くろがねマスク 七

文字数 2,174文字

 横目で見ていた。見ながらレジで商品を入力し、手早くレジ袋に商品を詰める。代金を受け取り、会計入力をする。お釣りとレシートを渡す。「ありがとうございました」一礼してお客を見送る。
 店内を見渡すと、他にお客はいない。俺は急いで奥のレジに向かった。
 川端さんが宅配便の受付をしていた。新人アルバイトにとっては、宅配便の受付は鬼門のひとつだ。中ボスみたいなものだろう。最初は手順を間違えたり、やるべきことを忘れたりする。俺もそうだった。
 ゆっくりとではあるが、川端さんは宅配便の受付処理をこなしていた。お客は温厚そうなおばさんで、特に急かすような様子も、苛立っているような気配もない。見守っていて大丈夫だと判断した。やはり自分でこなさないと見に付かない。
 なんとか受付を完了した。ただ、最後に伝票のお客様控えを渡すのを忘れている。「これお客様にお渡しして」俺が指摘すると、川端さんは慌てて伝票の控えを渡した。お客のおばさんが軽く会釈して退店していった。
「これ、どうするんだしたっけ?」
川端さんが指を差した先にあるのは、手元に残った宅配伝票だ。川端さんは今日もくろがねマスクスタイルで、やはり表情はよくわからない。
「上の伝票は宅配伝票のバインダーに挟んで、残った伝票は裏面のシールを剥がして荷物の上の方に貼り付けてください」
「はい。えーと、バインダーは…」
「あ、あっち。レジ側の荷物を置いておくところにあるよ」
「あ、はい」
 荷物は小さかったが、川端さんは落とさないように両手で持っていた。大きい荷物は事務室に保管するが、小さいものはレジ側で保管する。荷物の保管は滞りなくできていた。
夕方の五時台から七時過ぎまでは混み合うものの、それ以降は客足もなくなる。そこからは別の作業に充てられる時間でもある。俺は発注端末を手に取り、商品発注を開始した。
 川端さんが戻ってきて、不思議そうにこちらを見ていた。俺が気になるのではなく、発注端末が気になったのだろう。発注端末は一見すると、大きめの携帯ゲーム機や、タブレット端末に見えなくもない。
 川端さんの疑問に応えようと、発注端末から顔をあげて川端さんを見た。その瞬間、川端さんの身体がビクッと反応した。
「これはね、一見するとゲームをしているように見えるけれど、発注をしているんだよ」
 口元で笑いながら俺が言うと、川端さんはきょとんとしていた。今回はよくわかった。黒縁眼鏡の奥の目が大きく開かれ、まんまるの瞳が見えた。完全に川端さんの意図していた言葉とは違う言葉を、俺は発しているようだ。
「…発注ですか?」
 時間にして三秒くらいだろうか。川端さんの口から言葉が出てきた。どう返答していいのか分からず、言葉を探してやっと、という感じだった。これではなんか俺が変なやつみたいだ。
「そう。商品が売れていくでしょ。なくなったら注文する。それをこの機器でやるんだ。事務室のパソコンと連携していてね。これに入力すると事務室のパソコンにデータが送信されて、それがさらに本部の管理しているホストコンピューターに送られる。そうして発注した荷物が届くんだ」
「そうなんですか。発注って言うんですね」
「うん」
 答えながら、おや、と思った。発注と言う単語を知らなかったのだろうか。高校生の頃にアルバイトをしていなくても、どこかで発注という単語は聞いていてもおかしくない。ましてや川端さんは、今年で二十二である。どこかで就業経験があってもいい。
 訊いてみようかと思ったが、入店したお客がすぐにセルフコーヒーとタバコを注文したので、俺はカウンターを出て発注に専念した。
 今やっているのはカップラーメンなどの加工食品の発注である。この店はカップ麺がよく売れる。特に秋から春先にかけては、それこそ飛ぶように売れる。カップ麺は縦型と呼ばれる縦に長いものが売れる。車内でも持ちやすく、食べやすいからだろう。
 他には有名ラーメン店とのコラボ商品もよく売れる。カップスープはカップに入った味噌汁が売れる。やはりおにぎりと味噌汁は、日本人のソウルフードなのだ。
 いつの間にか福ちゃんがレジに出て来ていた。レジ後ろのポスターを張り替えている。さっきまで事務室で仕事していたはずだ。福ちゃんは川端さんが慣れるまで、早朝を深夜勤務の人に任せ、俺と同じくらいの時間に出勤していた。川端さんについては俺に任せきりだった。
 それでもまた同じ時間帯で働いているみたいで楽しかった。本店で一緒だった時は、お客の来ない時間帯は延々と二人で戦国武将の話をしていたものだ。今はお互いの立場もあり、なかなかできない。それでもたまに休日に二人で居酒屋に行って、何時間も戦国武将について語り合うことがある。
 明日は休日だった。休みの日は車で出かけて、戦国武将ゆかりの地や、古戦場や城を見に行ったりする。風景を撮影したりするのも楽しみのひとつだ。
 だが、それも数年前の話だ。最近は部屋で映画などを観ることが多くなっている。出かけるのが億劫になってしまっている。
 その理由はわかっていた。
 あの日──。
 そう、あの日から、暗闇を見つめるようになった。あの日を境に、俺の生活も、身体も、そして心も、すべてが一変してしまったのだ。
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