第32話 わたしと憂鬱と憧れの人
文字数 4,388文字
季節は夏からすっかり秋へ移り変わり、暦は十月。
いつものメンバー。今日は天気も良いからと屋上でそれぞれお弁当を広げ楽しいランチタイムをしている時だった。
美波ちゃんが突然そんな事を言ってしまったのは……
「美波…学園祭はともかく、灯の前で体育大会の話はしちゃ駄目だって…」
「え?あ、灯ちゃん!?」
奈々ちゃんの気の利いた制止も虚しく、わたしはすっかり絶望の色に染まり箸を持ったまま固まっていた。
体育大会……この憂鬱なイベント…!!
わたしにとってこれがどんなに苦痛な物なのか、皆さん想像がつくだろうか?
もう知っての通り、わたしは根っからの運動音痴。それはもう可愛らしいレベルを通り越して絶望的なレベルにまで達している。
つまり…重症的な音痴。走れば転ぶ、縄を引っ張れば縄と一緒に引っ張られ倒れる。借り物競争をしようものなら、お題の書かれたメモに達したところで力尽きる(転んだりぶつかったり転んだりして)…。
「…体育大会…体育……」
「あかりん!?しっかりしろって!!」
「体育……運動……ぶつぶつ……」
日向君の呼びかけにも応える余裕すら無い。今この時点で。ただその名前を聞いただけで。
ああ、なんか急に手が肩が震えて来た…!これが拒否反応というものなんだな……!!
「…お~い?花森?しっかりしろって…苺ミルク飲むか?」
「あんた意外と可愛い物飲むのね…水城君……」
「馬鹿!間違えて買ったんだよ…。自販機の前で迷ってたら、こいつ(日向君)が悪ふざけして思いっきりタックルしてくるからさ…その拍子でうっかり。」
「あ~…こいつ無駄に背でかいからねぇ…超迷惑ね。」
いつもなら日向君に注意でもしている所だが、今のわたしにはそんな余裕すら全くない。
何故なら体育大会という今まで忘れかけていたワードを、突然思い起こさせられたのだから…
美波ちゃんの馬鹿…好きだけど……!
「…どうした?」
「ああ、雛森君良いところに!あ、灯ちゃんが…私のうっかり発言のせいでこんなに怯えちゃって…」
「三島?顔色悪いぞ?灯がどうし…」
皆で怯えるわたしを元気付けようとドタバタしていると、ちょうど飲み物(お茶)を買いに行っていた蒼が涼しい顔をして戻って来たのだ。
いつもと変わらぬ無表情。怯えて固まりながらも震えて呟くわたしの姿に気づくと、何故か蒼まで固まった。
「…わたし今日から水風呂に入って髪の毛とか絶対乾かさないで寝る!それで窓とか全開にして…冷房とかも…」
「灯!早まらないで!!だ、大丈夫よ!あたしが付いてるから!!」
「そうだぜあかりん!俺もいるぜ!?だからそんなむちゃやめようぜ!?な!?」
「…今日から滝行に行こう…」
「ちょっと何言ってるのこの子!?」
「…滝行なら俺も行きたいかも…恰好良い…!!」
わたしの本気発言にノリノリの日向君は、勿論速攻奈々ちゃんからアッパーを食らっていた。
ああ、神様仏様…いや、八百万の荒ぶる神様方!!
どうぞ…どうぞ…今年の体育大会の日に前代未聞の大嵐を起こして下さい!!
「灯ちゃん!?何に祈ってるの!?」
「五体投地しても何にもならねーって、花森…」
慌てる美波ちゃんと対照的に冷静な水城君もわたしを止める…
皆…そう言っていられるのは運動が得意だからだよ!!そうだよ!気づけばわたし以外皆運動得意だし!!
「…灯、落ち着け…。とりあえずお茶飲むか?」
「いらないよ!」
「…ほら、温かいお茶だぞ。お前この時期腹壊しやすいからな…」
「だからいらないって!!」
何故そこで敢えて温かいお茶を差し出すの蒼!?可愛い幼馴染…いや、彼女を優しく慰めるとかするところでしょ!!
