第68話 黒川金山
文字数 7,259文字
明治の世となった。
新時代をむかえた人々は
と一足飛びにはならない。
明治が始まった頃はまだ、人々の暮らしは江戸時代とほとんど変わらない。
ただ幕府が無くなっただけのことだ。
新しい社会のかたちを作りあげるには更に多くの時間と労力が必要で、御一新になったからといって「幕末の動乱」が突然すべて収まったわけではない。
維新の勝者も敗者も、これからまだまだ
明治二年五月、箱館の五稜郭が陥落して箱館戦争が終了。もうすでに戊辰の年ではなくなっているが、これでようやく「戊辰戦争」が完全に終結した。
翌六月、九段の東京招魂社(のちの靖国神社)で戦死者を慰霊する招魂祭がおこなわれた。
この祭礼には在京の各隊が参列し、当然ながら勝蔵たち東京第一遊撃隊も参列した。
そして同月、版籍奉還がおこなわれ、藩制度の解体へ向けた第一歩が踏み出された。
明治三年一月、東京城(皇居)にて「軍神祭」という名目で閲兵式がおこなわれ、また四月には駒場野(現在の東大駒場キャンパスの南方にあった)で天覧の練兵大会がおこなわれた。
そのどちらにも勝蔵たち東京第一遊撃隊は参加して明治天皇の御前で武威を轟かせた。
勝蔵たちの遊撃隊はますます御親兵としての存在感を高め、まさにその役割が定着しつつあるかのように、一見、見受けられた。
しかしこの時すでに「終戦後の兵士たちの処分」が始まっていたのだった。
この年の一月から三月にかけて、長州では奇兵隊など諸隊による「脱隊騒動」が起きていた。
戊辰戦争が終わったことを機に政府は軍隊を縮小しようとしたのだが、長州の兵士たちがそれに猛反発したのである。
長州の「奇兵隊」は倒幕戦争でもっとも活躍した部隊だったと言っていい。しかし、その彼らでさえ多くの兵士が解雇されるという憂き目にあった。
彼らからすれば、
「俺たちが命がけで戦い、そのおかげで新政府は勝てたというのに用が済んだらお払い箱とは、そんな理不尽な話があるか?!」
といったところだった。ぐうの音も出ないほどの正論である。
俺たち奇兵隊が一番強いのだ。解雇するなら他にもっと弱い部隊がいっぱいあるだろう?と彼らは
いや。強いからこそ、解隊させられるのだ。
国内にもう敵はいない。それゆえ「その強い力が政府に向かう」のを恐れたのだ。
とにもかくにも、長州で反乱を起こした脱走諸隊は、木戸孝允が指揮した長州正規軍によってたちまち鎮圧された。
長州の決断は素早かった。
正論などは関係ない。まさに力の論理、それがすべてなのだ。
そう決断した長州人は即断即決して危険分子を鎮圧した。「長州人は
その一方で薩摩は「終戦後の兵士たちの処分」に最終的には失敗し、このあと明治十年の西南戦争で大破局を迎えることになる。
この年の七月、勝蔵のところへ甲州の猪之吉から便りが届いた。
お八重が無事、女の子を生んだ、という知らせだった。
この知らせに勝蔵や玉五郎、それにかつての黒駒一家の連中も喜んだ。特に勝蔵としては、久しぶりに胸の温まる話に接した気分だった。
最近どうも、暗い話が多い。
御一新が成ったとはいえ、民衆の暮らし向きはいまだに良くなっていない。「奇兵隊脱隊騒動」だけに限らず、農民一揆もあちこちで起きている。
この少し前には米沢藩の雲井
そして勝蔵たちが所属している東京第一遊撃隊でも、
「早期退職者には退職金を上乗せして支給する」
といったふうに政府による「肩たたき」がおこなわれ、屯所内ではしきりに、
「いずれ近いうちに俺たちの遊撃隊も解隊になるんじゃないか?」
という噂が飛びかっていた。
