第34話 祐天仙之助を追え(二)

文字数 4,905文字

 十月十五日の早朝。
 江戸の北東にある千住宿で大村達尾は親友の藤林鬼一郎と一緒に仙之助を狙った。藤林も同じ新徴組隊士で歳は二十三。
 仙之助はもともと博徒の親分だっただけに金離れがよく、しょっちゅう江戸の遊女屋で散財していたのだが、この千住宿の遊女屋をひいきにしており、この日の朝、大村たちは仙之助の朝帰りを狙って店から出て来るのを待ち構えていたのだ。
 そして店から仙之助が出て来ると大村たちはすかさず駆け寄った。
「祐天仙之助!拙者は桑原雷助の息子、大村達尾だ。父の敵を討たせてもらうぞ!」
 そう言うと大村は太刀を抜き、それにつづいて藤林も抜いた。
 しかし仙之助も元は博徒の親分だ。なかなか(はら)がすわっている。
 桑原雷助のことなどすっかり忘れてしまっていたが、これまで手にかけてきた人間は両手で足りないぐらいいる。自分を(かたき)とみなす人間なんぞいくらでもいるだろう。そんな奴らにいちいちビクついていられるか。と思い、ニヤッと余裕の表情を見せた。
「そうか、俺の首がそんなに欲しいか。どれ、ちょっと待て。今、くれてやろう」
 と言って前のめりの姿勢になり、首を前に差し出す素振りをした。
 意表を突かれて大村が一瞬あっけにとられた。その隙を狙って仙之助が太刀を抜き打つ。
 さすがに大村はこれをかわせず右腕に傷を負った。が、深手には至らず。
 そこへすかさず藤林が仙之助に斬りつけ右の脇腹あたりを斬った。鮮血が散る。そこそこの深手だ。
 仙之助の表情がゆがみ、剣を構える姿勢がグラグラッとふらついた。
 こうなっては一対二でかなうはずがない。勝負あった。
 このあと二人は仙之助を散々に斬りつけ、仙之助はバッタリと地面に倒れこんだ。
 そして最後に大村が(かたき)の首を落とした。

 敵討ちの大願成就。
 人を殺しても敵討ちであればお構いなし。むしろ父の敵を見事に討った孝行息子として褒められるぐらいのものだ。
 加えて今回の場合、父の敵討ちを十七年かけて成就したというのは「日本三大敵討ち」の一つ「曾我兄弟の敵討ち」ときっかり同じ年数で、おそらくそういった話題でも巷間を賑わせたことだろう。

 ただし、一説によるとこの翌月、大村と藤林は、仙之助の腹心だった内田(菱山)佐太郎によって討ち果たされたともいう。少なくともこれ以降、新徴組の隊士名簿に大村と藤林の名前は残っていないらしく、あるいはそういった事であったかもしれない。

 ともかくも、甲州の博徒界で一時代を築いた祐天仙之助は、こうして江戸で落命していたのだった。



 そんな事情を知る由もない勝蔵たちは、これ以降も仙之助や犬上の行方を追いつづけた。
 また甲州内の賭場を自分たちの手に取り戻すことも試みたが、三年も自分たちの手から離れていた賭場を取り戻すのは容易でないと感じた。
 なにより勝蔵はお尋ね者なのだ。仙之助がいなくなったといっても他の目明したちが虎視眈々と勝蔵を捕まえようとしている。賭場を取り戻すといった派手な活動などできるはずがなかった。
 これでは戻って来た子分たちを養うことはできない。やむをえず大場の久八親分にお願いして子分たちを富士地方、伊豆、駿河辺りの久八の縄張りでしばらく預かってもらった。ただし玉五郎、綱五郎、猪之吉たち側近は身近に残し、仙之助や犬上の行方を追わせた。