ん…??いや……こいつの事だ。もしかしてこれが蒼なりの『優しく彼女を慰める』という行動なのかもしれない。
「うう…うっ…」
「今から泣いてどうする…」
「だ、だって…うう…うっ…」
「大丈夫だ。俺がちゃんと見てるから…」
「そ、それって怪我した時すぐ保健室に運べるようにでしょ…!うっ、ひっく…熱い…ごほごほっ…」
「…一気に飲もうとするから…」
蒼から温かいお茶をひったくると、わたしはそれをやけ酒を飲むOLの如く勢い良く飲み干そうとして咽た。涙が余計溢れて苦しい。
そう言えばこれ…従妹の梅子お姉ちゃんが良くやってたな…
わかってるよ…わたしだって…!!
今から未来の不幸を恐れて泣きべそかいたって仕方ないってわかってる…。わかってるけど…!!
蒼に頭を撫でられ、奈々ちゃんと美波ちゃんから背中を摩られ抱きしめられ…そして水城君からは苺ミルクを渡され…
なんだろう?この光景って傍から見たらどう映るんだろう??
「ほら、あかりん肉食えよ肉!日向家のから揚げは美味いから!!」
「日向君……」
「春…俺の弟料理超上手いからさ!」
そしてから揚げを差し出す満面の笑みの日向君…
確かに日向家のから揚げは絶品だった。我が家よりも。
「というか…日向君弟いたんだ…!?」
「お!?やっぱそこに食いつくか!?さすがあかりん!!俺が言うのもなんだけどさぁ…あいつ結構イケメンで可愛いんだよなぁ!!」
「…イケメン……!」
「俺と違って髪サラサラで色白だし、華奢だし…」
「髪サラサラで色白華奢なイケメン……」
……わたしの涙は一瞬乾いた………
日向君も中々イケメンだ…。そしてその弟さんとなれば……!!
「ひゅ、日向君の弟さん見たら元気になるかも…」
「灯……」
「だって色白華奢な美少年だよ!?これは見るしかないじゃん!!」
「すっかり元気な様だし必要ないだろ…」
蒼のヒンヤリする視線を感じながらも、わたしは折れる事無く日向君に身を乗り出しお願いした。
その自慢のイケメンな弟を一目見たいと…
勿論、日向君は喜んでオッケーしてくれたが、後の皆の視線が冷たかったのは言うまでもない。
そんな喜怒哀楽の激しいわたしの様子を、物陰から見つめる人影が一つ……
「…花森灯…お前の弱点を見切った…ふふ…」
手には藁の飛び出たハンドメイド感に溢れた人形を……
ピンクのお洒落セーターに黒髪ストレート…同色のリボン…
彼女は人形を握りしめ口元を歪ませ呟いた……
しかし鈍いわたしはやはり気づかなかった。
いや、そこにいる誰もが…彼女の存在にすら……。
*****
カランカランカラン!!
パン、パン!!
その日の夕方、わたしはちょっと途中下車をして星花町へと来ていた。
この町にある星花神社は、わたしが高校受験で胃を痛めながら神頼みし、結果みごと志望校に合格したというご利益ある神聖な場所なのだ。
それを思い出し、今こうして再び星花神社へ出向き固く目を閉じ両手を合わせ必死にお祈りしている。
「…体育大会が大嵐で潰れます様に……体育大会が大嵐で潰れますように……!!」
ここに祀られている神様が何なのか全く分からないけど…どうぞお願いします!!
蒼は敢えて置いて来た。というか部活だったので先にさっさと帰ることにした。
ああ、あの帰り際グラウンドで見掛けて目が合った時のあの表情…。
なんか寂し気だったなぁ…気のせいかもしれないけど。
やっぱり彼女としてここは終わるまで待っていた方が良かったのかな?校門なんかで可愛らしく。
それとも…やっぱり差し入れとか作って…!?
