第35話 お隣さんとわたしの不幸再び
文字数 6,075文字
心臓が未だバクバクしているのは、慣れない全力疾走をしたせいか、驚いているせいか…
全力疾走で家に帰ったわたしは、そのままの勢いで階段を駆け上り部屋に入った…
ただ動揺して怖くて逃げて来ちゃったけど…どうしよう…!!
相手は駒井さんに比べれば、悪意も全くない可愛らしい女の子だ。誰もがあんな人だと思ってはいけない。
それは分かっている…分っているけど……
以前、体育倉庫に閉じ込められたことを思い出すと逃げずにはいられなかった。
あんな怖い思い二度としたくない…!!
けど…なんであの子はわたしなんかと話しをしたかったんだろう?
好きな人の彼女なんて…絶対話なんてしたくないはずなのに…
やっぱり腹いせに駒井さんみたいにわたしをはめようと考えていたのか…?あんな無害そうな可愛い子が??
「あ~…なんか自分が凄く嫌な人間に思える!!」
しゃがみ込み頭を抱えると、今度は物凄い嫌悪感…自分に対する。
理由はどうあれ…やっぱり逃げ出すなんて失礼だったよね?明日もし出会ったらちゃんと話を聞こう。
「…というか…これは蒼に相談した方が良いのかな??」
床に突っ伏した顔を上げ、わたしは呟いた…
隠し事は嫌いだし…わたしも隠し通す自信ないし…
あれ?でも蒼…あの子にラブレター貰った事、わたしに話してないよね?というか…むしろ隠そうとしたじゃん!!
それに気づいてこっそり後を付けたんだけど…
「…言う必要ないじゃん…こんな事…」
そうだよ…!相手は駒井さんみたいな子じゃないし。きっと何か理由があってわたしと話したいだけなんだよ。うん。
灯…従妹の蕾ちゃんの言葉を思い出しなさい。『人間ネガティブな事を考え出すと止まらない、ネガループに入る前にスパッと断ち切れ!!』って…そう言っていたじゃない。
なんかちょっと意味わからなかったけど…ネガループって何って思ったけど…
「…蕾ちゃん、わたし信じるよ…!!」
最近会ったからか…彼女が強烈な印象のキャラだからか…
わたしは最近よく蕾ちゃんの言葉を思い出す。
「…にしても…よかったぁ…今日、蒼が休みで…」
あの場に蒼もいて、もし同じような状況になっていたら…
わたしは絶対今日の様に一人パニクってこうして逃げ出していたに違いない。そして自然と尾行して告白云々の現場を盗み見した事もバレてちょっと気まずい雰囲気になるのは間違いなかった。
今、熱にうなされ眠っているであろうお隣さんの部屋のベランダを窓越しにそっと覗いて見る…
カーテンで当然見えないけど…蒼、ちゃんと休めてるかな?
朝あんなに心配して見送ってたし…
もしかしてわたしの事を一日中心配し過ぎて、余計風邪が悪化しているんじゃないかと不安になって来た。
あのいつもと変わらない窓の向こうでもしや倒れていたりしないんじゃないかとか思ったり…
ちなみに、わたしと蒼の部屋もベランダを隔てた向かい合わせのお隣さんだ。ベランダ伝いにちょっとジャンプでもすれば行き出来る程、その距離は近い。
「…この場合は…飛び越えて会いに行くべきか…」
ベランダに繋がる窓を開け、わたしらしくない発言をする…
冬の冷たい風が髪を撫で、部屋の中に入って来る…
手摺に触れるとやはりヒンヤリして冷たい…
カララ…
「あ…」
手摺を握りながらベランダ越しに蒼の部屋を眺め躊躇していると、静かに向かい側の窓が開いた。出て来たのは当然蒼である。
「…灯…妄想と現実は違うんだぞ…」
「え!?ま、まだ何もしてないよ!?」
わたしの姿を部屋の中から見ていたのか…。わたしを見るなり小さな子供に何か諭すよう蒼はそう言ったのだ。
何故分かったんだろう。少女漫画や少年漫画に出てくるようなヒロインの如く、ベランダを飛び越えお隣の幼馴染に会いにっていう妄想が…
