第8話 お隣さんと思いやり
文字数 5,674文字
「…ああ、奈々ちゃん…おはよ。」
まさかの寝起きドッキリの後、蒼もわたしも普通に登校する。当然何事もなかったかのように一緒に。
雛森家は共働きで忙しく留守にしがちなのだ。なのでこの育ち盛りで無表情の一人息子はお隣さんのお世話になっている。朝食、夕食ともに花森家で一緒に取るのがもう日常的なことになっているのだ。
なので…当然ながら一緒に家を出て一緒に登校する形になる。蒼も年頃の男子なら少しは恥ずかしがって時間をずらして出るとかすれば良いものを、わざわざわたしの支度を待って一緒に家を出るのだ。
思春期の恥じらいの心ってこいつにあるのかなぁ…う~ん…考えれば考えるほど謎だ!!
「灯、リボン曲がってるぞ…ちょっとこっち来い。」
「……」
ささっと制服のリボンを結び直し綺麗な蝶々結びの完成。相変わらず几帳面な男だと思う。
一人満足そうにそれを見るとついでに寝癖まで直してくれるこの世話焼きっぷり…
その姿は幼馴染みを労わるというより、甲斐甲斐しく世話を焼く母親のようだ。
「よし…」
「もう行っていい?」
「ああ。あ、ちゃんと前を見て歩けよ?あと足元にも気を付けろ…お前はすぐ躓いて転ぶからな。」
こんなやり取りが十三年間も続けば慣れてしまうもので…わたしも今じゃすっかり受け入れ(というか諦め)受け流す。そしてすぐ躓いて蒼に呆れた目で見られ保護されるのがいつものパターンだった。
勿論、その後グチグチお説教されるのは言うまでもない。しかも、蒼は顔も良い上に中々良い声をしているから、聞いているうちに眠くなって眠くなって…また振り出しに戻る。
ああ…こうしていつものパターンの繰り返しをして過ごしていると、今朝の寝起きドッキリも夢のようだ。と言うかあれも日常パターン化するんじゃないのかな。
「…なるほどねぇ…一夜をともに…」
「奈々ちゃん言い方がいやらしいよ…」
今朝の出来事を奈々ちゃんに話すと、彼女はニヤニヤしながらわたしの肩を抱き寄せた。顔に似合わず親父臭い…飲み屋のお姉さんに絡んでいる親父っぽい。イメージだけど。
「けどさすが雛森君だね…無反応って…驚きもしなかったんでしょ?クールっていうか…」
「クールなんて二枚目みたいな物と違うよ!あれは何も考えてないんだって!!絶対そう…」
蒼は見た目は二枚目だけど中身は結構ぼんやりしていると思う。しっかり者で冷静だけど…何も考えずぼんやりしていることも多いのだ。
わたしも割とそう。けど蒼はわたしと違ってドジはしない…知らず知らず災難を無意識にスルリと避けて通るタイプだ。わたしと正反対で悪運が強いのだと思う。
日向君にいつもの様に絡まれ少し鬱陶しそうに顔を背けつつ、窓の外を見て黄昏始めているし…
どうせ『ああ…空は青いな…』なんてどうでも良いことを考えているに違いない。それか『眠い…』か。
「雛森~、お客さんだぞ?」
「…?」
クラスの男子が蒼を呼ぶ。
蒼にお客さんって…まさか!?駒井さん!?
