人魚

文字数 13,033文字


 おそらく〈人魚〉と聞けば、万人が〝ラブロマンスの薄幸ヒロイン〟〝友好的で優しいが、そこには種族差異の壁という悲劇がある〟と連想するのではないでしょうか?
 ですが、これはデンマーク出身作家〝ハンス・クリスチャン・アンデルセン〟の創作童話『人魚姫』に起因し、それを原典と拡張発展したフォロワー作品群によって定着したイメージです。
 元来〈人魚〉は〝魅了効果の歌声で船を誘い難破させる邪怪〟であり、つまりは正真正銘の〈怪物〉なのです(もっとも、こうした特徴は亜種〈セイレーン〉の性質が重ね落ちたのでしょうけど)。
 ちなみに〈人魚〉というと女性のみイメージされますが、当然ながら男性人魚も社会共生しています(女性人魚は〈マーメイド〉と呼ばれ、男性人魚は〈マーマン〉と呼ばれます)。
 また〈海魔〉の類と言えば、男性基準なら〈半魚人〉で、女性基準なら〈人魚〉というのが鉄板印象としてあります。
 この辺りは『男性が強く追い求めるのは〈力〉であり、その究極象徴が〈異形異能〉』『女性が強く追い求めるのは〈性〉であり、その表層的具象手段が〈美貌〉』という性別による根底原理差異とも取れます。
 尚、本稿では〈女性人魚〉を主体として綴っていきたいと思います。


 さて、元来〈人魚〉というのは、他の〈怪物〉同様に忌避存在なワケですが、まずは、その側面について少々触れておきましょう。
 最大の異形特徴たる〝上半身が裸身美女で下半身が魚尾〟という容姿ですが、これは言わずもがな水棲性質によるものです。
 しかしながら、伝承よりも後年に付加されたキリスト教の戒律的暗喩によれば「例え見た目が美しくとも、その本性は醜悪な存在/甘い誘惑に負けて屈すれば破滅へと貶められるので自戒の精神を怠るな」となり、要するに〝宗教の崇高さ〟というストイック教訓を刷り込む為の〝好対比として機能する悪玉〟とも機能するワケです(特に性誘惑の)。

 こうした布教目的の憎まれ役扱いは古くから〈怪物/妖怪〉の本分一端でもあり、例えば日本では大乗仏教が伝来した際に『大日如来(仏様)は日本古来の八百万神よりもオールマイティな存在』と喧伝する為に〈妖怪〉全般を無敵に退ける威光を誇示。
 これにより「仏教って神道よりスゲー!」となって布教のスムーズ化に一役買いました。
 この布教作戦で幸いだったのが〈妖怪:土着の排斥悪〉が雑多に存在した背景で、だから布教側視点で「もっけの幸い」という言葉が生まれたのです(この〝もっけ〟とは〝物怪〟──即ち〝モノノケ〟の事)。

 或いは西洋に於けるキリスト教の布教活動では〈土着神〉を「オマエ達が崇拝していたのは〈神〉ではなく〈悪魔〉だったのだ! 本当の〈神〉とは、我々が教え授けた存在〈ヤハウェ〉だけだ!」と一方的な烙印を押して〈魔神/デーモン〉と定義したワケですね(今回は割愛しますが〈悪魔〉を指す呼称として〈デビル〉と〈デーモン〉の差はココにあります)。
 で、こうして各地の〈土着神〉が霊落させられる中で、イギリス・アイルランド地方の宣教師として活動した〝聖パトリック〟はコレをしなかった。
 というのも、彼はイギリス・ウェールズ地方出身であり、十六歳の頃に海賊の捕虜となった後、アイルランドに人身売買されて〈キリスト教〉へと帰依したという過酷環境の経緯にあったからです。
 つまりはこうした〈土着神〉が土地に住まう貧しき者や苦しむ者にとって〝心の拠り所〟になっている現実を実体験から知っていたからなんですね。
 そこで板挟みの中で取った処置が「こうした存在は〈悪魔〉でも〈神〉でもない〈妖精〉という矮小存在であり、天国へ行くほど崇高ではないが〈悪魔〉のように邪悪でもないので現世に隠れ住んでいる」というものでした。
 これが〈アイルランド系ケルト妖精〉の誕生経緯です。

