第12話 遊女お花

文字数 7,309文字

「女は男児の鉄腸を(とろ)かす危険な化け物だ」
 勝蔵は何度もこう、知り合いの男達から聞かされてきたが「確かにそれは一理ある」と最近、実感している。
 今、勝蔵は甲府柳町の山藤楼という遊女屋の一室で横になりながら、煙草をすっている。その横では、馴染みの女郎が横になっている。
 名前は“お花”という。歳は一応、二十歳(はたち)と聞いている。
 むろん、事はすでに済んでいる。

 勝蔵は何年か前から時々、甲府の遊女屋に足を運んでいる。
 以前、元服したてだった頃は多少のためらいも見せていたが、そんな初心(うぶ)さはとっくに消え去った。いまや本能の求めるまま、健全な人間のいとなみとしてここへ足を運んでいる。むしろ自分のような世間のはみ出し者には、こんな店の女がお似合いだとすら思う。
 お花との付き合いは、もう半年以上におよんでいる。完全に馴染みの関係だ。
「勝蔵さんほど強い人は他にいないわよ」
 と、お花は言う。
 他の男の「強さ」など勝蔵に分かるはずもない。
「そんなもんかい」
 と生返事で答えた。
 とはいえ、自分の体力が他人(ひと)より並外れているという自覚はある。やはりその強さが「そっち方面」でも反映されているのだろうか、とも思う。
 普段はそれほど女好きではないのだが、心の中の火縄にいったん火がついてしまうと、火縄銃の銃身が焼けただれるまで撃ちつくさないと気がすまない。そんな性質(たち)だ。

 お花は十九年前の「郡内騒動」の際、まだ赤ん坊だったころに親から捨てられた。
 あのときは飢饉や一揆の影響で多くの赤ん坊や子どもが親から捨てられたが、お花もその犠牲者の一人だ。そのあと偶然拾われて命は長らえたものの所々を転々とし、そういった境遇の女児にとってはお定まりの落ち着き先として、ここへたどり着いた。
 名前も昔から適当に「花」と呼ばれていたのをそのまま源氏名として使っている。歳も自分ではハッキリと分からず、郡内騒動から今年で十九年なので二十歳と(数え年で)勘定しているだけのことだ。
「なんでもいいから、普通の家に住んで、普通の家庭を持つのが夢よ」
 こんな平凡な願いを、いつか富くじ(宝くじ)でも当たらないかしら、といったような(なか)ばあきらめぎみの口調で、ときどきお花はつぶやく。

 それを聞く度に勝蔵は、
(こいつを嫁にしてやるかな)
 といった感情が心の中に一瞬わき起こる。
 お花の容姿は、とびぬけて美人というわけでもない。美人で優雅な女郎は他にいくらでもいる。それらと比べれば女郎としての等級は平凡と言える。
 勝蔵がお花を気に入っているのは、心と体の相性がぴったりと合っていたからだった。
 ただし勝蔵としても、
(ひょっとして俺は、こいつの手練(てれん)手管(てくだ)にやられているのかも知れんなあ)
 と、たまに思ったりもする。それでお花と寝物語をする際に、
「女郎の(まこと)と玉子の四角、あれば晦日(みそか)に月が出る、って言うからな」
 などと軽口をたたいたりするのだが、お花は「ホホホ」と笑って返すだけだ。
「何がおかしい?」
「誠もヘチマもあるもんですか。あれだけ散々やっておいて」
「何を言いやがる。それはお互い様じゃねえか」
 勝蔵はこれまで何人も女郎の相手をしてきたが、お花ほどそっち方面で「強い女」は見たことがなかった。並の男の体力では、とてもじゃないが持たないだろうなあ、と勝蔵は思った。まあ、お互い体の相性が良すぎる、といったところなのだろう。

