第38話 わたしと女の子
文字数 5,290文字
「……」
その日、花森家の食卓は朝からしんとして何処かピリッと張りつめた様な空気が漂っていた。
お隣さんの両親が共働きの為、母の好意で朝・夕(休日の日は昼も)は花森家で一緒に食べる蒼。なので当然嫌でも毎日顔を合わせてこうして食事をする。
わたしと蒼にとって当たり前過ぎるこの日常化した光景は、今は気まずい一時と化していた。
「灯ちゃん…?今日は大人しいわねぇ?体調でも悪いの?」
「別に…いつも通りだよ…」
「え?そ、そう?蒼君も…何処か具合でも悪いのかしら?」
「…いえ…元気です…」
「あら…そうなの?…そうなの…」
のほほんとした母でもこの張りつめた空気に何かを察したのか…心配そうにわたしと蒼を交互に見つめ気遣っている。
新聞を広げながら朝食を取っている伊吹さんも同じく。チラチラわたしと蒼を交互に見ていた。
ああ、確かにこの空気…気まずい事は間違いない……
けど、だからってわたしからこの状態を改善するつもりは全く持ってない!!
蒼の馬鹿!いきなり怒って余計な事まで…しかもあの東雲先生の前で…!!
乙女の心とプライドをズタズタにした罪は重いんだからね!!絶対わたしから謝ったりしないんだから!!
いつもと変わらない涼し気な様子で朝食を取る蒼、その無表情な顔を睨みながらわたしは温めのホットミルクを飲み干した。
昨日…わたしは蒼と喧嘩をした。しかも東雲先生の家で、東雲先生の真ん前で…
些細な事だったのかもしれない。けど、あんな風に言われたらさすがのわたしも腹が立つ!一言言われれば二言…倍にして言い返したくもなるってもんだ。
お互いの口を突いて出る言葉は様々…最終的には全く関係のない過去の恥ずかしいエピソードなんか持ち出していた気がする。
結局、東雲先生が何とか宥めて収まったが…あの後からお互い一言も口を聞いていないのだ。
さすがに蒼も頭に来ているのか、今朝はあの母への応答以外は何も言葉を発していなかった。
それに…わたしと目を合わそうともしない。曲がったリボンも、ちょっと寝癖のついた髪にも全く触れずに…
発端は呪いの人形だ。あれからなんだかややこしい事になって…わたしの繊細なガラスのハートにひびが入り始めて…
いや…元を正せば…あの告白を黙っていた蒼が悪い!そうだよ!!花咲さんからラブレターを貰った時にいつもみたいにさりげなくさらりと『何か入ってる…』くらい言ってくれても良かったのに!!
短い足を大股に開き、朝から余計な体力を使い蒼の前を歩きながら、わたしはまた更に腹が立って来た。
ああ、足疲れる…!!
足がもつれ、躓きそうになるのを何とか堪え、わたしはズンズン進んで行く…
今日は絶対ドジするもんか…!蒼なんかいなくてもわたし一人で何とか出来るんだから!!
後ろを歩く蒼の視線を何となく感じながら、わたしは意地でもしゃべらず慎重に歩いた。
蒼の事だ…絶対背後で涼しい顔をしているに違いない。内心いつわたしが転ぶんじゃないかってヒヤヒヤしながら…
あえて後ろを歩いているのが何よりの証拠だ。蒼は陸上部のエース…本気を出さなくともこの速さで歩くわたしをいつでも追い抜くことが出来る。
けど…蒼も無言なのは…やはり彼も意地になって話し掛けないつもりなのか…
冗談じゃない!!怒ってるのはこっちの方だ!!