 些か脱線してしまいましたが、こうした宗教的意向に〈怪物〉が利用されるのは、よくある事象で、だから〈人魚〉も〝そういう存在〟に過ぎなかった。
 それを根本から覆して真逆のイメージに固めたという実績を考えれば、偉大なりアンデルセン……ですね。

 また一説によると〈人魚〉の下半身が魚尾なのは、脚を開けないという特徴から〝処女の暗喩〟とされる事もあるようです。
 従って〈人魚姫〉が激痛を伴って歩くシーン演出は〝処女喪失〟を意味しているとか(サブリミナルにエロいな……アンデルセンw)。

 アンデルセン童話『人魚姫』が登場したのは1837年になります。
 あまりにも有名ですから物語を知らない人は皆無でしょう。
 蛇足ながらに大まかな説明をするなら
『十五歳の誕生日を迎えた人魚姫は、嵐の夜に難破船から放り出されて溺れていた王子様を救けて人知れず去るも、王子様の事が忘れられない。
 日に日に強くなる想いから祖母へと〝人間〟の事を訊ねれば「自分達〈人魚〉は三〇〇年生きられるが、人間は短命──だが、死ねば泡となって消える自分達と違い、人間は〝魂〟を持っているので天国へと行ける」と言う。
 そして「魂という物を手に入れるには、どうしたらいいの?」と質問すると「人間がオマエを愛して結婚してくれれば可能だが、異形である〈人魚〉を愛する事は無いだろう」と告げられた。
 それでも人魚姫の恋慕は募り、自らの美声を引き換えとして魔女から〈尻尾が脚に変わる魔法薬〉を授けてもらう。
 しかし、その〈魔法薬〉には『王子の愛を得られなければ泡となって消えてしまう』という誓約があった。
 はたして王子と再会した人魚姫は、王子もまた〝溺れていたところを救ってくれた娘〟を偲んでいる事を知るも、声を失ったので主張できない。
 加えて王子は、件の女性を〈人魚〉とは知らぬままに〝修道院の女性〟へと面影を見出だし恋い焦がれていた。
 けれども、相手は〝神に遣える身〟なればこそ叶わぬ想い。
 そして「どうしても結婚しなければならないとしたら、彼女に瓜二つのお前と結婚する」とさえ人魚姫に告げるのであった。
 もどかしい想いを抱える人魚姫──。
 やがて王子には隣国王女との縁談が持ち上がった。
 しかも、その王女こそ〝修道院の女性〟であり、修道院へは教養習得に身を預けていただけだと言う。
 斯くして王子は想い人と結婚──残酷な結末に人魚姫は悲嘆と暮れる。
 そんな彼女の前に〈人魚〉の姉達が訪れた。
 姉達は美しい髪と引き換えに魔女から〝王子の返り血を浴びれば〈人魚〉に戻れる〟という短剣を授けてもらい、妹を救済しようと働いたのだ。
 斯くして王子の寝室へと忍び込む人魚姫であったが、いざ殺さんとしても、それはどうしても出来なかった。
 愛する人の幸福を願う人魚姫は、人知れず泡と消えたのである』
 万人が認知している物語は、こんな感じです。
 まぁ、多くは幼少期の絵本などで触れますから、そこは児童向けに簡略化アレンジが為されていますが(例えば『返り血』などというドロドロした表現ではなく『殺せば』となっていたり、或いは『修道院云々』という下りがオミットされていたり)。

 ですが『この後の展開』が存在する事は意外と知られていません(基本的に絵本では描かれていませんし)。

 実は〈人魚姫〉は〈空の娘/風の精霊〉に生まれ変わります。
 彼女を迎え入れる仲間の〈空の娘〉によると「貴女は、これまでの苦労が認められて生まれ変われた。自分達〈空の娘〉も〈人魚〉同様に〝魂〟は持っていないが、三〇〇年間〈精霊〉としての勤めを全うすれば〝魂〟得られる」との事であった。
 そんな中、人魚姫は何故だか悲しげに〝海の泡〟を愁う王子と王女を発見。
 そして、王女の額へと優しいくちづけを捧げ、愛しい王子には微笑みを捧げた。
 共に飛び立つ〈空の娘〉は言う──「愛しみを受ける子供を見つけて親と一緒に私達も微笑むと〝魂を得られる期間〟は一年短くなり、逆に悪い子供を見て悲しみの涙が流されると一日長くなるのです」と。
 太陽へと両手を差し広げた人魚姫の頬に、最初の涙が零れ落ちた──。

