番外編 七夕物語
文字数 4,829文字
お星さまきらきら きんぎんすなご』
ああ、これは七夕の歌だっけ…
あたし、葉月奈々絵は近所から流れる懐かしい歌に耳を傾けながら歩いていた。
昔は七夕になると父が張り切って笹を飾り、あたし達姉弟は張り切って何枚も短冊を書いてその笹を欲望まみれの短冊で一杯にして満足していた。
昔から住むこの団地の小さなベランダ、そこに場違いに飾られ汚い文字で書かれた短冊でいっぱいになった立派な笹…夜風に揺れるその風景を見るのが好きだった。
「笹のはさ~らさら~♪…あれ?この次何だっけ…」
七夕の懐かしい想い出に気持ちよく浸っていると、それをぶち壊すようなバカみたいな大声…そしてバカみたいな頭…
「のきばに揺れるだろ?兄さん声大きいよ…」
「え?墓場?」
「のきば!なんで墓場で笹の葉揺らさなきゃなんないんだよ!?肝試しじゃないんだから…」
「でも夏って言えば肝試しだよなぁ!」
「兄さんの頭の中は年中真夏だろ…」
と、冷静なツッコミを入れるのは儚げな美少年…馬鹿みたいに派手でつんつんな頭の兄とは違い、こっちはサラサラヘアだ。色白で華奢でもある。
「そっか…風呂場に揺れるかぁ…」
「露天風呂かよ!?」
「…春…お前ツッコミの腕上がったな!!さすが俺の弟!!」
「兄さんが無駄にボケまくるからだろ…俺もうツッコミ役疲れたよ…」
と、先ほどから凄く気の毒な美少年…彼は日向小夏の弟、
「笹の葉さ~らさら~♪のきばにゆ~れ~る~♪」
「ちゃんと歌えるじゃん…」
「お~ほしさ~まき~らきら~♪きんきん光る~♪」
「きんぎんすなごだよ…きんきん光ってるのは兄さんの頭だけだから…」
「え?俺ってそんなスターオーラ出てる!?スゲー!!」
「頭だけだよ…てかマジデレすんな!!」
「…てかきんぎんすなって何?」
「きんぎんすなご!!星々が光り輝いてる様子だよ…」
「じゃあきんきん光るでも良くね?」
「眩し過ぎるよ!」
「きんきん冷えるでもいいな…」
「ビールかよ!?」
「春…お前ツッコミの腕が…」
「それはさっき聞いたし!!」
はぁ…春輝君大変だな…こんな馬鹿兄貴を持ってしまったばかりに…心から同情するわ。
漫才の掛け合いにも似た日向兄弟の会話をあたしは茂みの中からこっそり聞いていた。
日向の姿を見たら反射的に茂みに身を潜めてしまったのだ。
だってあいつ…あたしの顔見るなり煩いし…馬鹿みたいなおめでたい笑顔浮かべて…
「…姉ちゃん何してんの?」
「うぉ!?な、
「またそんなとこで何してんだよ…母さん心配してたぞ?帰り遅いって…」
「今日は部活だから遅くなるって言ったじゃん!」
「母さんあの時朝からニュースのキム・ユンソクに夢中だったじゃん…聞いてるわけねーだろ?」
「お、おのれ韓流スター…てかお母さんまだ韓流ドラマにはまってたの!?卒業するって宣言してたじゃん!!」
「久しぶりに夏のエチュード見て再発したんだよ…」
「くそっ…あれあたしが誕生日プレゼントにあげたやつじゃん!!あ~!!こっそり処分しとけば良かった…」
「無理だろ…母さんの韓流コレクションは厳重なセキュリティーの元保護されてっから…」
淡々と語る弟、七緒を前にしてあたしはまた暫く我が家であの古めかしいメロディーが流れるであろう事を考え頭を抱えた。
母は韓流ファン…というかただのミーハーだ。イケメン好きの。ジャ●ーズも大好きだし。それらのコレクションは厳重に保護してある。
「ほら、帰んぞ馬鹿姉貴…」
「お姉様に向かってその口の利き方はなんだ!」
