第56話 赤報隊と高松隊(四)

文字数 3,958文字

 赤報隊はこの岩手陣屋にしばらく滞在した。
「これから南へ行くのか、東へ行くのか」
 それが問題となった。
 京都の新政府からの命令は「桑名へ向かえ」つまり「南へ行け」というものだ。
 一方、東へ行くと次は赤坂宿で、その少し南に大垣城がある。
 実は大垣藩も鳥羽伏見では幕府軍の一員として戦場にいた「賊軍」だったのだが、重臣の小原鉄心などがすばやく藩論を新政府へ恭順するよう切り替えさせた。それどころか新政府の東山道(中山道)軍の先鋒を買って出て、このあと鎮撫総督の岩倉具定(ともさだ)が京都から率いてくる東山道軍の先鋒をつとめることになっている。
 それゆえ大垣へは行く必要がない。そして大垣の東にある揖斐川(いびがわ)を越えてさらに東進してしまうと、桑名へ南下するのが難しくなる。

 一番隊長の相楽は東進を強く主張した。
 早く美濃から信州へ入り、さらに東にある上州との国境、すなわち碓井(うすい)峠を押さえなければならない。
 これが相楽の元来の主張であり、前に京都へ戻った時もそのことを訴えていたが、このすぐあとにも京都へ使者を送って建白書を届けさせ、再びそのことを朝廷に訴えるのである。
 このころ桑名城は藩主定敬が不在につき(慶喜や容保と一緒に開陽丸で江戸へ行ったので)家臣たちが降伏した、という情報が伝わってきていた。また松尾山で一緒だった滋野井隊は、一・二・三番隊とは別行動を取って単独で桑名方面へ向かっていた。
 じゃあ、桑名へ行くのは滋野井隊に任せておいて、確かに相楽の言うことにも一理ある。とりあえず加納宿へ向かう分にはそれほど名古屋から遠いわけでもないし、戻ろうと思えばいつでも東海道方面へ戻れるだろう。ここはひとまず加納宿へ向かおう。
 と皆が一応は了解した。

 加納宿へ向かうにあたっては弥太郎の影響もあった。
 なにしろ彼は「岐阜の弥太郎」という異名がある、美濃の大親分だ。美濃のことであれば彼が何でも引き受けてくれるであろう。そういった目論見もあった。
 その目論見は当たった。いや、当たり過ぎたと言ったほうがいい。
 赤報隊は岩手陣屋を落とした直後に、弥太郎と勝蔵の隊を中心とした先遣隊を加納宿へ送り込んだ。その先遣隊の主導権はもちろん弥太郎が握っている。
 弥太郎は張り切って地元へ向けて出発し、赤坂、美江寺(みえじ)河渡(ごうど)の各宿を通り過ぎてその日のうちに加納宿へ飛び込んだ。

 副長的な立場で付き添っている勝蔵は、弥太郎の様子を見て少し心配になった。
(岩手陣屋へ攻め込む前は真っ青な顔をしていた水野の旦那が、陣屋が落ちたとたん人が変わったように浮かれだした……。その旦那の様子につられて子分たちもタガが外れつつある。少しは子分たちを引き締めないとマズいんじゃないだろうか……)
 美濃人の水野としては、まさかあの勇名とどろく美濃の名門竹中家が、こうもあっさり軍門に下るとは思っていなかった。それで調子に乗り、浮かれてしまったのだ。

 だが、浮かれるのも無理はあるまい、と思う気持ちも勝蔵にはある。
 幕府軍が鳥羽伏見で敗北したことによって従来の価値観がすべてひっくり返ったのだ。
 以前は世間にとって害悪でしかなかった博徒が「帝の軍隊」として地元へ凱旋してふんぞり返るなんぞというのは、古今未曾有の出来事だ。
 弥太郎は加納宿の本陣へ入ると宿場を管理する重役、ならびに近くの加納城にいる加納藩士を呼び出した。
「近々、綾小路卿がこちらへお入りになる。そのほうたちは失礼の無いよう、丁重にお出迎えをいたせ」
 と弥太郎は威張り散らした様子で宿場の重役や加納藩士へ向かって言った。
 彼らは苦々しい表情をしながら弥太郎に頭を下げた。
 その様子を近くで見ていた勝蔵は、
(まあ、俺が甲州へ帰ったとしても、同じことをやるかも知れんなあ……)
 と、そんなふうに思った。
 とにかく加納藩の対応を見る限り、恭順するのは間違いないと思われた。加納藩のような小藩であれば当然のことだろう。
 こうして勝蔵はしばらく加納宿に滞在することになった。また勝蔵が綱五郎に予言していた通り、すぐにこの地へ戻って来た綱五郎はさっそく岐阜の水野家へあいさつに行った。

 まったくもって、この地域一帯は弥太郎が天下を取ったかのような様相である。
 そのような状況下で弥太郎の子分たちが地域の人々に対して傍若無人に振る舞うようになったのも、無理からぬことであった。
 弥太郎の子分はもともと質の悪いのが多かったのだが、今回、急きょ百人近くの人員をそろえたため更に質の悪い連中が混ざり込んでいた。
 しかも博徒というのは元来ロクでなしだ。そんなのが天下を取るような権勢を手に入れてしまえば、これまで(さげす)まれていた分も反動となって、たちまち周囲の人々に傲岸不遜な態度を取るようなった。
 博徒たちが連日ニワトリやブタをかっぱらって、人目も気にせずそれらを道端で殺して料理し始めた、などといった当時の記録も残っている。が、こんなのはまだ序の口で、金品を強要したり代金を踏み倒したりもした。