 本作『人魚姫』は、アンデルセン自身の失恋経験が着想根源とも言われています。
 この説に於いて〈人魚〉はアンデルセン自身の投影ともされています。




 アンデルセンの『人魚姫』による先入観定着からか〈人魚〉を題材としたサブカルチャー展開は、ほとんど『ラブロマンス(多少のエロティズム含)』となる趣にあるようです。
 映画として代表的なのは『スプラッシュ(Splash/1984年)』になるでしょうか。
 80年代のラブロマンス作品としては、比較的メジャータイトルです。
 本作は〈ウォルト・ディズニー・カンパニー〉に新設された映画部所〈タッチストーン・フィルム〉の初作──つまり『ディズニー実写映画』への本格的進出となった皮切りです。
 ともすれば本作が無かったら〈ディズニー〉は実写映画を製作せぬままで『シンデレラ』も『マレフィセント』も『美女と野獣』も作られなかったかもしれません。

 物語としては『人魚姫』を『現代劇ラブロマンス』に仕上げたもので、如何にも等身大な恋愛観をトレンディーに演出しています。
 ただし、そこは〝異種族恋愛〟ですから『ET』宜しくに〝正体を探ろうとする研究所の好奇〟とかが絡んでプチ大事化はしますけど。
 ラストは男性の方が〝愛に準じて〈人魚〉と化して恋愛成就を選択をする〟というのが『人魚もの』としては結構異端とも言えます。
 この辺は原典『人魚姫』の理不尽で悲劇的な結末に対するアンチテーゼとも取れ、また如何にも『現代青春群像劇』らしいアレンジ。
 この年代は『ティーンエイジャーもの(等身大な青春群像劇)』が加熱していて、だから『ホラー映画』とかでも『フライトナイト』『狼男アメリカン』『ザ・フライ2』なんかが作られました。
 これらは〝青春期の肌感覚〟で演出されていて『ティーンエイジャー・ホラー』なんて俗称にも呼ばれています。

 ちなみに、あまり知られていませんが本作『スプラッシュ』には続編『スプラッシュ2』が製作されています。
 ただし、こちらはテレビ映画(ドラマスペシャル)であり、キャスティングも総て一新されているとか(私は未鑑賞)。



 双璧的なビッグタイトルなら(キッズアニメですが)同じくディズニー作品の『リトル・マーメイド(1989年作品)』でしょう。
 御多分に洩れず『人魚姫』の現代風アレンジ……というか、そもそもは〝ウォルト・ディズニー〟が第二次世界大戦中から『人魚姫』のアニメ化を企画構想していたものの実らず、近年になってようやく実現化した形となります(してみると先述の『スプラッシュ』は本作のアーリー企画か?)。
 ですから物語は『人魚姫』そのものなのですが、低年齢視聴者を念頭とするディズニーアニメらしく活劇的な要素も濃く、ポップな明るさに彩られています。

 ちなみに本作主人公〝アリエル〟は〝エアリエル〟の簡略発声で、本来は〝風精霊〟に属する名前です(他にも〝エリアル〟という発声もあります)。
 最も有名なのは(と言うよりも元祖は)シェークスピア作品『テンペスト/邦題『嵐』』に登場した精霊の名前になります。
 天候を操れる程に超強力な精霊ではあるものの元来〈人魚〉とは無関係なのですが、先述の通り原典『人魚姫』は悲恋の死後に〈風精霊〉として転生するラスト展開がありますから、そこに因んだ命名と思われます(此処に於いても、アンデルセンの影が影響しているワケですね)。