ドスッ…
「うぐっ…ふ、ふざけんなよ凶暴女が…!!」
「お姉様に逆らおうってーの?あぁ?」
「…本当、無駄に顔だけ可愛いくせにあとは化け物…ぐっ!?」
「ほら、帰るよ…」
あたしの正拳突きにより、生意気な弟は大人しくなった。そりゃもう眠るようにぐったりと…
「あ~!!ななちん発見~!!」
「げっ!?」
最悪だ…。
ぐったりした弟を引きずっていたら運悪く日向に見つかってしまうなんて…
「あ、奈々絵さん。こんばんわ。」
「ん?七緒なんでぐったりしてんの?」
「ちょっと寝てるだけよ…じゃ…」
とりあえずうるさく騒がれる前に立ち去りたい…こいつ重いし…
「あ!待てよ!!花火買ってきたから後で一緒にしよーぜ!!」
「はぁ?」
「すみません奈々絵さん…付き合ってやってくれませんか?俺一人じゃこの人ツッコミきれない…」
「…春輝君に頼まれちゃ仕方ないわね…」
「よしっ!じゃあちょっと七緒貸しな!俺おんぶしてってやるよ!」
「ご面倒お掛けします…奈々絵さん…」
深々と春輝君に頭を下げられ、七緒は何故か日向におんぶされ…
はぁ…今年の七夕も去年と同じか…
バカみたいなおめでたい日向の笑顔を見ながら騒がしく過ごすんだろうな…
まぁ…いっか…
*****
「はぁ~…今日は七夕かぁ~…」
わたし、花森灯は商店街をぼんやり歩きながらところどころに立てかけられている笹を見上げながら呟いた。
それらにはそれぞれの願いが書かれた短冊が掛けられている…『お金が欲しい!』『彼氏が欲しい!』『美人になりたい!』『商売繁盛!』等々…欲望は収まることを知らない。
「灯ちゃん!あんたも短冊書いていきな!!」
と、元気よく呼び止めたのはお茶屋の田中さん。今日も綺麗に剃られたスキンヘッドが眩しく輝いている…
「さっき蒼君も書いてったんだよ!」
「え!?蒼がぁ!?」
あいつ…短冊にどんな願い事をしたためたんだろう…
どうしよう…凄く気になる!!
けど人の願い事を盗み見するなんて絶対やってはいけない。例え気心知れた幼馴染であっても…
「ほら!これがそうだよ!!」
ペラッ…
え!?田中さん見せちゃうの!?人のお願い事を!?
ナチュラルに蒼の書いた短冊をわたしに見せる笑顔も眩しい田中さん…ついでに歯も真っ白で眩しい…最近ホワイトニングしたらしい。
「…『リボンくらいきっちり結べ』ってこれ願い事じゃなくて不満じゃん!?しかもわたしに対しての!!」
「蒼君相変わらず字綺麗だよねぇ!これ、灯ちゃんが来たら渡すようにって言われててね!!あはは!!」
「…ああ、だからこれですか…は、ははは…」
蒼…短冊の意味全く分かってないじゃん!!もう!これは帰ってから文句の一つでも言ってやらないと!!
わたしは『素敵な王子様に会えますように』とこっそり短冊に書いてこっそりとどこかの笹に括り付け商店街を後にした…
だって折角の七夕だし…ちゃんと願い事はしとかないと!!
「あ~!!でも素敵な王子様に本当に会えちゃったりして!!」
なんて夢見る乙女妄想全開モードで家路を急いでいると…急にざっと風が吹いた…
なんだろう…夏の生暖かい風じゃなくて…こう、五月晴れに吹く爽やかな風のような…
「…あ、あれは…!?」
蒼の家…雛森家の前に立つ一人の男性…後ろ姿しか見えないけど、あれは…
茶髪の少し癖の入った毛先…そして袴姿!?なんだか書生さんを思わせるその恰好は平成現代にはあまりにも不釣り合いだった。
うわぁ~!!どこのお店の人だろう…!!書生カフェとか近所に出来たのかな?
