第37話 お隣さんと大喧嘩
文字数 6,509文字
その日はいつもより厳しい寒さであった。
特に朝と夜は冷え込む…ホッカイロが手放せない。
かじかむ手を摩りながら、少女は今日も物陰から見守る…
身を隠している電柱…それをしっかりと握り締めている。
あまりの握力の強さでひびが入らないかと心配になるくらいしっかりと…
「呪いの人形…こっそり入れておいたのにどうしてよ!!」
寒さで紫になりかけた唇…それを噛みしめると血が滲み出る…
しかし、少女にはそんな事は関係なかった。
ただ一人の存在を消すことが出来ればそれで…
彼の隣にいる存在を消すことが出来るのならばそれで…
「ふふ…いいわ…そっちがその気なら…」
少女は不気味に微笑み呟く…
そして、鞄から真っ黒い怪しげな本を取り出し開いた…
「今度は…もっと本格的に呪いを掛けてあげるんだから…」
パラパラ…
「…これだわ…ふ、ふふ…ふふふ…」
ある本のページを見て、少女は満足げに微笑んだ…
「花森灯…今度こそ終わりよ…この、藁人形でね…!!」
そう呟くと、少女は早速ネットスーパーで藁その他諸々を購入したそうだ。
今月も呪い代でお小遣いがやばいなぁ…と思いながらも…
「あれ?七瀬さん?どうしたの??」
「は、花咲さん!?な、何故ここに!?」
お小遣いの残金を気にしてブルーな気持ちになっていると、突然少女に声を掛けて来たのは…
黒髪ストレート…ピンクのリボンでサイドを結び、同色の学校指定のセーターを着た中々の美少女だった。
「あ、七瀬さんもピンク派なんだ!?良かったぁ~…その色のセーター着てる子って中々いなくて…」
「ぴ、ピンク可愛いし…」
少女はなんとかそう言ったが…内心はヒヤヒヤしていた。
さっきまで藁人形の材料を買い集めていたなんて…この子には絶対に知られたくないと心の底から思いながら。
「だよねぇ~!!あ!あそこにいるのって…花森さんだ!!ちょっと私行ってくるね?」
「え?あ、あの!!」
「七瀬さんも一緒に来る?」
「え?い、いや…私は…その…もごもご…」
彼の傍には行きたい…けれどあの女の顔は見たくもない…
そんな葛藤に頭を悩ませているうちに、彼女は少女の腕を掴みそちらへ走って行ってしまった。
(ま、マジか!?ナマ雛森君キター!!)
結果…少女は内心大はしゃぎしたと言う…
そんなとある少女の心情なぞ知る由もないわたし、花森灯はというと…
未だに見えない恐怖(呪い)に怯えて人間不信になりかけていた…
「…あ、あの人もあんな笑顔で…」
「灯…」
「あの人…あのぬいぐるみ…あの中に呪い相手の名前を書いた紙とか入れて…ぶつぶつ…」
「灯…落ち着け…」
「…蒼…蒼も誰かを呪ったりしたことあるの?」
「いい加減にしなさい…」
ついに耐え切れなくなったのか…蒼は敬語で忠告する。
わたしは素直に謝った。
「灯、いいか?ちょっとそこに座りなさい…」
「蒼さんなんで敬語なんですか…」
「いいから…」
そう言うと蒼はいつもと変わらぬ無表情で、近くにあったベンチを指さす。
わたしは素直に従った。
「…あのな…呪いなんてこの世に存在する訳ないだろ?お前の体調不良はお前の思い込みの強さからであって…」
「…でも世の中には呪いで酷い目に遭った人が沢山いるって…」
「またそんな番組を…」
「東雲先生の本読んで学んだんだもん…あと緋乃先輩から聞いた…」
「あの兄妹…揃って余計な事を…」
「あのさ…やっぱわたし東雲先生に相談した方が良いのかな…緋乃先輩曰くあの人祓い屋としては凄腕って言ってたし…イケメンだし…優しいし…」
と…つい本音まで呟いてしまうと、蒼は無言で不快アピールをし始めたので慌てて口を塞いだ。
うう…蒼はなんでこういつも冷静でいられるの?蒼にも呪いが掛かればこんな落ち着いて何て…!!