 しかし、勝蔵がお花を身請けするのは、途方もなく難儀なことだった。
 まず、勝蔵にはそんな金はない。
 お花が店に引き取られる際、店は女衒(ぜげん)に金を払っている。それ以外にも彼女にはいろいろと元手がかかっており、身請けするには五十両の金が要るという。
 勝蔵がその金を用意するとなると父の嘉兵衛を頼るしかない。が、かりにも嘉兵衛は名主である。身元不明の女郎を息子の嫁として迎えるなど、許すはずがない。まして五十両の大金を出すなど論外だ。
 それに加えて難物なのは、この店の主が三井卯吉である、ということだ。
 卯吉は、勝蔵にとって好ましくない人物であるのは確かだ。と言っても、勝蔵は博徒でも犯罪者でもない。幕府の目明しである卯吉から目をつけられる(いわ)れはない。ただ、柳町の遊女屋は卯吉の息がかかっている店が多く、たまたま入ったこの店でお花と知り合ってしまっただけのことだった。

 そういった厄介な問題を抱えてはいるものの、今は二人とも、この関係に満足している。
 先のことなど今は何も考えない。いや、むしろ考えないようにしている、といったところだった。



 一方この頃、黒駒の武藤家は悲しみに打ち沈んでいた。
 前年、藤太の妻お直が病死し、つづいて外記の妻、つまり藤太とお八重の母であるお愛も病死した。
 さらに先日、この黒駒一帯の総鎮守で神座山(じんざさん)の山中にある檜峯(ひみね)神社が火災によって焼失した。武藤家は代々この檜峯神社の神主をつとめてきた。
 まさに武藤家にとっては、何かに呪われたような不運つづきであった。

 火災から半月ほどが経ち、勝蔵は焼け跡となった檜峯神社へやって来た。
 檜峯神社はかなり山中深くにあるため人里から離れている。失火の原因は不明で、放火の疑いもぬぐいきれない。そういったこともあって黒駒の人々は定期的に神社を見回りに来ることになり、今回は勝蔵が見回りに来たのだった。
 勝蔵が檜峯神社に着くと、そこで見慣れない男が焼け跡でしきりと神社の様子を調べていた。背が高く、細面で端正な顔立ちをした男だった。歳は勝蔵と同じくらいで、武士ではないようだが服装はきちんとしており、少なくとも盗人(ぬすっと)の類いではなさそうに感じた。
 それでも一応、勝蔵は男の素性を確かめてみた。
「失礼だが、どちらの方ですか?」
「私は小沢一仙(いっせん)という宮大工です。伊豆からやって来ました」
「宮大工?」
「武藤家の大旦那と若旦那から、この神社を再建するための仕事を頂いたのです。ところであなたこそ、どちらの方ですか?」
「ああ、これは申し遅れて失礼した。私は黒駒村の名主の倅で、小池勝蔵と申す」
 二人はお互いの素性を知って共に武藤家の関係者であることが分かった。それでこのあと一緒に山を下りて、武藤家へ向かうことにした。

 その道すがら、勝蔵は一仙から彼の来歴を聞かされた。
 小沢一仙は伊豆西岸の港町、松崎(現、静岡県賀茂郡松崎町)の出身で、この年二十六歳。父は石田半兵衛といい、代々宮大工の家柄だ。父と姓が違うとはいえ、一仙は別に養子に出たわけではなく、彼の家では石田姓と小沢姓を自由に使い分けているらしい。その基準は不明である。とにかく彼の父半兵衛は伊豆で腕の良い宮大工として名が通っており、数々の寺社で仏像や神像を作ってきた彫刻師である。「彫刻師」と言うとどんな仕事かちょっと分かりづらいかも知れないが、落語や講談でときどき耳にする「(ひだり)甚五郎(じんごろう)」と同じだ。つまり日光東照宮の「眠り猫」のような寺社の装飾物を作る職人である。そして一仙も父の薫陶を受け、最近では腕利きの宮大工として各地で仕事をしていたのだった。
 一仙と父半兵衛は、郡内の名主である天野海蔵の知遇を得ていた。
 天野海蔵は「品川台場」の建設の際に大場の久八とともに江川英龍を助けた人物である。そして武藤家は竹居安五郎と縁があり、安五郎と兄弟分の天野や久八ともつながりがあった。要するに武藤家は天野を通じて一仙のことを知っており、それで今回、檜峯神社再建の仕事を依頼したのである。

