ブロッカー軍団Ⅳ マシーンブラスター

文字数 4,552文字


【ブロッカー軍団Ⅳ マシーンブラスター】
作品DATA:1976.7.5~1977.3.28/フジテレビ系列/全38話
制作:日本アニメーション
アニメーション制作:葦プロダクション
備考:
 ブロッカー Ⅰ 〈ロボクレス〉
 ブロッカー Ⅱ 〈ブルシーザー〉
 ブロッカー Ⅲ 〈サンダイオー〉
 ブロッカー Ⅳ 〈ボスパルダー〉
 から成るスーパーロボットチーム。
 地上制圧を悲願とする海底人〈モグール帝国〉が送り込むメカ怪獣〈カイブッター〉と戦う。
 マシーンブラスターは〈エレパス〉と呼ばれるある種の超能力素質が無いと動かす事が出来ない。その為、各機パイロットは〈エレパス能力者〉が選ばれている(エレパスとは、脳幹内器官〈ハンク器官〉を発振源とする〝電子機器介入型機体制御テレパシー〟の事。本来〈モグール人〉には地球人よりも発達した〈ハンク器官〉が存在しているが、研究レベルが地球人以下の為に制御&増幅が不可能と化している)。
 尚、エレパス限界値は約20分であり、それを越えるとマシーンブラスターは弱体化してしまう。
 各機単体でも充分な戦闘力を持つものの、やはり真価は連携技にあり、様々なエレパス必殺技を繰り出して〈カイブッター〉を倒す。

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【考察論】
『ブロッカー軍団』などと聞くと合体変型タイプだと思われがちですが、無変型&無合体タイプです。
 この〈ブロッカー〉とは〝防衛者〟の意と思われます。
 タイトル表記は『ブロッカー軍団Ⅳ』となっていますが、この『Ⅳ』は次第に読み上げられなくなり、最終的な発声は『ブロッカー軍団』となりました(次回予告でも徐々にそうなってきましたから、これは公式な変更点でしょう)。

 制作は〈日本アニメーション〉となっていますが、実質的にアニメーション制作をしていたのは〈葦プロダクション〉です。後年『魔法のプリンセス ミンキーモモ』や『戦国魔神ゴーショーグン』のヒットによって一躍アニメファンから注目されたアニメ会社ですが、当時は〈タツノコプロ〉から独立したばかりで、このロボットアニメは処女作とも呼べる作品になります。また、そうした設立経緯故か、キャラクターや演出にタツノコプロ臭を感受させる作風ではありました。
 作品としての人気や評価は低くB級C級の扱いをされがちなものの、おそらく、それは作画レベルの低さやコミカルな敵演出に起因するものでしょう。
 改めて観ると描かれるテーマやキャラクターの掘り下げは『マジンガー』や『ゲッターロボ』といったA級作品を上回っている感もあります(誤解なきように言っておきますが、私は永井豪信者にして『マジンガー』大ファンです。そんな私でも、そう評価せざる獲ないのです……本作は)。
 また作品評価自体は低い反面、やはり〝主役級が並び立つスーパーロボットチーム〟というロボットアニメ史上初のコンセプトはインパクト絶大であったせいか、現在でもロボット人気の方は一部ファン層から根強い人気を誇っています。




