第69話 増田伝一郎と蓮台寺温泉

文字数 7,611文字

 山から下りたあと勝蔵は黒駒へ向かった。

 五年ぶりに帰って来た。
 故郷に錦を飾るつもりだったのに、こんなうらぶれた汚い姿で帰ってくるとは、情けないやら懐かしいやら、なんだか名状しがたい感情が胸にこみあげてきて、思わずポロッと涙が出てしまった。
 勝蔵は顔を隠すために頬かむりをして鎌倉街道を歩いている。それゆえ、こうして昼日中に歩いていても、この汚い大男があの大親分「黒駒の勝蔵」であるとは、誰も気づかない。
 とにかく勝蔵としては、この汚いナリをどうにかせねば、と思い、昔から懇意にしていた黒駒の宿屋へ行って世話になろうと思った。

 そこへ赤ん坊を背負った美しい若女房が通りかかった。
 勝蔵は、ここまでの道でもそうしてきたように、顔を反対へ(そむ)けてコソコソと脇を通り過ぎようとした。
 ところが、
「勝蔵さん?」
 と、その女性から声をかけられてしまった。
(まずい。この女は知り合いだったか。しかし、よく俺の正体がわかったな)
 と恐る恐る振り向くと、その女性はお八重だった。
「お前はお八重か……?」
「やはり、勝蔵さんでしたのね……」

 二人はしばし呆然と立ち尽くした。
 勝蔵は全身(あか)(すす)にまみれた汚らしい風体で、しかも頬かむりまでしている。まるで夜逃げ者かコソ泥のようなナリだ。
 一方、お八重はすっかり若女房の姿になって背中に赤ん坊を背負っている。
 お互い、この状況でどういう表情をすればいいのか決めかねる、といった複雑な心持ちであった。
 が、勝蔵はお八重の背中にいる赤ん坊をどうしてもじっくり見たいと思った。それで頬かむりを取って、おもむろにお八重の近くへにじり寄って赤ん坊をのぞき込んだ。
 鬼のような顔をした、しかも汚らしいヒゲ面の男に見つめられた赤ん坊は、案の定、泣き出してしまった。
 また泣かしてしまった。勝蔵は子どもに泣かれるのは昔から慣れている。
 でも、こうして元気に泣いているのがお八重と猪之吉の赤ん坊だと思うと、無性に嬉しくなった。
 そんな気持ちに浸っている勝蔵をよそに、お八重は、よしよし、と赤ん坊をあやしている。

 このあと勝蔵は結局懇意の宿屋へは寄らず、猪之吉の家へ行くことにした。そしてその前に、武藤家へ立ち寄った。
 藤太は蒲原新水道の建設に向けていろいろと飛び歩いているので不在だった。それでお八重が武藤家の風呂場へ勝蔵を案内し、着替えの衣服なども持ってきてくれた。
 それから近くの猪之吉の家へ行った。猪之吉は猟に出かけていて留守だった。多分もうしばらくしたら戻って来るでしょう、とお八重が言う。
 半刻(一時間)も経たないうちに、猟銃を抱えた猪之吉が玄関に現れた。
 猪之吉は、家の中に勝蔵がいるのを見ると飛び上がって喜び、急いで草鞋(わらじ)を脱いで家の中へ飛び込んできた。
「勝兄貴!どうしたんですか?いきなりやって来るなんて、驚くじゃないですか!」
「なに、近くまで野暮用で寄ったもんでな。ついでにお前たちの顔を見に来たのさ」
 勝蔵は猪之吉に、黒川金山での失敗談を語る気はしなかった。
 心配をかけたくないという気持ちもあるが、どうにもみっともなくて話す気になれなかった。ただ、いずれお八重からそれとなく、自分のうらぶれた姿のことを耳にするだろう。いつかまた自分の身辺が落ち着いた頃には話すことにもなるだろうが、今はこの和気あいあいとした再会の場に水を差すようなことは言えなかった。

