第23話 石松、激走。遠州、閻魔堂(二)

文字数 6,216文字

 一方、そのころ甲州では新たな博徒の勢力が台頭していた。
 勝蔵たちのいる黒駒からさして遠くない国分(こくぶ)の地に拠点を構えた「国分の三蔵(さんぞう)」と呼ばれる博徒が、急速に勢力を伸ばし始めたのだ。
 国分というのは黒駒の脇を流れる金川の少し下流に位置し、川の対岸にある。現在で言えば黒駒と同じ笛吹市内の、一宮町国分という場所にあたる。国分という地名からも察せられる通り国分寺に由来する場所で、三蔵の屋敷のすぐ近くに“甲斐国分寺”や“旧国分寺跡”がある。現在、その辺りに“三蔵屋敷跡”という史跡表示が立つ二百坪ほどの空き地があり、屋敷が建っていたころの立派な石垣がそのまま残っている。

 この黒駒の喉元と言っていいような場所にいきなり博徒の新興勢力が現れたのだ。
 しかもこの三蔵の勢力は竹居や黒駒の一家に対して明らかに敵対的な行動を取っていた。竹居や黒駒傘下の賭場を荒らしたり、竹居や黒駒の子分たちを挑発して度々ケンカを仕掛けてきたのである。
 戸倉の黒駒一家の屋敷では、勝蔵と玉五郎が昼飯を食いながら三蔵一家の件を相談していた。
「一宮の都塚は、もはや手遅れです。完全に三蔵側の手に落ちました。残念ながら、これで一宮一帯はおおむね三蔵の縄張りになってしまいました」
 と玉五郎が箸を動かしながら言った。
「都塚がそんなにあっさり取られるとはな。三蔵の手下はそんなに強えのか?」
 と勝蔵が問い返す。
「三蔵の手下かどうかは不明ですが、どうやら用心棒として雇った浪人者が柔術の達人で、そのうえ剣術も強く、こいつに軒並みやられたって話です。その浪人の名は犬上(いぬがみ)郡次郎(ぐんじろう)
「犬上ねえ……。聞かねえ名だな。そんな凄え奴が甲州にいれば、今まで少しは耳にしてそうなもんだが……」
「ふふふ。俺と同じですよ。そいつも元は武士です。調べてみたところ、元は上州館林(たてばやし)藩の藩士だったらしい。ただ、相当頭のおかしな野郎のようで何度も暴力事件を起こし、とうとう牢屋にぶちこまれたんですが、今年の三月に牢屋を破って抜け出し、それから甲州へ来たようです」
「ふうん、上州人か。どうりで知らねえわけだ。大体、親分の三蔵って奴もよく分からねえ。三蔵も他国人じゃねえのか?誰か顔を見た奴はいねえのか?」
「それが滅多にあの屋敷から出てこないようで、誰も顔をみた者はおりません。それにあの屋敷もなかなか堅牢な作りで、まるで何かあった時あそこに籠城でもするような雰囲気さえある。……これはどうも、奴らの背後には代官所の意向があるような気がしてなりません」
「うむ。まあ、そうだろうな。石和の代官所も、目明しの祐天たちも、三蔵の進出については、まるで放りっぱなしだからな。裏でつながっていると見るのが妥当だろう。狙いはやはり……、竹居の親分か」
「おそらく、そうでしょうね。ところで、その竹居の親分は、もう仕事に戻ってるんですか?」
「ああ。しばらく甚兵衛さんの喪に服してたが、もう現場に戻っている」
 竹居安五郎の兄で、安五郎が島送りの間は子分たちの面倒を見、堀内喜平次を通じて勝蔵も世話になっていた竹居甚兵衛はこの年の三月、六十歳で病死した。それで安五郎はしばらく喪に服していたのだ。安五郎としては大事な後ろ盾を一人、失ってしまったことになる。

 ふってわいたように現れた三蔵の勢力に多少の戸惑いを感じながらも、このころ勝蔵一家は拡大の一途をたどり、子分の数はとうとう九十名を数えるに至った。
 一方、(ちまた)の評判では三蔵の子分は五十名と言われていた。それで両者は、この後も金川を挟んでにらみ合い、各地で小競り合いをくり返した。

