコラム:スケルトン』参照)。
 ちなみに〈吸血鬼〉の定番弱点にして最強の退治法『陽光を浴びると焼死する』は、本作のラストシーンから発生した設定です。このシーンは『吸血鬼史』に大きな功績を落としただけではなく、そのシーン自体が〝絶体絶命の緊迫感〟と〝叙情感を誘発する品格ある美しさ〟に映えるので、機会があったら是非とも御覧下さい。

 現在、我々が王道定番として認知している〈ドラキュラ像〉は『魔人ドラキュラ』にて主演俳優〝ベラ・ルゴシ〟が確立した像となります。
 ですが、ここまで読んで分かるように製作年としては『吸血鬼ノスフェラトゥ』の方が遥かに前であり、つまり〈オルロック伯爵〉こそが〈ドラキュラ像〉の元祖という事になる(非公式ではあるが)。
 なれば現在主流と定着した〈人間型吸血鬼〉よりも〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉の方が(映画発祥像としては)元祖という事でもあるのですが、何故か副次的ヴァリエーションと捉えられる傾向にも在り、だからなのかキャラクター起用されるケースも少な目。
 この稀少傾向に拍車を掛けたのが〈蝙蝠獣人型吸血鬼〉の台頭と思われ、それまで〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉には〝怪物然とした本性を顕現させた吸血鬼〟という異形インパクトイメージが帯びさせられて起用される場合も辛うじてあったのが、より〝カッコイイ〟ビジュアルの〈蝙蝠獣人型吸血鬼〉にポジションを奪われたから。
 ともあれ諸々不遇な印象にも在る『吸血鬼ノスフェラトゥ』ですが、公式or非公式というカテゴライズを省けば〝元祖〟たる総ての要素は『魔人ドラキュラ』ではなくコチラなのです。

 この〈オルロック伯爵〉を演じたのは〝マックス・シュレック〟となります。
 彼は長らくプロフィール不明の存在であり、そうした些か奇妙な背景と、演じた役柄〈オルロック伯爵〉の真に迫る怪奇印象から「実は彼自身が本物の〈吸血鬼〉だったのではないか?」と真しやかに噂されるようになりました。
 懐疑説流布に拍車を掛けたのが〝マックス・シュレック〟という芸名で、これは意訳すると『最大級の(マックス)』+『恐怖(シュレック)』になるから。
 そして後年には、その都市伝説をメタフィクション的に扱った異端の吸血鬼映画『シャドウ・オブ・ヴァンパイア(2000年作品)』が製作されました。
 無論、彼は〈吸血鬼〉などではなく、現在では身元も判明しています。
 本名は〝フリードリヒ・グスタフ・マクシミリアン・シュレック〟で〝マックス・シュレック〟は俗称。ドイツ出身。
 実はれっきとした舞台俳優出身であり、確かな演技力を実践で培った人物のようです。
 この『吸血鬼ノスフェラトゥ』が映画俳優としての転機らしいのですが、実は本作以外も数本の映画に出演していたとか。
 しかしながら『吸血鬼ノスフェラトゥ』から数年は〝アルフレッド・アーベル〟の名で活動して〝マックス・シュレック〟とは別人を装っていたとの事。
 真相は分かりませんが、あまりにも〈オルロック伯爵=マックス・シュレック〉が有名になり、ともすれば都市伝説とも化していたので、正常な俳優活動に支障を来していたのではないでしょうか?