 甲州へ戻ってしばらく経ってから、勝蔵と猪之吉は武藤家の八反屋敷へ向かった。
 二年前と同じように、賭場へは顔を出さず、門内に神社の祠がある入り口へ回って武藤家へ入ろうとした。そして、二人がかつて何度も通った門をくぐり、中へ入った。
 二年前もそうだったように、かつて二人はここで何度も巫女姿のお八重と会っている。けれども、今回はお八重の姿はなかった。
 まあ、お八重だっていつもここにいるわけではなかろう。会えないのは残念だが仕方がない。
 と二人は思った。特に猪之吉がそのことを強く思った。
 それから武藤家の屋敷に入って藤太と面会した。
「若先生。お久しぶりでございます。私ども、訳あって二年ぶりに帰ってまいりました」
「二人とも、無事で何よりだった。それにしてもお前たち、良い時に戻って来てくれた」
「はあ……?」
 二年前に会った時とくらべて、藤太の表情は少し変わった、と勝蔵には感じられた。
 前に会った時は「これから尊王攘夷の時代が来るぞ」と藤太はいきいきと語っていたものだった。しかし今の藤太の表情には、いくぶん険しさがただよっている感じがするのだ。
「勝蔵。筑波山で水戸の志士たちが決起したことを知っているか?」
「いえ。あいにくですが、存じません」
 それで藤太が勝蔵に「水戸天狗党」の話を語って聞かせた。
 この年の三月、水戸藩の藤田小四郎(こしろう)(藤田東湖(とうこ)の四男)が六十数名の手勢と共に筑波山で挙兵した。
 彼らは幕府に対して「朝廷と約束した通り“攘夷”を実行せよ!横浜を鎖港せよ!」と訴えて立ち上がったのだった。
 前年の八月十八日の政変以降、長州藩は京都から追放され、尊王攘夷派は勢いを失っていた。その西の長州藩に代わって、今度は東の水戸藩が尊王攘夷の勢いを取り戻すために立ち上がった。大ざっぱな説明だが、有り体に言えばおおむねそんな話である。
 また藤太は、二年前に勝蔵と会った土佐人の石原幾之進(実は那須信吾)が「大和挙兵」で戦死した、ということも語って聞かせた。
 それを聞いて勝蔵は「惜しい人物を亡くした」と思った。彼は勝蔵に対して草莽(そうもう)、つまり民衆が立ち上がって国を変なければならないと熱く語り、勝蔵としても好感を抱いていた人物だった。
 とにかくこの時、関東では水戸の天狗党が蜂起したことによって政情不安な状態となっていた。

「そこでだ、勝蔵。水戸の筑波勢が蜂起したことによって、ひょっとすると関東では内乱が起きるかもしれない。もしそうなれば、内乱の火はこの甲州へも飛び火するだろう」
「はあ……。もしそうなったら、大事(おおごと)になりますな」
「勝蔵、前にここで私が話したことを憶えているか?」
「……それってひょっとして、例の甲府城の……?」
「そうだ。尊王攘夷の義軍によって甲府城を攻め落とすのだ。事によっては、近いうちにその義軍が甲州へやって来るかもしれん。その時は、お前の力を借りたいのだ、勝蔵」
「そうですか、ついに来ますか、その時が……。分かりました。良いでしょう。もしその時が来れば、俺たちも甲府城の攻略に死力を尽くします」
 幕府の代官や目明しから追われつづけ、ずっと幕府と敵対してきた勝蔵からすれば尊王攘夷という思想はともかく、「幕府をぶっ倒す」ということに賛成するのはごく自然な感覚だった。まして今の勝蔵は黒駒一家の再興もままならず、半ばヤケクソ気味ではあるが、この「倒幕」という大バクチには乗ってみる価値が十分あると思われた。

 脇で座っている猪之吉には政治(まつりごと)の事など何も分からない。
 とりあえず勝蔵と藤太の二人が賛成していることであれば、きっと正しいことに決まっている、としか思わない。
 それに猪之吉も社会の底辺をさまよってきた人間なのだ。「幕府をぶっ倒す」ということはすなわち「既存の権威を破壊する」ということであり、下層民である彼からすればそういった行為に対して正直、ある種の愉悦(ゆえつ)を感じてもいる。
 が、それはさておき、猪之吉は思い切って藤太に、やや場違いな質問をした。
「それで……、若先生。お八重様は、お達者でございますか?」
 場の雰囲気にそぐわない質問のような気もしたが、猪之吉は聞かずにいられなかった。
「ああ、あいつはようやく嫁に行ったよ」
 と藤太が答えると、猪之吉はギョッとした表情で大いに驚き、勝蔵は軽く驚いた表情をした。
「ふふ。冗談だよ、冗談。許せ。ちょっと驚かせてみただけだ」
 と藤太は多少、皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。それで、猪之吉は安堵した。
「まったく女という奴は困ったものだ。私や父上がいくら嫁に行けといっても、妹はいっこう受け入れぬ。“大事な人”の無事を祈って神前でお祈りを捧げますといって、ここ最近は四六時中、(ほこら)にこもっている。同時に尊王攘夷の成就も祈ってくれているようだが、多分そっちはついでだろう。とはいえ私としても、その妹の行為に反対はできぬ。なぜ世間並の女の幸せを求めようとせぬのか、まったく困ったものだ……」
 藤太の勝蔵に対する感情は多少複雑なところがある。
 藤太は勝蔵のことを長年の友として、また尊王攘夷の同志として、さらに言うと一個の甲州男児として尊敬している。
 が、妹を不幸にしている、という点では多少の恨みもある。
 にもかかわらず、その妹自身が「不幸であるはずなのに、それを不幸と思っていない」ことが、その健気さが、兄として更につらい気持ちにさせられるのである。