 現在の鑑賞眼を以てしても感嘆なのは、一貫した〝戦争の無情感〟です。
 確かに〈ヒーローロボットもの〉ですから、テーマたるべきは〈勧善懲悪〉であり、それは踏まえています。
 敵側〈モグール帝国〉は地上制圧を目論む〝悪の侵略軍団〟です。毎回、怪獣ロボット〈カイブッター〉を繰り出して、街を破壊し、そのために犠牲も生まれます。場合によっては姑息な姦計すら行使します。
 その非道をヒーローロボットチーム〈マシーンブラスター〉が弾劾成敗する──痛快なカタルシスです。
 しかしながら、それだけなら〝ヒーロー作品のテンプレ〟ですから特筆に値しないでしょう。
 本作の凄い点は、更に一歩踏み込んで〝侵略戦争〟としての側面を色濃く切り出しているところです。
 侵略戦争──という事は、つまり〈戦争〉です。
 とりわけ最終決戦はヘビーです。
 前半の〈女王ヘルクィーン五世篇〉と、後半の〈新女王クイーンサンドラ篇〉にて各最終決戦が描かれましたが、どちらも悲壮でした。
 決死の玉砕覚悟で特攻する〈ブロッカー軍団〉も悲壮でしたが、追い詰められた〈モグール帝国〉の敗戦覚悟も悲壮です。
 部下に避難指示を下しつつも、決戦のけじめとして自らの最期を腹に括った〈ヘルクィーン五世〉は〈ブロッカー軍団〉の光輝く特攻に徐々に呑まれながらも一筋の涙を流して呟きます──「我が運命は此処に定まった」と。
 敗走の猶予がありながらも逃げはしません。
 見苦しく狼狽えもしません。
 ただ〝モグール指導者〟として〝戦争の発起者〟の責任として、静かに制裁を受け入れるのです。
 見事な最期でした。

 続く新女王〈ヘルサンドラ〉は〈ヘルクィーン五世〉の妹ですが、勝ち気でわがままな性格で〝凄腕の女戦士〟といった性質でした。
 彼女の場合、悲壮さを際立たせたのは巨漢モグール兵士〈ゴライアス〉です。
 生来、愚鈍だった彼は〈モグール帝国〉に於いても蔑視され続け、他人から優しくされた事などありませんでした。
 そんな彼の長所(怪力戦闘力)を認めてくれた〈ヘルサンドラ〉のために、追い詰められた戦況で国際防衛軍に単身〝弁慶の大立回り〟の如く時間稼ぎに身を捧げます──「ヘルサンドラ様、どうか逃げて……」と。
 たった一回だけ……人生で一回だけ認めてもらったが為だけに、彼は進んで人身御供となったのです。
 無論、人間側はそんな事情など知りませんから容赦はありません。
 従来の子供向け作品なら〝人間側視点の主観〟で描写されるでしょうから、このシーンは〝敵怪物の悪足掻きを淘汰するシーン〟になるでしょう。
 しかしながら、本作ではゴライアス側の心理を描写していたために、両手挙げに酔えない悲壮さが際立ちます。
 このようにモグール側へと視点を移せば、そこには彼等なりの理念や人間模様があり、それさえも克明に描写していたのです。


 かと言って、人間側が間違っている訳ではない。
 我々は紛れもなく〈モグール帝国〉の理不尽な暴虐に曝された被害者です。
 実際、第10話『地獄の空母!ヘルグライド(後編)戦え!涙の河を越えて』では、石田が幼少期に別れた母親と再会したのも束の間、病院ごと破壊されて母は還らぬ人となり、彼の果てぬ慟哭のみで物語は幕を閉じました(本作の最高名作です)。
 ヒロインであるユカも、家族を〈モグール帝国〉によって殺され、穏やかな性格の心底には強い憎悪を燻らせています(その矛先を、モグール人との混血である天平へ銃口と向けた事さえあります)。


 一方で人間側にも汚れた悪は存在します。
 第20話『愛と憎しみをこえて』では〈モグール帝国〉から終戦協定の申し出があり、当然ながら〈ブロッカー軍団〉も解散の流れへと運ばれます。
 すると途端、天平に少年院からの再拘束が及びました。
 〈ブロッカー軍団〉ではなくなった彼は、残りの服役期間を真っ当しなければならなくなったのです。
「戦わせるだけ戦わせて、役目が終わればこの扱いかよ! 正義だ何だと御託を並べておきながら汚ねえぜ!」
 天平は憤ります。
 しかし、彼は知らなかったのです──由利博士は、彼が『自由』を得られるように、国際防衛組織を相手取って単身奔走していた事を……。
 当然、これらは〈モグール帝国〉の姦計でした。
 総ては天平を仲間に引き込むためです。
 そして、明かされる真相には衝撃の事実も含まれていました。
 今回の計画には、国際防衛組織高官にも賄賂を握って荷担していた者がいたのです。
「汚ねえぜ! オマエ等のせいで、オレはみんなを……博士を憎んだ! 一時的とはいえ、仲間を憎んだ! 許せねえ!」
 怒りの鉄拳がモグール幹部達へと炸裂します。
 それは、そのまま軽率な自身への怒りでもありました。