 この日一晩、勝蔵は猪之吉の家で世話になった。
 猪之吉はありったけの食材を用意して歓待し、お八重は腕によりをかけて夕食の支度をした。
 三人は積もる話に時間も忘れて語り合い、その途中途中、それぞれが赤ん坊の藤子を抱えながら彼女を酒の肴に、楽しく歓談した。
 金山事業に失敗して暗い気持ちになっていた勝蔵にとって、短いながらも心が癒される貴重なひと時となった。

 勝蔵はこのあと伊豆の蓮台寺(れんだいじ)温泉へ行ってしばらく保養するつもりだ。
 今は真冬なので、温かい伊豆の温泉へ行って心と体を休める。
 別に急いで隊へ帰ったところで何か仕事があるわけでもなし、「これから部下たちのことをどうするのか?」それを伊豆へ行ってゆっくりと考える。
 もし隊のことで自分に何か懲罰があるとしても、二、三日牢屋へ入れられるとか、その程度のことだろう。だったらそれこそ、今のうちに温泉へ行ってやりたいことをやっておこう。
 いや、おそらく自分がこうしている内に、もう遊撃隊は解隊になっているんじゃなかろうか?そうなれば脱走の罪を責める意味もなくなるだろう。
 こういった程度の認識であった。

 翌日、伊豆へ向かう前に実家の小池家の墓、それにお花の墓を墓参りして、さらに猪之吉と一緒に戸倉の山中の墓にも墓参りした。そこには綱五郎をはじめ、これまで黒駒一家の一員として死んでいった子分たちの墓標がある。
 実家の小池家には立ち寄らなかった。庭先から隠れて家の中をしばらく眺めただけで、両親や兄夫婦などに顔は見せなかった。
 勝蔵が黒駒一家を構えていた頃もそうだった。一家を構える時に勘当されたため、それ以来、家族とはロクに顔を合わせていなかった。
 しかし勝蔵の博徒時代の罪は、すでに帳消しとなっている。今なら大手を振って家族に会うこともできるはずだ。
「勝兄貴。ご実家のほうには顔を出さないんですか?今ならもう、何の咎めもないはずなんじゃ……」
「そうだな。だが、今回はよしておこう。まだお互い気持ちの整理がついてないし、いずれ俺の仕事が落ち着いたら、その時は改めて顔を出すつもりだ」
 勝蔵は今の(みじ)めな状態で実家に顔を出したくはなかった。いずれまた、何らかの事業を成功させた暁には、胸を張って実家に帰ることもできよう。再び実家の敷居をまたぐのは、その時までお預けにしておこう。そんなつもりだった。
 しかしその望みが叶う日は、ついに訪れなかった。
 それから勝蔵は猪之吉と別れて御坂峠へ向かった。

 勝蔵は御坂峠を越えて郡内に入ると、そこから籠坂峠、御殿場を経由して三島に到着。そしてさらに伊豆半島を南下して天城(あまぎ)峠を越え、下田の手前にある蓮台寺温泉に着いた。
 かつて兄弟分だった下田の赤鬼金平は、前年の五月、維新直後のどさくさ紛れとでもいうか、尊皇派に立って紀州徳川家の船を襲撃した。ところがこれを新政府から咎められて、金平は斬首されてしまった。
 この事件を相楽総三、小沢一仙、水野弥太郎などと同列に扱うべきかどうか。
 いや。どうみても別物として扱うべきだろう。これではまるで海賊行為だ。
 その金平は伊豆の大親分、大場の久八の子分であった。そして久八の子分としてもう一人、下田の安太郎という男が蓮台寺温泉にいた。勝蔵はその安太郎と以前から懇意にしており、彼の世話になろうと思って今回、蓮台寺温泉まで足を運んだのだった。