戸惑うわたしを他所に、蒼はひょいとこちらに飛び移って来る…屋根を伝う猫の様に軽やかに。
「…え?何でこっち来たの??」
「何か話したい事があるんだろ?変な妄想を実現させるくらい切羽詰まった何かを…」
「え?別に無いけど?切羽詰まったって、ベランダ飛び越える妄想したくらいで大袈裟だなぁ。」
「走って帰って来ただろ…窓から見えた…」
「み、見てたの!?」
「そろそろお前が帰って来るんじゃないかって…」
「…蒼、どんだけ心配性なの。」
呆れつつもとりあえず部屋の中に入れると、ベッドの上に座るよう促してやる。
口元にはマスク、そして額には冷えピタ…サラサラの髪は変わらないが、どこか気だるげなのがなんだかいつもと違いドキッとする。
蒼はいつもこう…ピシッとしているからなぁ…
勧められるがままベッドに座り、ついでに渡したブランケット(うさちゃん柄のパステルピンクカラー)を大人しく羽織る蒼…
こいつ…本当されるがままだな……
「…お前何があったのか?」
「なんで?」
わたしは蒼の隣ではなく、足元に座りながら首を傾げた。
ふと見上げれば、やはりじっとこっちを見ている無表情のお隣さんの姿があった…
「猛ダッシュして帰って来ただろ…」
「そ、それは…!?えっと…み、観たいドラマがあって!!」
「…なら観ないのか?」
「…やっぱり良いかなぁ…なんて…」
「……」
ま、まずい…蒼の顔がまともに見られない…
まさか『蒼が告白された女の子に声掛けられて、びっくりして逃げて来た』なんて言えない。わたしがあの現場を盗み見した事もバレるし。
けどこの無言の圧力が…!!無表情だけど全身で語りかけている気がする。
『灯、お前今度は一体何をした?』と…
それが愛なのか、昔からの心配性のせいなのか…。どちらにしろ厄介だ。
誤魔化す度に反れて行くわたしの視線を追う様に、蒼はわたしから目を離すことなくこの無言の圧力を掛けるのだ。無意識に…。
そして…わたしが黙秘すると…今度は距離を詰める。ベッドから降り、わたしの隣に座り直し…まずは真横から無言で見つめる。
「……」
「……」
そして更に沈黙……
すると次は…そっぽを向いたわたしの顔に触れる……
熱があるせいか蒼の手は今日は少し熱いくらいだ………
「…ちゃんと俺を見ろ。」
「……」
「…灯…」
「…いや、本当何もないから…」
「ここまで誤魔化してそれはないだろ…俺が関係しているのか?」
「……」
顔ごと無理矢理蒼に向けさせられると、その鋭い疑問に思わずまた目だけを反らした。
いや…蒼の場合、多分駒井さんの事とかあったからだと思うんだけど…
「…目を反らしたって事は…そうなんだな?」
「い、いや…でも…別に嫌な事言われたとかされたとかそんな事は…!!相手も友好的だったし!!」
「…駒井じゃないのか?」
「なんでまた駒井さん?あれ以来接触なんて全くないよ?」
「…なら誰が…ちょっと鞄の中見せて見ろ…」
ふと何か思い出した様にそう言うと、蒼はわたしから離れ放り出された鞄を掴んだ。
「え?何で??別に教科書隠されたり破られたりなんてことは…」
「…うっかり不幸の手紙とか持ち帰っているかもしれないだろ?」
「…ふ、不幸の…手紙…」
そんな事ある訳ないじゃん…と普通ならそう言って笑い飛ばすなりするだろう。が、わたしの場合は違う。その『うっかり』が大いにあり得るのだから。
駒井さんの時もうっかり付いて行っちゃったし…
「…けど今時不幸の手紙とか…」
鞄の中身をチェックし始める蒼を見ながら、わたしはまさかととりあえず笑って見せた。
コンビニのあの短時間で手紙類を入れるなんて芸当出来るだろうか?あのいかにも『いい子』って感じの女の子に…?