「…灯~?あんた達どうしたのよ??」
朝から終始無言。微妙な距離を保ちつつ過ごしていたわたしと蒼。そんな二人の様子をまず見かねたのは奈々ちゃんだった。
見れば心配そうにわたしを見つめている…。わたしにだけ聞こえる様な小さな声でそう言いながら。
「…奈々ちゃん、トイレ行こう…」
「よし来た!行こう行こう!!」
奈々ちゃんの制服の袖を引っ張り呟くと、奈々ちゃんは胸を張り頼もしく逞しくわたしの肩を抱いた…
「…美波ちゃんも…」
「う、うん!勿論付き合うよ!!」
と、ついでに昼休みの為こちらへ来ていた美波ちゃんも引っ張るわたし…
そんな様子を見てやはりこの人も付いて行こうとする。
「あ!俺も俺も~!!夏子も混ぜて~!!」
「…黙れ馬鹿日向…ぶっ飛ばすぞ…」
「あ…すみません…」
と、やはり奈々ちゃんの容赦のないツッコミが入り大人しくなった。瞬時にピタリと…。
奈々ちゃんはやっぱりイケメンだった。本当女の子にしておくのが勿体ない。
「はぁ!?喧嘩ぁ!?」
「…うん。昨日から口利いてない…」
「しかも…東雲青嵐様の家でって…なんか羨ましいんだけど!」
「こっちは恥ずかし過ぎるよ!!」
奈々ちゃんと美波ちゃんを連れてわたしはトイレ…ではなく中庭へ移動し、昨日の出来事を二人に話していた。
お昼休みでも放課後でもない時のこの場所は、人もあまりいないので静かで落ち着くのだ。
「蒼ったら余計な事まで出してきて…本当最悪!!先生途中ちょっと笑い堪えてたし!!」
「…そりゃ、灯の恥ずかしエピソードだもんね…あたしも笑うよ。」
「な、奈々絵ちゃん…」
「いいよ、美波ちゃん…ドジなのがわたしだもん…」
「美波ったら!灯いじめちゃ駄目じゃん!!」
「え!?わ、私!?」
と、急に濡れ衣を着せられた美波ちゃんは当然戸惑い慌てる…
やっぱり美波ちゃんは可愛くて癒される…
「…でもさぁ。灯、ちゃんと仲直りしなよ?」
「わたしは悪くないもん!!」
「あ~…はいはい。灯は悪く無いよ~?よ~しよしよし!!」
「撫でるのはやめて!!でもありがとう!!」
と、奈々ちゃんに何故か頭を撫でられからかわれていると、なんだか少しだけ気持ちが落ち着いて来た。
確かに100%わたしが悪くないとは言えない。けど!何も急に怒らなくてもさ!!わたしだって気を付けてはいたのに!!酷い!!やっぱり酷いよ!!
「…奈々絵ちゃんの言う通りだと思う。やっぱり仲直りしないと。ここは灯ちゃんがちょっと大人になってあげよう?ね?」
「大人…」
「そう。男の子なんて小さな子供みたいな所沢山あるんだから。女の子の方がいざって時はちゃんとしてるの。」
「…そうなのかなぁ…う~ん…」
蒼が小さな子供。何か余計戸惑うんだけどなぁ…。日向君ならまだしも。
笑顔で宥める美波ちゃんを見ながら、わたしは駄々をこねる蒼を想像しようとして断念した。想像が出来ない。
「そうそう!男なんてみんなガキなんだから!!日向見てみなよ?あれは永遠の小学生だよ?中二にもなれないガキだよ?」
「…確かに短パンにTシャツ似合いそうだけど……」
「…ま、馬鹿日向と雛森君を比べても仕方ないわね…水城君も結構ガキな所ありそうだし…」
「え~?そうかなぁ??蒼よりしっかりしてると思うけどなぁ…いざって時頼れそうって言うか…」
あの何があっても『俺は何も気にしないけど?』って感じの大らかさが水城君の良い所だと思う。細かい事は気にしないって言うか…それでいて気遣いがちゃんと出来て尚且つ空気も読める所とか。
日向君は猪突猛進型だし…蒼に関してはもう馬鹿な真面目君だし…
「そうなのよねぇ!!水城君意外と大らかで頼りがいあるって言うかさぁ!!ね?美波?」
「え!?ええ!?な、なんでそこで私が?た、確かに水城君はそうだと思うけど…」
「あ、やっぱり美波ちゃんもそう思うんだ?」
「顔真っ赤にしてか~わ~い~い~!!」
「ちょ、ちょっと奈々絵ちゃん!!今は灯ちゃんの事でしょ!?もう…本当日向君が可哀想だわ…」
美波ちゃん…そんな事言っていたら日向君がひょっこり現れるよ?
今にもあの木から飛び降りて来そうだな…
なんて思いながらそれに目を向けると、ふっと誰かと目が合った…様な気がした。
一瞬…あそこの木に誰か居た様な…??
「あ!花森さん!!」
げっ…この声は……!?