特に隊長の勝蔵は軍の上層部に近いだけに、
(こりゃあ、遊撃隊も遠からずお払い箱になりそうだなあ……)
と肌感覚で感じ取っていた。
そういった状況の中で「猪之吉とお八重のあいだに子どもが生まれた」という知らせは一服の清涼剤のように感じられた。
猪之吉は隊を離れたあと甲州で猟師の仕事をするようになった。黒駒の武藤家の近くに一軒家を借り、そこでお八重と暮らしている。
お八重は最初、動物を殺生したり血まみれの動物に触れる猟師の仕事に多少の抵抗を感じたが、じきに慣れた。特に子どもを生み育てるようになってからは自分と子どもの滋養に気をつけ、進んでそれらの食物を摂取するようになっている。
御一新によって猪之吉の博徒時代の罪はすべて帳消しとなった。猪之吉はもう博徒や軍隊の生活に戻る気はなく、お八重や娘と穏やかに暮らすつもりだ。娘の名は、武藤藤太と富士山から取って
猪之吉からの知らせがあった頃、勝蔵は遊撃隊の屯所で同僚から声をかけられた。
「黒駒の旦那。黒川金山へ行って金を掘ってみないか?」
声をかけたのは同じ甲州出身の遊撃隊員である
「黒川金山なんて、だいぶ昔の話だろう?今さらあそこから金が出るとも思えないが……」
と勝蔵が問い返すと、それに秦が答えた。
「いや、この前、甲府の金座役人の松木源十郎が
「ほう。じゃあ、少しは金が取れる目はあるってことか……」
「あの金座役人の松木が目をつけたんだ。間違いなく金はあると見ていい。松木はもう一歩のところまで行っていたが、資金が続かなかったからダメだった。ここで俺たちがもうひと押し資金をつぎ込めば、必ず松木が狙っていた金鉱脈に手が届くはずだ」
「ううむ」
「黒駒の旦那も甲州人だから聞いたことがあるだろう?『黒川金山の鉱脈は牛のかたちをしていて、信玄公が掘り出したのは牛の片足分に過ぎない』って話を」
「もちろん知っている」
「どうせこの遊撃隊は遅かれ早かれお払い箱になるだろう。今のうちに次の仕事を見つけておいたほうが良い。どうせもう
「ふん。まるで山師のようなやり
こうして勝蔵は秦と山本と連名で八月に「金山採掘計画」の建議書を
余談ながらこの少し前の七月二十七日、その集議院の門前で薩摩藩の横山
さて、黒川金山について。
甲州は金の産地として昔から人々に知られていた。武田信玄がこの金山によって大いに力を伸ばしたことは特に有名である。一説によると信玄は四十八万両も金を掘り出したという。
黒川以外でも甲州には有力な金鉱山が二つあり、一つは
そして黒川金山は現在の奥多摩湖の西にある
金山が華やかなりし頃は「黒川千軒」「
信玄の時代には隆盛を誇った甲州の諸金山もそれからほどなく鉱脈が枯渇し、幕末の頃にはいずれもとっくに閉山していた。
長年にわたって閉山状態だった黒川金山から今さら金が出るとは、普通は思わない。
しかし、金山の専門家である松木源十郎が目をつけたということは、まだ何かあるのかも知れない。
と、昔から「信玄公時代の黒川金山の隆盛ぶり」を聞かされて育った甲州人だけに、この三人はその夢に賭けてみる気になった。
特に勝蔵としては、自分にずっとついてきてくれた部下たちのことが何よりも気がかりだった。
せっかく御親兵になれたと思っていたのに、どうやらお払い箱にされる見込みが強そうだ。隊が解散になっても自分一人ならどうとでも出来るだろう。しかし部下たちは元が博徒だから読み書きすらできない奴がほとんどだ。こんな連中が兵士以外の官職に就けるはずがない。御一新によって以前博徒だった頃の罪は消えているとはいえ、また全員しがない博徒に逆戻りとなる。
(こいつらを食わしてやれるだけの