 この『吸血鬼ノスフェラトゥ』以外で〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉を主体に扱った作品としてはホラー映画『死霊伝説 セーラムズロット(1979年作品)』がマニア間にて有名です。
 監督は『スペースバンパイア』で御馴染みの〝トビー・フーパー〟で、ホラー小説の帝王〝スティーブン・キング〟の長篇『呪われた町』を原作として映画化したもの──というより、そもそもは二夜連続TVドラマスペシャルでした。ところが完結直後からTV局にはラブコールの電話が殺到し、その過熱を原動力としてすぐさま劇場版再編集が為された経緯にあるそうです(私自身は原作未読)。
 物語は、田舎町〈セーラムズロット〉にジワジワ広がっていく〈吸血鬼感染の恐怖〉を描いたもので、非常にオーソドックスにして王道な妖怪譚。作風や演出にしても〝そこはかとなく合理性の柵に囚われだした近年型吸血鬼〟ではなく、幽鬼的且つ妖怪的な色に在り『怪奇映画』と呼んだ方が相応しい。
 重厚丁寧且つ心理的恐怖と憐憫機微に彩られた名編であり、先述したラブコール&映画化の流れも然もあらん……という感じですが、キング本人はエンターテイメント重視に誇張された本作の出来に不服だったようです(でも私的見解では、これって本作に限らず『キング作品映像化あるある』なんですけどねw)。
 で、本作の黒幕として登場するのが〈吸血鬼バーロウ卿〉──コレが〈オルロック伯爵〉以降では稀少になった〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉であり、私的独断承知で書くなら成功したキャラクターでもある。むしろ悪意的暗躍で町ひとつを絶望と恐怖のドン底に叩き落とすのですから、絶対悪としての貫禄は〈オルロック伯爵〉よりも上かもしれない。ですが〈ノスフェラトゥ型〉としての風貌は本作オリジナルとの事で、原作準拠ならば〈バーロウ卿〉は〈人間型吸血鬼〉らしいですね。だとしたら……よくやったトビー・フーパー監督!w
 また、平成期となる2004年にはリメイク映画が製作されました(コチラは未鑑賞)。レヴューサーチしたところ、毎度ながらの賛否両論ですが、酷評の方がやや多いように見受けましたね。原作準拠という面ではリメイク版の方が優れているものの、やはり面白さ&完成度という点では元祖の方に軍配が挙がるようです。ちなみに〈リメイク版バーロウ卿〉は原作準拠に〈人間型吸血鬼〉との事です。
 更に後年には『死霊館』の〝ジェームズ・ワン〟を監督に据えた二度目のリメイク映画化が企画されたそうな……ですが、こちらの情報は一切把握していないので語れません(スマンw)。
 ちなみにプチスマッシュとなった深夜アニメ(及び、原作小説)の『屍鬼』は、本作『死霊伝説』のオマージュ模倣です。舞台を日本の田舎町にしていますが、作風や基礎展開や雰囲気等は結構かなり〝まんま〟です。にも関わらずまったく指摘されなかったのは、時代経過で『死霊伝説』を知っている若いアニオタ世代が皆無になっていたからw
 このように『セーラムズロッド/死霊伝説/呪われた町』は一般認知度こそ低いものの〝知る人ぞ知るマニアック名篇〟として結構影響力を秘めた作品です。


 あと、映像サブカルに於いては……厳密に言えば〈吸血鬼〉ではないものの『ハリー・ポッター』シリーズの〈あの人〉も〈ノスフェラトゥ型吸血鬼〉のオマージュ入っていますね。
 ま、特性的には〈不死者〉ですから、それこそ広義的には〈ノスフェラトゥ〉ですけど。
 私的分析になりますが、原作者〝J.K.ローリング〟は、かなり〈怪物〉に対する造詣が深いです。
 それも『ファンタジー』のみならず『ホラー』や『民俗伝承』からも精通している。
 でなければ第三作目『アズカバンの囚人』で〝ウルフマンとワーウルフの差異〟なんてマニアックな雑学は用いませんし、しかも、それが肝たるトリックにもなっている。
 新シリーズ『ファンタスティック・ビースト』では〈河童〉なんて西洋人にはマニアックな選出していますからね(日本人にとっては〈庶民的妖怪〉の代表格ですから、なかなか通なチョイスです)。
 それを考慮すれば〈不死者↔ノスフェラトゥ〉というマニアックなアレンジをしていてもおかしくはない。
 ついでに言うなら、あの〈しゃべる帽子〉……往年の妖怪退治アニメ『ドロロンえん魔くん』の〈シャポ爺〉をパロディにしてない?



