大アマゾンの半魚人

文字数 6,177文字


【考察論】
 これはかなり異彩を放ち、尚且つ一番特殊なモンスターです。
 皆さんが〈半魚人〉と呼んで想起するのは、まず間違いなく映画『大アマゾンの半魚人(1954年作品)』に登場した怪物でしょう。
 しかしながら御多分に漏れず、このモンスターも〈ユニバーサル版権モンスター〉なのです。
 いや、厳密には、これも正しくないか……。
 この映画に登場した半魚人は原名〈ギルマン(エラ男の意)〉と呼ばれ、この〈ギルマン〉に関しては〈ユニバーサル版権モンスター〉なのです。
 ですが〈半魚人〉という和訳や〈ギルマン〉以外の半魚人自体にはユニバーサル版権は及びません。
 そもそも水棲怪物は古今東西の民間伝承にて存在しますから、映画キャラクターである〈ギルマン〉以外は版権フリーです。
 日本では総じて〈半魚人〉と和訳されるため混乱に拍車が掛かっていますが、これは〈狼男〉と同じ事象です。
 そして、またこれも〈狼男〉と同じですが〝人間フォルムに魚類のディテールを落とした怪人〟というデザインコンセプトはユニバーサルの発明であり〈ギルマン〉のデザインも版権意匠となっています。
 無論、古今東西の民間伝承には水棲怪物は存在していますが、多くは〝指に水掻きがある〟〝脚に鱗が生えている〟〝下半身が蛇体〟〝体色が緑〟等の怪物的特徴を持ちながらも外見的には人間型で、或いはイギリス妖精〈メロウ〉のような人魚亜流がメインです(してみると、我が国の〈河童〉が一番〈半魚人〉に近い民間伝承怪物かもしれません)。
 万人がイメージする〝人間と魚類が融合した怪人〟は、この〈ギルマン〉に起因します。
 ただし、あくまでも版権云々は〈ギルマン〉に限った話ですので、別デザインの半魚人ならば問題ありません。
 ちなみに一応『生物学』に則った怪物であるため〈ギルマン〉は〈SFモンスター〉へと分類されています。

 製作年を見ると解りますが、このクラシックモンスターだけは前回までの〈ビッグ4〉と異なり戦後生まれです。
 時代はカラーフィルム時代へと突入しましたが、この頃はまだまだ高価で映画会社にしても勝負処以外にはおいそれと使えないような代物でした。
 そうした事情から本作もモノクロフィルムにて製作されているのですが、そうは言ってもカメラやフィルムの性能は向上していますし演出技術にしてもそうです。モノクロフィルムながらも、湖面や水中シーン等は鮮やかな色使いを感受させる美しい画作りに仕上がっています。
 物語は『怪物映画』の古典名作『キングコング(1933年作品)』を等身大モンスターへと置き換えたものになります。
 要するに〝怪物と美女の非共感的悲恋〟です。
 アマゾン探検隊に同行したヒロインに一目惚れした怪物が恋心故に拐い、主人公達に追い詰められ、最終的には心身共に傷付いて湖底へと去っていきます(幸いな事に〈キングコング〉と違って死にませんでしたが、その去り行く背中は哀愁を誘います)。
 特筆すべきは『環境開拓』や『商業営利主義』などの〝人間の醜い側面〟を風刺的に取り入れている点で、それに対して〝純真ながらも外見の恐ろしさ故に忌避される存在〟がコントラスト的に映える演出論法が見事。

 マニア層から称賛されるのは、やはり〈ギルマン〉の秀逸なデザイン&造形でしょう。
 人間フォルムをベースに魚類のディテールを落としたコンセプトは〈狼男〉と同様ですが、こちらは更に〈人外〉の要素が高く、俗にいう〈怪獣怪人〉としての性質が強くなっています。それ故に「怖い」と同時に「カッコイイ」という印象にも繋がっているのでしょう。とりわけプラモデルやフィギュアは人気売れ筋です。
 また、先輩達が〝特殊メイク型〟なのに対して〝スーツ型〟なのも特徴と言えます(まあ〈ミイラ男/カリス王子〉も〝スーツ型〟ですが〝特殊メイク〟も併用しています)。

