秋風吹いて 六

文字数 1,681文字

 どっくん。
 また、聴こえる。いつから、だろうか。こんなに心音が大きく聴こえるのは。身体全体。全身に響き渡るような、とても大きな鼓動だ。
 どっくん。
 正直言って、怖い。心臓のことだから余計に。検診では何の問題もなかった。先生に診てもらっている時に、心臓がどっくん、と大きく響いたことがあった。それを先生に訴えたのだけれど、先生は言った。
「そうかな。普段と何も変わらないよ?」いや、たしかに大きく収縮した。でも、特発性拡張型心筋症を発症していた時のような症状は、一切出ていない。
 それでも、心臓は大きく響いてくるんだ。まるで、なにかを訴えかけるみたいに。
 私にしかわからない、心臓の響きなのか。それはそれで怖い気がする。誰にも知られずに進行する、別の心臓の病気かもしれない。可能性といえばそれが考えられる。
 ベッドに寝転がって、天井を見つめてみる。相変わらず、真っ白だ。これから先の大翔さんとの関係を描いてみようと思ったけれど、まだ何も描けていないんだ。ふたり、共有した時間がまだ短いから、そんなに多くを描けない。
「にゃ〜」
「スピカ?」
 ベッドから上体だけを起こす。スピカがこっちを見ている。部屋のドアの前に、ちょこんと座って。じーっとこっちを見つめている。
「どうしたの、おいで?」
「にゃん」
「なに、なにかやったの、おもらし? それとも吐いたか?」
「にゃ〜ん」
 別に床にシミもないし、吐いた形跡もない。猫を飼って一番困るのが吐くことだ。これは猫にとっては生理現象の一種のようなものらしく、仕方がないと思うのだけど、初めのうちはやっぱり驚いた。
「おーい。スピカ、どしたの?」
 今度は返事もしなくなった。やっぱり、こっちをじーっと見つめている。こら、そういうのやめろ。別の意味で怖いだろ。今までそんなことやったことなかったのに。
 どっくん…。どっくん…。
 あ、こんな時に来た。
「にゃああっ!」
 びっくりした。スピカが急に大きい鳴き声を出した。どうしたの、普段はのほほんとしていて、そんな大きな声出したりしないのに。よほどお腹が空いたのか?
 スピカがゆっくりと近寄ってくる。なんだろうか、何かを捕まえる時みたいな動作なんだけど。
 身軽な動作で、スピカがベッドの上に乗ってきた。くんくん、と匂いを嗅いでいる。なんだろうか、スピカ先生のセキュリティチェックがはじまったらしい。
 私の周りをぐるぐると回って、スピカがくまなく匂いを嗅ぐ。なんか失礼なやつだ。
 しばらくして、私の腕に顔を擦り寄せてきた。ゴロゴロゴロ…という音が聴こえる。
 そうだよね、スピカ。大丈夫だよね。
 心臓の音が響くたびに、自分を否定されているような気持ちになる。
 これは、お前の心臓じゃない。お前は他人の死によって生かされているんだ。それを忘れるな。そう、語りかけられている気がする。
 いつから、だろう。私の心臓が、そんな主張をするようになったのは。いや、わかっている。私の気のせいだっていうことは。でも、跳ねるような心音が、身体に響くたびに感じてしまうんだ。
 いつか、私が私でなくなってしまうんじゃないかって。この心臓が、どくんと鼓動を刻むたびにそう感じるようになってきた。それは、つい最近のことだ。
 知りたかった。この心臓の持ち主のことを。でも、臓器コーディネーターの城石さんから、ドナー関係者とレシピエント関係者の接触は固く禁じられていると言われたから、それ以上の追求はしなかった。
 胸をおさえる。微かな鼓動が、掌に伝わる。
 トクン、トクン。
 私の心臓だ。今日も動いている。
 スピカがベッドの上で寝転がっている。さっきまでの変な様子は少しも見られない。
「大丈夫、だよね。スピカ。私、大丈夫だよね」
 私の言っていることがわかっているのかな。スピカは「にゃあ〜」と返事をした。
 二年前。スピカと出会った。心臓を移植したばかりの時だ。新しい世界を、スピカは私と共に生きてくれている
 だから、スピカは私にとっての、希望の星そのものだ。
 また、スピカが「にゃあ」と鳴いた。変わらない。この日常も。そして私も。
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