怪物達の世相警鐘

文字数 4,485文字


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【はじめに】
 今回の内容に於ける記載情報の類は公開時点(2020年)のものであり、月日経過で適応しなくなっている場合もありますが、この辺りまで修正してはキリが無いので〝そのまま〟とします。
 以上の点を御了承下さい。
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【考察論】
 古来より〈妖怪・怪物〉牽いては〈怪獣・怪人〉という存在は、時代背景や人間性の端的暗喩(メタファー)としての側面を色濃く反映しています。

 例えば〈フランケンシュタインの怪物〉が『科学発展に於ける負の側面』というのは今更蛇足な感もありますが、同時に『差別迫害心理』の体現者でもあり『アイデンティティーに対する個人的葛藤』のドラマツルギーを打ち出した存在でもあります。
 広義的には『セカイもの』の古典的作品と呼んでもいいでしょう。

 また〈狼男/ウルフマン〉ならば『内在する暴力性と道徳倫理の葛藤』であり、同時に映画製作当時の時代背景である〈ナチスドイツ〉を象徴した暗喩です(モンスターコラム参照)。

 古典名画『吸血鬼ノスフェラトゥ』に登場する吸血鬼〈オルロック伯爵〉には〝ペスト流行〟という暗喩が加味されています。



 日本の妖怪に目を向ければ『庶民生活に密着した端的メタファー』というのは言わずもがなですが、こうしたユーモラスで矮小的象徴は概ね江戸時代辺りからメインストリーム化したきらいがあります。
 要するに江戸時代では浮世絵文化などで大衆娯楽が一気に開花し、そうした中で〈妖怪〉も格好の題材となったのです。
 そうなると、あの手この手で新作大量増産の流れとなり、早い話が現代で言う『怪獣怪人図鑑』と同じ存在と化していったワケですね。

 ですが、それ以前はもっと深刻な警鐘を訴えるような物々しい存在だったのです。

 例えば〈鬼〉ですが──この妖怪は時代に応じて暗喩対象が変質しているのが面白い点です──そもそもは『中国に於いて幽霊を指す名称』でした(だから〝幽霊族〟の〈ゲゲゲの〝鬼〟太郎〉なわけですね)。
 日本に於いても平安時代辺りまでは〈生霊/死霊〉を指す語であり、牽いては〈モノノケ〉全般を指すように広義化しました。
 〈大江山酒呑童子〉〈大嶽丸〉〈悪路王〉〈温羅〉……この他にも〝山や秘境を根城として徒党を形成している鬼〟は多く、こうした存在は〝賊の暗喩〟とも言われています。
 昔の日本では〝山賊の強襲〟などは身近な脅威でしたから、こうした喧伝流布によって警鐘を共通認識と浸透させていたのでしょう。
 してみると、西欧圏に於ける『狼による獣害』を暗喩した〈伝承型狼男〉と同じプロセスと言えなくもありません。



 時代が近代化して万事に『合理的唯物論』が主観とされてくると、こうした要素はSF理論に固められた〈怪獣・怪人〉が継承します。
 そもそも怪獣は〈妖怪・怪物〉を科学的テクスチャーで時代順応させた怪異であり、根本的に地続きです。

 戦争に於ける被爆体験で〈核〉の恐怖を暗喩したのが〈ゴジラ〉であり、だから近年『ハリウッド版』『シン・ゴジラ』等では〝原発事故〟の暗喩として復活する。
 解り易く言えば〈ゴジラ〉は〝SF科学論で纏められた核妖怪〟という事です。
 〈ゴジラ〉自体が〝正義の味方〟と化した怪獣ブーム時代には、敵対する怪獣が社会暗喩を担った流れも少なくはありません(例えば〝公害汚染〟の暗喩〈ヘドラ〉等)。