 こうした諸々の要素は、日本の〈怪獣怪人〉文化──とりわけ『仮面ライダー』の〈ショッカー怪人〉に多大な影響を与えています(ちなみに〈ショッカー〉には〈ピラザウルス〉&〈アマゾニア〉という直球な半魚人型怪人がいました)。また『ウルトラQ』&『ウルトラマン』に登場した〈海底原人ラゴン〉も忘れられない模倣キャラクターです。



 あまり知られていませんが、実は『大アマゾンの半魚人』には続編が二作品存在します。
 『半魚人の逆襲』と日本未公開作品『半魚人、我らの中を歩く』が、それです。
 私は未鑑賞ですが、メイキング等で断片的映像を観る限り、やはりシリーズ増産の法則通りに映像美的な要素は粗雑化したように感じました。
 ですが、肝心のテーマである〝忌避される怪物の悲劇〟に関しては正面から取り組み、更に掘り下げた印象に無くもありません。

 二作目『半魚人の逆襲』では捕獲されて都会へ連れて来られたギルマンが、カメラフラッシュに興奮して脱走、都会で大暴れします。
 これは〈狼男〉のような悪意や殺意ではなく、異様な環境に興奮しただけなのです(改めて分析すると『キングコング』後半のテイストが強いですね)。

 三作目『半魚人、我らの中を歩く』は最も異端な脱線をしていて、全身火傷を負った〈ギルマン〉は人間に酷似した水陸両棲生物へと改造されてしまいます。しかし、パワー等は怪物のままなので、またも悲劇の幕開けとなります。
 本作で改造された〈ギルマン〉の容姿からは、あの秀逸美なデザインは消失し、グロテスクな怪物でしかありません(こちらは『フランケンシュタイン』か?)。
 しかしながら、人間のエゴイズムによって望郷の想いすら剥奪された存在は、あまりにも憐れ過ぎます。

いずれにしても〝営利主義な人間のエゴイズム〟がテーマの根として一端を担い、それによって理不尽な絶望へと叩き落とされる〈ギルマン〉の悲劇が主題となっています。
 してみると、シリーズ化にありがちな作品としての粗雑化は無く、むしろ本質を踏襲した幸運な続編展開していたとも言えるかもしれません。



 さて、恒例の流れならハマー・プロダクションによるリブートが期待されるところですが……本作にはありませんw
 それもそのはず。
 本作はハマー・ホラー全盛期に公開されたユニバーサル・ホラー最新作ですから、リメイクもクソも無いのですw
 しかしながら、それ故にユニバーサル版がシリーズ終了すると『半魚人映画』は途絶えました。
 ですが、その遺伝子は〝スティーブン・スピルバーグ〟監督の名作『ジョーズ(1975年作品)』へと転換継承されるのです。
 この映画は云わずもがな『サメ映画』の元祖にして『単獣パニックホラー』の金字塔ですが、両作品を比較鑑賞するとカメラワーク等に遠因的な影響が汲み取れます(例えば〝怪物目線の水中描写〟とか)。
 私的に面白いのは舞台となる〈水(湖/海)〉の捉え方で『大アマゾンの半魚人』では〝文明に汚されていない綺麗な大自然〟として息を呑むほど澄んだ描写をしているのに対して『ジョーズ』では〝人間の手垢と喧騒にまみれた汚ならしさ〟として真逆の印象に表現されているところです。
 おそらく、これは意図的でしょう。
 原典ソースとの差別化もあるでしょうが、そうした愚かさを一蹴する〈ジョーズ〉は大自然の報復でもあるのです。
 そうしてみると『大アマゾンの半魚人』のテーマ一端である〝営利主義な人間のエゴイズム〟は『ジョーズ』にも継承されているとも言えます。
 とは言え、あくまでも『ジョーズ』は『サメパニック映画』であって『半魚人映画』ではありません。大ヒットによって続編&亜流が数多く制作されましたが、それは『動物パニック映画』の隆盛を極めながらも、決して『半魚人映画』に還元される人気ではありませんでした。