いや……こいつの場合逆にいつもにも増して冷静さを保っていそうだ。
「…とにかく、呪いなんて存在しない…。あとその本は後で俺に渡しなさい…本人に返品しておくから。クレーム付けて。」
「や、やめてよ!!わたし、今はあの本がお守りみたいなんだから!!ほら!今もこうして肌身離さず…」
「セーターの下に…お前な…」
「こうして身に付けて(?)いるとね…こう、東雲先生のありがたいお力がわたしにも宿った気がして…うふふ、凄いね。」
「落ち着け…戻って来い…。駄目だ…完全に現実逃避してる…」
今にも東雲先生の家の方向へ向かって五体投地しそうなわたしを、蒼は冷静に止め深いため息を吐いた。
そして、しっかりとわたしの肩を掴み、じっと見つめる…
「…灯、あのな…」
「な…何?」
目を反らさぬまま、蒼はゆっくりとわたしの顔へ自分の顔を近づけて呟く…
ち、近い…!!近いってば!!
こんな真面目な顔して(いやいつもか…)、じっと見つめて顔までこんな近づけて…
も、もしやこれは…!?不安なわたしを安心させようと…
「…東雲先生の所へ行ったら落ち着いてくれるか?」
「…へ?」
「…最近のお前はいつもにも増して危なっかしいから目が離せない…けど、俺も限度があるし…本当はいつもいつでも張り付いて見張ってたいけど…」
「蒼さん…それはストーカーじゃ…」
「…ガーディアンとも言う…」
あ、蒼のクセにいつの間にそんな言葉の切り返しを!?
ちょっと目を反らし、恥ずかしそうに呟くのがまた萌える…
「と、とにかくだ…このままじゃ俺も心配で眠れないし、お前から一時も目を離せない…」
「…じゃあべったりくっ付いてたらいいんじゃ…」
「トイレとか風呂の時もだぞ?お前はそれでいいのか?」
「蒼さん…それは変態…」
「例えばの話だ…そこまでするつもりはさすがに無い。」
「だよねぇ…ははは…」
そしてまた沈黙して見つめ合う二人…
冬の冷たい風が頬を撫で、髪を揺らす…
「……」
「………」
「…………」
言葉が出なかった…。それは蒼も同じらしく、ただただ無言でわたしを見ている…
ああ、この無言のプレッシャー…!!目の前にいるのが日向君だったらきっとすぐに笑って吹き飛ばすのに!!
「…分かった…行くぞ…」
「ど、何処に?」
「東雲青嵐先生の家だ…」
「え!?」
立ち上がり、手を掴む蒼の言葉を聞いて…わたしは不謹慎にも目を輝かせてしまった。
当然、蒼にジト目で睨まれた…
「な、なんか…話し掛けずらかったね…」
「う、うん…」
そんな二人を少し離れた物陰から見守る二人の少女…
顔を見合わせ一人は心底気の毒そうに…もう一人は心底嬉しそうな顔をしていた。
「ど、どうしたの?そんな笑顔で??」
「う、ううん!な、なんでも!!私ちょっと用事思い出したからこれで!!」
「え!?な、七瀬さん!?」
「じゃあね~!ふんふん♪」
心底嬉しそうだった少女は、ご機嫌に鼻歌なんぞ唄いながらスキップして去って行ったと言う…
「…あんな明るい七瀬さん…初めて見た!!」
そして気の毒そうだった少女は心底驚いたと言う…。彼女のご機嫌ぷりに…。
*****
「やぁ、蒼君じゃないか!それに灯ちゃんまで!!嬉しいなぁ~!!お兄さんに会いに来てくれたのかい?」
電車に揺られ最寄り駅を通り越し数十分程…
星花町駅に降り立ち、賑やかな商店街を抜けると静かな住宅街へと出る。そこの一角に東雲先生の家があった。
ああ、この爽やか素敵スマイル…いつ見ても惚れ惚れする…
「…ん?灯ちゃんなんか元気が無いみたいだけど…蒼君、何かした?」
「してません。断じて。」
「きっぱり言い切るなぁ…」
東雲先生はきっぱりはっきり言い切る蒼を前に、苦笑すると家の中へ招き入れてくれた。