という一念でこの博打に賭けてみる気になった。
九月、三人は一ヶ月の休暇を取って甲州へ帰り、有り金はたいて鉱夫を雇った。
勝蔵にとっては五年ぶりの帰郷であり感慨もひとしお、といったところなのだが、この山の中ではあまり甲州に帰ってきた気がしなかった。それにそんな郷愁にひたっている暇もない。山中には以前松木が使っていた山小屋がそのまま残っており、そこで鉱夫たちと寝食を共にした。
勝蔵たちが掘削したのは前に松木が試掘したところから十町ほど(約一キロ)川下の場所と、丹波山村の牛金ヶ淵の二ヶ所だった。秦と山本はそれなりに鉱山の知識があり、鉱夫たちももちろん専門家だ。素人は勝蔵ただ一人。それで勝蔵は彼らから掘削の仕方を習い、見よう見まねで掘削作業を手伝った。
たちまち一ヶ月が経った。
金が出てくる気配は、まったくない。
「こりゃあ駄目だ。残念だがあきらめよう」
秦と山本が、もう手を引くと言い出した。それに勝蔵が言い返す。
「今さら後へ引けるもんか。あきらめるにはまだ早かろう」
「何を言うんだ。元々休暇は
「今さら東京へ帰ってどうするんだ?どうせもうお払い箱になるっていうのに。せっかくここまで掘ったんだ。俺たちはまだやれる」
「どこまで掘ったって出ないものは出ない。大体、金山の事なら誰よりも詳しいあの松木が掘っても駄目だったんだ。そもそも俺たちごときじゃ無理だったんだよ」
と秦は今さら身もフタもないことを言い、さらにつづけて言った。
「とにかく俺と山本はもう東京へ帰ることにした。これ以上ここにいても損が大きくなるばかりだからな」
「そうか。じゃあ仕方がない。無理に残れとは言わねえよ。でも俺はもう少し残るぜ。悪いが上官殿には俺の休暇をもう少し延長してくれるよう届けを出しておいてくれ」
秦と山本は勝蔵の頑固さに
勝蔵たち三人はあきらめずに山を掘りつづけた。
(この程度で負けてたまるか!手ぶらで東京へ帰って、どのツラ下げて部下たちと会えっていうんだ。あいつらは俺が成功して戻って来るのを首を長くして待っているにちげえねえ。まさに石にかじりついてでも金を掘り当てないと、絶対に帰れねえ!)
勝蔵は何かに取り憑かれたようにのめり込んでいった。
金の輝きは人を惑わせる。それが「信玄公の金山」であれば勝蔵にとってなおさらのことだ。
俺も信玄公のように勝って勝って勝ちまくるのだ。きっと信玄公のご加護が俺を成功に導いてくださる。
金は必ず出る。
そう信じた。
そして十一月。
かつて甲府勤番の同心だった増田伝一郎が、今は甲府県庁となった甲府城に呼び出された。
おそらく誰も覚えてないと思われるが、この増田伝一郎はずいぶん前に一度だけ今作に登場している。
前に出たのは第二話だ。その時は弘化三年(1846年)だったので、なんと二十四年ぶりの登場ということになる。イヤハヤなんとも。
捕り物の際に博徒の腕を斬り落としたので「腕斬り増田」の異名がある。当時二十代前半だった増田も、もう五十に手が届きそうな歳だ。今でも捕り方の仕事をつとめており、明治政府になってからは
県庁内の一室で、増田は上役から指令を受けた。
「東京の兵部省から要請があった。東京第一遊撃隊の幹部・池田勝馬が黒川金山に入ったまま一ヶ月の休暇を過ぎても隊に帰ってこない。そのため脱隊の容疑がかかっており、甲府県庁で捜査してもらいたい、とのことだ」
それでその捜査の任務を増田に命じる、という指令だった。
増田はもちろん甲州では有名な「黒駒の勝蔵」のことは知っている。それどころか甲府勤番の同心だったころは、目の
