第25話 お隣さんは唐突に…
文字数 4,874文字
肝試しの時から、蒼のあの台詞が頭からずっと離れない…あんな勘違いさせるような台詞…
蒼はわたしが蒼以外の人を好きになるのが嫌だと確かに言った…そして隣にいる人間は自分ではないと嫌だとも…
独占欲…あいつにそんな物全く無いと思っていたけど…蘭子先輩に聞かれ確かに頷いた。そうかもしれないと。そしてそれは全て自分の勝手なエゴなんだと…
でもあの後は何事も無かったかのように普通で…。特に照れる訳でもなく何か言い訳するでもなく無表情で冷静ないつもの蒼だった。
むしろわたしの方がまた意識し出してぎこちなくしてる。あれ以来わたしは蒼の顔をろくに見る事も出来ず避けていた。
お互い部活の合宿で来ているからそれぞれ忙しいし、二人きりになるなんて事はないんだけど。
でも同じ宿に泊まっていればすれ違う事もうっかり顔を見てしまう事もある訳で…わたしは決まってさっと反らして長身の忍先輩の背後に隠れたり、壁に隠れたりして凌いでいた。
それでも…やっぱり姿は見たい訳で…
ああ、また今日もやって来てしまった…陸上部の練習場に…
トラックを走る蒼の姿をすぐに発見してしまう自分が憎い…そして悔しい事にその姿の恰好良い事!涼し気に走る蒼の姿はイケメン度倍増である。
軽やかに地を蹴る足、風に靡く黒髪…陽に当たり少し眩しそうに目を細めながらも走るその姿は絵になる。こう、心のキャンバスに描き止めておきたいような。
ってわたしはまた何妄想し始めているんだ!?いけないいけない…合宿まで来て妄想って…しかも蒼相手に…
今日も木の陰からこっそりとそんな蒼の様子を見つめ見惚れるわたし…まさかこんな日が来ようとは思っても見なかった。
そりゃ、乙女妄想で想像上のイケメンを見つめるっていう妄想は何度もしたけど…
「…やっぱりイケメンなんだよねぇ…」
女子部員達も見惚れる程のイケメンぷり…しかも隣には水城君だし。その隣は誰だろう?先輩っぽいけど…この人も恰好良い。
やっぱりわたしは思い切って蒼に告白し直すべきなのかな…ゆっくり行こうって決めたけど、あんな事言われたらもうわたし自身平常心なんかじゃいられない。
でも…こう『好き!』ってストレートに言い過ぎると別の意味の好きに受け取られてわたしが望む答えが返って来ない事は海で経験済みだ。
じゃあやっぱり…『蒼の事恋愛対象として好きなの』と伝えるしかないのだろうか?それとも『付き合ってください』とか?いやむしろ『わたしの恋人になってください』の方が良いのか?
う~ん…分からない!!本当、なんでわたしよりにもよって蒼みたいな面倒臭い奴好きになっちゃったんだろ?
でも…今更諦めると言ってもそれは簡単に出来ない気がする。一度誰かをこんな風に好きになったら簡単にこの気持ちを消すことなんて出来ない。まして誰かに乗り換えるなんて事も。
「ちーこ…朝からストーカーかよ…」
「う、うわぁ!?し、しの、忍先輩!?」
「いや、驚き過ぎだし…背後から音も無しに現れたぐらいで腰抜かしてんじゃねーよ…」
「音も無しに近づかれたら誰だって驚きます!!」
恋する乙女として悩み頭を抱えていると、背後から突然現れたのは忍先輩だった。相変わらず眠そうで無気力だが…
「先輩眼鏡は?」
「あ?ああ…なんか咲にパクられた。」
咲良君何してんだろ…朝っぱらから…
しかし…眼鏡をしていない忍先輩は久しぶりに見る。やっぱりイケメンで心なしか目つきが少しだけ悪く無くなっているのが良い。人相が良くなったと言うか。