 実はこの国分の三蔵の正体は、武州高萩からやって来た万次郎であった。




 さて、話を遠州へ戻すと、やはり石松がふて腐れていた。
 石松はあの後、小松村の七五郎のところで世話になっていたのだが、連日のように常吉のところへ行って二十五両の返済を催促している。
 明後日には返す、という約束で金を貸してから、もう五日も経つ。しかし常吉はその間ずっと「頼む。明日まで待ってくれ」と言って石松に謝りつづけている。
 予想された通り、花会での博打は負けた。常吉の手元に金が入ってくる目処(めど)は全くついてない。借金返済の催促は石松だけでなく、方々から常吉のところへ言ってきている。
 常吉はまったく困り果ててしまった。にっちもさっちもいかず、文字通り「首が回らない」状態だ。
 といって、石松としてもあの二十五両がないと清水へ帰れない。
 その窮状を見てとった七五郎が、
「いったん俺が二十五両を立て替えてやるから、とりあえずそれを持って清水へ帰れ。常吉の借金は後から取り立てれば良いじゃねえか」
 とまで言ってくれた。
 けれども石松としてはそんな風に七五郎の世話になるよりも、できれば約束通り常吉から金を返してもらって事を済ませたい。それで、もう少しだけ待つことにした。

 奇しくもこのとき、都田の三兄弟のところへ尾張から仙次郎という博徒が仲間三人と一緒にやって来た。
 この仙次郎たちは保下田の久六の子分だった。
 久六の子分として、親分を次郎長に殺されたままでは済まされない。周りの博徒たちからも「親分の(かたき)も討てねえのか?」と嘲笑されている。むろん仙次郎たちも次郎長になんとか復讐したい。けれども強者(つわもの)ぞろいの清水へ殴り込む程の戦力はない。
(だが、せめて石松一人ぐらいは()れないものか?奴は久六親分を襲撃した実行犯の一人だ。噂によると石松は今、遠州の都田にいると聞く。相手が石松一人であれば勝てるかもしれない……)
 そう考えた仙次郎が仲間三人を連れて都田へ来たのだった。都田の吉兵衛は仙次郎にとって、兄弟分とまではいかないものの親しく付き合っている仲だ。石松は強いので自分たち四人だけでは失敗するかもしれない。が、都田の三兄弟とその子分の協力があれば必ず討ち取れるだろう。
 それで仙次郎は吉兵衛に懇願した。
「我々はどうしても親分の(かたき)である石松を討ちたい。なんとか我々のために助太刀してもらえないだろうか?」
 しかし吉兵衛はこの要請を断った。
 当然だろう。吉兵衛は別に次郎長に対して怨みはない。仙次郎たちに協力して次郎長を敵に回しても、良い事など一つない。むしろ良い事どころか、現在各地で暴れ回って名を上げている次郎長一家を敵に回すのは、自分にとって命取りにもなりかねない。そう冷静に判断して要請を断ったのだ。

 ところが、ここで常吉が兄に強く進言した。
「何という情けないことを言われるのか、兄者!仙次郎は我らの仲間ではないか。『義を見てせざるは勇無きなり』だ。我ら兄弟と伊賀蔵たち子分が協力すれば、いくら石松とて、たちどころに討てるでしょう。清水の次郎長など恐るるに足らず。もし次郎長が事を構えるというなら、むしろ我らのほうから清水へ乗り込んで攻め落とす。それぐらいの気概がなくてどうしますか!」
 このように激しい口調で敵討ちに助太刀するよう訴えた。
 吉兵衛と留吉は、この常吉の謎の熱意に圧倒された。しまいには常吉が、兄弟の協力がなくても、自分と子飼いの子分だけでも仙次郎に助太刀する、とまで言い出した。
 それでとうとう吉兵衛も意を決して、仙次郎への助太刀を承諾した。
「分かった。お前がそこまで言うのなら石松を討とうではないか。やるのなら我ら兄弟、三人ともに立たねばならぬ」
 と述べ、三兄弟と、子分の伊賀蔵たち四天王が仙次郎一味に協力することになった。