甲府から黒川金山までは距離こそさほど遠くないが、険しい山道を通らないとたどり着けない。柳沢峠を越えて丹波山村に至る現在の青梅街道(国道411号線)はこの当時まだ整備されておらず、その南にある大菩薩峠経由の旧青梅街道があるだけだった。しかもその道でさえ、険しい山道のため物資のやり取りは「無人交易」、すなわち発送人が所定の場所に荷物を置いていき、その反対側にいる受け取り人が後日その荷物を取りに来る、という形式を取っているほどだった。つまり反対側まで到達するのが大変なため、交易者は途中までしか行かないのだ。甲府から黒川金山へ行くのは、それだけ大変な山道を通る難儀な仕事だったということだ。
(まったく厄介な仕事を申しつけられたものだ……)
と増田は
同じころ、黒川金山の勝蔵のところへ玉五郎がやって来ていた。
山から金は、もちろんいまだカケラも見つかっていない。
坑道の仕事で真っ黒に汚れ、しかもヒゲぼうぼうのむさ苦しい風体のまま勝蔵は、東京から来た玉五郎を出迎えた。
その勝蔵のいる山小屋へやって来た玉五郎は、ずいぶん慌てた様子で勝蔵に事情を告げはじめた。
「大変です、隊長。急いで東京へ戻ってください」
「おお、しばらくぶりだな、玉五郎。俺のいない間、隊の面倒を見てもらって済まない。どうだ?最近の東京の様子は」
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃありませんよ。隊長が脱走容疑でお
「脱走?そんなバカな話があるか。現にこうやって、書類で出した通り山にとどまってるんだ。脱走なんていうのは普通、さっさとどこかへ雲隠れするもんだろう?どうにも訳のわからねえ話だ」
「しかし実際、そんなふうにお達しが出ているらしいんです。とにかく、早く東京へ戻って事情を説明したほうがいい」
「ふーむ。先に戻った秦と山本に休暇の延長願いを出してくれるよう頼んでおいたんだが、その届け出が伝わってないんだろうか?」
「その二人のことは分かりません。私はまだ、ここで隊長と一緒にいるものとばかり思ってました」
「何だと?まったく薄情な野郎どもだ。一体どこへ行っちまったんだ、あいつら……」
勝蔵は無性に腹が立った。
人を金山開発に誘っておきながら俺が頼んだ休暇の延長願いをほったらかして、どこかへ雲隠れしやがった。お上が脱走容疑で手配するというのなら、あいつらこそ追いかけるべきだろう。
しかも結局、三ヶ月もかけて採掘した金山開発は、どうやら無駄骨に終わった。
これで全財産がパアだ。
博打に負けたんだからこの結果は仕方がない。
だが、お上もお上だ。
隊から俺一人がいなくなったからといって、それが何だ。そもそも解隊するつもりの隊じゃねえか。そのいない間の食い扶持が減って助かる、ってぐらいのもんだろうが。
と、どうにも勝蔵は腹の虫がおさまらない。
帰るには帰るが、このまままっすぐ帰る気にはなれなかった。
元来この男は天邪鬼なのだ。しかも大らかというか幾分ずぼらな気質もある。その性分をここで発揮させてしまった。
が、玉五郎を心配させるのも悪いと思い、その本音は秘して言わなかった。
「分かったよ。じゃあ、ここの後片付けが済んだら帰るとしよう。玉五郎、先に東京へ帰って今度こそ、俺の事情を上官殿に話しておいてくれ」
「承知しました。それでは先に帰ります。本当に、なるべく早く隊に戻って来てくださいよ」
「ああ」
それで玉五郎はすぐに折り返し、東京へ戻って行った。
勝蔵は山の後片付けを済ませ、わずかに残っていた資金をずっと献身的に働いてくれた二人の若者に分け与え、それから山を下りた。