首を傾げていると、突然背後から掛かった声に思わずビクリと肩を震わせた。
振り返ればそこには黒髪の清楚系美少女、花咲さんが笑顔で手を振っている…
相変わらず可愛いな…通りすがりの男子達が目を輝かせているよ…
「良かった!!昨日話しかけようとしたんだけど、何か雛森君と深刻そうに話してたから…」
とことここちらにやって来て、わたしの心中なぞ知る由も無く話し掛けて来る…
やっぱり…悪い子には見えない…。少なくとも駒井さんの様な腹黒ブリッコでも、呪いの人形を使って人を貶める様な陰険女でも無さそうだ。
「大丈夫?昨日…その…呪いの人形とかって聞いちゃったんだけど…」
「…ちょっと、あんた!!なんでそんな事知ってんのよ!?さてはあんたね!?灯を恨んで雛森君から引き離そうって考えてる陰険女は!?」
やはりここでズイッと前に出て来たのは奈々ちゃんだ。美波ちゃんも控え目にだが、わたしを庇う様にしているのがなんだか申し訳なく、ちょっとだけ嬉しい。
「え?ちょ、ちょっと待って?私、そんな事…」
「とぼけても無駄よ!ぽやんとした灯や、自分の事にはからっきし鈍い雛森君は騙せても…この奈々絵さんの目は誤魔化せないんだからね!!か弱そうな顔して、一体灯に何したのよ!!」
な、奈々ちゃん…まるで名探偵が犯人を追い詰める様な迫力だよ…
目を吊り上げ、アニメのヒロインの様な詰め寄るポーズを取り人差し指を花咲さんへと突き付ける奈々ちゃん…
当然、花咲さんは首を傾げ困った様表情を浮かべわたしを見ていた…
やっぱり違うよね…?この奈々ちゃんの迫力を前にしてこの反応じゃ…
よっぽどの役者か、駒井さんの様に面の皮が分厚く図太く無ければ…だけど。
「あ、あの…奈々ちゃん?」
「灯は黙って見てなさい!大丈夫!!このあたしが全て解決してあげるわ!!さぁ!!陰険女!!覚悟しなさい!!」
「いや…だからね…」
「今日は生憎ラッシーはいないけど…」
「それって日向君の事!?ちゃんと人扱いしてあげて!!というかラッシーだと何か違うから!!」
「え?じゃあパトラッシュ??」
「それも違う!!召されちゃうでしょ!!」
「…え?じゃあ…ラスカル?」
「それはアライグマだよ!!」
ワザとなのか天然なのか…急に変なボケをかます奈々ちゃんに堪らず突っ込むわたし…。疲れる。
ああ、蒼にいつも突っ込んでるからクセになっちゃったなぁ…。本当はボケボケキャラなのに!!
「二人とも!漫才なんてしてる場合じゃないでしょ!?」
「だ、だって奈々ちゃんが変にボケるから!!」
「灯が鋭くツッコミ入れるから!!」
「どっちもどっちでしょ…?ほら、とりあえず…」
そして美波ちゃんが冷静にしっかりと止めに入る。さすがしっかり者のお姉さんだ。
戸惑う花咲さんを見て何か察したのか、美波ちゃんは困った様に彼女に微笑むととりあえず中庭のベンチに座るよう促した。
「…ごめんね、奈々絵ちゃんが突っ走って。花咲さんだよね?私は三島美波、それでこっちが葉月奈々絵ちゃんね。」
「う、うん…知ってる。葉月さんは目立つし可愛いから。それに三島さんも結構モテるんだよ?私のクラスの男子達が騒いでたくらいだし!」
「え、ええ!?そ、そんなの…何かの聞き間違いだよ!奈々絵ちゃんはともかくとして…色んな意味で…」
美波ちゃんたら…逞しくなったなぁ…本当…
「…は、話は反れちゃったけど。花咲さんが雛森君に告白したのは本当なの?」
「う、うん…で、でも私!本当に花森さんの事知らなくて!!それに何か二人を見てたら諦めついちゃったって言うか…本当、仲良いよね?雛森君があそこまで女の子に構うのって初めて見た。」
「…まぁ…雛森君は特殊だから…。話を戻すわね?花咲さんは本当にもう雛森君の事を諦めたの?その彼女である灯ちゃんと、どうして仲良くしたいの?」
美波ちゃん、いきなりズバッと聞くんだ…
その様子を見て、わたしは昔の美波ちゃんの姿を思い出した。
そう言えばこの子、中学の時はクラス委員でしっかり者で…クラスの子の喧嘩の仲裁とか良くしていたっけ…意外とはっきりとした言動で叱りながら…
「…初めはただの興味だったんだ。雛森君が好きになった子ってどんな子なんだろうって…でも…見ているうちになんか…段々放っておけなくなっちゃって…」
『あ~、わかるわかる!!』
本当すみません…絶望的なドジで…!!
同時に深く頷く奈々ちゃんと美波ちゃんを見て、何だかそんな気持ちになった…
「この子と仲良くなったらきっと楽しいんだろうなって…そう思ったの…」
「…つまり、花咲さんは本当に純粋に灯ちゃんと仲良くなりたいわけね?」
「う、うん…けど…やっぱり迷惑だったかな?彼氏に告白した女が友達になろうだなんて…。普通に考えたら怖いよね?葉月さんが疑っても仕方ないか…ははは…」
寂し気に笑う花咲さんの姿を見て…
わたし達三人の乙女の良心が一斉に痛んだ…
この子…やっぱり良い子だ…!!
わたしは改めてそう確信したのだった。
「そ、そんな事ないよ!!わ、わたしで良ければ…」
「あ、あたしもお友達になってあげる!!」
「私でも良ければ…」
おずおずと差し出す三人の乙女達の手を見て…
花咲さんは…
「ほ、本当!?嬉しい!!」
心からの満面の笑みを浮かべたのだった…
わたし達の手を力強く握りしめて…