 言うまでもなく、常吉は石松からの借金を踏み倒したいと思って、石松を殺すことに賛成したのである。

 三兄弟と仙次郎は作戦を練り、この近くにある閻魔(えんま)堂というところで石松を待ち伏せすることにした。
 それで常吉は小松村の石松のところへ使いの者を送り、「ようやく二十五両の金ができた。閻魔堂という所で渡すから、そこまで来てくれ」と伝えた。
 石松は、やっと金を返してもらえるということで、喜び勇んで閻魔堂までやって来た。
 すると閻魔堂の(ほこら)の中から仙次郎たち四人が躍り出て、石松に斬りかかった。
「俺たちは保下田一家の者だ!久六親分の敵討ちをさせてもらうぜ。てめえの命はもらった!」
「何ィ?!久六の子分だと?!敵討ちとあっては仕方がねえ。受けてたってやる。てめえらこそ、返り討ちだ!」
 こうして石松は四人を相手に長脇差で斬り結んだ。
 しかしさすがは石松。四人を相手にしても引けはとらない。逆に四人の側が押され気味なぐらいだ。

 そこへ都田の三兄弟と、その子分の伊賀蔵、万作、重太郎、音松が駆けつけた。
「おーい、石松。俺たちが助太刀するぞ」
 と常吉が叫んだ。
 すると石松は、
「バカ言うな。こんな四人を相手に助太刀なんているもんか。そこで黙って眺めていろ」
「そんなに遠慮するな、石松。さあみんな、そいつらをやっちまえ!」
 と石松を油断させた常吉たちは、四人に斬りかかるフリをして石松に斬りかかった。

 このだまし討ちには石松も引っかかった。
 たちまち何ヶ所も斬られて体中、血だらけになった。
「てめえら、だまし討ちとは汚えぞ!」
 石松が叫ぶ。
 だまし討ちされても、そう簡単にはやられないのが石松の凄いところだ。なんとか都田たちの包囲を突破して、小松村へ向かって駆けだした。
 その途中、かなりの川幅がある用水路につきあたったがそれを飛び越えて、ギリギリ向こう岸に着地した。
 かたや、そのあと追いかけて来た都田一味は用水路に落っこちた。
 それで石松はやっとの思いで小松村の七五郎の家へ逃げのびた。

 血だらけの石松を見て七五郎と女房のおそのが驚いた。
「どうした石松。血だらけじゃねえか。何があったんだ?」
「七兄ィ。面目ねえ。都田一家の連中にやられた。いやなに、ここでしばらく休ませてもらえば、すぐ治る。そうすりゃ、あいつらに仕返しして、全員ぶった斬ってやる」
「バカ野郎。そんなに血だらけのくせに、ムチャ言うな。だから言っただろう?あいつらを信用しちゃならねえ、と。さっさと清水へ帰ってりゃ良かったんだ。これから都田の連中がここへ来るんだろう?うーむ、どこにかくまうか……。おお、そうだ。石松、おめえは体が小せえから、この仏壇の中に隠れてろ」
 そうして七五郎は石松を仏壇の中へ押し込んだ。そして石松の血で汚れた床をおそのがきれいに拭き清めた。石松が家にいる事を都田兄弟にバレないようにするためだ。

 しばらくすると都田一味が七五郎の家へ押しかけてきた。
「おい、七五郎!石松がここへ逃げてきただろう?隠すとためにならねえぞ!」
 と常吉が叫んだ。
「ああ、来たよ。だけど、すぐまた出て行ったよ」
「嘘をつけ!あいつをどこかに隠しているだろう?」
「だから、いねえと言ってるじゃねえか」
「何ィ?もしいやがったらタダじゃ済まさねえぞ」
 そこでおそのが前に出てきて、都田兄弟に向かって言った。
「そんなに疑うんなら、家探しでも何でもすれば良いじゃないか」
「このアマ、舐めた口ききやがって。言われなくてもそうするつもりだ。おい、お前たち、上がって家探ししろ」
 と常吉が子分たちに命じた。それに対して七五郎が言った。
「おい。もし家探しして石松が出てこなかったら、その落とし前は、どうつけてくれるんだ?」
 さらにおそのが追い打ちをかけて言った。
「何だい何だい。そんなズブ濡れの体でウチの中へ上がろうっていうのかい?せめて体を拭いてから上がりな」
 都田一味は用水路に落ちて体がズブ濡れだったのだ。しかし彼らはおそのの言うことを無視してそのまま家の中に上がろうとした。
 そこで吉兵衛が子分たちを止めた。
「いや、探す必要はねえ。石松はここにはいねえ。探すだけ時間の無駄だ。早く外へ探しに行ったほうが良い」
「なぜだ?兄者」
「あのおそのの表情を見れば分かる。もしここに石松がいれば、女のくせにあそこまで堂々としていられる訳がねえ。それに七五郎を怒らせるのも面倒だ。あいつもかなりの腕前だからな。さあ、お前たち。そうと決まれば長居は無用だ。行くぞ」
 こうして都田一味は家から出て行った。
 このおそのという女は三十半ばの大年増だが近所で評判の美人だった。体はやや大柄で顔には愛嬌があり、大酒飲みだが大した度胸の持ち主だったと言われている。広沢虎造の浪曲では「お民」という名に変えられている。