若竹色の爽やかな色合いの着物…その下には詰襟シャツではなく…黒いハイネック?良い!これはこれで…!!あとはそのお顔を見せてくれれば…!!
まだ見ぬ顔に期待を膨らませ陰から見守ると…
「…ん?君は…」
うわぁ~!!イケメンだ!しかも爽やかボイス!!
わたしの熱い視線に気づいてしまったのか、その人は振り返り不思議そうにわたしを見て首を傾げたが…
「…君、雛森紫さんの娘さん?」
爽やか素敵スマイルがわたしに向けられ、テンションが一気に上がって行く…
何なのこの人!?わたしのツボを突きまくってくる!!
ゆっくり歩み寄るその姿もまた絵になり、思わず見惚れてしまいそうになった。
何このイケメン好青年!?もしかして七夕の願いが…!!
「あ、あの…わたしは…お隣の者で…」
「え?そうなんだ?ごめんね、驚かせちゃったかな…」
「い、いえ…」
「そう?なら良かった…ああ、俺は怪しい者じゃなくてね…えっと、こういう者です。」
笑顔で差し出されたのは…名刺?
墨字で達筆に『
「…本屋さんってことは…紫さんに何か御用何ですか?」
蒼の母、紫さんは大手出版社の編集長だ。本屋の彼がここにいると言うことは…そしてお隣さんに用事があるっぽいということは…
「あの…作家さんですか?」
「…あはは、ばれちゃった?」
「本当に!?凄い…」
「そんな大したことないよ。俺はただのしがない物書きだから…えっと君は…」
「灯です。花森灯です。」
「灯ちゃんか…うん、綺麗な名前だね。」
きゃー!!き、綺麗だなんて…!!名前を褒められ呼ばれただけでも胸が高鳴るこのときめき!この素敵スマイル!!
「ちょうど良かった。灯ちゃんと出会えたのも何かの縁なのかもしれないね…」
「え?」
「…俺のお願い聞いてくれるかな?」
そう穏やかに言って、その人は再び素敵スマイルを浮かべたのであった。
*****
「…灯?」
「…あ…蒼だ…」
あの衝撃的な出会いから数時間後…聞きなれた声に顔を上げるとそこにはやっぱり見慣れたいつものお隣さんの姿があった。
「どうした?俺の家の前に座り込んで…?」
「…あ、ああ…これ…」
「ん?…原稿…ああ、母さんの…お前が預かったのか?」
あたしはあの人から預かったA4サイズの分厚い封筒を蒼に差し出しまだぼんやりしていた。
あれは…本当に現実だったのかな?あの人自体わたしが作り出した七夕の夜の幻だったとしたら…
「…どうした?」
「蒼…わたしを思い切り殴って!」
「断る。」
「じゃあ叩いて!」
「いや、殴るのと変わらないだろそれ。」
夢か現実か…あの時見た人自体が幻のようで、あの出来事も幻の様に思われた…
けど…
「灯、何か落としたぞ?」
「え?あ、ああ!?」
蒼が拾い上げたそれを引っ掴むと、わたしはそれをまじまじと見つめた。
夢じゃない…この名刺…
「七夕って凄い!!」
「は?いきなり何言ってるんだ?」
「七夕マジック!!わたしにもついに理想の王子様が!!」
「落ち着け…とりあえず温かい物でも飲んで落ち着け…」
「これが落ち着いてなんかいられないよ!」
「ならせめて現実世界に戻って来てくれ…」
こうして、わたしは七夕の夜に奇跡の体験をしたのであった。
ああ…あの本屋の店長さん…素敵だったな…
また現れないかなぁ…
「灯、頼むからしっかり現実を見てくれ…」
蒼の冷静な説得も聞こえず、その日わたしはずっと浮かれていたらしい…
ささの葉さらさら のきばに揺れる
お星さまきらきら きんぎんすなご
七夕は織姫と彦星が出会えるロマンチックな日…
笹に短冊括り付け、願いをしたためる日…
皆様、どんな願い事をされますか?