ごく普通…ちょっと年季の入った和民家みたいだけど…。中も何処か懐かしい田舎のお祖母ちゃんの家を思い出させる雰囲気だ。
「にゃん。」
「琥珀、お客さんだよ。」
「うにゃん…」
廊下を歩いているとひょっこり現れたあの可愛らしい黒猫さん。わたしと蒼の姿を見ると、暫く不思議そうに首を傾げていたが、すぐに足元に擦り寄って来た。
か、可愛い…猫いいなぁ…
「こらこら…ごめんね、この子は自分を可愛がってくれそうな人を見るとすぐ甘えるから…」
「俺は構いません…」
「嬉しそうだね、蒼君…お兄さんそんな君を見たの初めてだよ。」
「猫は可愛い…」
「そうだね…うん…琥珀も喜んでるよ。」
動物好きの血が騒いだのか…早速擦り寄る黒猫さんを抱き上げ撫でる蒼。その姿のなんと幸せそうな事か…。
東雲先生も暖かい眼差しで見守ってるし…
「…灯ちゃんの事は緋乃から聞いたけど…例の人形は緋乃が処分してくれたんだよね?」
「はい…そうなんですけど…」
居間に通されると、東雲先生はわたし達が落ち着くのを待ってからそう切り出した。
そっか…緋乃先輩は東雲先生の妹さんだったっけ…。なら話が伝わっていても不思議は無い。
「俺が視ても…そうだな…特に気になる所は無いみたいだけど…」
「だから…俺は気のせいだって言ってるんですよ…」
「まぁ…『呪いの人形』なんて聞いたら怖がるのも無理は無いよ。灯ちゃんも繊細な女の子だからね。」
そう微笑んで言うと一変…東雲先生は真面目な顔をしてじっとわたしを見た…
こうして見ると『本物の祓い屋』に見える…プロの顔と言うか…何か恰好良い…いつもとはまた違う凛々しい感じで。
「…私怨はね…人を本当に呪ってしまうくらい恐ろしい物にもなるんだよ…」
「え?」
「灯ちゃん…君、誰かに恨まれる様な事はしていない…よね?」
「し、してません!!」
「だよね…ただ聞いてみただけだから気にしないで。蒼君も、そんな怖い顔して睨むのはやめなさい…。」
あ…本当だ…蒼の東雲先生を見る目の恐ろしい事…
で、でも…私怨って…
考えられるとしたらやっぱり…
わたしは蒼をそっと盗み見た。
「…そっかぁ…蒼君か…成程…」
「え!?わ、わたし別に何も…」
「あはは、灯ちゃんは素直だから。顔を見れば分かっちゃうんだよ…ごめんね。」
わたしの心中をすぐに察してしまった東雲先生は、少し困った様に笑いわたしと蒼を交互に見やる…
蒼も深々と頷いてるし…!!
「…蒼君格好良いからね…灯ちゃんも大変だ。」
「う、うぇ!?」
「…何変な声を出してるんだ…お前は…」
と、最後に冷静に突っ込む蒼…
だ、だって東雲先生…わたしが何も言ってないのに勝手に何か察して…
蒼とわたしが付き合ってるんだとか…きっと分かって言ってる…
ただ単にわたしが単純な性格をしているからか…それとも東雲先生が鋭いからなのか…
きっと前者だろうな…顔にすぐ出るって皆に言われるし…
と、というか!!この話ってこんなホラーテイストなお話しだったっけ??もっとこう…ゆるふわっとした感じだったはず!!
「…それなら呪いの人形も納得だ…灯ちゃんに心当りが無くても、あっちにはちゃんとした『恨み』『嫉妬心』がある…」
「…何が言いたいんですか?先生?」
「…鈍いなぁ…蒼君…。灯ちゃんも苦労してそうだ…」
「だから何がです?…灯、お前も何を深く頷いている?」
東雲先生は同情する様な目をわたしに向け、そしてきょとんと首を傾げている蒼を見て苦笑を浮かべた…
わたしも…先生が何を言わんとしているのか分かるので深く頷くのみ…
蒼は本当に自分の事となると鈍い…。特にこういう色恋沙汰云々は…
それをわたしは身を持って経験しているので、こんな反応をする蒼にも納得出来る…出来るけど…
ちょっとは自覚してよ…!!自分の魅力に気づいて!!
