ユニバーサルモンスターと戦前ホラー史の俯瞰

文字数 5,283文字


【考察論】
 第二次世界大戦以前、ホラー映画界を牽引したのは、何はなくとも米国のユニバーサル社です。
『魔人ドラキュラ(1931年作品)』を皮切りに
『フランケンシュタイン(1931年作品)』
『ミイラ再生(1932年作品)』
『透明人間(1933年作品)』
『狼男(1941年作品)』
と、メジャータイトルだけでも壮々たる面子が顔を揃えます。
 これら以外にも乱発された作品群を含めると、その数は他社を圧倒するといえるでしょう(例えば『獣人島(1932年作品)』)。
 そして、多くの怪物は同社の映画によって今日までの決定的なイメージが確立し、また或いは存在そのものが創造されたのです。その説得力に足る設定から〝伝説上の怪物〟と誤認されていますが〈ミイラ男〉や〈狼男〉、戦後に創られた〈ギルマン/大アマゾンの半魚人〉といったモンスターは、同社の創作キャラクターなのです。
 ユニバーサル社が今日に於いても〈モンスターの総本山〉と呼ばれる由縁です。
 とりわけ〈吸血鬼ドラキュラ〉〈フランケンシュタインの怪物〉〈狼男〉は〈世界三大怪物:ビッグ3〉と呼ばれ、モンスター界の花形として絶大な人気を誇っています(余談ですが、上記に〈ミイラ男〉加わると〈ビッグ4〉と呼ばれます)。


 ところが面白い事に、ユニバーサル社は当初からホラー映画に力を入れていたわけではありませんでした。
 むしろ、会長である〝カール・レムリ〟はホラージャンルを蔑視しており「そんな子供だましは本気で撮るに値しない」と軽んじていたようです。
 だから、当初のユニバーサル社は戦争映画・文学映画・ロマンス映画を主軸としており、トーキー以前のサイレント時代に制作された『オペラの怪人(1925年作品)』や『ノートルダムのせむし男(1923年作品)』などは、文学作品としての側面があったからこその映画化と言えるでしょう。

 こうした状況を一転させたのが、カール・レムリの息子である〝カール・レムリJr〟でした。
 チーフ・プロデューサーのポストにあった彼は、見事な手腕で次々とヒット作を連発させ、同社の業績を向上安定させていました。
 そこで会長であるカール・レムリは、誕生日プレゼントを兼ねた褒美として『好きな映画を一本だけ自由に撮る権利』を息子のレムリJrに与えたのです。
 さて、父と違って、レムリJrは大のホラーファンでした。
 その頃、ホラー映画はドイツ表現主義の独壇場ともいえ、
『吸血鬼ノスフェラトウ(1922年作品)』
『カリガリ博士(1919年作品)』
といった社会派メッセージを込めた作品が、陰影を駆使した独特の映像美で制作されていました。
 常々「いつかは我が社でも本格的なホラー映画を!」と羨望していたレムリJrが、こうした好機を見逃すはずもありません。
 彼は当時ブロードウェイを始めとした舞台劇で人気を博していた〝ブラム・ストーカー〟の怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』に着目して『魔人ドラキュラ』の制作に乗り出したのです。
『ドラキュラ』の映画化作品は先述の『吸血鬼ノスフェラトウ』の方が元祖ですが、この映画はブラム・ストーカー遺族からの版権許可を得る事に失敗し、物語の骨子はそのままに、やむなく諸々の主立った設定を変更して半ば強行的に公開された作品です(例として〈ドラキュラ伯爵〉は〈オルロック伯爵〉になり、舞台もロンドンからブレーメンへと変更されました)。従って、この『吸血鬼ノスフェラトウ』は無許可の映像化作品であり、後に裁判敗訴でフィルムが消却された経緯を持っています。
 然るべき手順を踏まえて制作された公式な『ドラキュラ』映画は、この『魔人ドラキュラ』が第一号なのです。
 この『魔人ドラキュラ』は絶大なヒット作になり、親父の目から鱗が取れたようです。
「このジャンルは売れる!」と新たな金の鉱脈に掌を返したカール・レムリは「すぐさま第二弾の制作にかかれ!」と社内に檄を飛ばしました。
 こうして急遽制作された『フランケンシュタイン』は、前作『魔人ドラキュラ』公開から僅か一週間程度で制作された急造作品にも関わらず、それを遙かに凌ぐメガヒットとなったのです。観客は連日長蛇の列で、映画館には失神した観客に備えて救急車が常時待機しているというフィーバーぶりだから恐れ入ります。
 現代特殊メイクの大家であり、大のモンスターマニアである〝リック・ベイカー〟の述懐によると、公開当時、劇場では『特定のシーンで決まった座席の観客が悲鳴を上げて逃げ出す』という流れが毎回起こったらしいです。これは明らかに仕込まれたサクラ演出で(リック・ベイカー自身も子供ながらに苦笑していたとの事)要は観客の恐怖心を扇動していたわけですが、当時の人々にとって劇場映画が如何に総合エンタメとして機能していたかが伺える側面で実に面白いエピソードではあります。
 以降、ユニバーサル社は次々と新作に力を注ぎ、矢継ぎ早に公開。米国に於いてホラー映画は、見事にメインストリームとなったのです。