 そういった訳で、増田伝一郎が山道を踏破して黒川金山に入った頃には、すでに勝蔵は山から下りて行方不明となっていた。
 山小屋は無人の状態で、鍋釜などの炊事道具の様子からすると、つい最近ここから立ち去ったのだろう、ということが一目で分かった。
 そして近くの村落へ行って聞き込み調査をしてみると、そこの村人たちも池田勝馬たち金堀り衆と時折り接触していたらしく、金堀り衆は数日前に山小屋から立ち去った、と聞かされた。そのあと増田が村の名主の家に泊めてもらったところ、驚くべき話を聞かされた。
 増田が追ってきた池田勝馬という男は、あの有名な黒駒の勝蔵のことだ、と名主から教えられたのだ。
 勝蔵も名主の家に生まれた人間なので、ここの名主に自分の出自について語ったのだろう。もう罪人じゃなくなった勝蔵としては、誰に自分の素性を明かしたところで平気なのだし。
 増田は「追跡している相手が実は黒駒の勝蔵であった」と判明しても別段、憎悪の感情は生じなかった。同心だった頃に直接勝蔵とやり合ったこともなかったので、元は博徒の親分といえども、それほど憎い相手とは思わなかった。
 なんにせよ、東京の兵部省から捜査依頼があった「黒川金山にいる勝蔵の身柄確保」の仕事は、相手が山から下りてしまったということは既に東京へ戻って帰隊したのだろうし、これで捜査は終了だな、と思って増田は甲府へ帰り、捜査内容を書類にまとめて甲府県庁へ報告した。

 ところが捜査は終了にならなかった。
 甲府県庁と東京の兵部省との間でしばらく書類のやり取りがあったあと、十二月下旬になって再び兵部省から要請が来た。その要請を受けた甲府県庁は今回も増田に命令したのである。
 今回の命令内容は明確だった。
「池田勝馬を隊から脱走した罪で逮捕せよ」
 と増田に命じたのである。
 増田は驚いた。
(黒駒の勝蔵はまだ東京の遊撃隊に戻っていなかったのか?!)
 そして増田はこの逮捕命令に、何か不穏な思惑があることを感じ取った。
 聞けば勝蔵が脱走したという東京第一遊撃隊は、この十二月二十四日に解隊になるという話だった。
 解隊となる隊から消えた男を「脱走」の罪として、ここまで執拗に追う必要があるのか?
 しかも甲府県庁では勝蔵の足取りをある程度把握しており、上役からは、
「池田勝馬は下田にいるということだ。貴様はそこへ行って池田を捕まえてこい」
 と命じられた。
 いかにも手回しが良すぎる。
 下田に犯人がいることなど、普通はそう簡単に分かるものではない。
 三年前に幕府が倒れるまでは、他国へ逃げた犯人を捕まえるのはなかなか難しかった。だから博徒や罪人は同心や目明しから追われるとすぐ「国を売る」「長い草鞋を履く」と言って他国へ高飛びしたものだった。「勝蔵が甲州から伊豆の下田へ逃れた」などという情報は、よほど勝蔵を入念に追跡していない限り知りうるはずがないのだ。
(東京の政府か、それとも甲府県庁の中に、よほど勝蔵を捕まえたい奴がいるのではなかろうか?)
 と増田は直感的にそう思った。
 が、それはそれとして、かつては同心、今は捕亡吏(ほぼうり)という捕り方の仕事に就いている増田にとっては、上役から命じられた通り、犯人逮捕に全力を尽くす。ただそれだけのことであった。
 そして上役も、この増田が「腕斬り増田」と異名を取る腕利きの男だからこそ、池田勝馬こと黒駒の勝蔵の逮捕を命じたのである。

 黒川金山で勝蔵と別れた玉五郎は、あのあと東京へ戻って上官に、
「池田勝馬は脱走などしていない。だから休暇期間の延長をお願いしたい」
 と訴えた。
 すると上官は「分かった」とだけ答えた。それで玉五郎は自分の訴えが上官に通じたものと思っていた。
 そして東京第一遊撃隊は十二月二十四日をもって解散となり、玉五郎など約四十人の元黒駒一家の連中は一人二十両の退職金を受け取って全員クビとなった。ちなみに早期退職に応じていれば退職金は百両以上だったともいう。とにかくこれで全員、元の木阿弥となり「これからどうするのか?」と皆が自分の将来について思い悩んだ。
 何より問題なのは「親分(隊長)が東京に戻ってこないうちは、これからどうするのか決めようがない」ということであった。
 彼らは勝蔵に逮捕命令が出ていることを知らなかった。そして一日千秋の思いで勝蔵の帰京を待っていた。
 余談ながら政府は「御親兵」を作り直そうと思っていた。
 そのため御一新の際にバタバタと急ごしらえで作った御親兵を解体し、これから薩長土が主体となる新たな御親兵を作るつもりなのだ。その計画は翌明治四年二月に政府内で正式に決定し、六月までに薩長土から兵士が上京。西郷隆盛もこの時ふたたび鹿児島から上京し、これらが新しい御親兵となる。そしてこの御親兵の力を背景として政府は、七月に「廃藩置県」を断行するのである。