 本作発表当時の年代前後は『ドラゴンボール』『美少女戦士セーラームーン』等で海外輸出を本格化し始めたジャパニメーションフィーバーが世界を席巻し、格式高い歴史を誇る『ディズニーアニメ』も流石に苦戦を強いられていた風潮を私的には感受していました。
 ですが『アラジン(1993年作品)』の大ヒットで起死回生に息を吹き返し、そうした中で『トイ・ストーリー(1995年)』を起点とした3Dアニメ『ピクサー作品』に主軸が据えられて〈ディズニー・ブランド〉を磐石たるものと復活したように記憶しています。
 本作自体及びキャラクターも人気が高く、続編OVA やTVシリーズが展開──ブロードウェイミュージカルとしてロングラン演目ともなり、後年では劇団四季によって日本版も公演されました。
 こうした息の長い展開となった事象は、人気の高さを垣間見せた立証とも思えます。
 実際のところ、本作は『ディズニー・ルネサンス(第二黄金期)の原点』とも称されているようです。

 主人公〝アリエル〟は、かなり能動的且つ明るく揚々とした性格で、人魚姫亜流としては最も異彩を放つキャラクターと言えるでしょう。
 加えて〝海の幻想美〟を世界観として帯びている独自性故に〈ディズニープリンセス〉としても個性を強く放ち、人気の高いヒロインに属します。
 私的には彼女辺りから〈ディズニー〉が『ヒロイン人気の萌え推し』を商業的に意識し始めたようにも感じています。



 ジャパニメーションへと目を向けると、映画に比べれば比較的キャラクターは多い気もします(主役or脇役に拘らず……とすればの話ですが)。
 ヒロイン性と異能亜人特徴から、萌文化とは相性がいいのかもしれません。
 とりわけストレートに〈人魚〉を題材とした代表例は、東映魔女っ子シリーズ『魔法のマコちゃん』と、美少女戦士もの過度期に作られた異端亜流『マーメイドメロディーぴちぴちピッチ』でしょう。

 まず『マコちゃん』ですが、この作品は『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』に続く第三作目として製作されました。

 深海の国の姫〝マコ〟は海底地震の津波によって客船から放り出された青年〝茂野アキラ〟を救うべく『人間に触れると人魚へ戻れない』という禁忌を破ってしまう(原典準拠のお約束導入ですな)。
 斯くして〝人間〟となってしまったマコは、実娘と死別した孤独な老人に義娘として引き取られ〝浦島マコ〟として人間界で暮らす事に。
 そして、日常の中で遭遇する事件を魔法で解決する。

 と、まぁ早い話、基本は『魔法使いサリー』を〝魔法の国〟から〝竜宮城〟に置き換えたフォーマットですね(恋愛動機にはなっていますけど)。

 特徴としては、キャラクターにしても作風にしても、前作までと比べて〝リアル視点〟という事です。
 キャラクターはスマート頭身ですし、メンタリティーも〝多感な少女〟という部分を全面的に押し出していてサリー&アッコちゃんが負わなかった恋愛感情や青春群像の機微とかがマコちゃんには備わっています(主題歌の「だって年頃なんですもの。わかってー!」が全てを物語っているw)。
 テーマにしても、それまでが『学校や日常のほがらかさ』に在ったのに対して、どこか現実的で暗めのトーンを感受させる(時として『公害環境汚染』『受験戦争』なんかもあったし)。
 こうした方向性は企画意図として「メイン視聴者だった女子児童も成長して大人になってきているはずだから、そこを意識して高い年齢層にも訴える青春視点で行こう」というのがあったから……なんですが、これが裏目に出た。
 作風が『年頃女子主観』になったせいで『サリー』『アッコ』に比べて男児視聴者は共感できないままに入りづらくなり、また主体と狙っていた女子にしても年頃ならばアニメ(当時の呼称は『テレビまんが』)を卒業してドラマを観るし、低年齢女児には重くて難しい印象にあった。
 結果として視聴率低迷という事態となり、この余波は以降も継続──後続作品であの手(SFアレンジとか)この手(原点回帰とか)の趣向を凝らして回復を試みるも一度落ちた低迷レッテルは払拭できず、健康的お色気と快活な明るさで押した後年作『魔女っ子メグちゃん』でようやく起死回生となります。

 こう書くと『マコちゃん』が黒歴史みたいに捉えられるかもしれませんが、そうではありません。
 作品としては、それなりによく出来ていて、単にスタッフの着眼勝負が早過ぎただけ。
 アニメの表現が多彩になった近年なればこそ、エポックだった転機として再評価が望まれる作品です。


