第9話 お隣さんの看病と悩み
文字数 4,125文字
何とか起き上がろうとしてもふらふらして焦点が定まらない。
ああ、気持ち悪い…頭がグラグラする…
そう、わたしは久しぶりに熱を出して寝込んでいた。
トントン
「灯…入るぞ?」
「…蒼?」
静かにドアが開かれ、いつもの無表情顔の蒼が現れる。
ああ、なんて涼し気な様子…羨ましい…
「…まだ熱あるみたいだな。気持ち悪いか?」
「うん…少し…」
インフルエンザではなくただの風邪。しかし、もう二日も熱が下がらずおまけに胃腸まで悪くなるわで散々だ。
蒼の声がまだ朦朧とした意識の中心地よく響きなんだか落ち着く…さすがイケメンボイス。ヒンヤリした手も気持ちが良い。
「…蒼、今日は早いね…どうしたの?」
「別に普通だ…今日は部活もなかったし…」
「そっか…」
「氷枕替えるからちょっと頭上げるぞ?」
「うん…」
ぼんやりと蒼の顔を見ながら頷くと、顔が近づき頭をそっと持ち上げられ…
「…!?」
「おい…動くな。大人しく寝ろって…」
顔が近くにあり、尚且つ頭を持ち上げられているせいか蒼の声が耳元で聞こえくすぐったい…
う、動くなって…無理だよ!!この状況…!!
熱でぼんやりとしていた意識が瞬時戻り、なんだか余計全身が熱くなって来た。
そっと頭を下されると、新しく交換された氷枕の冷たさがありがたかった…
うう…また心臓がバクバクに…
わたしはこういう少女漫画的シチュエーションに弱いんだよ!!もう本当心臓に悪い!!
「…どうした?」
「べ、別に…」
思わず顔を背け布団を目深に被って恥ずかしさと動揺を治める為深呼吸を一つ…
こんな状況で蒼の顔なんかまともに見れないよ!!
「おい…布団被るな。額冷やせないだろ?」
「い、いい…氷枕あるし…」
「良くないだろ…たく…」
バサッ…
わたしの心中など知る由もない蒼は、無理矢理布団を捲りさっさと額にタオルを乗せた。
ああ…やっぱりヒンヤリして気持ちが良い…
じゃなくって!!なんでまたこんなに動揺してるんだろう…わたしは…
「…心臓苦しい…」
「…換気するか?」
「いいからもう…眠たいから出て行って!!」
「…そうか?何かあったらちゃんと言えよ?」
「わ、分かってるよ!!」
蒼は首を傾げながらも、それ以上は何も言わず静かに部屋を出て行った。
ああ…び、びっくりした…
看病にこんなドッキリがあったなんて…
二日前のお姫様抱っこと言い…わたしにとっては恥ずかしくてドキドキした出来事だったけど、蒼にとっては普通の事でしかないんだろうな。
はぁ…
胸が苦しい…
風邪のせいか…何か別の病のせいか…
「い、いやいやいや!!風邪のせい!!それ以外何があるっていうの…!?」
こんな事考えるのもきっと風邪のせい、熱のせいだ。
でも…あんな間近で蒼の顔を見るなんてさすがにそうそうないことだし…
動揺し過ぎだわたし!!蒼相手に何乙女チックな妄想を抱こうとしてるの!
とりあえず寝よう…早く治していつもの自分を取り戻さないと…
そう考え目を閉じていたら本当に眠くなって来た…
額に乗せられたタオル、頭の下の氷枕がヒンヤリして気持ちが良い…
「…喉乾いた…」
翌日、結局熱が下がらず学校を休んだわたしは喉の渇きで目を覚ました。
ああ、どれくらい眠ったんだろう…昨日はあの後から記憶が無い…
カランッ…
「ん?」
起き上がろうとすると、目の前に氷の入ったグラスが差し出された。
「蒼!?学校は?」
「…もう終わった。昨日より調子も良さそうだな。良かった…」
「…わたし朝も昼もずっと寝てたの?どおりですっきりしてるはずだよ。」
「朝様子を見に来たら死んだように眠ってたからびっくりした…息があったから安心したけど…」
「風邪で死なないよ…」
「脈まで測ったんだぞ…」
「やりすぎだよ…」
ずっと眠り続けていたわたしもだけど…蒼は相変わらず心配性だな。
脈って…
「灯…ちょっと聞きたいことがあるんだが…大丈夫か?」
「何?」
そろそろ夕飯の時間なのに部屋から出ようとせず、何か考え込むようにわたしをじっと見つめる蒼…その瞳は何を…
と、考えても分からないので続きを待つ…
「…俺は表情筋が死んでるのか?」
「……は?」
「…今朝夏に言われた。俺は感情表現が豊かではないと…とりあえず笑えと言われたんだ…」
「…日向君も無理なお願いをするね~?」
「お前もそう思うのか?」
「…表情筋は生きてる……とは思うけど…。蒼はクールだからなぁ…何考えてるのか分からない時があるよね。」
「俺はお前が何を考えているのか大体分かるぞ?」
「そりゃ…わたしは感情表現が豊かだから。」
「…そうだな。確かにお前は良く表情が変わって分かりやすい…どうすればそうなれる?」
「え?」
ちょっとこの人…いきなり何を言い出すの?真面目な顔して人の手両手で包み込んで…!!