 年が明けて明治四年一月。
 勝蔵はまだ蓮台寺温泉にいた。ここに来てからもう一ヶ月以上になろうとしている。
 黒川金山での失敗以来、なんだか何もかもが億劫になって、ここでゴロゴロしている内にもう一ヶ月も経ってしまった。
 宿は安太郎の世話になっている。各地を流浪していた博徒時代に知り合った兄弟分で、嫌な顔一つせずに勝蔵の面倒を見ている。それどころか勝蔵が官軍に参加した話を講談話でも聞くように楽しんで聞いているといった始末だった。安太郎夫婦の面倒見が良いので、勝蔵もついつい長居をしてしまっている、とも言える。
 そして安太郎も勝蔵に、とある長州人の話をした。
「この近くに、かつて長州の吉田松陰という人が黒船へ乗り込む前に隠れていた温泉がある」
 その名前は勝蔵も聞き覚えがあった。官軍に身を投じて以降、長州の軍人に接する機会が増え、彼らからときどき吉田松陰の話を耳にしていた。
 伊藤博文や井上馨などに先立つかたちで海外渡航を試み、黒船に乗ってアメリカへ行こうとした偉い人だ、という話だった。
(アメリカ行きか……。俺もどうせなら、今度はアメリカへ行って金を掘ってみるかな。アメリカの西海岸でも、かつて金がたくさん見つかったって聞いたことがある。今度は部下たちも連れて、皆でアメリカへ行って金でも掘るか)
 などと夢のようなことも、ふと考えた。
 しかしそんな大博打をやるだけの軍資金はない。しばらくは何か地道な仕事をやって食いつないでいくしかないだろう。といって、何か良い案が浮かぶわけでもなし、下手な考え休むに似たりの例えのごとく、ついつい温泉に入り浸りっては無為な日々を過ごしてしまっている。

 その蓮台寺温泉に甲州から増田がやって来た。
 甲州を出る前の下調べで、三島に甲州出身の玉屋佐十郎という、元は「二足の草鞋」つまり博徒と目明しを兼ねていた男がおり、その男は大場の久八の子分で勝蔵のことも良く知っている、ということが分かった。
 それで三島へ行って佐十郎と会い、勝蔵の逮捕に協力するよう言ったところ佐十郎は協力を渋った。佐十郎も勝蔵と兄弟分に近い関係なのだ。仲間を売ることに抵抗があった。
 しかし増田が、決して重罪人として捕まえるわけではない、隊の脱走容疑という比較的軽い罪で、しかも自首させるつもりだからきっと軽い罪で済むだろう、と諄々(じゅんじゅん)(さと)すように言い、佐十郎もようやく観念して逮捕に協力することになった。
 そして佐十郎が目明しとして下田近辺を探索したところ、それから間もなく勝蔵が蓮台寺温泉にいることが分かり、増田は佐十郎と連れ立って蓮台寺温泉へやって来たのであった。

 それから数日後。この日も勝蔵は温泉へ入りに来ていた。
 それを見計らったように、増田も一般の湯治客を装って温泉へ入って来た。むろん佐十郎が事前に調査をして、勝蔵がこの温泉にやって来ることを突き止めていた。そしてこの時も、もし勝蔵が逃げ出した場合は、それを追跡するために近くで隠れて待機していた。
 風呂場にいるのは勝蔵一人で、勝蔵は湯船に入っている。そこへ増田が近づいてきた。
 増田はこれまで勝蔵の顔を見たことがなかった。しかしその魁偉(かいい)な風貌については事前に把握しており、しかも長年同心として博徒を追ってきた経験もあって、一目見ただけで勝蔵のことが分かった。