 一方の『ぴちぴちピッチ』は『美少女戦士セーラームーン』のメガヒットを起爆剤と生じた〝美少女戦士ブーム〟にて製作された亜流作品になります。
 この年代、まさに〝猫も杓子も〟状態で『愛天使伝説ウェディング・ピーチ』『神風怪盗ジャンヌ』『赤ずきんチャチャ』『ナースエンジェルりりかSOS 』『魔法騎士レイアース』『怪盗セイント・テール』『キューティーハニーF』『アキハバラ電脳組』『東京ミュウミュウ』……と挙げれば枚挙が尽きない。
 そうした中での一作品が本作になります。

 主人公〝るちあ〟は大嵐で客船から放り出されて溺れた少年〝堂本海斗〟を救い(またかよ!)、自身のパワーストーンとも言える〈真珠〉を預けて去ります。
 七年後、成人の儀式に〈真珠〉が必要となったるちあは〝七海るちあ〟と名乗って人間界へ捜索目的で上陸。
 学校で海斗と再会するも、何故か彼は〈水妖〉に襲われてしまう。
 海斗から〈真珠〉を取り戻したるちあは変身して神秘の歌による浄化攻撃で倒す(決め台詞は「アンコールはいかが?」)。
 そして、この謎の敵から海斗と人間界を守るべく地上に留まる事を決意した。

 と、まぁ、美少女戦士テンプレですw
 ただし仲間各自が〝南大西洋のマーメイドプリンセス〟〝北大西洋のマーメイドプリンセス〟と〈七大海洋のマーメイドプリンセス〉なので、あれよあれよと人数が増え〈セーラー戦士〉の次に人数が多い大所帯(七人!)となりました(ちなみに、るちあ自身は〈北太平洋のマーメイドプリンセス〉です)。
 放送当時は比較的好調だったようで、続編『マーメイドメロディーぴちぴちピッチピュア』が製作されるに至る……も、現在では一過的増産の凡百と沈みました(海だけにw)。
 先述の作品群が「あったあった!」と懐古に強く想起されるのに対して、本作は『スーパードール・リカちゃん』『おとぎ銃士赤ずきん』『出ました!パワーパフガールズZ』並に沈みましたwww(どれも好きやぞ?)

 ただ、とことん『人魚姫』に拘って且つ美少女戦士として再構築した設定は、なかなか挑戦的な姿勢であったと評価できるでしょう(そもそも『人魚姫』で美少女戦士をするのは制約が多過ぎて困難だったはずです)。
 そして、マイナーながらも萌度は意外と高水準w
 アイドルグループというコンセプトが『ラブライブ』以降のムーブメントに先駆けていた点も看過できません(この辺はスポンサー〈TaKaRa〉が自社看板商品〈e-kara〉を売り込むためですが)。

 ちなみに本作監督〝ふじもとよしたか〟は後年のキッズ向けアイドルアニメ『きらりんレヴォリューション3rd』で監督を勤めました(同作品には監督ではなかったにせよ初作から関わっています)。
 そして『きらレヴォ』のキッズ向けアイドル路線は『プリティーリズム』を経て『プリパラ』へと繋がり、その遺伝子は継承されていきます。
 この路線は〈TaKaRa〉の新たな主力商戦と据えられ、対抗した〈バンダイ〉も『アイカツ』をスタート──現在でもシリーズが続いています。
 そうした諸々の点を考えれば『ピッチ』がアニメ史に落とした商業的功績は、遠因的ながら非常に大きかったとも言えるでしょう。

 このように、やはりベースとなるのは『人魚姫』であり、ともすれば〝ラブロマンス主観〟となるのは必然なのでしょう。
 とりわけジャパニメーションでは『過去に禁忌を破って、溺れている男性を救う』→『人間として再会するも、相手は〝過去に救ってくれた人魚〟を一途に想い続け「それは私なの!」とは打ち明けられぬままヤキモキ』→『一方で人間界の日常も愛し始めてしまう』といった『人魚姫』準拠色の濃いアレンジが鉄板化しているようです(早い話が『ぴえろ魔法少女シリーズ』の人魚姫版)。
 面白いのが、どの作品も主人公の性格が快活or行動的になっている点で、アンデルセン像の根底要素であった〝貞淑薄幸ヒロイン〟という性質が希薄になっている傾向でしょう(この古典要素を一番継承しているのは、意外とマコちゃんか?)。
 如何にも現代的な時代順応と言えます。
 まぁ元祖自体も、貞淑な表層を剥げば意外と根底は〝行動的(禁忌破ってまで一目惚れまっしぐら)〟ですから閉鎖的性質が常の〈人魚〉としては異端ヒロインとも取れますし、その延長アレンジとして分析すれば決して的外れではないでしょう。