 さて、物語舞台となった〈セーラムズロット:セイラム村〉は実在した〝呪われた村〟として有名(本作に於いて、厳密にはモデルに過ぎませんが)。
 とは言っても〈吸血鬼伝説〉ではなく〈魔女狩り伝説〉の方に寄り、狐狸妖怪的な〈呪い〉ではなく現実的な〈呪い〉ですが……。
 あまりにも前代未聞の忌まわしい事件を起こした事から、現在でも〈呪われた村〉の都市伝説基本としてオカルトサブカルに用いられる事も珍しくなく、例えばシェアードノベル大系『クトゥルー神話』にても基礎世界観構築設定の一端たるキーポイント地域として据えられていたりもします(こちらもモデルとしたフィクション設定です)。
 今回のコラムにて触れる機会が生じたのも縁として、その事件についても記しておきます。
 ただし長いよ?
 相当密度の濃い史実だから。

 事件が起きたのは1662年5月~1963年5月。
 場所はアメリカ・マサチューセッツ州に存在したセイラム村(現ダンバース)。
 発端となったのは、二人の少女〝ベティ・パリス(九歳)〟と従姉妹〝アビゲイル・ウィリアムズ(十一歳)〟の異常症状です。
 この二人は親に内緒で友人達と共に降霊会に興じていたのですが、そこでアビゲイルが霊障を思わせる奇行を取るようになりました。
 医者の診察を受けるも原因不明──降霊会へ参加していたという背景から『悪魔憑き』と診断されたのです。
 べディの母親〝サミュエル・パリス〟は使用人〝ティトゥバ〟を疑います。彼女が南アメリカ先住民という事もあり、潜在的な差別意識が働いたのかもしれません。
 と言うのも、この頃のセイラム村は非常に複雑且つ不穏な背景が慢性化していたのです。
 そもそも村の発祥は、イギリスでの弾圧から逃げ延びた〈清教徒:ピューリタン〉達が1626年に興した形になります。そのため暗黙の風潮として『ピューリタン思想』が根に敷かれています。
 また同時に〈ネイティブアメリカン:アメリカンインディアン〉〈フランス人入植者〉もいましたから、三竦み的な確執は常態化していました。
 こうした不穏な生活環境では村人も心身共に病んでおり、険悪な反目が水面下に泥濘しています。
 更に事件が起きた1962年の冬には記録的大寒波に襲われ、日頃から厳しい生活水準は更に悪化しました。ともすれば、普段以上に不安と閉塞感が心理的に慢性化していたのは想像に難くありません。
 こうした殺伐とした背景の最中で、この事件です。
 日頃から鬱積した差別意識が便乗に暴発したとしても、それは哀しいかな自然な流れなのでしょう。
 況してや、この一連の流れはピューリタン達が準ずる「悪魔は魔女を代行者として世界に災いをもたらす」という教義に合致していますから、それを後ろ楯とすれば正当性を翳すに申し分は無い。
 ともあれサミュエルはティトゥバを拷問して〈ブードゥー魔術〉を使ったと強制自白させたのです。
 無論、暴力に屈させた事実無根の冤罪ですが、これで一件落着とはならなかった。
 どういう因果性かは判らないものの、今度は降霊会出席者であった十二人の少女達が、次々とアビゲイル同様の霊障的奇行へと染まっていったのです。
 ただちに近隣の〝ジョン・ヘイル牧師〟が招かれて悪魔払いが行われましたが効果無し……失敗です。
 この少女達の内〝アン・パットナム(十二歳)〟は〝村の最有権者の娘〟という事もあり、真相追求は過熱化します。
 サミュエルによって追求された娘達は三人の名前を挙げました。
 即ち〝ティトゥバ〟〝サラ・グッド〟〝サラ・オズボーン〟──いずれも、セイラム村に於いて立場的に弱かった女性です。
 斯くして1662年2月29日、彼女達には逮捕状が出されました。
 逮捕強行に踏み切った理由は、とても理不尽で稚拙な難癖ばかり……。