 逆に勝蔵は増田のことを知っていた。「腕斬り増田」は甲州の博徒にとって天敵のようなもので、皆がこの男に一目置いていた。特に勝蔵は二十五年前に増田を初めて見て以来、この同心には注目していた。
 勝蔵は増田が近づいてきたことに気づくと、一瞬で事を悟った。
(ああ、ついに来たか。これで温泉三昧も終了だな……)
 この段階に至っても勝蔵には、それほどの緊迫感はなかった。
 罪を犯している、という意識がないのだ。

 そのとき二人の目が合った。
 一瞬、増田の心中に緊張感が走ったものの、すぐに勝蔵が無抵抗の意志を示す笑顔を見せたため、増田は安心した。
「逃げるつもりはない、ということかね?池田勝馬」
「ええ。腕斬りの旦那に来られたんじゃあ、お手上げするしかありませんよ。そんなところにつっ立っていたら寒いでしょう。湯船にお入りになったらどうです?」
「では、お言葉に甘えて」
 といって増田も湯船に入った。
「しかしまた、なんで甲府から増田の旦那が来られたんでしょうかね。俺を脱走容疑で捕まえに来たんでしょう?俺はてっきり東京の兵部省から使いの者が来るのかと思ってましたよ」
「さあな。それは俺にも分からない。とにかく一度甲府へ戻ってもらいたい。そのあと東京へ送られることになるだろう。大人しくついて来てくれるだろうね?」
「今さらじたばたしても仕方ありません。仰せの通り従います」
「よし。それならこちらとしても手荒な真似をせずに済む。大人しく自首してきた、ということで取り計らおう。それならどんなに悪くても、まず首が飛ぶなんてことにはなるまいよ」
「恐れ入ります」
「それにしても池田勝馬、いや、黒駒の勝蔵。くだらないことでケチをつけたもんだな。官軍に入って仙台で手柄をあげ、行幸のお供もしたと聞いたぞ。なぜ今さら黒川金山なんかに手を出したんだ。それに今回のことも、ただの手続き上の不手際じゃないか。もしこんなことで身代(しんだい)を持ち崩すことになれば、悔やんでも悔やみきれんぞ」
「お心づかい痛み入ります。しかしまあ、なんでですかねえ……?俺にも理由が分かりません。気がついたら深みにハマっておりました。二度とこのようなシクジリがないよう、気をつけたいと存じます。ところで増田の旦那。旦那も北辰一刀流を学んでおられたと聞きましたが、ひょっとして千葉周作先生に(じか)に学ばれたのですか?」
「ああ、そうだ。別に手ずからお教えいただいたわけではないが、何度かお玉が池へ通って先生のご尊顔を拝したことはある」
「俺は新材木町の千葉定吉先生に習っておりました」
「ほう。ではお主も北辰一刀流の門下生か。そいつは奇遇だな」
「しかしもう、御一新このかた、剣術はすっかり(すた)れてしまいましたねえ」
「まったく嘆かわしいことだ。剣術よりも拳銃の腕前のほうが大事だ、などと言う(やから)もいる……。ああ、御一新前は良かったなあ。剣一筋で腕を振るうことができて……」
「旦那は幕臣だったから、やはり御一新のことは恨んでいなさるんでしょうねえ?」
「まあな。だが俺も千葉道場の人間だから、水戸人ほどではないが、尊皇派ではあった。それに信玄公を慕う甲州人の一人でもある。お主たち官軍によって将軍様が倒されたことは無念の極み、と多くの幕臣たちが嘆くほど、実を言うと俺は落胆しなかった。現にこうして以前の通り、捕り方の仕事もつづけていられるからな」
「なるほど。そいつを聞いて安心しました。俺はそれほど、旦那に恨まれてるわけじゃないんだな、と」
「ふん。だからといって、馴れ合いはせん」
 こんな風に二人はどことなく意気投合する気配さえ見せつつ、このあと結局、勝蔵は増田に命じられるまま甲府へ連れて行かれたのだった。
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