 このように善悪二元論では割りきれない込み入った心理像が『マシーンブラスター』では赤裸々に描かれています。

 では〈正義の味方〉に倒されるべき〈絶体悪〉は?
 そんなものはいません……あるのは〝戦争の爪痕〟だけです。
「この戦いに勝者などいない……あるのは〈戦争〉による傷痕……ただ、それだけ…………」
 粛々としたナレーションで最終話は幕を閉じました。
 定番的な戦争非難の讃歌文句ですが、この作品の場合は空々しくも感じず、心に強く沁みて一考してしまいます。
 それは本作が、その点に於いてはブレずに描き続けていたからでしょう。




 本作の定番的非難のひとつに〝「『敵を追い詰めて滅ぼす』最終決戦が敵側視点から描かれ『追い詰められて滅ぼされていく』まったく救いのない展開となる」など、制作側の不手際や演出が本来の意図とは違った受け止められかたをしたために、カルトな作品として記憶されることもしばしばある(Wikipediaより)〟とあるようですが、はたしてそうでしょうか?
 私的主観を承知で述べるなら、本編を観れば〝こうした要素〟は製作側が意図的に終始していた事が汲み取れます。
 つまり〝演出が本来の意図とは違った受け止められかたをした〟とは、どうしても思えないのです。
 当時の〝スーパーロボット商業〟を鑑みれば、スポンサーサイドの原則的要求は〝スーパーヒーロー然とした単純痛快な勧善懲悪〟であるのは明白です。
 各作品の製作側は、そうした制約の網目を潜ってメッセージ性を織り込む作風が常でした。
 しかしながら、本作は包み隠さぬド直球で〝戦争の悲壮さ〟を描いていました。
 これは相応の意欲的姿勢と確信的覚悟を無くしては出来ない作風です。
 ともすれば『機動戦士ガンダム』よりも先駆けていたとも言えるでしょう。
 要するに〝時代に早過ぎた隠れた秀作〟でもあったのです。




 実際のところ、私は『マシーンブラスター』に強い思い入れがあったわけではありません。
 幼少期に現体験をしていましたが、まだ幼かったためキャラクターやストーリーは理解できず、単に「ロボットが一緒に戦うのがカッコイイ」と超合金で無邪気に遊ぶ程度でした。
 やがて、その後アニメファンからは『ロボットのチーム制には燃えるけど、作画も物語演出もレベルが低い失笑C級』という評価が流布した傾向があって「へぇ、そうだったんだ?」と鵜呑みに笑い種として軽視さえしていました。

 ところが近年TOKYO-MXにて再放送観たら……熱い!
 そして、問答無用に面白い!
 確かに〝作画レベルの低さ〟や〝場違いにコミカルな敵演出〟はマイナスとしてあるのだけど、キャラクターの掘り下げや先の読めない大局的展開はのめり込む面白さで、とりわけ〝戦争背景による無情さ〟という時代に先駆けたテーマは最終話まで一貫していて、その徹底したシビアさは感嘆に値しました。

 で、気付けば放送終了後も結構『マシーンブラスター』に思いを巡らせちゃっていて……最近になって、ようやく自覚したのです。
「あ、オレ『マシーンブラスター』大好きになっちゃったんだな?」と。

 決して『大作』『ヒット作』だから〝面白い〟という訳ではなく、本当の『名作真価』とはそうした〝俗物レッテル〟に左右されない──そんな審美眼の大切さを改めて気付かせてくれた好作品でした。
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