 サラ・グッドは「魔女のまじないを行った」……
 サラ・オズボーンは「しばらく教会に行かなかった」……
 そして、ティトゥバは「魔女の話を子供達に聞かせた」……
 要するに理由の正当性などは最初から無視に構え、既成事実のみを成立させたかったワケです。
 これには彼女達いずれもが〝余所者〟という差別迫害心理も働いていたのでしょう。
 しかし、当時のセイラム村には判事がいなかったので、同年3月に近隣のセイラム市から判事が招かれて収監予備審査が行われる運びとなります。
 当然、サラ・グッド&サラ・オズボーンの両名は容疑を否認しました。が、証人列席していた〝悪魔憑きの娘達〟が突然暴れだし「二人が霊を使役している」と証言──これを決定打として有罪判決とされたのです。
 一方のティトゥバは〝悪魔との契約〟を認め、従順な態度で虚偽証言に徹しました。
 何故か?
 先述しましたが、この村の根本は『ピューリタン思想』であり、そこには「事実の真偽は二の次として、とりあえず神の名の下に『自白』すれば恩赦的に減刑される」という歪んだ法解釈が横行していたからです。平たく言えば、司法権限を利己的に悪用した改宗強要。
 命惜しさに負けたティトゥバは、不本意ながらも〝他にも共謀関与した存在がいる〟と示唆します。
 そして、件の娘達が再詰問され「あの人も〈魔女〉」「この人も〈魔女〉」と次々事実無根な虚偽証言が乱立──その結果、最終的に百名以上もの村人が告発されたのです。
 同年5月27日、看過できない異常事態にマサチューセッツ総督〝ウィリアム・フィップス〟が〈オイヤー・アンド・ターミナー裁判所〉を本件専門として設置。
 同年6月2日より審理が行われ、有罪宣告を課せられた被告達は僅か8日後の6月10日から順次絞首刑に処せられていきます。
 ところが、秋頃になると娘達の証言に疑問を抱く層が現れ出し、10月にボストンの聖職者からウィリアム総督に上告が出されました。
 この頃、ウィリアム総督自身も妻を逮捕されたという状況に在って、即刻『霊的証拠採用』をやめるように〈オイヤー・アンド・ターミナー裁判所〉に命令──10月29日には同裁判所を散会して、更なる逮捕を禁じました。
 そして、1963年5月に収監者に対しての大赦を宣言して、斯くして忌まわしい事態はようやく収束したのです。
 後発的に拘束された人々は高等裁判所での審理が為され、その殆どは無罪判決を受けました。
 しかしながら、最終的には二〇〇名近い村人が〈魔女〉と告発されて収監、その内、刑死が十九名、拷問圧死が一名、二人の乳児を含む五名が獄死という陰惨な記録を史実に刻む事となったのです。
 サラ・オズボーンは逮捕後しばらくして獄死。
 サラ・グッドは逮捕時点で子持ち家庭の妊婦でありましたが、夫〝ウィリアム・オズボーン〟は妻を弁護する立場に在りながら「彼女は魔女か、すぐに魔女の一員になるだろう」と裏切りの証言──母親と共に投獄された愛娘〝ドロシー・グッド(四歳)〟も最終的には尋問に負けて母親を売るような偽証をしています。そして、サラ・グッドは獄中出産したものの、赤ん坊は生まれてすぐに死亡──しばらく後、彼女も有罪判決で絞首刑とされました。はたして彼女の失望は如何程だったであろう事か……。
 唯一、責任転嫁の告発をしたティトゥバだけが同年5月に釈放されました。しかしながら、これでティトゥバを責めるのは酷というもの。
 根本的な元凶は〝事実無根でも疑わしきは問答無用に有罪とし、改宗すれば真偽不問で減刑とする宗教思想に毒された司法制度そのもの〟なのですから。
 そして〈真実〉を声に上げさせない集団圧が、どれほど理不尽で恐ろしい事か……。