「…こんなことはお前にしか頼めない…俺の知る中では灯が一番俺の傍にいて俺を良く知る人間だ。」
「いや、普通に親とか…」
「お前が俺を一番理解していると思う…」
「いや、多分それは思い違いであって…!!わたしは蒼が思っている程理解していないと思うけど…。現に今何を考えているのか分からないし!」
ぎゅっと力をさらに込め、わたしの手を握りしめる蒼…
全く分からない…蒼の考えが…。一体この幼馴染みは何がしたいのか?何を急にそんな必死になっているのか?
「…実は…今日帰る途中公園で迷子の子供を保護したんだけど…」
「う、うん…」
「声を掛けるなりいきなり大泣きされた……物凄く怯えていた気がする…」
あ…ショックだったんだ!蒼…子供に怖がられてショックだったんだ!!
蒼には悪いけど…その映像が鮮明に想像出来る…
「…あ、蒼は背が大きいから!!そ、そのせいもあるんじゃないのかな?」
「…怖がらせるといけないと思ったから屈んで子供目線にした…」
「…じゃ、じゃあびっくりしたんだよ!!いきなり知らないお兄さんに声掛けられて!!」
「『お兄ちゃん怖い』とはっきり言われた…」
だ、駄目だ!!フォロー出来ない!!これ以上は無理!!
しかし…本気でショックだったのだろう。珍しく肩を落とし落ち込んでいる様子だ。
どうしよう…放っておくわけにもいかないし…
そりゃ…わたしだって蒼の無表情っぷりはどうかと思うこともあるけど…!もうすっかり慣れたから今更変わられてもというのが本音なわけで。
「…わ、分かった!蒼、これから表情豊かになるために特訓しよ!!」
「…特訓?」
「う、うん!わたしで良ければ協力する!!いつもお世話になってるお返し!」
こうして何故かわたしは蒼に表情豊かな特訓をすることとなったのだった。
なんか良くわからないけど…珍しく本気で悩んでいるみたいだったし。
協力してあげるか…!!
「とりあえず…まずは笑顔の作り方だね。」
「笑顔…」
翌朝、すっかり回復したわたしは通学途中の電車の中でさっそく提案してみた。
「そう。人に好感を与えるにはまず笑顔だよ!日向君を見てたら分かるでしょ?」
「…そうだな。夏は確かにいつも笑って楽しそうだ…それに周りに集まる人も皆楽しそうに思える…」
「でしょ?」
「…分かった…まずは夏から学べと言うことだな?」
「え?ま、まぁ…それでもいいんだけど…」
あの日向君だから『笑顔を作れるよう協力して欲しい』とお願いされれば張り切って協力してくれるとは思うけど…
彼の場合、やる気が空回りしてややこしい事になりそうなんだよね。やっぱりここはわたしが責任を持って指導しないと!!
「…蒼、とりあえず…えい。」
何とか背を伸ばし、蒼の口元を人差し指でグイッと上げてみる…
う~ん…やっぱり違和感が…
「…やっぱり目も笑ってないとダメなのかなぁ…」
グイッ
今度は蒼の両目の端を下に引っ張ってみる…
こ、これは…なんていうか…
「お、面白い…」
「人の顔で遊ぶな…」
「だ、だって…こんな表情見た事ないんだもん!だ、駄目だぁ…!!笑っちゃう…!ふ、ふふ…」
「…もう好きにしてくれ…」
あまりにも蒼らしくない間抜けな表情になったので、わたしは満員電車の中であるにも関わらず大笑いしてしまった。
だって本当に面白かったんだもん…。あ~、奈々ちゃんにも見せてあげたい!!
「あ~!面白かった!!朝から笑った~!!」
「笑い過ぎだろ…」
「だってこんなんだったよ?」
そう言ってわたしは自分の両目の端をさっきみたいに下へ引っ張って見せた。
「…ふっ…お前それ…」
「あ!笑った!?」
咄嗟に顔を背けたが…蒼の肩は微かに震えている。間違いない!!
「よし!もう一度!!」
「や、やめろ…!間抜け過ぎるぞ…」
「ほらほら~!!」
しつこ過ぎるくらいその表情を見せていると、やっぱり蒼は顔をそらし微かに笑い声らしき物を発した…ように思えた。
や、やった!!十三年間で初めてだ!蒼を笑わせたのは!!
「ほらほら、蒼。ちゃんとこっち見て顔見せてよ~?」
「む、無理…」
勿体無いなぁ…。せっかくの笑顔なのにそれを見れないなんて…。
でも笑いを必死で堪える蒼の姿を見てると、何だかわたしも嬉しくて楽しくて仕方がなかった。
いつもこんな感じで笑ってくれたら良いんだけど…。でもそれを別の子の前で見せられるのはちょっと嫌だな…なんて思ったり。
そんな嬉しさと良くわからないもやっとした気持ちを抱えながらわたしは蒼の顔を覗き込もうと試みていた。
それを誰かに見られているとも知らずに…