砂時計 二

文字数 6,166文字

 駐車場で立っている。遅めの夕飯を買っていく人が、コンビニを後にする。今日はお母さんの迎えが少し遅れた。『すぐに向かう』というメッセージが届いたので、こうしてお店の前で待っている。
 いつも通り夕方に出勤してくると、やっぱり高橋さんはいなかった。わかってはいたけれど、何か物足りない気分になった。
 高橋さんはいくつか仕事を抱えていて、レジにいないことが多い。それでもレジが混んだら、呼ばなくてもすぐに駆けつけてくれるし、合間にレジに入って話しかけてくれる。冗談を言う高橋さんの話が面白くて、私は笑っていることが多かった。
 今日一緒に仕事をしたのは、アルバイトの高校生だった。暇そうにレジに立って、特に何もしなかったので、私はレジ周りの箸やスプーン、タバコの補充をして、いつも高橋さんがやっているように、商品の補充や整理を行った。
 商品の補充は教えられた訳ではないけれど、いつも高橋さんがやっているのを見様見真似でやってみた。
 意外と大変で、高橋さんはレジにお客さんが三人以上並ぶと、すぐにレジに入ってくれた。けれど私はレジにお客さんが並んだことに気づかず、男子高生に呼ばれたりした。
 補充しながら、きっと高橋さんには第三の目があるのだ、と感じたほど、高橋さんの機敏な動きに感心した。
 シフトの交代で来た深夜勤務の人も、高橋さんが交代の時にいなかったので、今日何をやるかわからなそうだった。
 困っていると、作業スペースに指示事項が貼り付けてあった。私もずっと気づかなかったが、高橋さんは指示事項を忘れなかったようだ。なんか、さすがだと思った。
 お母さんの車が駐車場に入ってきた。目の前で車が停まる。迎えは私が頼んだ訳ではない。私の体調を気にして、家族で決まったことだ。
 行きは歩きなのだが、これはこれで運動にもなっているし、ちょうどいいと思った。
「お疲れ様。遅れてごめんねー」
「いいよ。そんなに待ってないし」
「どうだった、今日は?」
「うーん。わりと暇な方だったかな」
「違うでしょ。そっちじゃなくて」
 お母さんの顔を見る。その期待に満ち満ちた目を見れば、どんな返答を待っているのかすぐに想像できた。あからさまなため息をつきたい気分に襲われた。
「そっちじゃなくて、どっち?」
「だから、昨日デートした人。同じ時間帯なんでしょ?」
 やっぱりお母さんの興味はそっちにあるらしい。娘の仕事の状況など知ったことではないのかもしれない。大半の人がどっちと言えば、そっちに興味があるのは、私もわかってはいる。
「今日はいなかった。店長がいなくて、代わりに午前から出ていて、時間帯が違ったの。私が来た時にはもういなかったよ」
「えー、なにそれ。まあでも、すれ違いっていうのも、それはそれでロマンチックかもね」
「はいはい」
 言いながらどこがロマンチックなんだと、ツッコミを入れたくなった。すれ違ったことに関しては、残念な気持ちしかない。
 明日、高橋さんは今日の振替でお休みになっていて、明後日、病院の予約が入っているので、私が休みになっている。三日のすれ違いは、いつもの三日の感覚とは違う。長いものに感じる。
 車は駐車場を出て、大きな通りを走りはじめた。まだそこそこ交通量もあるし、開いているお店もある。それでも昼間とは比べようがない。過ぎ去る街灯に目をやりながら、ぼんやりとしていた。
「彩佳、明後日病院の検診だけど、最近はどう?」
 お母さんの声のトーンが急に真剣なものになった。ぼんやりとしていた私は、その声ではっとして我に返った。
「大丈夫だよ。動悸とかもないし。脈も正常だし。もう問題ないんじゃないかな」
「駄目よ。ちゃんと定期的に診てもらわなきゃ。たしかにもう大丈夫だとは思うけれど、可能性はゼロとはいえないからね」
「わかってる。だから病院には行ってるじゃん」
 また目を窓の外へ戻す。街の灯りがやけに目につく。こんな風に普通の生活ができるなんて、二年前までは思ってもみなかった。
「ふふ」お母さんが急に笑った。
「なに、どうしたの?」
 驚いてお母さんを見ると、そこには優しく微笑むお母さんの横顔があった。
「いえね。こんな風に娘の恋愛事情に首を突っ込めるなんて、二年前までは思ってもみなかったから。なんか嬉しくなってきちゃったのよ」
 それを聞いて、私の顔も何故か少し緩んだ。おんなじことを考えていたなんて、やっぱり親子なんだろうか。
 中学二年の頃、私の身体に異変が起こった。運動した時に、動悸がいつもより激しくなった。
 初めは気のせいだと思っていた。でも夜に呼吸が苦しくなったり、普段通りにしている時でも、動悸が激しくなったりするようになった。
 これまで病気で病院に通ったことなどとほんどないので、そのうち治まるだろうと自分の中で勝手に決めつけていた。身体に浮腫みが出てきた時は、麻衣に相談した。病院に行くことを勧められたけれど、それでもまだ躊躇っていた。