寝癖だらけの髪を気怠そうに掻き上げながら大きな欠伸を隠さず堂々とするのは彼らしいけど…凄く。
「…先輩、聞いても良いですか?」
「嫌だ。お前の質問スゲー面倒臭そうだし。」
「…緋乃先輩と幼馴染なんですよね?」
「お前人の話聞けよ…」
「忍先輩はいつから緋乃先輩の事好きになったんですか?きっかけは?」
「だから…ああ~、やっぱ面倒臭ぇ…」
「答えて下さい!」
「…きっかけなんてねーよ。気づいたら好きになってたっていうか…お前らみたいに四六時中一緒って訳でも、過保護って訳でもねーけどさ…傍にいて欲しい時にいつもいてくれて、だから俺もそうしたいって思った…」
「……」
「はっきりした理由なんてわかんねーよ…でもあいつが助けて欲しいって時にはちゃんと力になってやりてーし、支えたいっていうか…ああ見えて緋乃も危なっかしい所あるから何かこう…放っておけないし、守りたいっていうか…俺はあいつの傍にいたいんだよ…」
「…忍先輩でもそんな人間らしい事…いや…そんな男らしい事考えたりするんですね…守りたいって…」
「他の奴に絶対言うなよ。言ったら絞める。」
「い、言いませんて!!」
「…もうこれお終い。そろそろ飯の時間だし帰んぞ…」
忍先輩はいつもの様にけだるげだったが、少しだけ顔が赤かった気がした。
なんかちょっと可愛いな…口が裂けても言えないけど…
いつもの様に無造作に脇にわたしを抱えて運ぶ所とかは変わらないけど…忍先輩にも一応人間らしい健気な感情があったんだ。意外だ。
*****
「灯、お前またあの先輩に運ばれてただろ…」
蒼が突然話し掛けて来たのは昼食が済んだ時だった。その日は陸上部も同じ時間に昼食だったのでわたしは早々に切り上げ部屋に逃げ帰ろうとしたのだが…
こうがっしり腕を掴まれては逃げるに逃げられない…しかも廊下でわざわざ待ち伏せをされて…
「み、見てたの…?」
「さっき雑木林から帰って来る時ちょうど見えたんだよ…なんでいつも運ばれてるんだ?しかもあんな雑な…」
「仕方ないよ…わたし歩くの遅いしよく転ぶから面倒だって。だからあれが一番楽なんだって。それに意外と安定感もあって…」
「そう言う問題じゃない。お前はもうちょっと危機感持って行動しろと言ってるんだ…それに、お前が歩くの遅いなら向こうが合わせれば良い、転びそうになったら助ければ良いだけの話だろ…それを毎回毎回…」
「いや、だからそれが面倒だからそうしてるんだって…そりゃわたしも初めはびっくりしたけど…もう慣れたって言うか、忍先輩変人だし気まぐれ猫みたいな人だしドSだし…」
「受け入れるの早すぎるだろ。とにかく、気を付けろ…俺はまだあの人の事を信用しているわけじゃない…」
「まぁ、信用しちゃいけない人だけど…でもああ見えて意外と健気で一途な人なんだよね…」
「あの人が?」
「うん…そんな先輩見たらなんかちょっとだけ可愛く思えたなぁ…」
「…お前、まさか…好きなのか?」
「は!?なんでそうなるの!?確かに顔は好きだけど…」
「そうなのか?」
「だけって事だよ。そりゃいざって時は…頼りになると…思う…けど…」
「自信無さげに言うな…お前は本当…」
「う、うるさいな!じゃ、じゃあわたし行くから…」
いつもの様に深いため息を吐いた蒼の姿を見たらなんだか無性に腹が立って来た。
立ち去ろうとしたが…忘れてた…わたしずっと蒼に腕を掴まれたままだったんだ…!?