 さて、ブラム・ストーカー原作『吸血鬼ドラキュラ』、メアリー・シェリー原作『フランケンシュタイン』、ガストン・ルルー原作『オペラの怪人』、H.G.ウェルズ原作『透明人間』『獣人島(原作題:モロー博士の島)』……と、次々に有名作品を映画化していったユニバーサル社ですが、どうやら主立った原作小説が底を尽き始めたようです。
 そこで今までの企画ノウハウを応用して、原作が存在しないオリジナル作品を制作する流れへと発想を転換させる事となったのでしょう。
 当時、ムーブメントであった〝エジプト発掘調査〟及び〝ファラオの呪い〟に着目し、それを原案素材としてディテールを肉付けしていったのが『ミイラ再生』です。
 神秘のヴェールが次々と解き明かされていくエジプト発掘調査は、当時の人々にとって、まさに関心高いニュースであり、また、真偽不明な〝ファラオの呪い〟は恰好のオカルトネタで当時は現実味がありました。加えて、死後転生の思想とミイラ保存の習慣は欧米人にとってまったくの異質文化であり、禍々しくすら映ったであろう事は想像に難くありません。
 こうした世相を上手に取り込んで〈ミイラ男〉なる怪物に要素を集約し、怪物作品として昇華したのです。


 この制作方法ならばネタ切れが起こりづらいと判断したかは定かでありませんが、ユニバーサル社は、この手法をも次々と活用するようになります。
 いわゆる〝狼少年(狼に育てられた野生児)〟の史実を題材に、神話上の獣人伝説を融合させて生まれたのが『倫敦の人狼(1935年作品)』。単発的に終わったこの作品をベースに、リメイク的意味合いで脚本家〝カート・シオドマク〟が再構築した作品が『狼男(旧邦題:狼男の殺人)』となります。
 この作品に於いてカート・シオドマクが打ち出した設定の数々(半獣半人に変身する・銀の武器でしか倒せない・噛まれると呪いが感染する……等々)は、その絶妙な演出も相俟って今日でも実際の伝説と勘違いされ続けていますから、影響力の程が伺えようというものです。
 そもそも日本では、どれもこれも総じて〈狼男〉と訳されるために誤解に拍車を掛けていますが、元来ホラー映画でおなじみの狼男は〈ウルフマン〉と呼ばれ、伝説上の狼男は〈ライカンスロープ〉や〈ウェアウルフ/ワーウルフ〉などと呼ばれる別物なのです。なによりも〝二足歩行する狼怪人〟のイメージは、この映画での産物であり、神話上の狼男は〝半獣半人〟ではなく、完全な〝四足歩行の狼〟へと変身します(要するに〝人間の狡猾さを備えた動物〟になるのです)。
 この辺りについては語りたい事が山程あるので別項に譲るとして、既存の狼男のイメージはユニバーサル社発である事を再認識して頂ければ幸いです。