 そんな中で、現在でもカルト的知名度を誇る亜流怪作が登場します。
 知る人ぞ知る〝B級映画の帝王〟こと〝ロジャー・コーマン〟大先生が制作総指揮した『モンスター・パニック(1980年作品)』です。
 最初に断っておきますが、とことんB級ですw
 うん、別に知らなくてもいい作品ですw
 でも、取り上げます。
 何故なら、ロジャー・コーマン大先生だからwww
 海水浴場に突如として襲来した半魚人(一部では便宜上〈ヒューマノイド〉と命名されています)の群!
 そう、単体じゃなくて群なのです!
 まず此処が異端です!
 そしてコイツら、ビキニ美女ばかり襲います!
 というのも、コイツらは〝繁殖期のサケが突然変異した怪物〟で……つまり盛っているからwww
 で、異種族妊娠させます!
 街は前代未聞の大パニックです……が、他作品と質が違うのは何故だらう?w
 この特性によって怪物マニアからは〈スケベ半魚人〉〈エロ半魚人〉の異名を与えられて今日に至ります。
 まあ『ホラー』には『エロス要素』は不可欠で、大なり小なりサブリミナルなりで落としてはあります。追い詰められる美女の悲鳴もそうですし、殺人鬼の殺傷具は男性器の暗喩とも言われています。殊更、水着美女は露骨にセクシーサービスです。
 加えて言うならば〝恋愛感情〟の行き着く先は〝性衝動〟ですから、してみると『大アマゾンの半魚人』の〝異種族純愛〟を更に踏み込んだ着想とも言えなくはない。
 言えなくはないが……コーマン大先生~!www
 そりゃ〝バーバラ・ピータース監督〟や〝アン・ターケル(ヒロインの女性博士役)〟といった女性スタッフからも「クレジットから名前を外してくれ!」って直訴されるよ~!wwwwww



 さてさて『正統な半魚人映画(笑)』ですが、近年になって、ようやく大ヒットを記録した名作が登場します。
 アカデミー受賞という快挙を成し遂げた〝ギレルモ・デル・トロ監督〟の『シェイプ・オブ・ウォーター(2017年作品)』です。
 公開前のプレゼンでは〈未知の生物〉の一点張りで押されてましたが、怪物マニアからは「いや『大アマゾンの半魚人』のリブートだろ」と看破されていましたw
 とはいえ、そこはデル・トロ監督。
 正しいサブカル愛に裏付けされた価値観で原典のテーマや美学を踏襲アレンジして、現代的ながらも正統派な『半魚人映画』に仕上げてあります。
 この監督、ハズレ無しですな。
 分類的にはオタ監督系統の一人だけど、原典作品や原典文化の本質的魅力をちゃんと分析理解して作っているから、ファン納得の仕上がりに昇華している……『パンズ・ラビリンス』にしても『パシフィック・リム』にしても。