しかし、男子の反応からして違うようだ…デレデレしてないし。ごく普通の様子だ。
も~!奈々ちゃんが良からぬことを言って脅すから最近わたしまでびくびくしちゃうよ…
「雛森!悪い!!辞書貸して!!」
教室のドアからひょっこり顔を出したのは…
い、イケメンだ!!しかもかなりの!背丈も蒼と同じくらいか…爽やかスポーツ少年って感じだ。
女子達も気づいたのか騒ぎ始めている…
誰だろう…あんなイケメン蒼の知り合いにいたなんて…蒼も黙ってないで教えてくれれば良いのに!水臭いなぁ…
「
「悪い悪い!!けどお前の辞書綺麗だし!この前日向に借りたら超汚かったんだぜ?」
「…まぁ、あいつは仕方ない…」
「あはは!確かにな!!けどさ、ロッカー見た事あるか?あの中本当汚いんだって!カオス状態…!!俺あいつのロッカーだけは開けたくないって本気で思ったわ…」
その言葉に深く頷く蒼…。一体日向君のロッカーの中ってどうなっているんだろう?あの中にどんなカオスが…
「サンキュ!礼はちゃんとするから安心しろよ!!」
「いらない…ちゃんと返せばそれでいいから。」
「なんだよ?俺、せっかく新作考えてきたのに!!」
「人に借りた物に落書きするな…」
「落書きじゃなくてあれは作品だって!!」
「パラパラ漫画のどこがだ…。でも、まぁ…この間のは結構面白かったけど…灯にも好評だったし…」
パラパラ漫画って…この間蒼に数学のノート見せてもらった時に発見したあれか!?他にも同じようなタッチの絵で隅っこに細かく描かれていたのを何度か発見したけど…
ま、まさかあれをこのイケメンが描いていたなんて!?わたしは何気に結構楽しみにしていた…それをこっそり見つけて読むのを。
「あかり?何彼女?」
「花森灯…あいつだ。幼馴染みだ。」
「ツインテールの?可愛いじゃん!」
「違う…あれは灯の友達だ。その隣にいるだろ?小さいのが…」
ち、小さいって…人が気にしていることを…
それを知ってか知らずか蒼は少しだけ遠慮がちにわたしを指さし、ご丁寧に紹介までしてくれた。
「あ、確かにちっさいな!でも…よく見りゃ可愛いじゃん!あ!せっかくだし俺ちょっとお友達になって来るわ!!」
「あっ…水城よせ…」
蒼が止めるのも聞かず、そのイケメン…水城君とやらは真っすぐわたしに近づいて来た。大股で堂々と…
人見知りのわたしは当然、奈々ちゃんの後ろへと身を隠した。奈々ちゃんもわたしを守るよう両手を広げ前へと立ち憚ってくれているのが頼もしい。
「どうも!俺、
「葉月奈々絵…あんたあたしの可愛い灯に何の用よ?変な事したらぶっ飛ばすわよ?」
「ただお友達になりに来ただけだろ?顔に似合わず気の強い女だな、お前。せっかく可愛いのに…」
「あんたも顔に似合わずチャラついた男だね?イケメンが台無しだよ?」
ふふんと奈々ちゃんは見下すように鼻で笑いながらそんなことを言う…。それもアニメのワンシーンのようで可愛いのだけど…
「…水城、用が済んだならさっさと帰れ。」
「俺も灯ちゃんと仲良くしたいんだって!」
「…葉月はともかく…灯が怯えてる…。あまり怖がらすな。ただでさえお前はでかいんだから…」
ぐいっと水城君を引っ掴むと、蒼は涼しい顔をして教室の外まで引きずって行ってしまった…
蒼ったら意外と力持ち…
にしても…びっくりしたぁ。いきなりあんな展開になるなんて思ってもみなかった。妄想外だ。
「よしよし、灯怖かったねぇ…」
「う、うん…ちょっとびっくりした…」
「にしてもなんてチャライ男なの!?馴れ馴れしいっていうか…日向の方がまだ可愛げがあるわね…」
「まぁ…日向君は親しみやすいよね…確かに…」
顔も標準…いや、実はよく見りゃ中々良い顔してるんだけど。長身だけど怖さも感じないのだ。根っからの良い奴っていうか。見た目は派手だけど雰囲気が。
それにしても…蒼にあんなタイプの友達がいたなんて。ちょっと変わった人みたいだけど。それに蒼が彼に世話を焼く姿が想像出来るのは何故だろう?
さっきはびっくりしちゃったけど…なんか悪いことしたかな?蒼に何か言われてなきゃ良いけど…
「あ、雛森君おかえり~。灯をちゃんと守らないとダメじゃないの!!この子危なっかしいんだから…ちゃんと目を離さず気を付けてないと…」
一仕事終えた蒼が再び教室に戻って来ると、奈々ちゃんはそんな失礼なことを言い出した。
目を離したら何をするか分からない的な言い方しなくても…奈々ちゃんの方がよっぽど危険だと思う。
「気を付けてるよ、日々…。大丈夫か?灯?」
奈々ちゃんと同様。蒼までわたしを慰めるように頭を撫でて気遣わし気に顔を覗き込んで来た…
わたしは箱入りの娘か小さい子供か?
「悪かったな…悪い奴じゃないんだけどな。人より好奇心が旺盛なんだ…」
「ちょっと雛森君…あいつ灯の事狙ってるんじゃないの?本当気を付けてよね!あたしの可愛い灯が…」
「狙うって…こいつを?水城がか?……ないだろ。確かに小柄な人間が好きだけど…」
「やっぱり!!ほら~!!」
「…あいつハムスター飼ってるんだ。それ溺愛してて、多分その影響かと…」
ハ、ハムスター!?わたしは小動物扱いなの!?なんか凄く似たような人を知っているので複雑な気持ちになった。
「…確かに灯ってハムスターみたいだよね。小さくてちまちましてるっていうか…」
「…ああ…そうだな…」
「で、でもそれは可愛いってことだからさぁ!!ね!?雛森君!?」
「…まぁ…そういうことにしておこう…」
「そこは肯定しなさいよ!!灯が落ち込むでしょうが…!!」
もう既に落ち込んでるよ?奈々ちゃん…。
友達と幼馴染みにまでハムスター扱いされ、居たたまれなくなって来た…。
小柄な事気にしてるのに酷い!二人して!!
