第23話 お隣さんと悪魔と部活
文字数 7,209文字
フェンスで覆われたそれの入り口にはご丁寧に『陸上競技場所』なんて書かれた古い看板が掲げられ、綺麗に舗装されたトラック、その内側に広がる人工芝のフィールドがある。
山奥の旅館の施設にしては結構本格的で立派だな。隣にはテニスコートもあるし。良く部活動で使われる団体が多いって女将さんが話していたっけ。なるほど。
わたしとは程遠い縁であろう立派なそれらの中にいる人達は、真夏の暑い日差しの中汗水垂らしながら爽やかに青春を謳歌していた。
ああ、輝く汗の眩しい事…それだけでこっちは眩暈がしそうになるっていうのに。
「うわぁ…俺無理だわ~…あの中入ったら一秒で溶ける。」
「でしょうね…むしろ入ってくればいいのに…」
「お前だって人の事言えねーだろ…」
「多分入口で過呼吸起こして倒れますね…」
「だな…」
無気力で面倒くさい事が大嫌いな忍先輩と運動音痴で絶望的に鈍いわたし…二人とも青春に汗を流す光景を目の当たりに眩し過ぎたので、茂みに隠れぐったりしていた。
ああ、でも…わたしも運動がちょっと得意でこうやって運動部に入部していたら理想の青春ライフが送れたのかもしれない。
マネージャーとかでさ、可愛らしくタオルとか飲み物とか差し出してちょっとした差し入れとか作ってさ…
「お疲れ、雛森君!!」
そう、あんな風に可愛らしく元気に…
って…えええ!?いきなりいた!!
茂みの中でぐったりしてちょっと妄想しかけていると、突然耳に入って来る蒼を呼ぶ声…当然瞬時に覚醒した。
わたしも、忍先輩も…
「…ああ、ありがとう…」
「最近ちょっと調子悪くない?どうしたの?」
駒井さんとは全くタイプの違うボーイッシュで元気そうな女の子だ。黒髪のショートカットに健康そうな肌の色、いかにもスポーツ少女って感じの。でも目が大きくてキラキラして可愛い。
彼女が新しいマネージャーさん?駒井さんは辞めたって聞いたし…。それにしても背が高い…可愛いけど恰好良いっていうか…
「何?彼女と喧嘩でもした?ほら、あの小さくて可愛い子!夏休みデートした?」
「…灯はそんなんじゃ…」
「あかりちゃんって言うの?名前も可愛いねぇ~!今度私にも紹介してよ?話してみたかったんだよねぇ!雛森君の知られざる秘密を知ってそうだし…」
「俺は何も隠すようなことはしていない…お前、なんでそんな秘密にこだわるんだ…」
「別にそんなんじゃないって!雛森君普段からあんま喋んないし、寡黙じゃん?暗くて無口って言うのかな…何考えてんのか分かんないよね?」
おお…!?蒼を前にそんなはっきりと言う女子が奈々ちゃん以外にいたなんて!?か、格好いい!!この子恰好いい!!
太陽の様な眩しい笑顔を浮かべ、相変わらず無表情の蒼の肩をバシバシ叩いて楽しそうだ。
そっか…彼女が新しいマネージャーかぁ…なんか良く分からないけど…ちょっと安心した。駒井さんみたいな腹黒美少女はもうこりごりだし。
「…よし、ちーこ行くぞ。」
「どこに!?あそこへ!?」
「当たり前だろ…それ以外何処行くっていうんだよ?」
「コ、コンビニへ買い出しとか…」
「わざわざバス乗って?俺に死ねって言ってんの?」
「す、すみません…凄い難問突き付けて…」
この人ならバス停行く途中で行き倒れそうだ…そして多分わたしも一緒に…
でも今の忍先輩は違う…目をキラキラさせ楽しそうだ。好奇心の塊って感じで…蒼をロックオンして狙いを定めている。
「後輩は先輩の言う事に従えよ?」
「逆らったら…いえ、考えただけでぞっとするからやっぱ良いです。」
「そうそう、それでいいんだよ。さ、歩けないなら俺が運んでやるから安心しろよ~?ははは!」
「こんな時だけ最高の微笑み浮かべないでください!!」
「あ~、どんな茶番劇が見れっかなぁ~!!」
ご、ご機嫌だ…この人凄くご機嫌だ!!笑顔なんか浮かべてわたしを脇に抱え上げ、意気揚々と競技場のフェンスへと向かう…
ああ、もうこうなったら止められない…この人の好奇心を止められる人なんて緋乃先輩くらいだ…その先輩も今はお宿の中でまったりしている。
「…ん?何あれ?誘拐!?」
「え?」
「ちょっと私成敗してくるわ!!」
「…いや…待て落ち着け…」
そしてそんなわたし達の様子にいち早く気づいたのはマネージャーさん。忍先輩が適当にわたしを抱えているのを見て勘違いしてしまったのか、こっちへ近づいて来た。大股で、競歩で…
蒼は…わたしが俯いているので気づいていないみたいだけど…。忍先輩も中身はどうしようも無い駄目人間だけど、見た目は普通の少年なわけだし。
「ちょっと!あんた何やってんの!!」
「…あ?別に普通にこいつ運んでただけだけど…」
「運んでって…女の子運ぶのにこんな適当なやり方ないでしょ!!お姫様抱っことか!こんな風に!!」
ふわり…
あの忍先輩を前にしても怯むことなく、そのマネージャーさんは彼からわたしを奪うと軽々お姫様抱っこして見せた。
うわぁ…なんて安定感…力持ち!!