つまりは…この呪いの人形事件…。やはり蒼が原因で起こったのだと…東雲先生はそう言いたいのだ。
やっぱり花咲さんがやったのかな…
でも…あの子の態度を見ていると本当にそんな事をしそうな子には見えない。むしろ美波ちゃんの様な良い子タイプだと思うんだけど…。
「…あのね、蒼君…君を見る女の子達の視線がどんな物か知らないの?」
「普通だと思いますけど…」
蒼は正直者である。なのでこれは本心からの言葉で、ボケている訳でもない。本人は至って真面目なのだ。
「…うん、そう言うと思ったよ。」
と、冷静に穏やかににこやかに頷く東雲先生…
それを見てやはり首を傾げ怪訝そうな目を向ける蒼…
わたしは…東雲先生の愛猫、琥珀ちゃんを撫でながらじっと事の成り行きを見守っていた。
「…君はね…世間一般的に言えば…『モテるタイプ』なんだよ。つまり『イケメン』て事だ。」
「…は?それは先生の事でしょう?」
「俺はどっちかと言えば雰囲気だけだから。君の様に素材自体良い訳じゃない…」
「それ…世の男子全員を敵に回す様な発言だと思いますけど…」
「あのね…俺なんてこんな恰好しているからそう見えるだけで、これ脱いで別の恰好したらそこら辺のサラリーマンとかと変わらないよ?祓い屋とか作家とか特殊な才能が無ければ普通のニートだから。ちょっと痛い事言う様な。」
「それも敵に回すと思うのでやめて下さい…」
本当に…。東雲先生も案外自分の事には無頓着…。
というかニートって…先生…
「…俺の事はとにかく…蒼君、この一件は君が原因で起こった事だ。灯ちゃんは巻き込まれた被害者だよ…。」
「…俺の?」
「そう、君の。まぁ、蒼君の性格から考えると…他の女の子達に勘違いさせる様な発言や行動はしていないと思うけど…」
「俺は灯が好きなので。」
「うん、知ってるよ。けどね…まぁ…君が何もしなくても…人って言うのは様々だ。勝手な妄想を膨らませて、勝手に暴走してしまう事もある…分かるね?」
「…それは灯の事じゃ…」
「灯ちゃんは良いんだよ…この際放っておいてあげなさい。」
「それは…」
「あ~…だから良いんだってば!…と、とにかく…」
さすがの東雲先生もイラッと来たのか…ついに声を荒げツッコミを入れた…
ああ…蒼…いい加減気づいて!!
「この件は君が何とかしないと駄目だよ。呪いでも霊でも無い限りお兄さんの出る幕は無いよ。君が灯ちゃんを責任持って守ってあげなさい。」
「…だから…さっきから何が言いたいんですか?はっきり言って下さい。」
あ~…も~う~!!
東雲先生の笑顔もさすがに引きつって来た…
「わかった!はっきり言うよ?君に惚れた女の子が灯ちゃんに嫉妬して嫌がらせをしているんだよ。だから灯ちゃんは完全に巻き込まれた被害者…原因は蒼君!以上!!」
「……」
「まだ分からないのかい?あのね…」
「…俺が原因で灯が…?」
「そう、君!と言っても…悪いのはやっぱりその子だけど…君がはっきり態度で示す必要もあるんじゃないのかな?」
と…最後の台詞は穏やかに…。東雲先生は疲れ切った様に息を吐くと、冷めてしまったお茶を一気に飲み干した。
お疲れ様です…先生…
「…灯、お前は気づいていたのか?」
いつもと変わらぬ無表情…蒼はわたしを真っすぐに見てそう言った。
「…ま、まぁ…何となく…」
「なら何ですぐ俺に言わなかった?」
「勘違いって事もあるし…」
「駒井の事があっただろ?なのにお前は…簡単に人を信用するな。」
「…な、何それ?別にわたしだってそうほいほい人を信じている訳じゃないし!」
「そうだろ!水城の事だって、部活の先輩の事もそうだ…先生の事も…お前は簡単に気を許し過ぎる。ちょっとは過去から学んで気を付けろ!」
「はぁ!?違うし!!蒼のそう言うクソ真面目過ぎるとこ…わたしたまにイラッとするんだけど!!」
「俺はお前のそう言う単純な所が腹立つ!!」
「何よ!蒼の朴念仁!!石頭!!」
「絶望的にドジなお前に言われたくない!!」
わたしは蒼をキッと睨み付けると、蒼も同じく鋭い視線を投げつける…
少し開け放たれた窓から冷たい冬の空気が入り込み、冬の匂いを運んでくる…
なんでいつの間にかわたしが怒られている訳!?あり得ないんだけど!!
頭来た…!もう今日は本当に頭に来たんだから!!
ぎゅっと拳を握りしめ、でも口を突く言葉は止まらない…
それは蒼も同じだった。
「…あ、あの…二人ともちょっと冷静に…」
『先生は黙ってて下さい!!』
「え~……」
穏やかに止めに入った東雲先生も虚しく…
わたしと蒼の言い争いはその後も延々と続いたのだった。
あ~…何がどうなってこうなっちゃったんだろ…