 この事件の真相は未だ解明されていません。
 一説では「少女達は〝菌類による食中毒〟や〝脳腫瘍が原因となる幻覚〟に苦しんでいたのではないか」とする声もあります。
 しかしながら、真偽は判らないものの看過できない考察材料として、発端となった少女達は3月28日の時点で既知である〝インガソル夫人〟に、こう仄めかしていたそうです──「みんなで楽しく過ごしたいから遊びでやっている」と。
 だとしたら非常にゾッとするオチですし、これこそまさに〈ホラー〉と呼べます。
 ですが、これは〝現代でも横行している悪意〟と定義でき、例えばネットに在る匿名性を盾にした攻撃的悪意等はまさに同種。心理プロセスに於いても事態構造にしても、まったく同じです。
 いずれにせよ、この異常事件は〈スケープゴート心理:誰かを吊し上げ対象として溜飲を飲む低俗心理〉の赤裸々な実例で間違いありません。
 況してや村そのものがギスギスした排斥感が閉塞していた上に、生活直撃の大寒波──鬱積したフラストレーションが、ここぞとばかりに『弱者虐待』という最低最悪な形で噴出したのでしょう。

 この事件は『セイラム魔女裁判』という呼称で史実に通っています。
 総じて〈魔女裁判:魔女狩り〉という史実は絶対二の轍を踏んではならない忌まわしい教訓ですが、この『セイラム魔女裁判』は取り分け陰湿で毛並みが違います。
 そして、身近に潜む諸々の落とし穴に対する警鐘として、現在でも適応される大きな一石を投じました。
 差別迫害意識やスケープゴートの吊し上げもそうですが、取り分け〈宗教〉と〈司法〉を完全分離させて〝客観的且つ合理的な物理確証を以て行われる公正な裁判形態〟を磐石に確立した功績は大きい。
 痛ましい事件ではあるものの、その〝痛み〟は教訓として近代社会構造に大きな礎を築かせたのです。




 と、いつの間にやら相当な文字数を喰っていました(『セイラム魔女裁判』なんか語るからw)。
 締め括りは、やはり本題である〈ノスフェラトゥ〉及び〈吸血鬼〉で……。
 映画『死霊伝説』や史実『セイラム魔女裁判』が〝狂気のパンデミック感染〟という暗喩である事は述べた通りですが、実は初代〈オルロック伯爵〉にも〝感染恐怖の暗喩〟という性質は織り込まれています。
 それは〈ペスト〉です。
 当時の社会問題として〈ペスト〉は非常に深刻な脅威でした。
 殊にドイツは、そうです。
 ともすれば、この〈オルロック伯爵〉は世相反映を色濃く内包されていると言える。
 こうした暗喩性質を確固と内包しているキャラクター性こそ〝王道モンスターの正しい在り方〟と言えると思いますし、また同時に〝品格に在る奥深い魅力〟と発揮されるのです。
 さて、現在は〈アレ〉の猛威下──慢性的な閉塞感と感染脅威は〈ペスト禍〉と同一です(相対的な死亡者数こそ少ないですが、それは近代医療発達の素晴らしさです)。
 ともなれば、そろそろ『新たな吸血鬼作品』が現れるかもしれませんね。


 この〝吸血鬼=感染暗喩〟というのは今更な分析論ですが、同性質に在る〈リヴィング・デッド:近年型ゾンビ〉と〈吸血鬼〉では異なるスタンスを私的には感じています。
 それは〈吸血鬼〉の場合、その性質なり行為なり惨劇自体なりに、人間特有の叙情的心情機微が織り込まれている(或いは、織り込む事が可能)という点です。
 これはグロテスクな醜感と猟奇的カニバリズムで押す排斥障害〈リヴィング・デッド〉には備わりようもない。だって、そうした感情移入要素を極力オミットした非共感恐怖こそが〈リヴィング・デッド〉という怪物の成功根本だもの。
 対して〈吸血鬼〉というのは、我々〝人間〟のメンタリティー沿線上に在って、つまり心理面に於いては〈共感対象〉にも成り得るという事。
 もちろん、本稿の〈オルロック伯爵〉〈バーロウ卿〉を始めとして〈ドラキュラ伯爵〉〈レスタト:登場作品『インタビュー・ウィズ・バンパイア』〉〈DIO:登場作品『ジョジョの奇妙な冒険』〉のような〈完全悪〉としての吸血鬼も多々存在しますが、一方で〈カーミラ〉や〈ブレイド:登場作品『ブレイド』〉〈美夕:登場作品『吸血鬼美夕』〉〈カリナ・ノヴェール(おっと?w)〉等……ドラマティックな人間的心理を背景に敷く者も多い。
 殊更、後者の場合は存在自体がドラマツルギーとして機能しますから、サブカルに於いては単なる排斥悪ではなく直球に〈主役/主役級/善玉〉というポジションに預かれる事も珍しくありません。
 こうした多岐的な魅力を内包したアンデッドは〈吸血鬼〉以外に見受けられないような気もします。
 例えば〈フランケンシュタインの怪物〉や〈ミイラ男〉のようにドラマツルギーを内包したアンデッドは他にもいますが、総じて物語やキャラクター像は同一方向性に準じます。
 しかしながら〈吸血鬼〉の場合は時代順応に臨機応変な進化を果たし、描かれる像も各個人で様々。
 異形容貌、妖力特性、メンタリティー……そして、ドラマ性……実に多彩です。
 更には時代順応による進化も著しいですから、これからも新たな像は登場して来るはず。
 まだまだ当面は〈アンデッド界の花形〉という王座を〈リヴィング・デッド〉に奪われず君臨する事でしょう。


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