 ところで、このころ勝蔵が甲府城攻略を狙っていたことは『官武通紀』という史料にも載っている。
 この年の四月に甲府代官が作成した報告書に、要約すると次のようなことが書かれている。
「黒駒村若宮の百姓嘉兵衛の倅で勝蔵という博徒が徒党を組み、甲冑武器などを用意して甲府城攻略の機会をうかがっているらしい。万一甲府城を落とされれば甲府盆地の四方は天然の要害にて、恐るべき事態となるだろう」
 そしてその一味の幹部として玉五郎、綱五郎、さらに伊豆の赤鬼金平の名前も載っており、博徒、浪人などが総勢三百人から四百人は集まっている、と書かれている。

 さらに天狗党の田中愿蔵(げんぞう)が甲州攻略を目指し、「黒駒勝蔵の子分三千人に協力させて甲州を攻略する」という計画もあったようだ。
 それにしても代官の報告書といい、この田中の逸話といい、勝蔵の勢力を数百人とか三千人などと見積もっているが、過大評価にも程があるだろう。実際には三十人しかいなかったのに。
 田中愿蔵の隊は栃木宿で略奪、殺人、放火をおこなった天狗党内で一番の過激派である。ただし天狗党は尊王攘夷を志してはいても御三家水戸藩の人間であり、田中などの過激派を除けば「倒幕」までは望んでおらず、結局この計画は立ち消えとなった。
 天狗党の一団が京都を目指して西進するのはこの年の冬のことだ。
 そして彼らは中山道を進んで甲州の近く(諏訪地方)まで来るには来たが、結局甲州へは立ち寄らず、そのまま京都へ向かった。

 つまり、先に結果を述べてしまうと「尊王攘夷の義軍」はついに甲州へは来ず、藤太と勝蔵が夢見ていた甲府城攻略計画は水泡と帰すのである。



 このあと勝蔵と猪之吉は藤太の部屋から辞去して武藤家の玄関へ向かった。
 やや遅い時間に来訪したので外はすっかり日が暮れていた。
 玄関で草鞋(わらじ)を履きながら猪之吉が勝蔵に話しかけた。
「親分、お八重殿がいるという、その祠へ、会いに行きませんか?」
「うん。そうだな。そうするか」
 二人は玄関を出た。庭の一角にある祠を眺めてみると室内に灯りがともっており、中に誰かいそうな気配がある。おそらくお八重がそこで祈祷をしているのだろう、と二人は思った。
 そして猪之吉が祠へ向かおうとすると、勝蔵が背後から猪之吉の肩をつかんで止めた。
「猪之吉。すまんが、今夜はお八重と二人きりにさせてもらえないか?」
「え……?」
「俺は今夜、戸倉へは戻らないから玉五郎たちにも、そのように伝えておいてくれ」
「えーと……、あの、その……。ああっ、なるほど!分かりましたっ、親分!……じゃあ、俺は先に戸倉へ帰ってます!」
 と猪之吉はぎこちない作り笑いの表情で勝蔵に答え、それから足早に武藤家の門から出て行った。

 そして勝蔵は祠へ向かった。
 この晩、勝蔵はお八重と二人で過ごした。

 猪之吉は一人、夜の闇の中を戸倉へ向かって走っていた。
 胸の中は苦しいほどドキドキしている。
(勝蔵兄貴とお八重ちゃんがとうとう結ばれることになったか。こいつはめでたい)
 めでたいはずなのだ。
 自分も長らく、この日が来ることを待ち望んでいたはずなのだ。
 だのに、なぜ胸が苦しいのだろう。なぜ胸の奥に痛みを感じるのだろう。

 その理由が分からないまま、なぜかボロボロと流れ出る涙を袖でふきながら、猪之吉は走りつづけた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み