「…おい、これはなんだ?」
「…え?な、何?まさか本当に手紙が…」
蒼のいつもとは少し違う…低めの声色に嫌な予感を感じつつも、わたしは恐る恐る彼の背後からそれを見た…
「な、何これ!?」
「…人形…みたいだけどな…呪いとかそっちの…」
蒼の手に握られていたのは見るからに不気味な人形であった。木綿だろうか?そんな生地で作られ、申し訳程度に頭部らしき部分に毛糸の髪が取り付けられた…
人形の作りはいびつだが、着せられたお洋服のクオリティだけは高かった。フランス人形が着ているようなふんだんにフリルが付けられた真っ赤なドレスは売り物の様だ。
「の、呪い!?い、嫌だなぁ!!き、きっと誰かがお土産にくれたんだよ!!ほ、ほら!!海外のお人形とかってこんな感じのが…」
「…ボタンの目が取れかけて、全身マチ針で刺した真っ赤な人形がか?どう見てもこれ…」
「いや!やめてよ!!そ、そんな事ないもん!!」
「でもこれは…」
ボロ……
「きゃ~!!いや~!!」
「…落ち着け。首が取れただけだ…ボロボロだから…」
「余計怖いよ!!」
「…仕方ない…接着剤で付けるから落ち着け…」
「なら可愛く作り直してあげて!!」
もげて転がり落ちた人形の首を掴みながら冷静な蒼…とは正反対に恐怖でパニック状態のわたし…
ミステリー研究部に入ってはいるけど…こういう呪いの人形やらホラーな物は本当は苦手なのだ。わたしは。
「もう嫌!!」
幸いなのが…今の所わたしにその呪いの効果が無いと言う事だ…
*****
「まぁ…呪いのお人形さんが?」
「うう…そ、そうなんです…ひっく…うう…」
「あらあら…灯ちゃん、そんなに怯えて…よしよし…」
午後7時、花森家にて。
わたしの部屋にやって来たのは部活の可憐で頼もしい先輩…緋乃先輩だった。
あまりの恐怖に耐え切れずわたしが泣く泣く呼び出した。そして急な呼び出しにも関わらず緋乃先輩は快くやって来てくれたのだ。
何を隠そう、この緋乃先輩は由緒ある祓い屋さん一家のお嬢様で、霊類の事に関しては専門なのだ…とか何とか。本人はハンターだのエクソシストだのと言っている。祓い屋とは決して言わずに。
「…兄様を連れて来た方が良かったかしら…でも可愛い灯ちゃんのお部屋にあんな胡散臭いエセ好青年を入れる訳には…」
「…緋乃先輩お兄さんの事嫌いなんですか?」
「…いいえ?とても尊敬出来るお兄様ですわ。ただ見るからに胡散臭くて腹黒いだけで…うふふ…」
ちなみに、緋乃先輩のお兄様も腕利きの祓い屋さんだとか…しかもあの人気イケメン作家の東雲青嵐先生なのだから驚きだ。先生曰く作家は副業なんだそう。
例の人形を手に取ると…緋乃先輩はプロの目でそれを見始めた…
「…これは…そうですわねぇ…えい。」
ザクッ!!
緋乃先輩は自分の鞄の中からハサミを取り出すと…笑顔でそれをお人形のお腹に突き立てたのだ。
「いやぁーーー!!」
「あ、あなた何を…!灯の前で…」
そのあまりにショッキングな映像に、わたした思わず悲鳴を上げ気を失いそうになった。
そんなわたしの目を覆いながら、蒼も慌てた様子で緋乃先輩に非難の声を上げた。
分かってはいたけど…緋乃先輩、笑顔で何てことを…
チョキチョキチョキ……
蒼の非難の声も、わたしの悲鳴も気にする事無く…緋乃先輩はマイペースにのほほんと人形のお腹を切り開いて行く…
ただの布人形なのに…何だろう?このグロテスクな感じ…??
もう見ていられない…!!