 一仙は勝蔵に、前年の十一月に起きた安政東海地震についても語った。
 この地震の津波によって下田の町に大きな被害が出たことは前回の最後に触れた。下田は伊豆南端の東岸にあり、一仙の住んでいる松崎は伊豆南端の西岸にある。
 下田ほど大きな被害ではなかったものの、松崎も津波でかなりの被害を受けた。特に港の漁船に大きな被害を受け、この事をきっかけとして一仙は「無難車船」という船を作る決意をし、現在、その構想を練っているところなのだという。
「何ですか、その無難車船というのは?」
 と勝蔵が聞いたところ、一仙は嬉々として自分の構想を勝蔵に説明したのだが、内陸に住む甲州人の勝蔵にはその説明がほとんど理解できなかった。

 一仙の考える無難車船というのは、こういう事らしい。
 七隻の船を鎖で輪のようにつないで一隻の船とみなす。そしてこれをペリーの黒船のように車輪の力で動かす。もし一隻が沈んでも他の船が無事なので決して沈むことはない。これなら便利で安全である、と。
 その昔、筆者が横山光輝の『三国志』を読んだ際に「赤壁の戦い」の場面で、船の揺れを防ぐために船を鎖でつないだ話があったように記憶しているが(そのために火攻めで全部焼かれてしまったはずだが)、多分そんな感じの発想だろう。
 一仙は今、檜峯神社再建の仕事と、この無難車船の実用化に夢中なのである。

 ちなみにこの下田の津波と船のことで言うと、ロシアの軍艦(ディアナ号)が津波で被害を受けて後日沈没した。ロシアはこのとき英仏を相手にクリミア戦争の真っ最中だったので、帰国するための船を日本で作らざるを得なくなり、松崎と同じ伊豆西岸の、松崎より数里ほど北にある戸田(へだ)村で日本人の船大工と共に洋式帆船を建造した。船はこの年の三月に完成してロシアへ向かった。船名は戸田村から取って「ヘダ号」と名付けられた。
 この船を建造した船大工は松崎から多数招集されていたのだが、一仙は船大工ではなくて宮大工だったせいか、こちらの洋式帆船の建造には興味を示さなかったようである。
 ついでにもう一つ余談を加えると、品川台場の建設で江川から多額の報酬を受けた天野海蔵は、甲州人というよその人間であるにもかかわらず津波で被災した下田の町に被災地支援として米五百俵、蒲団(ふとん)五百枚、鍋百七十六個を寄付した。現在その記録が史料として残っており、天野と伊豆の深い関係を示している。

 とにかく一仙は宮大工という技術者的な素養をいかして無難車船の実用化に挑み、さらに後年、大規模な運河建設を計画したりするのだが、その一方で、一仙も実は武士になることを切望しており、最終的には、なぜか尊王攘夷の志士として維新運動の最前線に飛び出すことになるのである。