 いずれにせよ〈脅威怪物〉として捉えたサブカル作品は意外と少ない。

 そんな中で私的に推したいのは、マイナー洋画『人喰い人魚伝説(SHE CREATURE/2001年作品)』になります。
 この作品は『ホラー』ですから、つまり〈怪物〉としての〈人魚〉を真っ向から描いているのが最大の特徴。
 製作したのは〈スタン・ウィンストン・スタジオ〉という会社で、此処はそもそも『ターミネーター』『エイリアン2』『ジュラシック・パーク』等々のビックタイトルで怪物特撮を担当しているSFX専門会社です。
 つまり一般層に知名度浸透こそ無いものの、実は業界実績も確かなスタジオ。
 で、この会社が怪物二時間ドラマを五夜連続放送という目玉特番『クリチャー・フィーチャーズ・シリーズ』をアメリカのテレビ局でやりました。
 その内の一本が本作というワケです。
 早い話『劇場公開映画』ではなく、厳密には『二時間テレビドラマスペシャル』になります。

 物語は中世ゴシック時代が舞台で『捕獲した人魚を金儲け目的に密輸する船が、人魚の姦計で報復の地獄絵図へと堕ちていく』という骨子。
 この人魚は言葉を一切話しませんがテレパシー能力を有していて、それを用いて船長の思考に干渉して無自覚に〈人魚の島〉へと舵を取らせます。
 その航海間にも主人公に〝欲情(恋心?)〟を募らせヒロインに精神憑依して性交に繋がったり、或いは人知れず水槽から出る(月光で脚が生える!)と船員を性誘惑して喰ったり……結構〈正統派怪物〉しています。
 そして、ラストにて〈人魚の島〉に到着すると……一転して海洋怪物然と変貌!
 下半身こそ魚尾なれど、その風貌は凶暴半魚人そのもの!
 しかも、海域には無数の同族怪物が!
 彼女は〈女王〉であり、どうやら仲間達の餌を確保するべく〝捕らえられたフリ〟をしていたのです!
 船内は阿鼻叫喚の大惨劇!
 悲鳴が絶えぬ飽食パーリー!
 プレデター宜しくの赤外線視界で一人一人と追い詰め、次々と惨殺されていきます!
 前半は『サスペンス怪物ホラー』といった作風で進みましたが、終盤は一転して『スプラッター怪物パニック』です(とはいえ過激描写は皆無)。
 ですが、最後の最後でヒロイン〝リリー〟だけは殺さなかった。
 それはリリーが妊娠していたから。
 新たな命を察した人魚(怪物形態)は唸り声のまま語らずも、そっと殺意の爪を腹から引いて仲間共々海へと去ります。
 この着地は胎児が彼女の子供──つまり〈人魚〉の子供(先述の憑依性交によって母体代行的に妊娠させた)という設定のようですが、私的には〈怪物〉とはいえ〝女性としての優しさと母性の共感〟を本能的に備えていた……という風にも見えます(怪物然とした野卑容貌に反して知性は高いワケですから)。

 特筆したいのは〈人魚〉及び『人魚姫』の設定を、つぶさに網羅していながらも、その上で見事に『怪物ホラー』へと昇華している点。
 先のテレパシー能力は〈魅了歌〉のアレンジですし、主人公への欲情というのも〝人魚姫の恋心〟をアダルティーなシビア視点にアレンジした演出。
 他にも〝月夜に凶事を誘う〟〝平常心を失わせて難破させる〟〝一過的な脚を得る〟等々……結構余す事無く現代解釈的なアレンジ転化をしています。
 また同時に『半魚人映画』の派生という趣も強く、この『半魚人映画』というジャンルはパッタリ作られなくなって久しいですから怪物ファンには嬉しい。