「やだ、可愛い!!何この子!小さくて可愛い!!」
「…腕に納まる感じがいいだろ。」
「うん!凄く!!ちょっと私この子持って帰りたい!!」
「いや…やらねーし。それ俺のだから。」
「あんたなんかに任せられないわよ!この子には可愛いお洋服沢山着せてあげて…それから…」
「…うわ、お前変態じゃん…いいから返せって。」
「嫌よ!この子は私が持って帰る!!」
な、何この奇妙な取り合い…てか忍先輩…わたしはいつからあなたの所有物になったんですか?恐ろしい事を…
面倒臭そうに頭を掻きながらもとりあえずわたしを取り返そうとする忍先輩、わたしを渡すまいとしっかり抱きしめるマネージャーさん…どっちの手にも渡りたくないなと本気で思うわたし。
そして、救世主は現れた。この『わたしの為に争わないで~!!』という夢の様なシチュエーションにも動じず涼し気に…ひょいとわたしを軽々抱き上げて。
「…こいつは俺が面倒見てるんで…間に合ってます。」
「あ!雛森君!!ずるいわよ!!」
「…佐々木、灯は犬猫とは違う…小さい物見て飛びつく癖いい加減治したらどうだ?」
「だって!そんな小さくて可愛い子そうそういないもの!!」
「確かに灯は小柄だけど…気にしてるからあまり言ってやるな…」
いや、蒼も声に出していてるよね?小柄って…
「…それより、どうしてお前ここにいるんだ?」
「…合宿。そこの宿で今日からお世話になんの。」
「合宿?そう言えばそんな話してたような…と言う事は、あなたは…」
蒼の最もな質問に答えたのは忍先輩だった。さっきのやり取りで無駄なエネルギーを消費したせいかいつもの無気力な様子に戻って面倒臭そうに宿の方向を指さして…
ああ、この人って本当気まぐれ屋さんなんだから…まぁ、この方がマシか…このまま大人しくしていれば飽きて帰るだろう。よし。
「文月忍、こいつの先輩。で、お前がお隣の蒼君だろ?この変態女は知らねーけど…。話はこいつから色々聞いてる。」
「色々…灯、何を話した?」
「…大したことねーって。お前の話聞いてるとこいつがいかに救いようのないドジなのかが分かるだけで。だから面白いんだけど…」
あ、駄目だ。この人やっぱり当初の目的を忘れていない!徐々に瞳が輝いて面白そうに不敵な笑みを浮かべるているのが何よりの証拠だ!!悪い顔してる!!
それに多分…クソ真面目な蒼と無気力面白い事大好きな忍先輩との相性は最悪。ここに咲良君や楓先輩がいてくれたら良いクッションになるんだけど…
それを語る様に蒼の目が微かに険しくなっている…様な気がした。忍先輩から庇う様にわたしを背後に匿っているし…
危険だ…早くなんとかしないと!!えっと…やっぱり緋乃先輩に電話?それとも奈々ちゃん?ここでのほほんとした楓先輩?冷静な蘭子先輩?明るい咲良君?