 勝蔵と一仙は武藤家に着くと武藤父子と面会し、檜峯神社の再建計画について話し合った。
 そのあと、勝蔵と藤太は別室へ移って二人っきりで相談した。母と妻を亡くし、さらに檜峯神社が火災にあうという不幸つづきの藤太は、さすがに幾分やつれている感じだった。
「若先生、あまり(こん)を詰めると体に毒ですよ。俺が力になれることがあれば、遠慮なく申し付けてください」
「世話をかけてすまないな、勝蔵……。神社再建の折りには、小沢氏と一緒に、村の若者にも手伝ってもらうかもしれん」
「俺たちの神社のためなんですから、そんなことは朝飯前ですよ。他にも、何か手伝えることはないんですか?」
「うーん、ないこともないんだが……」
「何ですか?遠慮なく言ってください」
「いや、実は最近、うちの賭場(とば)でも、少し問題が起きている……」
「賭場で?」
「うむ。知っての通り、うちは以前から安五郎さんと付き合ってきた。今でも一応、安五郎さんの子分が賭場を取り仕切っている。安五郎さんが島送りになった直後には、三井卯吉や祐天仙之助などから鞍替えするよう声がかかったんだが、安五郎さんが島抜けした噂が届くようになってからは、そういった声も消えた。ところが最近、うちがこんな具合だから、また連中から声がかかり出した。この近辺で連中の子分らしき姿をチラホラ見かけるようになったそうだ」
「三井卯吉や祐天仙之助が、ここの賭場を狙ってるということですか」
「竹居一家の人々から聞く話では、どうやらそうらしい。私は別に賭場のことにそれほど興味はないのだが、賭場をめぐって両者でイザコザが起こることだけは避けてもらいたいと思っているのだ」
「うーん……。両先生やお八重ちゃんを守ることは俺の一存でなんとかなるかも知れないですが、相手が三井一家となると、我々の手に負えるかどうか……」
「いや、やはりこれは、余計なことを話してしまったようだな。すまん。忘れてくれ。こんな話は……」



 同じころ、戸倉の堀内喜平次のところに塩田の玉五郎と猪之吉が呼ばれていた。
 玉五郎は亡くなった女房の件で喜平次の世話になっており、猪之吉は勝蔵と一緒に何度か喜平次に会ってはいるが、勝蔵より偉い喜平次は猪之吉からすれば雲の上の人物といえる。
 二人は喜平次のいる座敷に上げてもらった後も平身低頭しつづけていた。しかしそれでは話ができないので喜平次は二人に茶菓子を出し、楽にするように言った。そして二人に尋ねた。
「お前たち二人は勝蔵の腹心のようだから、ぜひ話を聞いておきたいと思っていた。単刀直入に聞こう。お前たちは、勝蔵が安五郎の後継ぎになると思うか?」
 二人はこれを聞いてさすがに驚いた。
 喜平次に呼ばれたからには勝蔵についての話であろう、と心の準備はしていたものの、こんな大袈裟な話とは思っていなかった。
 それで玉五郎が答えた。
「戸倉の旦那。それはいくらなんでも無茶なご質問だ。そんなことは私ども下っ端(したっぱ)の者に分かるはずがございません。なあ、猪之吉。お前だってそうだろう?」
 猪之吉は緊張した面持ちで黙ってコクコクと首を縦に振り、玉五郎に賛同した。
「直接、勝っちゃん……、いや、勝蔵さんにお尋ねになったほうがよろしいでしょう」
「むろん、勝蔵にはすでに聞いてある」
「それで、何とお答えになったんで?」
「武士になるか、博徒の世界に入るか、まだ決めかねている、と言っておった」
「はあ、なるほど……、そりゃあそうでしょうね。あの人は、まだ武士になりたがっているみたいだし。だけど私は以前から、あの人には武士は向かないと思ってるんで、そろそろ潮時なんじゃないか、とも思うんですが……」
「ほう。じゃあ玉五郎は、勝蔵が安五郎の後継ぎになるのに賛成なのか?」
「恥ずかしながら私も昔、小田原でしばらく武士をやっておりました。あの世界の窮屈さは身に染みて知っております。勝蔵さんの性格で武士などやっていけるわけがない。向き不向きで言えば、どう見たって博徒向きのお人でしょう。賛成するも何も、いずれ時間が経てば、自然とそうなるんじゃないですか」
「そうか。では、猪之吉はどうだ?勝蔵が安五郎の後継ぎになると思うか?」
「あの、その……、私は……、なって欲しいと思います」
「なぜ、そう思う?」
「よく分からないけど……、そう思うんです」
 猪之吉はまだ年が若く口下手なので上手く言えなかったが、勝蔵のために命を投げ出す気持ちは誰よりも強い。勝蔵の子分になって思う存分、働きたいのだ。
 しかし勝蔵が武士になったのでは、自分はたぶん、勝蔵に仕えることはできないだろう。自分も勝蔵同様、世間になじめないはみ出し者の気質が強い。自分が武士になることなど考えも及ばない。だから勝蔵が博徒の親分になって、自分がその子分として働くのが一番望ましい将来像だ。
 と、猪之吉の脳みその中を整理してやれば、大体こういう話になる。