 そのニワトリやブタを食べているところに、水野一家とは旧知の綱五郎が混ざっていたのを見つけた勝蔵は、すかさず綱五郎をぶん殴って自分の隊へと連れ戻した。
 そして自分の子分、いや部下たちに大声で説教した。
「いいか、お前たち。岐阜の連中と一緒になって悪さをするんじゃねえぞ!俺たちは天朝様の軍隊なんだからな。官軍の評判を落とすことになったら、あとでどんなお仕置きをされても文句は言えねえぞ!」
 こうして勝蔵が部下たちを引き締めたので、勝蔵の隊から不届きな行為をするものは出なかった。水野一家は地元ということで浮かれてしまっていたが黒駒一家としては別に浮かれる理由もなく、おとなしく勝蔵の命令に従ったのだ。

 ちなみに赤報隊は次のような軍規を定めていた。
一、逆を(うち)、順を(たす)け、老幼を(あわれ)み、官軍の名実不可汚事
(逆賊を討ち、正義を助け、年寄りや子供をあわれみ、官軍の名誉を汚してはならない)
一、礼譲を守り酒色を慎み、軽挙暴動無之様、於各隊取締可申付事
(礼節を守り、酒や女を慎み、軽挙暴動のないよう各隊においてしっかりと取り締まるべし)
一、盗窃をなし、姦淫をなし、下民を(かす)め悩し無道之所業不可致事
(物を盗んだり、女を犯したり、民衆から搾取するといった無法な行為をして人に迷惑をかけてはならない)
 右之条々堅可相守、若違輩於有之者、急度可処軍法者也
(以上の軍規を堅く守り、もしこれに違背する者があれば必ず軍法によって処分すべし)

 一方、弥太郎たちの悪い噂はたちまち広まった。
 その噂の中には実際に弥太郎の子分がやった悪事もあったであろうが、おそらく意図的に流された風評もあったであろう。
 その発信元は既存の権力者、特に武士や役人といった人々であったと思われる。
 彼らからすれば、新政府による御一新のことはともかくとしても、こういった無頼の博徒にのさばられることは我慢できなかったに違いない。特に自分たちの既得権が(おか)されるとすればなおさらである。
 弥太郎をもっとも嫌ったのは加納藩士であった。弥太郎を過剰に(おとし)める風評の出元も、おそらく彼らであったろう。
 このころ加納宿では、
「水野弥太郎が綾小路卿から二万石の領地を授かって加納城主となるのではないか」
 といった風聞まで流れていた。
 加納藩士としては、たまったものではない。
 いくら御一新とはいえ、そこまで従来の秩序を破壊されてたまるものか。そう思うのも当然だろう。
 そのうえ相楽が推し進める年貢半減令の話が、これは本来「幕府領のみ」が対象だったにもかかわらず、いつの間にかそういった条件を無視するかたちで流布されていた。
 それはそうだろう。
 農民たちだって「御一新のおかげであっち(幕府領)がそんなに年貢が安くなるのなら、こっち(諸藩領)だって同じようにしてくれ」と思うだろう。
 そういった雰囲気の中で、諸藩の藩士たちが「こっちにまで年貢半減の要求が波及してきたらエラいことになる」と恐れたのも、また当然だった。
 そして加納藩の年貢半減については、弥太郎がそれを推し進めようとしている、という風聞まで流れるようになったのだ。
 加納藩の農民にとってはありがたい話だが、その年貢(税金)で食べている藩士からすれば死活問題である。
 藩士たちはある事ない事、弥太郎の悪評をかき集めて京都の新政府へ訴えた。

 そのある事ない事の割り合いがどうであったかは不明だが、確かに弥太郎の子分による悪事はあった。
 それで、やがて弥太郎も冷静さを取り戻すようになり、ようやく子分たちの引き締めをはかろうとした。
 が、時すでに遅し。
 もはや弥太郎の悪評は取り返しのつかないところにまで達していた。
 それでも弥太郎は見せしめとして一人の子分を処分することにした。そして勝蔵にその協力を求めた。
 勝蔵はそれを引き受けた。
(水野の旦那は学問の知識はあるが、これまでこういった修羅場をあまり経験してこなかったからな……。ついこの前まで浮かれていたのに、すっかり気落ちしてしまっている。お気の毒に……)
 一月二十三日の早朝。弥太郎は自分の屋敷に子分全員を集め、その面前に、縄で縛りあげた粟野村の仙右衛門という子分を引き据えた。弥太郎の横には勝蔵も立っている。
 仙右衛門は勝手に加納宿の豪商から大金を押し借りし、官軍の名誉を傷つけた。
 そう弥太郎が読み上げると、おもむろに懐からピストルを取り出し、仙右衛門を背中から打ち抜いた。
 それからすかさず、脇で太刀を構えていた勝蔵が、仙右衛門の首を一刀両断に斬り落とした。
 この見せしめの儀式によって弥太郎の子分も態度を改めるようになり、無法なことをする者は出なくなった。
 とはいえ、遅きに失した感は否めない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み