「あ!!どっかで見た事あると思ったら…文月忍って
あの
!?天才的な美術センスの持ち主って噂の…」「は?何それ?俺そんな噂されてんの?迷惑だわ~…」
「褒められてるのにこの無気力感何!?普段学校にあまり来ないけど、補習ですべて補って成績は常に首位って噂もあるけど…」
「テストなんて一日徹夜すりゃなんとかなるだろ。俺いつも途中で寝るけど。」
「だろうね…ってどこまでも嫌味な奴ね…おまけに顔も良しの高身長って何なの…」
「顔は生まれつきだし…ま、人間努力せず好きな事に打ち込んでててもなんとかなるってことだって。あ~…なんか腹減った…ちーこ、そろそろ帰るぞ?」
「そして自由ね…」
マネージャーさんに突っ込まれてもお構い無し。忍先輩はとりあえず満足したのか、お腹が空いたから面倒くさくなったのか…興味を失ったように蒼から目を反らすとわたしを引っ張り出しそのまま小脇に抱え歩き出す。
ってまたこの移動手段ですか!?どうでもいいけど…もう…
「ちょっと待って下さい。話はまだ…あとそんな適当に灯を運ぶのはやめて下さい。落ちますから。」
「平気だって…落ちた事ねーし。」
あまりに適当に運ばれているので心配になったのか、気づけば蒼が隣にいた。
「…まさかいつもそんなやり方で運んでるんじゃ…」
「そうだけど?片手空くしこいつ歩くの遅いし。」
「…あ!落ちます!!灯を引きずらないでください!」
「あ?こんくらい別に…」
「あ~…もう貸してください!あなたに灯は任せられない…」
蒼にしては珍しくハラハラしているようだ…らしくもなく声を少し荒げ忍先輩からわたしを奪い取ると何故かお姫様抱っこをしてくれた。
というか…わたし歩けるよ?自分の足で。なんで運ばれるシステムになってるんだろう?これはこれで美味しいけど。
「そんなに心配なら入部すりゃいーじゃん。俺は歓迎するけど?」
「それは俺も考えましたけど…」
「マジかよ…お前本当過保護なんだな。ちょっと引くわ…」
「仕方ないでしょ…こいつ本当昔から目を離すと転ぶし、迷子になるし不審者に連れ去られそうになるし…ああ、思い出したら胃が痛くなって来た…」
「…ちーこ、お前昔からぼやぼやしてたんだな。人間一人で生きて行かないといけねーんだしさ…もっと自立した女性になんねーと駄目だって…」
それ、忍先輩にだけは言われたくありませんが…?
と口に出して言えばまた蒼の不安が広がるばかりなので、私はぐっと堪え飲み込んだ。
ああ、それにしても…なんて安定感と安心感なんだろう…さすが蒼…
そう言えば蒼にこうしてお姫様抱っこされるのって二度目になるな。そしてあの海に行った時以来だ。こうしてまともに顔を見るのも近くにいるのも…
あれから何度考えてもわたしは蒼が好きで、それは変わらなくて…でもどうしたら良いのか全く分からない…
こんなに近くに居るのに肝心な気持ちは遠い所にあるみたい…そういや少女漫画でもあったな、こんなフレーズが…
片想いの時が一番楽しいとも言ってたけど…このもやもやした状態の何処が楽しいのか全く分からない。
「あ!忍、花ちゃん!!二人とも何処行ってたんだよ!!」
宿に戻ると、楓先輩が入口でそわそわしていた。わたし達の姿を見るなり安心したように駆け寄って来てくれたが…
ズベッ…
ど派手にこけた…ちょっとの段差に躓いて。
「わぁ…ださっ…」
「いてて…びっくりした~…」
わたしは忘れない…その時の楓先輩の様子を見た時の蒼の表情を…差し出しかけた手を…
まるでわたしを見る時と同じ目をしていた…。こいつの中にはドジ感知器でもついているんだろうか?
