ひこうき雲 六

文字数 1,763文字

「いや〜、面白かった」
「うん。両方良かったね」
「彩佳、寝てたっぽいけど?」
「寝てないってば」
「まあ、ちゃんと目は開いてたから、不起訴とするか」
「寝てません」
 映画を観終わって、今は車で移動中。映画の最中に猛烈な睡魔に襲われた。
 けれど今まで感じたことのない睡魔だった。眠気を感じたのは最初の一、二分だけで、後は視界はぼんやりしているけど、意識はある感じ。映画の内容をちゃんと覚えているところから、眠っていた訳ではないのだろう。
 大翔さんは私の目が虚ろになっていたと言っていた。それで寝ていると思ったのだろう。でも、気になることがあった。
 映画の大きな音に重なって、消え入るようにしか聴こえなかったけど、大翔さんの口から漏れたつぶやき。
 私も睡魔が襲ってきている最初の時で、ぼやけるような意識の中だったから、不確かだけど。

『七瀬……?』

 大翔さんは、そうつぶやいていた。
 ゾッとした。どんな怪談を聞いた時よりも、ホラー映画を観た時よりも、背筋が寒くなる感覚だった。私の聴き間違いであってほしい。映画の音と重なって、そう聴こえただけだと思いたい。
 未だに大翔さんの中で、大きなウエイトを占めている、亡くなった大翔さんの幼なじみ・松岡七瀬さん。どんな人だったのかって、気になったりもするけれど、怖くて訊けない。自分と比べてしまうから。
 七瀬さんは、大翔さんと幼なじみ。つまりずっと小さい頃から一緒だったってことだ。たくさんの時間を共有して、たくさんの愛を感じ合ってきたんだろう。
 いろんな場所に行って、笑って、泣いて。そうして大翔さんとの間に愛情を育んでいった。
 でも、二人の愛には、突然の終わりが訪れた。七瀬さんの交通事故。その時の大翔さんの喪失感は、計り知れない。きっとものすごく苦しんだんだろう。二年を経過した今でも、大翔さんは完全には立ち直れてはいない。直後は本当に、もぬけの殻みたいになっていたんだと思う。
 七瀬さんのことを思うと、胸が痛む。突然に訪れた終わり。もっともっと、大翔さんから愛をもらいたかったはずだ。私は大翔さんから愛情を感じている。でも時おりよぎるのは、やっぱり七瀬さんの影だ。
 不思議なことに、会ったこともないのにその存在を身近に感じる時がある。どんな風に身近に感じるか。それはうまく説明出来ない。ただ、身近に感じるその瞬間は、ゾッとするような感覚ではなく、なぜかホッとするような、安心するような感覚がする。
 大翔さんには、七瀬さんの話題はタブーなんだろう。実際には訊いたことはない。でも、タブーなんだっていうのは、日頃から接していてわかる。
 大翔さんが時おり見せる悲しい顔。それはきっと大翔さんの中で、七瀬さんが大きくなっているからなんだろう。大翔さんは、私に七瀬さんの影を見せないようにしているけれど、私にはわかるようになってきた。

『なかなかね。難しいかも。亡くなってしまった、好きだった人に勝つっていうのは』

 麻衣の言葉が、より重みを持って感じられてきた。こうなってくると、大翔さんの中だけではない。私の中でも、七瀬さんの存在が大きくなってきているのは間違いない。
「彩佳、どうした?」
 赤信号。大翔さんが、私を不思議そうに見つめている。いけない。私が七瀬さんの影を見せる訳にはいかないんだ。
「ごめん。今日の晩御飯何にしようか考えてた」
 大翔さんが笑った。うん。やっぱり私、この笑顔が好き。だから、ずっとこうして隣で眺めていたいんだ。
 七瀬さんは、私たちをどう見ているのかな。恨めしい気持ちなんだろうか。少なくとも私だったら、恨めしいとか、妬ましいとか、そういう感情を持ってしまうだろうな。
「今日の夕食は何にしようか?」
「パスタがいいな」
「パスタァ?」
 大翔さんの返答に、私は思わず吹き出した。大翔さん。和食や中華なんかは、美味しいお店を知っているけれど、洋食はあまり知らないのだ。
「私、美味しいところ知ってるよ」
「洋食は敷居が高いんだよなー」
 いっつもこう言う。敷居が高いっていう意味が、あまり理解出来ないから笑ってしまう。
「まあ、彩佳が一緒だからいいか」
「そうそう。慣れだよ、慣れ」
 車が走る。景色が過ぎていく。空はずっと続く。どこまでも。
 どこまでも、ずっと一緒に。大翔さんと一緒にいたい。
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