秋風吹いて 八

文字数 1,925文字

 もう、ダメかもしれない。
 って、麻衣にそんなLINEを送った。「後悔しないように。ちゃんと話し合いな」すぐにそんなメッセージが返ってきた。
 総合スーパーに寄って、アイスを食べながらおしゃべりをする。ちょっと前まではただそれだけで、胸がときめいたはずだったのに、今は違う。慣れたって言われればそれまでなんだけど、そういうんじゃない。
 大翔さんは、きっと私を見ていない。
 見ていないんじゃ、ないんだ。きっと私のことも見てくれている。でも、奥底にあるものは違う。
 私は気づいてしまった。これまでの大翔さんの言動。そして今。足りなかったピースを埋めたパズルのように、カチッと当てはまった気がしたんだ。
 屋上の駐車場へ上がる。エスカレーター。私と大翔さんの間には、まるで透明人間がいるみたいに、一段空いていた。ううん。透明人間なんかじゃない。そこにいるのは…。
「彩佳、この後何処に行きたい?」
 その言葉が自分に向けられた言葉だと理解するのに、少しだけ時間がかかった。いろいろ考えて、なんだか疲れた。お腹が空いてきた。
「お腹が空いた」
「もう? アイス食べたのに?」
「うん」
 大翔さんが笑った。ああ。この笑顔。私が好きになった笑顔だ。なんか、久しぶりに見たような気がするけど、気のせいかな。
「七瀬みたいだな…」
 そのひと言で、私の視界が、真っ白になった。自分が見えているものすべてが凍りついたみたいに、フリーズした。
 この世界を、私は知っている。一面白い部屋。片隅で、死と、孤独だけが傍にあった、あの世界。私以外には誰もいない世界だ。
 屋上にあがって、私の足は止まってしまった。動かそうとしても、動かない。
「彩佳? どうしたんだよ。…最近おかしいと思っているけどさ、今日は輪をかけておかしいぞ」
 大翔さんが近寄って、私の手を掴んできた。私は反射的に大翔さんの手を振りほどいた。大翔さんが、びっくりした顔をしている。
「おかしいと思う?」
「は? なんなんだよ。何か不満があるなら言ってくれよ⁉︎」
「私は私だよ。私は川端彩佳」
「知ってるよ」
「嘘っ! 大翔さんは…、大翔さんは私のことなんか見てくれてないよ‼︎ 私は、私を見て欲しいのっ! 私は…。私は、七瀬さんの代わりじゃないっ‼︎」
 大翔さんが、呆然と立ち尽くす。顔から血の気が引いて、顔面が蒼白になっている。
 ああ。せっかくふたりで築いてきた世界が、まるで、爆破解体されるビルみたいに、音を立てて崩れ落ちていく。築くのは、時間がかかった。でも、壊れるのはこんなに呆気ないんだね。
「ひとりで帰る。もう連絡して来ないで」
 私は踵を返して、お店の中に戻ろうとした。足音。大翔さんが追いかけてきた。私の腕を掴む。
「待ってくれ、彩佳。違うんだ」
「離して! なにが違うの⁉︎ 大翔さんは、私の中に七瀬さんの面影を追い求めているだけなのっ! 私じゃなくてもいいんだからっ‼︎」
「違うっ‼︎」
「違わないっ‼︎」
 大翔さんの腕を振りほどこうとする。強い力で、なかなか振りほどけない。遠くから、こっちを見ている人たちがいた。人目が気になったのか、大翔さんの腕を力が弱くなった。私はその隙に、大翔さんの腕を振りほどいた。
 じっと、大翔さんを見つめる。大翔さんの顔は、相変わらず蒼いままだった。
「もう、終わりにしよう。私は、もう無理だよ…」
「待ってくれ、もう一度、もう一度だけ…」
 大翔さんに、背を向ける。
「さよなら、大翔さん。短い間だったけど、思い出をありがとう」
「彩佳‼︎」
 エレベーターがちょうど空いたのを見て、私は走ってエレベーターに駆け込んだ。一階のボタンを押す。大翔さんは追いかけてきたけど、間に合わなかった。
 私は一階の女子トイレに駆け込んだ。涙が、溢れてくる。どこにこんな水分があるんだっていうくらい、溢れてきた。
 夢、だったのかな。
 麻衣に連絡した。事情を説明したら、すぐに迎えに来てくれた。
「彩佳」
 私は麻衣に抱きついた。麻衣は迷いなく、私を抱きしめてくれた。
「つらかったね。ごめんね。私が変なこと言ったから」
 私は首を横に振った。
「私は、彩佳が好きだよ。これまでの彩佳も、今の彩佳も好き。私は、いつでも彩佳の隣にいるからね」
「…ありがとう」
 グズグズ泣く私の頭を、麻衣は優しく撫でてくれた。
 麻衣の車に乗る。泣きすぎて、頭が痛くなってきた。
 風景画。やたらカップルが目についた。
 恋らしい恋とは、無縁だった。だからかな。ときめくような、夢みたいな恋だった。でも、夢はいつか終わるんだ。悪夢でも、良い夢でも。
「さよなら…」
 呟いた。
 麻衣が、私の手をぎゅっと握ってくれた。そのぬくもりに、また涙が溢れてきた。
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