 病気だと決定的にわかったのは、麻衣の家にいる時に突然失神した時だった。麻衣は大変だったと思う。後から聞いた話だと、麻衣はまず救急車を呼んで、救急隊の人たちに状況を説明。その後に私の両親に連絡してくれて、病院にも付き添ってくれたのだという。その的確で冷静な対応に、救急隊員の人たちも驚いたそうだ。
 私が突然倒れたのは、不整脈を発症したからだった。病室で目を覚ますと、お父さんとお母さん、おばあちゃん、そして麻衣がいた。状況が呑み込めず、キョロキョロと周囲を見回したのを覚えている。麻衣はとてもホッとしたような表情だったけれど、お父さんと、お母さん、おばあちゃんは、どこか生気のないような表情だったのが印象的だった。
 その理由は後々になってわかった。原因は私の病名にあった。
 特発性拡張型心筋症(とくはつせいかくちょうがたしんきんしょう)
 それが私の病気の名前。聞いたこともないワードばかりが頭の中に並び、初めのうちはピンとこなかった。でもその病気を知っていくうちにわかったこと。
 それは心臓の病気で、もう治ることはないし、きっと助かることはない。ということだ。担当の先生が話してくれたことも、ほとんど耳に入らない。もう終わりなんだ。そういう考えが私を覆い尽くしていった。
 すぐに入院ということになった。一面が真っ白の病室。まるで隔離されたように、外の世界から遮断された気がした。面会も制限されていて、家族に会う時間よりも、看護師さんや先生と会う時間の方が多かった。
 特発性拡張型心筋症は、厚生労働省によって指定難病に設定されている循環器の疾患だ。特発性というのは、いろいろ調べても原因が分からないというものらしい。この病気には根本的な治療法が確立されていない。そのために、治療も投薬によって進行を遅らせるということしかできなかった。
 一面白い世界。実際には他にも色はあるけど、そんなイメージだけがついてまわる。窓の外に見える景色。そのすべてを恨めしく眺める日々が続いた。
 半年の入院を経て、私は退院した。投薬治療によって身体が落ち着いたのか、学校へ通うことも許された。けれど元の様にはいかない。体育の授業は受けられなかったし、日常生活でも激しい運動は禁止されていた。そして徹底した塩分制限を受け、自由な飲食はできなかった。
 学校に行って、クラスメイトのみんなは声を掛けてくれたけど、正直言って感情がこもっていないように思えた。
 みんなはすでに進路について話し合ったりしていて、私はひとり、取り残されていた。学業の成績はクラスでも上位に入る方だったけれど、半年の遅れを取り戻すのは並大抵のことじゃなかった。
 自分の進路をどうすればいいのか、決められなかった。進路の選択肢を増やすために学業も頑張っていた。でも、普通の高校に通って、学生生活が送れるのかどうか。それすらも不透明だった。それに加えて勉強の遅れ。そうした要因が重なり、成績はみるみる下降していった。文字通り未来が見えない日々。それは現実として自分の目の前に広がっていた。
 行きたい高校があった。でも、中学の三年の夏に入る頃、私の体調は悪化した。
 心不全を発症し、入院を余儀なくされた。春までは体調も良くて、普通に高校生活も送れると信じていたし、薬もちゃんと服用していた。でもそのわずかな希望すらも、断ち切られた。
 義務付けられたのは病室での安静臥床。いつ発生するかわからない不整脈。その日々と付き合いながら、時間は過ぎていった。
 正直もうこのまま死んでしまいたいとも思った。これまでずっと手元にあった生活が、すべてなくなってしまったからだ。
 塩分制限で食べたいものも食べられない。好きだったポテトチップスは、私の身体にとっての天敵になった。代わりに身近になったのは、苦み走ったベータ遮断薬だ。
 それから体調が落ち着いて退院したものの、自宅療養の日々が待っていた。旅行も行けない。外食もできない。
 鬱々と自分の部屋で過ごす。本を読んだり、ネットを観たり。それでもお母さんと麻衣の勧めで、通信制の高校に入学し、自宅で勉学に励んだりした。五種類の薬も、毎日欠かさず飲んだ。家族や麻衣がいなかったら、きっと今ここにはいないだろう。自宅療養にはなったけれど、先の見えない日々は続いた。
「アルバイトだけど、仕事にも慣れてよかったわね。労働というものがどんなものか、少しは知っておかないとね」
 何気なくお母さんが言った。そして何気なく私も頷いた。労働が何か。それは高橋さんを見ていてなんとなくわかってきた。
「今はアルバイトだけれど、これから少しずつ、自分のやりたい仕事を見つけることね」
「うん。わかってる」
 先の見えない日々。それは今もそんなに変わらないのかもしれない。麻衣が基本的な業務が身につけられるからと、コンビニエンスストアでのアルバイトを勧めてくれたけれど、働けるようになっただけで、未来の展望が見えている訳じゃない。
 それでも今は、普通の生活ができる喜びが強い。