「…駄目だ…。蒼の方が料理もお菓子も作るの上手だし…」
本当器用って言うか…仕事が丁寧でかつ手際が良いからさっさとなんでもこなしちゃうんだよね。蒼。
そう言えば蒼が失敗するところってそんな見た事ないかも…。地味に慌ててるところはあるけど…数少ないけど。
「あれは本当にわかりにくかったなぁ…」
蒼は常に冷静で無表情だ。一見見ただけでは何がどうなってどう考えているかなど分かるはずもない。
「…いや!そんな事より今は……」
ガランガランガラン!!
再び鈴を鳴らし手を合わせ目を閉じ祈る……
「神様仏様…何でも良いので!八百万の神々様も…どうぞわたしの些細なお願い事を聞いてください…!!何卒!!」
なんかこんな必死に祈って叫ぶって…従妹の蕾ちゃんを思い出すのは何でだろう?そう言えばここって蕾ちゃんの住む町だったっけ?だからかな??
「…馬鹿でも阿保でもいいから(酷い)蕾ちゃんのあの熱血根性を譲って欲しいよぉ…」
あの人は逞しい。いつだって突き進んで根性で伸し上がる逞しいタイプだ。わたしとは正反対の。
「…ふっ…ははっ…」
「!?」
そんな必死に祈って年の近い逞しい従妹の事を考えていた時だった。背後から笑い声がしたのは…。
み、見られてた!?わたしのこの必死過ぎる姿を!?
い、一体誰に…??まさか蕾ちゃん!?
だったらマシだなと思いつつ、わたしは恐る恐る振り返った。
「ああ、ごめんごめん…あまりにも必死に祈ってるからつい…」
「あ、あなたは…!?」
背後に立つ人はあまりにも眩しくそして素敵過ぎる存在のお方だった…
秋風に揺れる茶色い髪、そして若竹色の爽やかな色合いの着物…というか書生の様な大正ロマンスタイル……
それはわたしの憧れのお方、東雲青嵐先生…その人だった。
ああ、今日も爽やかな素敵スマイル…なんて美しい……!!
「また会ったね、久しぶり。灯ちゃん。」
「お、お久しぶりです…!!」
はぁ~!また話掛けられた!?しかもあの素敵スマイルで!!
嬉し幸せ過ぎる!!…けど、あの醜態を目の当たりにされたのなら同時に恥ずかし過ぎて顔が見れない!!ああ、でも見ちゃう!イケメンだから!!
「どうしたの?神頼みなんて…」
「い、いえ…ちょっと個人的な事で…」
言えやしない…。自分が絶望的な運動音痴であるが故、体育大会の中止を願う神頼みなんかしていたなんて…!!
「…何か凄く必死にお祈りしていたみたいだけど…?俺に出来ることがあったら協力するよ?」
「え!?」
「お兄さんは困っている女の子を見ると放って置けないんだよ。ああ、でも…余計な事するなって蒼君に怒られちゃうかな…」
「いえ!そんな!!というかそんな失礼な事言わせませんし…」
「あはは、そう言ってくれると嬉しいな。それで?灯ちゃんは何をそんなに悩んでいたのかな?お兄さんにちょっと教えてくれないかな?」
「え、ええ…!?」
にこにこ笑顔のまま…。東雲先生は少し屈むとわたし顔に耳を近づけて来た。聞いてくれる気満々らしい。
し、しかし…近い!あの東雲青嵐先生がこんな近くで!?しかもすぐ触れそうな程至近距離であの美しいお顔が…!!
だ、駄目だ…!!なんか嬉し過ぎてくらくらして来たかも。
倒れそう…ていうか鼻血出そう…。
「…ん?灯ちゃん?」
「…も、もう限界です…!!」
わたしは本当に気を失った…。
憧れの東雲先生を前にして、この距離はあまりにも刺激的過ぎたらしい。
最悪…。わたし本当に何やっているんだろう??