「手、離して…」
「まだ話は終わってない。」
「話って…別にわたしは話すことなんてないけど…」
腕を握る力が少しだけ強くなった…思わず蒼の顔を見上げるとやっぱりそこにはいつも通りの無表情…
けど…何だろう?避けまくっていたせいかこんな近くで見るとなんだか恥ずかしくて直視出来ない。
頬がかっと熱くなり赤味を帯び始めているのが分かった…
ああ、またこんな顔を赤くしたら絶対…
「お前、俺の事また避けてないか?」
「べ、別に…そんなことは…」
「じゃあなんで目を反らした?もしかして肝試しの事でまだ怒っているのか?あれはちゃんと謝っただろ…」
「お、怒ってない!」
「じゃあなんでだよ!言ったよな?俺はお前と話せなくなるのは嫌だって…」
「だって…だって蒼がまたわたしを混乱させるような事言うからいけないんじゃない!!折角ゆっくり考えようって思い直したのに…」
「…俺がお前にいつそんな事言った?別に心当りは…」
「蒼には無くてもわたしはあるの!今、蒼の一言一言がわたしにとっては凄く混乱したり、嬉しかったりするんだよ…」
ああ…何だろう…なんか今度は凄く泣きたい気分になって来た…
腹が立ったり泣きたくなったり…本当わたしはどこかおかしくなったみたいだ。蒼を好きになって、心のバランスが上手く取れなくて…そんな自分にイラついたり、蒼にイラついたり…
「…ごめん、とにかく何でもないから…」
「…灯?」
「だからなんでもないって!手離してよ!!放っておいて!!」
わたしは感情的についそう言うと手を思い切り振り切った…
駄目だ…なんか目が熱い…
駄目だって!泣いちゃ駄目だ…わたし…
唇を噛みしめぐっと泣きそうになるのを堪えた。
視界がだんだん滲んで霞んで見える…
「…そんな顔して、放っておける訳ないだろ。」
「いいから放っておいてよ…蒼の馬鹿!」
「…駄目だ。出来ない…」
「いいから手離してってば!!」
ああ、本当こいつってば腹が立つ…
なんで素直に放っておいてくれないんだろう?なんで少しはわたしの気持ちを察してくれないんだろう?
でもそれより腹が立つのは…なんで蒼の手を振り払えないんだろう…わたしは…
こんなに恰好悪いとこ見せて、子供みたいにわめいて勝手に怒って泣きそうになったり…
今すぐにでも逃げ出したいのに動き出せないのはなんでなんだろう?
色々と考えて自問自答しているうちに頬に熱い何かが伝い落ちた…
ああ、わたしなんで泣いてるんだろう…訳が分からない…!!
「…灯?」
「見るな!馬鹿…!!」
「…無理言うな…はぁ…」
俯いて泣いていると、深いため息がまた聞こえて来た…
わかってるよ…呆れられるような事してるって…
でも自分でも分からないんだから仕方ない…
「…お前は本当感情豊かで羨ましいよ…」
「そ、それ馬鹿にしてる!?」
「してない…」
「嘘だ!絶対してる!!」
思わず顔を上げ蒼を見ると…
わ、笑ってる…?なんで??
いや、笑顔って訳じゃないけど微かに…なんでそこで??
ぽかんとして蒼を見つめると、腕を引っ張られ…
そしてもう片方の手でわたしの背中を抱き寄せ…
え?な、何これ??
えっとこれって…少女漫画的に言うと…
優しく抱き寄せられるっていう状況じゃ…
「…な、何してんの?」
「お前が見るなって言うから…こうするしかないだろ…」
「だ、だからって…」
腕を掴んでいた手がゆっくり離され代わりにわたしの頬へと触れた…頬を伝う涙に触れそれを拭き取る様に優しく…
な、何本当!?何が起こってるの!?
混乱と胸の高鳴りのせいでわたしはそれ以上何も言えなくなってしまった。
だって…こんな蒼の優しい顔はやっぱり貴重で…
なんでこんな顔してわたしを見つめているのか分からない…
いや、多分深い意味は無いんだろうけど…!!
「…わかった、俺には灯が必要みたいだ…」
「へ?」
「…夏や水城に言われてここ数日ずっと考えてた…俺のお前に対する過保護っぷりは普通じゃないのかと…でも放っておくなんて出来ないし、他の奴に任せるのはもっと嫌だと思った…」
「う、うん…」
「…俺は灯が好きなんだ。手放したくない…今はっきりした…」
「えっと…それは…」
「…俺はお前が必要なんだ。だから…ずっと俺の隣にいてくれないか?」
「え…ええ!?」
それはあまりに急な展開だった…
夏の昼食後の宿の人気のない廊下で突然起きた…
無表情のお隣さんがキラキラした目でわたしを見つめて予想外の少女漫画台詞を言って来たのだ…
しかも告白と言うよりはプロポーズの様な台詞を…
成り行きとは言え抱きしめながら…
わたしは…混乱してとりあえず何とか頷くことしか出来なかったのだった。
あまりにもお隣さんの台詞が唐突過ぎて付いていけなかったのかもしれない…
「灯が好きだ…」
「う、うん…わたしも…」
その言葉もわたしが言った言葉も何だか夢のようだ…
いや、むしろわたし夢でも見てるのかな?