「…灯、大丈夫だ…ただの人形だから…」
「気持ち的に無理!!」
「気持ちは分かるけどな…」
さすがの蒼も引いたのか…。わたしを抱きしめ宥めながらも、それ以上緋乃先輩に抗議する事無く無言で見守っている…
「…あらやっぱり…」
「…どうしました?」
緋乃先輩に応えたのは蒼だ。
恐る恐るわたしもそちらへ目を向けると、緋乃先輩がちょうど人形の腹部(綿の中)から何か紙切れを取り出している所だった。
それを開き、彼女は一人納得したように頷き確認すると…わたしと蒼にもそれを見せた。
取り出した紙切れを……
「灯の名前…?まさかこれって本当に呪術的な…」
「…素人のお遊び程度の物ですわ。そう言う本かサイトを見て面白半分に作ったのでしょうね……タチの悪い……」
「…じゃあ呪いとかそう言うのは…いや、ある訳がない……」
緋乃先輩のペースに吞まれたのか、蒼は一瞬らしくない発言をし思い直したようにそれを否定し呟いた。
確かに…呪いとかそういうサイトや本は探せばごまんとあるだろうけど…。本当にそれを活用して実践する人がいるなんて…
さらなるショックでわたしは何も言えずに蒼に寄り掛かることしか出来なかった。
「呪いは発動しますのよ?正しいやり方と知識があれば…勿論私も本気になれば出来ますわ…うふふ。」
「…俺はそんな物は信じませんよ。今のあなたは先生にそっくりだ…嫌なくらい…」
「あら嫌ですわ。あんなアナログおじいちゃんと?」
そう口で言いつつも、緋乃先輩は相変わらず笑顔で楽しそうだ。いつもの彼女だ。
「…おじいちゃんって…分かる気もしますけど…。」
「そうでしょう?あの人あの年でスマホも使いこなせないのだから…うちの琥珀ちゃんの方が何倍も賢いですわ。あ、琥珀ちゃんは猫さんで、それは綺麗な黒い毛並みをした愛らしい…」
「猫はともかく…百歩譲って…灯に呪いが掛けられたのならその解き方は?」
話を遮ったものの、蒼は猫の事が気になるらしい。ちょっと嬉しそうに照れた表情を一瞬浮かべ、またすぐいつもの無表情に戻ると緋乃先輩に目を向けた。
琥珀ちゃんて…あの時忍先輩の傍で寝ていた黒猫かな?確かにあれは可愛かった。
「ああ、それは…簡単ですわ。こうすれば…」
ビリッ…
「…はい、これでお終いです。まぁ、最も…初めからこの呪いは失敗だったみたですが…その証拠に、灯ちゃんはぴんぴんしているでしょう?」
「確かに…」
「素人が気軽にこんな事しても成功する確率は極めて低いものですわ?だから安心なさいな。」
破った紙を捨てながら、緋乃先輩は蒼に微笑み掛けた。
その様子を見て蒼も安心した様だ…ほっと溜息を吐いてわたしの頭を撫でてくれた。
「…それで?その呪いのお人形の贈り主は?灯ちゃん、心当たりはなくって?」
「…はぁ…それが全く…」
心当り……ちょっとはあった。今日コンビニで出会った蒼に告白していた女の子だ。
でもあんな大きな物をあの短時間でわたしの鞄の中へ押し込むのは無理がある…
でも…もし前もって人形をわたしの鞄に押し込み、様子を見る為わざわざ声を掛けたのだとしたら…
隣で疑わし気な視線を向ける蒼の圧力を感じながら、可能性だけでその子を疑うのはどうだろうと考え込む…
けど…駒井さんの時もそうやって結局は酷い目に遭ったしなぁ…う~ん…!!
「…灯。正直に話せ。」
「…わ、わかったよ…。でもその前に…蒼、怒らないでね?」
「…時と場合と内容による。」
「細かいよ!」
「…とりあえず話せ。」
こうしてわたしは結局、あの時の出来事から蒼…そして緋乃先輩にも説明しなければならなくなった。
蒼がこっそりラブレターを隠し、わたしがその後を尾行して告白現場を盗み見した事から…コンビニであった出来事までを…
嫌がらせの次は呪いって…蒼、一体どんな女の子に好意を持たれているんだろう…
というか…可愛い女の子はやっぱり怖いな…