 私が本作を観たのは、何気無いザッピングの深夜映画枠にて、たまたま……でした。
 ぶっちゃけ無名B級と侮ってさえいたのですが……その完成度からグイグイ惹き付けられて、観賞後にはもうゾッコン。
 それからは中古DVDを探し回る日々でしたが、まぁ何処にも無い。
 やっと発見購入したのは数年後です。
 このシリーズは日本でも全作DVD化(基本的にBOX 販売)されていたんですが、本作はその完成度からマニア人気が高いようですね。
 相当シラミ潰しに探しても見掛けなかったですし、また売っていても同シリーズの他四作品に比べて中古価格も高かったですから。
 正直、然もあらん……という印象はありました。
 シリーズ内でもズバ抜けた完成度ですから。
 とりわけ(他のシリーズ作品が『SF怪物による現代劇』なのに対して)終始『ゴシックホラー感』に徹していて「ホントに低予算(制作費は通常映画相場の1/10!)のテレビ特番?」とさえ思わせる映像クオリティは上質(軽く『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』を連想しましたわ)。
 テレビ作品という規制も功を奏して過激描写も(実は)それほど皆無と言って善く、それが結果として恐怖演出の上品さにも結実している。
 叙情あるラストも素晴らしい。
 ちなみに、今回のコラム執筆に当たりレヴューサーチをしてみたのですが、映画通(自称)からは酷評──総じて「中盤でダレた」「演出がなってない」「チープだった」とか多かったです。
 が、当コラムを読んでくれている方は御承知でしょうが、そもそも私は『他人の価値観基準』ではないので、あまり関係無いw
 自分が「好き」と思ったら、そちらの感性の方が大切……っていうか『否定論』よりも『肯定論』基準なので。
 私的には、無名なマイナー作品ながらも隠れた秀作だと思っています。

 また〝怪物としての人魚〟を描いた作品としては、比較的近年『ゆれる人喰い人魚』という映画が登場して好評価を得ていますが、私は未鑑賞なので語れません(悪しからずw)。
 ただしコチラは〝現代劇〟であり〝人喰い人魚のアイデンティティー模索〟が主観となっているミュージカル映画のようですので『人喰い人魚伝説』とはスタンスが全く異なります。
 私的嗜好は、やはり〝ゴシックホラー感〟と〝王道怪物映画〟の方向性で作られた『人喰い人魚伝説』の方でしょうね。


 伝承に視点を戻しますが、一口に〈人魚〉と称しても、実は亜流などが存在して微々と地域差異もあります。

 例えばケルト伝承の〈メロー〉です。
 イギリスに伝わる妖精の一種──という発生から鑑みれば俗にいう〈人魚〉とは別物なんですが(分類的に〈妖精〉なんですから〈フェアリー〉とか〈コボルト〉とかの方に近しい存在)。
 しかしながら容貌的には〈人魚〉そのものであり、そうした類似的な面から、いつしか〈人魚亜種〉に分類されています。
 独特の特徴が〝赤い帽子〟です。
 これは〈メロー〉の魔力源泉であり、彼女達(男もおるでよ?)は海中でもコレを被っています。
 そして〈人魚〉と違い、この赤帽子の魔力を行使して任意に〝人間〟へと変身できます。
 ある時、陸に上がった〈メロー〉に一目惚れした男がコレを隠しました。
 海に帰れなくなった〈メロー〉はメソメソと泣き浸り、偶然の出会いを偽装した男は親切心を自己演出して、まんまと嫁にしてします。
 そうして仲睦まじい夫婦として歳月を過ごしますが、ある日〈メロウ〉は夫が隠してあった〈赤い帽子〉を発見──真相を知るや、さっさと海へ帰ってしまいます。
 何だか『鶴の恩返し』を連想させますが、復讐に転じないばかりか怨念も未練も無く淡白に海へと帰ってしまう辺りが、なかなか〈妖精〉独特の自由奔放さとも思えますね。
 この辺『人魚姫』と真逆w


