秋風吹いて 三

文字数 2,478文字

 ロッカーからユニフォームを取り出す。着替える。勤怠登録を済ませる。日常の一部みたいになっている行動を淡々とこなす。
 誰かが言っていた。生活のための仕事なのに、いつしか仕事のための生活になっている。大人になるって、残念なことだと。
 まあ、全員がそうじゃないと思うが、たしかにそうだ。俺自身も、仕事のための生活など極力送りたくはないと思う。
 コンビニで深夜勤帯のシフトに入ると、嫌でも思い起こされる言葉だな、と思う。そう、仕事のために本来睡眠をとる時間に働いている訳だ。これぞ仕事のための生活そのものではなかろうか。深夜に働きたい、という人も少なからずいるだろう。
 だが、地方の、店舗数も多いコンビニすべてが、24時間お店を開けている必要性があるだろうか。聞かれたら、こう答える。答は、その必要はない、だ。
 お店で働いている従業員だけではない。お店が開いているということは、それに関連する事柄すべてを巻き込まなければならないのだ。
 例えば、店舗に設置してあるマルチコピー機が、急に壊れる。深夜に来たお客が使いたいと言う。アフターサービスの人が来て修理してもらわなければならないのだ。ショーケースの冷蔵設備が壊れたら? これも専門の業者が飛んできて修理をするのだ。商品を配送するドライバーも、売場に並ぶ食品を製造する工場の人たちも、寝ずに稼働している訳だ。
 24時間営業を強要する本部の人たちは? きっとすやすや寝ているに違いない。
 レジに入る。一緒に深夜勤帯に入っている大学生が、オートフライヤーの洗浄をはじめる。まだトレーニング期間中なので、極力一緒に作業をしてあげることが重要だった。今日は客足が少ない。俺ひとりでレジをさばくことができた。
 接客業が嫌になった訳ではない。コンビニの仕事も、好きなところはある。それでも、そろそろ職を替えようと思っている。職が替わるということは、自分の生活も替わるということだ。多少替わることは仕方がない。日々の糧を得るということは、そういうことなんだろう。
 手が空いたので、商品棚の整理をする。オーナー本店の、夕勤帯の高校生はなかなかしっかりしていた。ちゃんとその日納品されるカテゴリの商品を補充しておいてくれるのだ。これによって先出しが完了し、商品の期限切れも防げる上、廃棄ロスも減らせる。地道な取り組みが店舗の業績改善に結びつく。
 商品棚を整理しながら、空いている棚を確認する。空いているということは、在庫がないということ。つまり今日納品される確率が高い。こうして整理整頓をしながら、空いている棚を確認しておけば、後で品出しの際にスムーズに動ける。
 福ちゃんの店では、今は夕方は彩佳が補充や整理整頓をやっているんだよな。
 ふとそんなことを思い、彩佳の顔が頭に浮かんだ。笑顔、声、触れた肌と、唇の感触。いかんいかん。仕事中に何を考えているんだ。と思いながらも、一度頭の中に現れた彩佳は、なかなか消えなかった。消そうとしても、消えない。別れ際になかなか帰らない彩佳そのものだ。そう思って、彩佳のことが一層愛おしくなってきた。
 彩佳のことを思い出すと同時に、頭の片隅に追いやっていたあの求人チラシのことが思い起こされた。まだ捨てていない。いや、何かが引っかかって捨てられないままでいる。それは何なんだろうか。
 地元で、大手で、全国展開する食品メーカー。正直理想的な条件だ。ネットで会社の評判も調べてみたけれど、悪くないものだった。
 福利厚生はもちろんのこと、GWと夏季休暇、年末年始休暇あり。有休取得と育児休暇の取得にも力を入れているらしい。働き方改革というやつだろう。業績も上々で、地盤もしっかりとしている。
 魅力的すぎる条件が並ぶ。だからこそ、なんとなくあの求人チラシそのものを信用できない気がしたし、俺のような学歴、経歴が大したことのない人間など必要ないだろう。きっともっと優秀な人材が雲霞(うんか)のごとくいるに違いないのだ。
 …彩佳だったら、なんて言うのかな。俺よりも頭がいいってことは、薄々感づいている。ちゃんと学業に打ち込めていたなら、たぶん彩佳はけっこう有名な大学に進学していたんじゃないだろうか。病気にならなかったら、今頃就職活動をしているのだろう。いや、もう内定をもらっているのかな。
 福ちゃんも言っていた。川端さんは、頭の回転の速い娘だと。彩佳は新規商品を大量に発注することはあまりしないらしい。SNSでの反応を見て、話題性があると判断したものだけ、大量発注をかける。それ以外の新規商品はケース単位で発注数を決めて、追加発注は基本的にかけないらしい。そうして売場を回していく。さらに毎週の新規商品は必ず同じ場所で展開する。そうすることで、新規商品の場所をお客に認知させたらしい。
 実は一部俺の手法だったりする。
 教えた訳ではないのに、自分で理解してはじめるなんて大したものだ。しかもまだ入って一年も経過していない。自分で学んだんだろう。福ちゃんが冗談半分で、シフトリーダーにしようと言ったら、ものスゴく拒絶されたらしい。そう、あまり目立つことは好きじゃないのだ。
「このお店のシフトリーダーは、高橋さんしかいないです」と言ったらしい。なんとなく照れくさい。
 七瀬を喪って、すべてが上手くいかなくなって、仕事も辞めた。今は仕事を替えるために、彩佳の意見を欲しがっている。
 こんなに、彼女に依存する人間だったんだな、俺。なんかカッコ悪いと思う反面、それでいいじゃないか、という自分もいる。過度に依存するのは危険だけど、支えがあるというのは悪いことじゃない。でも、七瀬を喪った時みたいにはなりたくないものだ。
 七瀬が生きていた頃は、そこまで七瀬に依存しているなんて思ってもみなかった。喪ってから、その存在の大きさに気がついたのだ。
 支えがあってもいい。俺も支えていけばいい。何でも打ち明けることで、きっとふたりの距離ももっと縮まるはずなのだ。
 そう自分を納得させる。今度、彩佳に会ったときに話してみよう。そう決意した。
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