 廉価的なTVヒーローでも、そうです。

 『ウルトラシリーズ』を例に取ると、交通事故が問題視されれば事故死した少年の想いが〈高原竜ヒドラ〉と化してトラックを無差別に襲い、或いは暴走族に重症を負わされた少年の無念がソフビ人形へと乗り移り〈妄想セブン〉と化して復讐に追い回します。
 『ウルトラ』は、その時代の風刺や社会問題を根に敷いた怪獣が少なくありません。
 殊に『昭和ウルトラ』は、そうです。
近年作では〈SFキャラクター〉としての側面が強くなり、そうした側面は稀薄化したようにも感じますが……それでも継承的怪獣もいるにはいます。
 奇異的オブラードの根幹には警鐘メッセージを色濃く込めた象徴存在であり、だからこそ普遍的な魅力を『円谷イズム』として愛着を抱くファンも多いのでしょう。

 或いはファーストフード偏食が危惧されれば『電子戦隊デンジマン』では〈ベーダー怪物・ハンバラー〉が登場して、食した者を〝ヘドロ風呂を喜ぶようなバカ〟にしてしまう〈ハンバーカー〉を売り捌きました。
 現在では俄に信じられないでしょうが、この年代では一部の偏見的な大人達によって「ジャンクフードは栄養価が偏っていて油分過多なので体に物凄く悪い」といった(根拠不充分な)問題視風潮があったのも事実なのです。

 近年CMでプチ復活した〈ゼニクレージー〉は『コンドールマン』の敵怪人で〝経済市場主義(エコノミックアニマル)〟と染まった日本人への皮肉です。
 この作品には〈スモックドン〉〈ゴミゴン〉〈ヘドロンガー〉といった〝近代化環境悪の暗喩〟が多々登場します(というか『川内広範ヒーロー』は、こうした社会悪や風刺警鐘を直球表現しているのが特徴)。
 殊に敵側主観で風刺を歌い上げたエンディング『ザ・モンスター』は鬼気迫るもので、2番のヘドロンガーの歌詞「もっともっと流せよ もっと汚せ いまに魚も食えなくなるさ そうすりゃ地獄の鬼になる」などは背筋にゾッと走るものすらあります(さすがです! 川内先生!)。

 〈怪人文化〉の代名詞たる『仮面ライダー』の敵組織〈ショッカー〉などは〝ナチスドイツや旧日本軍などの軍国主義(ファシズム)の象徴〟であり、それを〝自由の使徒〟たる〈仮面ライダー〉が打ち砕く事で『平和主義のカタルシス』を機能させています。
 また同時に組織自体が〝現代日本の縮図風刺〟ともなっており、そうした要素は、悪役ぶっていながらも何処となく〝間抜け〟に映る裏ギャグ的な滑稽さや、上下関係ヒエラルキーに板挟みな立場となっている幹部の〝中間管理職の気苦労(笑うしかない悲哀)〟などに汲み取れます。
 つまり〈ショッカー〉という組織構図自体が〝社会弊害の風刺暗喩〟なわけです。

 もちろん、こうした〈怪獣怪人文化〉の大前提は〝(殊に子供の)異形に対する好奇心を刺激する事〟であり、また〝毎週目新しいモチーフを模索して大量増産をこなす〟という点が創造の大原則です。
 早い話(ホラーモンスターなどに比べて)〝二束三文的なやられ役の大増産体制〟と言えます。
 しかしながら、このように〈妖怪・怪物〉〈怪獣・怪人〉は通俗娯楽のテクスチャーの下に、深刻な教訓を帯びている事が少なくないのです。



 そして、近年の怪物代名詞と言えば〈ゾンビ〉です。
 と来れば、勘のいい人ならば「ああ、コロナ等のウィルス暗喩として語りたいのね」と察するでしょう。

 はい、そうです。

 しかしながら「あんなの娯楽フィクションじゃんw」などと一笑に軽視してはいけません。

 先述の通り、こうした異形存在が根幹に〝警鐘的なメッセージ〟を秘めている事は存分に伝えました。
 確かに〝人喰い死人返り〟などは実在しません……が、視点を変えて分析してみて下さい。

