くろがねマスク 四

文字数 2,866文字

「じゃあね」
「ばいばい」
 そんな声が耳に入ってくる。下校中。コンビニで買い食いしていた高校生たちが、コンビニ前で散会していた。
 店外に設置されているゴミ箱のゴミをまとめる。不思議なもので、このゴミはだいたい決まった時間にいっぱいになる。時間帯ごとに売れる商品も、そして捨てられるゴミも、すべてが人間の生活サイクルと結びついているのだろう。
 時間という概念がある以上、人は時間に沿って行動する。だからゴミが捨てられる時間も決まっているのだ。
 ゴミの袋を締めようとした時、作業着を着た中年男性が近づいてきて、ゴミの袋の口に、ゴミを投げつけるように捨てていった。何かひと言あってもよさそうなものだが、二年もやっていれば慣れてしまう。これぐらいで腹を立てていたら、正直キリがない。昔に比べたら辛抱強くなったものだ。
 気を取り直して袋の口を締めようとすると、また別の作業着を着た男が近づいてきた。今度は若い。強面で顎鬚を蓄える巨漢だった。
「ゴミいいですか?」
「はい。どうぞ」
 袋の口を開ける。お昼に食べたのであろう空の弁当のトレイが入った袋が、ゴミ袋に投入される。ただ入れるだけでなく、奥の方まで丁寧に押し込んでくれた。
「ありがとうございます」
 強面の巨漢はそう言って頭を下げ、店内に入っていった。こういうのを目の当たりにすると、人を外見で判断してはいけないのだなと、つくづく思う。
 感じの悪いお客もいれば、気持ちのいいお客もいる。それが接客業で、これはもう慣れるしかないのだ。
 ゴミを片づけて店内に戻る。レジ内の洗面台で手を洗う。作業切り替え時は必ず手を洗うことが、マニュアルに記載されている。
 たしかに衛生面では重要なのだが、基本的にコンビニエンスストアは、従業員の健康面を考えていない。手を洗うことで、手荒れが悪化して通院している人もいるし、ラップのかかった容器をレンジで温めて、火傷した人もいる。本部は売上追及がすべてだ。末端のアルバイトの労働環境には無関心である。もっと言えば、オーナーの労働環境にすら関心がないのだ。
 時間は夕方。十六時四十五分頃。十七時半を回れば、仕事を終えた人たちがコンビニに集まってくる。その時、コンビニの駐車場も車でいっぱいになる。
「ちょっといい?」
 福ちゃんが事務室の扉から顔を出し、声を掛けてきた。俺はパートさんにレジを頼んで、事務室へと入った。
 事務室の中で女の子がひとり、ぽつんと立っていた。黒縁の眼鏡をかけて、薄いピンクのマスクをしている。身長は当然俺よりも小さい。百六十センチくらいだろうか。黒い長い髪を後ろでまとめている。服装はチャコールのチノパンツに、コンビニのユニフォームの下には白いブラウス。眼鏡の下に見える丸い瞳が、じっと俺を見つめていた。
「今日から入る、川端(かわばた) 彩佳(あやか)さん。えーと、二十一歳だっけ?」
 福ちゃんが窺うように訊く。しかし女の子の反応はない。その視線は俺を見つめた後、床に向いた。深呼吸しているのか、呼吸の音が大きく聞こえた。
「今年で、二十二です」
 福ちゃんが少し困った表情をした瞬間、絞り出すような声が聴こえた。体調がすぐれないのか、目にも力がない。前髪と黒縁眼鏡、そしてマスクがこちらの視線を遮るようにしている。それはなんだ。ATフィールドか。いや、鉄壁の城砦。(くろがね)マスク。そんな言葉が浮かんだ。
「大丈夫?」
 顔を覗き込むようにして、福ちゃんが訊いた。何回か頷き、「大丈夫です」という返事が聞こえた。
「これに掛けてください」
 とっさに俺は事務室の椅子を運んできていた。いつ身体が動いたのだろう。つい今しがたのことなのに、思い出せない。
「あ、ありがとうございます」
 仕切り直すように、福ちゃんが咳払いをした。顔色は悪くなさそうなので、一時的なものかもしれない。
「え、とね。こちらが、夕勤帯で一緒に仕事することになる、高橋大翔さん。この店一番のベテランだから、わからないことは俺か彼に訊いてもらえば大丈夫です」
「高橋です。よろしくお願いします」
「川端です。よろしくお願いします」
 一礼した俺に対し、川端さんは椅子から立ち上がって深くお辞儀した。福ちゃんが五百ミリリットルのミネラルウォーターを用意した。多分自分で飲もうとしていたのだろう。筋トレに燃える福ちゃんは、基本的にお茶かミネラルウォーターしか飲まない。
「これ飲んで。今日は自分もいるから、十七時からじゃなくて落ち着いてからでいいからね」
 優しく語りかける福ちゃんに、川端さんは「すみません」と言って、何度も頭を下げていた。福ちゃんは話し方とかに特に気をつけている。強面という自覚があるのだ。
 俺は川端さんにもう一度挨拶をして、レジに戻った。誰かがレジに戻らないと、十七時までのパートさんが退勤できなくなってしまう。出入口に近いレジに立った俺は、手を前に組んでお客を待った。
 十七時になり、パートさんが俺に挨拶をして、事務室に入っていった。福ちゃんはまだカウンターに出てこない。パートさんたちに川端さんを紹介しているのだろう。俺は多少レジに人が並んでも、それほどお客を待たせずにレジを回す自信がある。
 レジに三人が並ぶ。レジ横の揚げ物をふたつ。中華まんをふたつ頼まれた。ファーストフード品は時間がかかる。そう思った時、タイミングを計っていたかのように、福ちゃんが事務室から出てきた。
「お次でお待ちのお客様。あちらのレジへどうぞ」
 二番目にレジ待ちしていたお客の買い物かごを受け取り、福ちゃんが奥のレジへお客を誘導する。ただレジを開けると、二番目にレジ待ちしていたお客を無視して、割り込みをかけてくる人もいるので、会計する商品を受け取ってしまった方がいいのだ。
 少ししてレジ待ちのお客がいなくなったので、福ちゃんの横に立った。
「どうなの? 大丈夫そう?」
 大丈夫? とは、新入りの川端さんのことだ。
 体調不良で欠勤とは珍しくないことだが、今日は初日で、しかも店に来てしまっている。出勤前に自分の体調を把握できなかったのだろうか。
「ここに来た時は普通だったんだけどね。まあ少し休ませてもし駄目なようなら、今日は帰ってもらうことにするよ」
「二十二時までどうするの?」
「俺がいるよ」
「明日六時からじゃん」
「まあそれはしょうがない。でも川端さんが仕事できても、二十一時くらいまではいる予定だったから、別にいいよ」
 福ちゃんが苦笑した。タフさが売りだと自分で言っていたが、それでも疲労は溜まるだろう。福ちゃんの体調が気になった。
 事務室に入るまで、新人のアルバイトが来ることをすっかり忘れていた。川端さんの姿を目にしてすぐに思い出したが、初日からこれだとこれからの先行きが不安になる。
 二人だけで店を回している時に、さっきみたいに体調を崩されたらどうしようと、嫌でも考えざるをえなかった。
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