 最も日本人に馴染み深い亜種は〈日本妖怪の人魚〉でしょう。
  ですが、これは恒例の〝和訳誤認〟……と言うか同音異義の混同(モンスターコラム『狼男』『半魚人』参照)。
 まぁ、他に宛がう呼称もありませんから、やむを得ずな事象ですが……厳密に言えば、完全に根っ子から別物です。
 分かり易く例えるなら〝東洋龍/西洋竜〟を〈ドラゴン〉と括るようなもの。
 酷似した生態特徴ながらも、根本的には異なる存在ですね。
 日本妖怪の場合は、そもそも〝人面魚〟そのものです。
 つまり〝魚に人間(般若?)の頭部が付いている〟ワケです。
 で、有名な『八百比丘尼伝説』にあるように、コレを食べると不老長寿になれるという言い伝えがあります。
 こうした霊的要素こそが微々と現実的な生物学準拠の縛りに在る〈西洋人魚〉とは根底的に異なる側面で、まさに〈妖怪〉という摩訶不思議な怪異の面目躍如と言えます。

 また妖怪人魚には〝猿のような上半身に魚の下半身〟といったタイプも存在しますが、コレは前述型よりも後年に出てきたイメージのようです(妖怪画を見る限り、私的には〈人魚〉というよりも〈河童〉の亜種に思えるのですが)。
 まぁ、コレを捌いて食べるなんて発想は、猟奇的過ぎて普通は出ないでしょうし(前述の人面魚タイプならともかく)。
 少なくとも〝鳥山石燕〟が妖怪画で描いてますから、江戸時代には誕生していたのでしょうけど(というか、石燕発生かも知れませんが)。
 昭和初期辺りまでの見世物小屋では、このタイプを〝人魚のミイラ〟として客寄せ名物としていたようです……っていうか、こうした『実在妖怪』は見世物小屋の花形で、実際に客前で首を伸縮させる〈ろくろ首〉なども目玉としていました。
 もちろん全部フェイク&トリックを用いた偽物です。
 現在でも日本全国的に〝人魚のミイラ〟が在り、ともすれば御神体や家宝になっている物も多数現存しています。
 しかしながら、かつて『ミイラ専門家が〝妖怪のミイラ〟を科学検証するテレビ特集』が放映されましたが、結果は『全部のミイラが動物の死体を繋ぎ組み合わせた偽造品』でした。
 ただし唯一、専門家が首を捻ったミイラが在りまして、それは〝河童のミイラ(の内の1体)〟でした。
 コレに関してはエックス線透析をしても〝継ぎ接ぎ痕〟が一切無かったという事です。



 実際のところ〈人魚〉は海洋に於いてこそ優位性を誇示できるものの〈脅威怪物〉としての側面から分析すれば小物です。
 それでも〈人魚〉は〈西洋女怪トップスター〉と呼んでも過言ではない存在でしょう。
 それは〈怪物〉としての異形魅力を常態と備えながらも、同時に〝美〟と〝性〟を自然体ながら強くアピールしているからに他なりません。
 女怪が成功する要素として〝性欲衝動触発〟は重要なファクターです(方向性によって『必ずしも』ではありませんが)。
 しかしながら、多くは〈キャットピープル〉〈スピーシーズ〉〈スペースヴァンパイア〉のように〝美女の容姿〟と〝恐るべき異形本性〟を変身によって使い分け(つまり、用途に応じて切り換えている)、また露骨な性誘惑にて人心を惑わすのが常套となっています。
 本項怪物〈人魚〉の特筆すべき点のひとつは通常として〝美/醜〟を共存させているデザインの秀逸性にも在り、また同時に扇情的な裸身に反して意外にも露骨な性的誘惑を主体に仕掛ける事は稀薄という貞淑性質です。
 こうした扇情型女怪は極めて稀有と言えます。

 そこに加えてアンデルセンが〝友好性〟〝薄幸〟〝悲恋〟といった善性イメージを付随させ、それは確固たる前提性質にまで定着しました。
 更に現代では、従来の〝薄幸悲劇のヒロイン像〟から脱却した〝愛しい隣人〟にまで昇華されています。
 これもまた〈時代順応進化〉の形態であり、実に面白い。
 
 そして、当コラムを読んでみると『そもそも本質は〈怪物〉』という側面も再認識して頂けたのではないでしょうか。
 
 いずれにせよ〈人魚〉という怪物は、あらゆる要素で二面性を共存内包しています。
 願わくば貴方の〝愛しい隣人〟が、友好的な存在でありますように……。
 夢焦がれるのも良いですが、油断をしていると海底の深淵へと引き摺り込まれるかもしれませんよ?


▼フリーイラスト販売リンク▼


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み