 新規モンスターでありながらも魅力的な存在である〈ギルマン〉は、多くの創作者にとって悩みの種でした。
 とりわけ〈クラシックモンスター〉の一端という側面は、古典怪物を題材とした場合に看過できません。
 しかしながら、そこには〝版権問題〟が障害となって、気軽に使用できないのです。
 そうした状況に、オリジナル亜流へと転化する手法も存在しました。
 代表的なのが怪奇小説家〝ハワード・フィリップ・ラブクラフト〟による『インスマウスの影』でしょう。この作品は、ラブクラフトを始祖とする『クトゥルー神話(クトゥルフ神話とも呼ばれます)』の代表古典であると同時に、最初の『クトゥルー小説』です。
 この『クトゥルー神話』という物に耳慣れていない方のために、一応軽く触れておきます。
 ラブクラフトが書く一連の怪奇小説は〝外宇宙からやって来た邪神達〟という共通世界観の上で描かれており、人知及ばぬ怪異(多くは邪神崇拝)によって主人公が破滅する物語骨子です。
 そして、その異界邪神の一柱が〈クトゥルー〉なのです
 最大の特徴は『シェアードノベル』という執筆形態で、これは各作品に個人的著作権はあれど出版社版権には縛られずに誰でも世界観設定を引用できるという共有執筆スタイルです。
 著作権フリーな自由度から『クトゥルー作品』を執筆する者はプロアマ問わず多く、そのいずれもが(一応は)シリーズ作品と名乗れるためにみるみる作品数も増えていき、そうした大系を統括して『クトゥルー神話』と称されるようになりました。
 本作『インスマウスの影』は、田舎町インスマウスに蔓延る〝呪われし魚人の血筋〟が恐怖テーマとなっています。奇怪な村の住人は皆〈魚人の血族〉で、水属性魔神〈ダゴン〉を崇拝する邪教徒です。何処かのっぺりとした魚面(インスマウス面と呼ばれています)で、その異形性は次第に顕著になり、やがて魚人の仲間入りをしてしまいます。
 この魚人達が〈深きものども〉と呼ばれる劇中オリジナルモンスターなのですが、その特徴は〝人間と魚類の融合怪人〟とされていて〈ギルマン〉に酷似しています(やや魚の特徴は強いですが)。何よりも彼等が集う屯場は〝ギルマンハウス〟という名前ですから模倣を疑う余地は無いでしょう。
 ともあれフリー素材的なキャラクター性から〈ギルマン〉の代わりに〈深きものども〉を使用する流れも少なくありません。

 もうひとつ看過できない功績を残したのは、格闘ゲーム『ヴァンパイア』です。
 そのゲームには古今東西のモンスターが絶妙なアレンジを施されて登場しています。
 そのキャラクターの一人が〈半魚人オルバス〉なのですが、人と魚の融合デザインコンセプトながらも〈ギルマン〉とは違ったアニメヒーロー的なカッコよさへと纏められていました。
 そして、種族名には〈ギルマン〉ではなく〈マーマン〉というキーワードを使用したのです。
 元来〈マーマン〉とは〈男性人魚〉を指す名称であって〈半魚人〉の事ではありません。
 ですが、民間伝承怪物ですから著作権フリーに万人が使用する事が出来ます。
 実際、以降は〈半魚人〉を指す名称として度々使われる趣も生まれました(怪物定義そのものを変えてしまったのです)。

 このように〝ギルマン版権問題〟を克服せんと模索される状況は、他怪物ではあまり見ない特殊な事象です。
 裏を返せば、それだけ〈ギルマン〉は重要視されるだけの魅力に富んだモンスターという立証でしょう。
 ちなみに私的には、オリジナル呼称として〈フィンレイス:ヒレ種族〉または〈フィンマン:ヒレ男〉という名を提案したいです


 先述の通り〈ウルトラ怪獣〉や〈ショッカー怪人〉にまで直球的影響を与えている事を鑑みれば、日本サブカルに於ける〈怪獣怪人〉分野の直系的な礎と言っても過言ではないかもしれません。
 のみならず『クトゥルー神話』という古典怪奇小説にまでフィードバックされた事象等を鑑みれば、このモンスターが怪物文化へと与えた影響と功績は非常に軽視できないものでしょう。
 ですが失念してはならないのは、このモンスターには〝一途な純心〟というアイデンティティーと〝とことん忌避される悲劇性〟という伝統的な美学が備わっている点で、それこそが〈良質な怪物〉として機能させている魅力という点ではないでしょうか?
 この〈ギルマン〉に限らず〈フランケンシュタインの怪物〉にしても〈狼男〉にしても〈ミイラ男〉にしても、決して『バケモノを倒して万々歳』という短絡的な安っぽさではなく、こうした〝奥深いメッセージ性〟や〝ドラマツルギー〟を内包しているからこそ〈クラシックモンスター〉は普遍的な魅力を放つのです。


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