 都田一味が家から去ると石松が仏壇から出てきた。
「おい、石松、大丈夫か?」
「ああ、仏壇の中にいたから、別段(仏壇)平気」
「くだらねえこと言ってねえで、さっさと傷の手当をしろ。おい、おその、傷口にまく布を持ってこい」
 こうして石松は傷の手当をしてもらった。石松が隠れていた仏壇の中はそこらじゅう血だらけになっていた。
「まったく仏壇の中は暑くて暑くて、連中に斬られる前に暑さで死ぬかと思ったぜ。だけど暗闇の中で仏さんと一緒にいると、何だか俺ももうすぐ仏さんの所へ行きそうな気がしてきたよ」
「バカ、縁起でもねえ。とにかく、ここじゃそれ以上の手当はできねえ。明日、浜松へ行ったら、ちゃんとした医者に診てもらえよ」
「いや。俺はこれから浜松へ行く」
「よせ、石松。まだ連中はこの近くをウロウロして、お前を探しているはずだ。今晩はここで休んでいけ」
「そうも言ってられねえ。連中がまたここへ戻って来たら、七兄ィたちに迷惑がかかる」
 と言って石松が家から出て行こうとすると、七五郎も一緒について行こうとした。
「いやっ、見送りは結構だ。あとは俺一人で道を切り開いて、なんとか清水へ帰ってみせる。それじゃあ、七兄ィ、おそのさん、世話んなった」
 そう言うや、石松は外へ飛び出て行った。

 すでに日は沈んでいる。星明りは少しあるが、月はない。
 この日は六月一日。つまり新月だ。
 星の薄明りを頼りに石松が道を進んでいくと、道の少し先のほうで提灯を持ってうろついている男たちを見かけた。人数は十人ほどいるようだ。
 よく観察して見ると、やはり都田兄弟の一味だった。
 石松はとっさに、すぐ隠れなくてはならない、と思った。
 が、もう、隠れるのにも飽きた。
(こそこそ逃げ回るより、いっそ全員、ここで叩き斬っちまったほうが楽かもな。生くるも死ぬるも運次第。ひょっとすると、これが俺にとっては最後の大博打になるかもしれねえな……)
 そう意を決した石松は、どうせならこっそりと近づいてから奇襲を仕掛ければ良いものを、この猪武者さながらの一本気な男は真正面から突進して行った。
「畜生!てめえ、常吉!よくも俺をだましやがったな!てめえら全員、たたっ斬ってやる!」
 そう叫びながら石松は長脇差を握って、夜の闇の中を都田一味へ向かって突っ走って行った。
 都田一味は、突然暗闇の中で石松の突撃を受けてうろたえた。中には逃げ出す者までいた。

 が、暗闇の中、石松は足元に大きな石があったことに気づかず、その石につまずいてもんどり打って地面に倒れこんだ。
 もとより体中傷だらけの上に、蹴つまづいた足の痛みもあってすぐには立ち上がれなかった。
 それを見た吉兵衛が子分たちに命じた。
「おいっ、石松は倒れたぞ。今だ。皆で包んで一気にやっちまえ!」
 都田一味の十人が石松のところへ殺到し、皆でやたらめったら石松の体を斬りつけた。

 虎造曰く、
「石松は四十三太刀斬られて逃げ傷一つもなし。向かい傷ばっかり」

 こうして石松は無残な最期を遂げたのであった。
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