「そうか。まあ、猪之吉の考えは分かった。とにかくお前たち二人がこの件について前向きであることは分かった。実は竹居村の安五郎の兄甚兵衛から、勝蔵の面倒をみたいという話があって、ワシもそろそろ勝蔵の世話を本格的に考えねばならんと思っておったところだ。やはりあいつには、黒駒を背負って立つ男になってもらわねばならんからな」
 むろん、二人はこの喜平次の考えに賛同した。



 武藤藤太が勝蔵に話していたように、この頃、三井一家の祐天仙之助一味が黒駒周辺を嗅ぎまわっていた。
 親分の三井卯吉は甲府に拠点を置いているが、仙之助は甲州の東部、すなわち石和や勝沼などを地盤としている。石和代官所の管轄内にある黒駒は仙之助の持ち分だ。
 そして仙之助は数ヶ月前からときどき黒駒へ偵察に来て、その際に勝蔵を見かけたのだった。
(あっ!あいつは昔、鰍沢で鬼神喜之助や桑原雷助と一緒にいた、あの時のクソ生意気な男か!あれが黒駒の勝蔵だったとは!)
 そのあと仙之助は子分も使って黒駒の状況を調べたところ、黒駒では勝蔵が安五郎の後継者として期待されていることが分かった。
 そしてさらに勝蔵の身辺を探ったところ、勝蔵が卯吉の遊女屋・山藤楼のお花をひいきにしていることも分かった。山藤楼は甲府の三井一家のすぐ近くにあるので、そこで見張っていれば勝蔵が店にやって来ることなど、すぐに確認できた。
 今のところ勝蔵は、まだ博徒の世界に身を置いているわけではない。しかし仙之助からすれば、いずれ勝蔵が安五郎の後を継ぎ、自分たちの前に立ちはだかる可能性が高いと見て、このことを親分の卯吉に報告することにした。



 そしてこの年の十月、江戸で大地震が発生した。
 世に言う「安政江戸地震」である。
 現在の江東区のあたりが震源とみられ、下町を中心に大きな被害が出た。死者は五千人から一万人、倒壊家屋は一万五千件から二万件と言われている。地震にともなう火事の被害は、この六十八年後の関東大震災ほどではないにせよ、この時も広範囲におよんだ。また、水戸藩の重鎮である藤田東湖などがこの地震のさいに家屋の倒壊にまきこまれて死亡している。

 千葉定吉・重太郎・佐那たちが住んでいる新材木町の道場もこの地震によってかなりの被害をうけた。
 勝蔵は地震の知らせを聞くと急いで江戸へ出て、千葉家の人々を見舞った。
 彼らが皆無事だったことを確認し、勝蔵は安堵した。とはいえ重太郎に話を聞くと、この際、新しい場所へ道場を移すつもりだという。
 移転先は八重洲で、のちにそこが「桶町の千葉」と呼ばれることになる。
 なんにしても、しばらく千葉道場は移転および再建作業のため慌ただしい状況となった。

 このことを境に、勝蔵の江戸での剣術修行は足が遠のくことになった。
 それはすなわち、勝蔵が望んでいた「江戸で武士になる」という希望も、遠のいてしまったということである。
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