ハムスター…好きだけどさ…可愛いし…
その後落ち込みながらノートの隅っこにゆるキャラっぽいハムスターなんか描いてしまった。絵心は無いのでそれがハムスターなのかそもそも生き物なのか不明の不気味な落書きになっていたけど。
「…これやるから機嫌直せって… 」
昼休み、蒼がそっとわたしに手渡して来た物…それは…
「苺ミルクまん!!ど、どうしたのこんな大人気スイーツ!?」
「購買前で迷ってたら田中さんがくれたんだよ。凄い笑顔で…」
購買のおばちゃんまで蒼の虜!?そ、そう言えば蒼って昔から愛想ないくせにマダム達から可愛がられていた記憶が…。
結局は顔ってこと?顔が良ければ不愛想も愛嬌に変わるってことなのかな…?何にせよ得してることには変わりないよね。
ちなみに苺ミルクまんは我が校購買の大人気スイーツの一つで、一日五十個限定販売の幻のスイーツなのだ。
そんなのを購買のおばちゃん特権で一生徒にあげていいのかちょっと疑問だけど…
「…蒼ってなんだかんだで得してるよね…いいなぁ…」
「そうか?そんなことは…良く物は貰うけど…」
「それが得なんだって!!うう…わたしも奈々ちゃんみたいに可愛かったらなぁ…。小さくても心までこんな狭くならなかったよきっと…」
もらった苺ミルクまんをかじりながら、わたしはつい心の本音を口に出していた。
奈々ちゃんは日向君に絡まれてなんか取り込み中みたいだけど…怒る姿もやっぱり可愛いのだ。
それに比べてわたしは…怒れば余計見苦しくなるっていうか…はぁ…
「…別にそんな事ないだろ。相変わらず思い込みが激しいな、お前は…」
「変な慰めはいらないよ!!傷つくの!余計!!…どう見たって小さいでしょ…身長…。満員電車に乗ったら絶対埋もれるし、人込みにもすぐ流されるし、視界から消えるって言われるし…」
「ああ、身長の事か…」
「他に何があるの?」
「…お前、心が狭いって言っただろ。だからそうじゃないって言いたかったんだけど…」
「…わたしそんな事言った?」
「…灯は自分で言った事をすぐに忘れるよな…どうにかならないのか?それ…」
隣で騒がしくしている日向君と奈々ちゃんを他所に、わたしと蒼はそれから黙々と昼食を口に運んだ。
心が狭い…蒼はそうは思わないと言ったらしいけど…
あれ?これってもしかして…慰められているの?わたし?
箸を止め、ふと蒼へ目を向けてみる…
いつもと変わらない無表情…涼し気な瞳…
蒼も嘘はつかない。思ったことをそのまま口にするから。さすがにわたしもそれは理解している。
けど…なんだろう…これ…
なんか急に心臓がバクバクと…
な、なんで?わたし…蒼にドキドキしてるって事?
ただいつも通り思ったことを言われただけで…??
うわぁ~!!あ、ありえない!!蒼なんかに!!
「どうした?食欲無いのか?」
「わっ!?」
自分の感情に戸惑っていると、急に蒼が顔を覗き込んで来たので思わず後ずさってしまった。
し、心臓に悪い!!いきなり顔を近づけるなんて…
さらに鼓動が激しくなった気がして少しくらくらして来た。
「な、何でもない!!」
「…何でもなくないだろ。胃でも痛くなったのか?顔も赤いし…熱あるんじゃないのか?ほら…」
「な、無いから!!熱測らなくていいから!!」
またいつもの様にわたしの額に手を当て、少しだけ心配そうに見つめてくる…
蒼の手はいつもひんやりして気持ちが良い…
なんて言うか…落ち着くと言うか、安心させられるって言うか…
「ってそうじゃなくて!!大丈夫なの!!放っておいてよ!!」
「大丈夫じゃないだろ…ほら、保健室行くぞ…」
「い、行かないよ!!」
「…動けないほど悪いのか?」
全力で拒むわたしを見て、蒼は何をどう勘違いしたのか…。ため息を吐きながら立ち上がるとわたしを軽々持ち上げた。
お、お姫様抱っこ!?何故!?
騒がしかった昼休み中の教室がその瞬間だけしんとなった気がした…。クラス中の視線を一斉に浴びたのは間違いない。
は、恥ずかしい!!恥ずかし過ぎてまた鼓動が激しくなって、頭もくらくらして…
何なの?この展開…??
どよめく教室の中、わたしは本当に気が遠くなって来た…
ああ…本当…何なの?このお隣さんは!!