 これらのユニバーサル怪物群の一端として有名な半魚人──〈ギルマン〉は『大アマゾンの半魚人(1951年作品)』が初出で、先輩怪物と異なり戦後の登場になりますが、これもまたミイラ男や狼男と同じように誤釈が定着している怪物なので軽く補足を触れておこうと思います。
 多くの人が〈半魚人〉と聞いて連想するのは『大アマゾンの半魚人』に登場するモンスターですが、これは原語で〝ギルマン(直訳するとエラ男)〟と呼ばれる怪物で〈ミイラ男〉や〈狼男〉と同じく〝伝説上の怪物〟と誤認されているものの、やはりユニバーサル社のオリジナルモンスターなのです。伝説上の水棲怪人は、概ね〈人魚型(下半身が魚の尾ヒレ)〉か〈トリトン型(四肢に鱗とヒレがある人間)〉に大別され、人間の身体の一部が魚類化したフォルムになるのが定石です。しかし、人間と魚類が融合したかのような怪奇性の高いフォルムは、ギルマンから打ち出されたイメージなのです。
 このキャラクターは創作の独自性が強いせいかユニバーサル社でも著作権が色濃く行使され、他人が無許可で使用する事が出来ないようです(ミイラは根本的にエジプト文化として存在しますし、狼男も源泉が民間伝説のせいか規制力が弱い。ドラキュラやフランケンシュタインは原作小説が存在するので、根本的な著作権はユニバーサル社に帰属しない。唯一〈フランケンシュタインの怪物〉の特殊メイクだけが自社のオリジナル要素なので、これは意匠登録されています)。
 こうした背景からか『半魚人映画』の数は思ったよりも少なく、派生作品に於いても怪物のデザインや名前を変更したり(例えば『モンスター・パニック(1980年作品)』では鮭のミュータント〈ヒューマノイド〉になっている)、水棲からの恐怖コンセプトだけを受け継いだ動物パニック物になったりしています(その先駆けにして金字塔のスピルバーグ監督作品『ジョーズ(1975年作品)』も、カメラワークなどから察するに根源的にはそうでしょう)。
 ホラー映画に限らず〈半魚人〉の著作権問題は扱いづらい状況下にあり、最近では〈ギルマン〉ではなく〈マーマン〉と呼称アレンジする事で、サブカル文化で自由に使えるキャラクターへと転化された趣もあります(本来〈マーマン〉とは〈男性人魚〉を指す言葉であり〈半魚人〉の事ではありません。この転化は──私の記憶にある限り──カプコンの対戦格闘ゲーム『ヴァンパイア』が発端でしょう)。
 以降は〈マーマン〉の呼称が好んで使われ、同時に〈ギルマン〉をコンセプトベースとしながらも独自のアレンジで脱却したオリジナルデザイン(魚顔を美感で廃棄したものが殆ど)も多々登場するようになりました。
 一方で〈ギルマン〉のデザインコンセプトに酷似しながらも著作権フリーな〈ダゴン〉や〈深きものども〉(共にH.P.ラブクラフトが創作したシェアードノベル『クトゥルフ神話』のキャラクター)が、近年では注目を集める趣も出てきたようです。
 ちなみに日本語訳の〈半魚人〉にはユニバーサル社の版権々利は及ばないので、漢字表記に於いては問題ありません。


 一方、こうしたホラーブームの流れは他社にも波及し、ブームに便乗した作品群が世に咲き乱れました。
 かのRKO社が生み出した怪物映画の金字塔『キングコング(1933年作品)』などは好例ですし、同社が『狼男』に便乗して制作した『キャット・ピープル(1942年作品)』などは低予算ながらも正統派の良作です(1981年にナスターシャ・キンスキー主演でリメイク)。
 パラマウント社も早々に『魔人ドラキュラ』へ対抗すべく『ジーキル博士とハイド氏(1932年作品)』を制作。同映画は主演男優〝フレデリック・マーチ〟の性格俳優的怪演(そして好演)によって、同年のアカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞しています。伝統的にホラーやSFに冷遇と言われるアカデミー賞を相手取って、これはある種の初快挙と云われています。
 中には、弱小会社RPCの『悪魔の蝙蝠(1940年作品)』『モンスター・メーカー(1944年作品)』のような怪作もありますが、これはこれで味わい深い。無名な粗悪作品であるが故に日の目を浴びないので、現在ではむしろ鑑賞価値は高くなっているかもしれない。低価格の中古ソフトを見つけたら、迷わずゲットを御勧めします。突っ込み所がナチュラルに満載で、これに比べたら、粗悪感を計算で狙っている〝クワンティ・タランティーノ〟監督のグラインドハウス作品などシラケて観れなくなる事請け合い(こうした粗悪要素の楽しみは、無計算な自然発生だからこそ面白い)。


 このように冷遇状況から一転して、猫も杓子も……といった具合に過度期となったモンスター映画ですが、第二次世界大戦勃発を契機に縮小の兆しを臭わせる事となります。
 兵器に応用された最新科学がまざまざと見せつける唯物論的説得力の前には、神話の時代から脈々と継がれてきた幽鬼的な幻想物語は色褪せてしまい、SFモンスターやシリアルキラーを題材とした現実的な怪物達が戦後に幅を利かせるようになるのです。

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