「あらあら、楓ちゃんたらまた…ふふ、本当にドジっ子さんなんだから…」
「あ、緋乃。腹減ったんだけど…」
「忍ちゃんはまた灯ちゃんを連れ出して何処へ?あ、チョコ食べます?あとはマカロンとクッキーと…」
「すげー…お前の鞄、甘い菓子しか出て来ねー…」
宿のロビーの椅子には緋乃先輩がちょこんと座ってお出迎えしてくれた。大量のお菓子を広げいつもと変わらずにこにこご機嫌だ。
「あら?灯ちゃん何処か怪我でも!?大変…すぐに救急車を…」
「いや…俺が勝手に運んで来ただけなので…灯の部活の先輩方ですか?」
「まぁ、そうでしたの?ええ、私もついでにそこのドジっ子の楓ちゃんもそうですわ。ではあなたが噂のお隣さん?灯ちゃんがご迷惑をお掛けして…」
「いえ、こちらこそいつもご迷惑を…」
「いえいえ、灯ちゃんにはみんな本当に癒されていて…あ、どうぞ。お口に合うか分かりませんが…マカロンです。お互い手の掛かる幼馴染みがいると色々と大変ですわね?」
緋乃先輩は忍先輩を見て微笑んだ。
そう言えばこの二人って幼馴染みなんだっけ…
「え?ああ…どうも…。」
「あれでも結構可愛らしいところもありますのよ?うふふ…」
「はぁ…あれでも…」
緋乃先輩と蒼は何故か保護者同士の様な会話をしながら、まったりし始めた。
なんだろう、これ…?なんかちょっと恥ずかしい…親同士の会話に自分の話題が出てきてしまった時の様な気持ちだ。
「じゃあ、俺はこれで…」
「あら、もう行ってしまわれますの?」
「部活の練習を抜け出して来たので…」
暫くして、蒼は緋乃先輩に丁寧にお辞儀をすると踵を返した。
その瞬間、ちょうど後ろにいたわたしとばっちり目が合ってしまった…
何だろう…この久々な感じ…そりゃ、海に行った時から会話しなかったし、目も合わせなかったから当たり前だけど…
目が合ったその瞬間だけ時間が止まった様に思えた。一瞬という短い時間なのに…
「灯、体には気を付けてあまり迷惑かけるなよ、あと夜に限らず必要以上に出歩くのも…」
「わ、わかってるよ!」
「ならいいけど…あと、あまりあの人と関わるな…なんか危険な臭いしかしないから…」
「それは無理だよ…気持ちは分かるけど…」
最後の一言だけわたしだけに聞こえるよう小声で忠告するのが蒼らしい。無理なお願いだけど。
とりあえず…なんか普通だ…変わりない。やっぱり蒼はここ数日の事もあまり気にしていなかったのかな…悩んでいたのはわたしだけで…。
はぁ…ま、仕方ないか…蒼だし…
今はそう思う事にしてゆっくり考えよう…
「…なんだ?付いて来るのか?」
「いや…お見送りを…一応運んでもらったし…」
蒼と一緒に宿の外へと出ると、不思議そうに首を傾げたのでわたしはちょっとだけ目を伏せぼそりと呟いた。
ここへ着いたのがお昼頃…空は今すっかり茜色に染まって綺麗な夕焼けを作っている。
ヒグラシの声が聞こえ、山の中のせいなのか少し涼しいくらいの風が微かに吹くのが心地よい…
「…元気そうで良かった。」
「え?」
顔を上げると蒼がわたしをじっと見つめていることに気づいた。
ゆっくり手が伸ばされそれは静かに頭の上に乗せられ…
「お前最近部屋に籠ってただろ?だから心配してた…」
「そ、それは…!!」
「何かあるならちゃんと話せ…俺はこんな性格だからはっきり言ってくれないと分からないし不安になる。あと無視は結構きついからやめてくれ。」
「傷ついてたの!?」
「まぁ…ちょっと…」
「えっと…ご、ごめん…」
「別に謝る必要はないだろ。俺が何か気に障るような事をしたんだろ?あれから色々考えてたけど、何も思いつかない…俺はお前に何をした?」
「え?ああ…まぁ…でも…もういいよ。」
「良く無いだろ。ちゃんと解決して元通りにしないと俺の気が済まない…灯と普通に話せなくなるは嫌なんだよ。」
蒼は本当に正直だ。何に対してもこっちがすっきりするくらいストレートで嘘は無い。だから物事の受け取り方も凄くストレートなんだ。肝心なところは鈍いけど。
それが蒼の良いところで、だからわたしはいつだってその言葉を信じていられる。疑うことなく。ちょっとイラッとする時もあるけど。
ああ、もう仕方ないな…こいつにはもっとちゃんと分かりやすい言葉で伝えるしかないのかな。
「…はぁ~…だからもういいって!なんか色々考えてもしょうがないって気がして来たし…だからもういいの!」
「よくない。」
「いいんだってば!わたしがそう言ってるんだからいいの!」
「…わ、分かった…」
「よし。じゃあこれで元通りね?分かったら蒼はさっさと部活に戻る!わたしは…宿でとりあえずまったりしてるよ。」
「…お前の部活本当何してるんだ?」
「肝試し?えっと…とりあえず手頃な雑木林を発見したから今夜…」
「震えてるぞ?付いて行ってやろうか?」
「い、いい!!」
「でもこのままじゃ俺の気が…」
「いいってば!!」
結局最後はいつものようなやり取り。でもそれが今のわたし達に取ってちょうど良い関係なのかもしれない。
でも…いつか…いつか必ず伝えるんだ。
好きだって…ちゃんとはっきりとした言葉で…
蒼にも分かるように明確な言葉で…
いつか届け!わたしの想い!!
えっと…いつになるんだろ?