 実際、いまになって叩かれている初動処置に於ける認識の甘さ(客船隔離)は、私のみならず「おいおい、それ下手したら感染状況悪化するけど?」と危惧していたゾンビオタは結構いたはず。
 また、その後の「病院へ隔離移行したから大丈夫」という政府の短絡的な発想にも「いやいやいや、病院って意外と拡大化温床になる危険地帯だから」と思ったゾンビオタも多いでしょう。
 これらはホラーマニアからすると〝状況悪化フラグ(お約束)〟だからです。

 そもそも〈ゾンビ〉──というか厳密には〈ゾンビ〉ではなく、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に端を発する別物SF死人返り〈リビング・デッド〉ですが──は〝感染パンデミック〟の暗喩です。
 とは言え、多くの人(ゾンビオタ含)は〝ウィルス感染の擬人化〟及び〝感染者の暗喩〟とだけ捉えているでしょう。
 それは……その通りです。
 何は無くとも〈ロメロ型ゾンビ〉は、その暗喩です(そもそもウィルス感染パニック映画の金字塔『クレイジーズ』はロメロ作品ですし)。
 ですが、一方で〝パンデミックへと陥った群衆(パンデミック・クラウド)〟そのものの暗喩であるとも汲み取れませんか?
 知性を欠き、捕食本能だけに流されて、ワッと獲物へと群がる虚無的で非生産的な浅ましい姿──そのまま〝氾濫する情報の鵜呑みに冷静な自己判断力を欠き、右往左往に流される大衆の姿勢〟と重なりませんか?
 また、そうした流れで瓦解し掛けている社会世相と、劇中の退廃世界観は似通っていませんか?

 つまりね?

 いままで「ゾンビイェーイ!」なんて楽観的娯楽視だけになっていた人は「改めて教訓として観直してみて?」って事。
 うん「イェーイ!」となっていながら、根っ子では「所詮はフィクションだし? 現実に有り得ないし? 一過的な娯楽趣味だし?」なんて醒めてたんじゃ、もったいない。
「オレ、みんなが嫌がる『ゾンビ映画』も平気なんだぜ? ガンガン観てるぜ? スゴいだろ?」なんて表層的なハマり方だけじゃなく『好き』ならば本気の情熱で〝がぶりよつ〟になってほしい……って事なんです。

 過激シーンや奇異性以外にも、着目すべき点や吸収出来る教訓は絶対にある!
 連面と続く〈怪物文化〉というのは、娯楽性の水面下に〈教訓警鐘〉を色濃く敷き、身近な〈サブリミナルメッセンジャー〉として発展してきたのですから!


 コレ『ゾンビ映画』だけじゃないです。

 『アニメ』でも『特撮』でも『ゲーム』でも『小説』でも……おおよそ〝ストーリー性〟を主題にしたものには、大なり小なり何かしらの〝メッセージ〟や〝暗喩〟が秘められています(注:稀に無い場合もありますけどw)。
 だって〝創作側〟は「何かを表現して伝えたい」というモチベーションで臨むのですから。
 そこに〝何〟を見出すかは各人によって異なりますし〝どう解釈するか〟かも〝どう活かす〟かも各人の自由です(だから千差万別な価値観が生まれて面白いのです……サブカルというものは)。
 単に「カッコイイ」「可愛い」「面白い」でもいいんですが(それが通俗娯楽の本分だし)、この『サブカル』というのは能動的に楽しんだ方が俄然面白いし、自分自身の個性や審美眼も育める。

 でも、単純に〝もったいない〟じゃないですか?
 せっかく〝他人に自己主張を誇示できる特異な趣味〟を持っているなら、ディープな個性として血肉にしなければ。
 それは、きっと貴方の〝武器〟にもなります。


 些か切り出しとは異なる着地をしてしまった感もありますが(『怪物文化』というよりも『サブカル全般』へと脱線してしまいましたw)、私の拙い弁でも皆様の琴線に〈熱〉が伝われば嬉しく思います。

 という事で、今回はこの辺で……。
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