 家に着いた。この立派な家も、ガレージも、お父さんが頑張って働いて建てたものだ。
 私が自宅療養中も、仕事でどこかに出掛けると、必ずお土産を買ってきて、私を喜ばそうとしてくれた。
『いいね。いろんなところに行けて』そんな皮肉な言葉を言う娘に対して、お父さんはめげずに接してくれた。
 玄関のドアを開けると、スピカが顔を出した。スピカはまるで犬みたいに、帰宅すると必ず玄関で出迎えてくれる。
 にゃあ、という鳴き声は、お帰りと言ってくれているのだろうか。
 リビングにいるおばあちゃんに声をかけてから、自分の部屋へ行く。スピカが後をついてきていた。脚が短いので、スピカはいつも駆け足だ。
 灯りを点けて広がる、白い空間。多分同世代の女の子と比べると、飾り気のない部屋なんだと思う。特発性拡張型心筋症になってから、物への執着というものがなくなって、部屋に調度品の類いはほとんどない。高校に入ってから、私の命を刻み続けた砂時計が、部屋の片隅に置いてある。
 高校二年の終わり。私はこの部屋で再び心不全で倒れた。BPM1800超え、心臓の収縮は20%代。ステージD。
 私の症状は末期になった。この時点であと二年ほど、という余命宣告を受けた。地獄の日々が始まった瞬間だった。
 一日、一時間、一分。一秒。過ぎていくこと。それは死に近づいていくこと。自宅療養の時に目にした、死神の絵。黒いローブに、フードから覗く髑髏の顔。手に大きな鎌を持って、死を運ぶ。それがなんとなく頭にあった死のイメージ、心臓の動悸と共に、死神が一歩、また一歩と近づいてきている気がした。
 着替え終わると、スピカが脚に顔をすり寄せてきた。抱き上げて、ソファーに座る。ゴロゴロと喉を鳴らすスピカの体に、耳を当てる。どくん、どくんと、心臓の音が聴こえる。
 スピカを膝の上におろし、自分の胸に手を当てる。伝わる。掌に伝わる、命の鼓動。この音が、たまらなく好きだ。
 今日も私を生かしてくれる。私に、命を与えてくれた、新しい心臓。まだ二年の付き合いだけれど、今日も鼓動を刻み続ける。
 主治医の先生から告げられた余命が近づく頃、桜の舞う季節になった。
 急にいろいろと検査をされたと思ったら、突然家族全員が集められた。死が自分を抱きしめている感覚が、毎日していた時期だった。だから、余命一ヶ月。そんな宣告を言い渡されるのだろうと思っていた。
『臓器提供のドナーが見つかりました。心臓移植手術を受けますか?』
 先生のその言葉に、時が止まった感じがした。事態が呑み込めず、頭の中がこんがらがってしまった。
 お父さんがJOT(日本臓器移植ネットワーク)に登録していたことは知っていた。
 登録費用と年一回の更新料を支払い、さらに私の血液を年一回採血された、そんなことをしても無駄だと、常日頃から思っていたけれど、別に止めはしなかった。
 でも、結果としてはそれが自分を救うことになった。だから、お父さんには頭が上がらない。
 JOTに生前、ドナー登録していた人が亡くなった。その人は交通事故で脳死判定を受けたために、臓器が提供されることになった。
 先生の紹介で、臓器コーディネーターの城石さんと会った。よく説明を覚えていないけれど、レシピエント選択基準がどうとかいう話をされたのは覚えている。
 そしてその時に、自分の中で、まだ生きたいという思いがあることに気づいた。
 赤の他人の心臓を、自分の身体に移植する。そこに抵抗がなかった訳じゃない。でも、自分の中にわずかにあった、生きたいという思いを叶えるためには、迷うことはできない。私は生きるために自分の心臓を捨てて、人の心臓をもらうことにした。
 生きるということ。それは私にとって、心臓が正常に動くこと。それが今は当たり前になろうとしている。その当たり前に、本当は感謝しなければならない。
 コーディネーターの城石さんに、心臓を提供してくれたドナーについて知りたいと伝えたが、ドナーとレシピエント関係者の接触は厳しく禁じられていた。
 その代わりに、ドナーの遺族の方々に手紙を書いた。不思議とスラスラと書けたのを覚えている。生きることへの感謝。命の尊さ。自分の中にこんな考えや思いがあったのかと、書いていて驚いたほどだ。
 そう、命は尊い。生きているというだけで素晴らしく価値のあるものなんだ。命そのものが、美しい。そういう風に考えられるようになったのは、やっぱり自分が新しい心臓を得たからなんだろう。
 誰かの犠牲によって成り立っている命でもある。それもわかった上で、私は今を生きている。
 ドクン、ドクン。
 今日も脈は正常。心臓が私の全身に血液を送り続けてくれている。絶え間なく刻み続ける命の鼓動は、今日も私に安らぎと生きる意思を与えてくれる。
 私は生きている。今日もこうして命を刻み、そして明日もまた、命を刻み続けるんだ。
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